106話 幸せ者
意識の根底。そこには、幾つもの破片が散らばっていた。金や銀、或いは黄土色から錆びた青まで。
沢山の破片が散りばめられている中で、ひとつの眩い光を見つめる。
ひとつに見えたその光は、近くへと歩み寄ると二つに分かたれていた。それが何を指し示しているのか、全く分からないままにそれを拾い上げる。
「……ララ、リルム」
光を放ったそれは、石のような何か。
質感は大理石のように硬く、ツルツルだが所々粗削りのような箇所もあった。
ツルツルで、自分の顔を反射しそうなほど綺麗なその石の表面には、自分の異世界生活を大きく変えてくれた二人の顔が浮かび上がる。
ララとリルム。二人が笑顔で、石の向こうからこちらを見ている。
彼女らにはにかみ返すと、石の向こうで笑顔だった彼女らが満面の笑みになる。これ以上ないほどに。
「そんなに喜んでもらえたことなんて……あったかな」
不登校になって、引きこもりになり、親にも妹カオルにも迷惑をかけた自分の罪は、数え切れないほど。
それらを全て払拭してくれるような笑顔が、石の向こうには。この世界にはあった。
全てを抱擁し、許してくれる世界。
多少、傷付いたり傷付けたりはしなくてはならないらしいが、自分にはこちらの。異世界の方が向いている。
心做しか、そう思った。
「ララ、リルム。ありがとな」
二つの石を握りしめ、青年は――トオルは、散らばった汚い金銀の破片らに背を向ける。
手に握っていても、感じる彼女らの視線と、期待。それらに応えられるか。少し不安ではあるが、それでも歩んでいくと、トオルはそう、「神」に誓う覚悟だった。
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「――目が覚めると見知らぬ天井、見知らぬ香り。んで、体を起こすと見知らぬメイドたちがこちらを見つめ……っていうのがテンプレなんだがな」
少し前に目を覚ましていたトオルは、冷静沈着に状況を整理する。とは言っても、口から漏れたのはラノベで得た知識と、そのテンプレートの在り方。
だが、そんなテンプレはこの世界では通用しないらしい。彼が意識を覚ました瞬間は、この屋敷の下町の道中だったのだから。
あの頃は、まさか本当に異世界に来れるだなんて、と感激していたから気付かなかったものの、今となってはラノベのようにこちらに来たかった、メイドたちに囲まれたかった。という気持ちが湧かないでもない。
「って状況整理したとこで、何もその他は変わる様子ねぇけど。まぁいいよな」
「さっきからどこを見て話しているのよ。私たちがいることに気付いていないのかしら?」
天井を見て独り言をブツブツと呟くトオルに、声をかけたのはリルムだ。もう、連れ去られた時から一緒にいるから、彼女の声はかなり聞き分けられる。
全然鍛え上げられていない腹筋を使って体を起こす。
金髪の女性、リルムが、ベッドの右端に座っている。――何故かは分からないが、彼女の顔を見ると、帰ってきたんだと実感出来る。
「……リルム、記憶がない。何か迷惑かけて――」
トオルから少し離れた所、手を互いに伸ばせば届くくらいの所にいたはずのリルムが、いつの間にかトオルの体に寄りかかっていた。
リルムは、リルムらしいはっきりとした物言いで。しかし、乙女らしくか細い声で言う。
「……迷惑……かけすぎよ」
「……すまん。何が起きてたか全く分からねぇのは置いといても、迷惑かけたのは謝る。ごめんな」
トオルが素直に謝罪を述べると、リルムはゆっくりと体をトオルから離し、目線をトオルの左側に向ける。
トオルがつられるようにそちらへと顔を向けると、椅子に座りながらもベッドに上半身を預けて眠る少女、ララの姿があった。
「この子も、私と一緒に頑張ってたのよ。徹夜であなたの手を握って、『大丈夫、大丈夫』ってずっと祈ってた……この子の祈りが通じたのかも」
「……そうか」
この年頃の少女なら、成長期なのだから寝なきゃいけないじゃないか、なんて無責任なことは言えない。
自分が迷惑をかけて、挙句の果てに気を失っていたからそんなことが言えるはずない。
リルムは少し憂いを、葛藤を帯びた表情でこちらを見つめる。
その目が、確かにトオルに訴えている。だが、何をそこまで伝えたいのかは分からない。人の気持ちが読めるのなら、それはもはや特殊能力なのだから。
「トオル、本当に何も……覚えてないの? あの時のこと、全く?」
「あぁ、そうだな。けど、多分戦ったんだろうなって感じはあるな……身体中が筋肉痛だし、何よりリルム、お前の傷が」
「え?」
リルム本人は気付いていなかったのか。
トオルが手を伸ばし、リルムの頬に触れる。触れた所は細く切れていて、生々しいということはなくても、それなりに痛そうに見える。
トオルが彼女の頬に触れ、傷口に当たらないようにしていたが、彼女はそんなことはお構い無しに顔を擦り寄せる。
少し悔しいのが、そんな彼女を可愛いと思ってしまったこと。
「……痛くねぇの?」
「これくらいの傷、大丈夫よ。今まで何本手足失ってきたと思ってるのよ?」
さらさらと恐ろしいことを言ってのける彼女に、恐ろしさを感じることは無かった。
――彼女の頬の傷が、誰よりも人間らしく、痛ましく残っていたから。
「怖ぇこと言うなよ。何してそんなに傷だらけになるのか分からねぇ」
「言ってあげるわよ? 最初にお腹に風穴が空いたのが、邪精霊の中ボスくらいの子にやられた時ね。あと、腕が飛ん……」
「言わなくていい。お前が傷付くとこなんか想像したくねぇ」
我ながらダサい言葉を放ったとは思ったが、もう後には引けない。
恥ずかしさに苦悶し、顔を歪めるトオル。表情を見るまでもなく、彼女の笑い声が飛んでくる。
「ふふっ、あなた、優しいのね」
「優しいか、久しぶりだな。そんなこと言われたの」
小学校以来か。中学に入り、二年生になる頃には既に友達は数人にまで減っていて、その友達とすらあまり話さなくなった。
中学時代後半はもう家に引きこもりっぱなしだった。その頃か、カオルが妙にトオルに優しくなり始めたのは。
過去を掘り出すのはやめにしても、優しい、なんて言葉をかけられるのは正に小学校以来だった。
あの頃は、異世界なんて考えもしなかったし、まさかこんな世界に来るなんて思いもしなかったはずだ。
だから、トオルは自信を持って過去の自分に言ってやれる。――俺の場所は必ずあるんだと。
「……トオル、あなた不安なの?」
「え?」
心の奥底にある、深層心理をまる読みされた気分だ。
不意を突かれ、間抜けな声を上げるトオルに、真剣な表情のリルムは問う。
「……大丈夫よ。私たちはいつでもあなたの味方。あなたが道を外しそうになったら正しい道に導くし……一人にはさせないわ」
「――心強いな」
心底信用出来る相手が、今のところ二人にまで増えた。見方を変えれば、彼女ら以外にもかなり信用に値する人はいるのだが、命を任せられるかと言えば、それは難い。
異世界生活を遂行する上で、チートも特殊能力も何も持っていない彼が死にものぐるいででも掴むべきもの。それは人の信用だ。
上記の二人からは、自惚れかもしれないがそれなりに信用されていると自負出来る。
彼女らもまた、自分に命を預けても良いと思ってくれていればいいのだが――本当に守れるかと言われれば、それはほぼ不可能。ただの考え方の一種でしかない。
「うにゅ……しゅーる……すとれみんぐ……」
「は? シュールストレミング?」
小さな声が聞こえていた方向を向くと、ララが目を擦りながら上体を起こしていた。
リルムの言う通り徹夜でトオルの無事を祈っていた様子のララ。瞼は腫れ、見るからに倦怠感が募っている。
「……トオル……さん――ッ!? トオルさん!?」
「あ、あぁ、トオルだけど……」
彼が声を区切るよりも前に、ララがトオルの手を握り、そこに顔を埋める。
熱い涙が、トオルの手を伝ってベッドに落ちる。
「どおるざん! とおるざん! 生きてたぁ……! 生きててくれたぁ……!」
「おお……生きてるぜ……」
まるで死人が生き返ったような扱いを受けるトオルは、目をぱちくりさせる。が、それに反してララは涙で濡れた目尻を、涙で塗れたそのぐしゃぐしゃな顔を、トオルのシャツの袖で拭く。
――これほどまでに喜んでもらえるのなら、目を覚ましたトオルも本望だ。
生きているだけでここまで嬉しがられるなんて。実親でも、ここまで涙してくれたことはない。
「なぁララ、落ち着け。どこにも行かねぇから」
「ほんどでずがぁ! ほんどに! どこにも!」
ララは落ち着く様子もなく、ただトオルの腕で涙を拭い続ける。ここまで感情の起伏が激しいのは、やはり異世界だからか。それとも、単に嬉しさが涙を呼び込むのか。
ここまで好かれているのなら、もう彼女の感情を抑制しようとする気にもならない。ベッドの端から足を下ろし、ララと向き合う。
彼女は未だ涙を腕で拭いている。
「行かねぇよ。……お前は良い奴だな」
「っ……」
空いた右手でララの頭を撫でる。
これまでに少女の頭を撫でたことがあっただろうか。あるとすればカオルだが、彼女は実の妹、ノーカウントだ。
さらさらの銀髪が、掌に心地よく当たる。
まるで絹を撫でているような、そんな感覚でさえもある。――絹を撫でたことなどないが。
「トオル、すぐに朝ご飯用意してあげるからちょっと待ってなさい。とびきり美味しいお粥よ」
「……俺粥嫌いなんだけど……」
そんなトオルの声も、リルムが扉を閉めるのと同時だった故に、彼女には届かなかったようだ。
小さな頃から、体の調子が悪い時に何度か食べてきた味だが、なかなか好きになれない。歯応えのある食べ物が好きだから、柔らかいパンや水を含んだ米は好きでない。
「トオルさん……ララ、何も出来なくて……」
「ん? あぁ……どういう意味?」
「いえ……ララはトオルさんがあぁなってしまった時、何も出来なくて……だから、ララの所為かもしれないんです。ごめんなさい……」
そんなに卑下することはないはずだ。
本人が、当時の記憶が抜け落ちているから覚えていないにしても、咄嗟の出来事に全員が反応出来るかと言えば、そうではない。
そういった人は、極小数のはずだし。
「気にすることはねぇよ。俺だって同じことが起きたら、何も出来ねぇはずだ。……何が起きたか覚えてねぇけど」
どれだけ記憶の糸を手繰り寄せようとしても、その先はやはりプツンと途切れていて、何も思い出せない。
記憶喪失になどなったことがないが、これは軽度のそれかもしれない。
まぁ、事の発端から顛末まではリルムやララ、レヴィに聞いたら良いだろうし、今はララの素直な気持ちに向き合ってあげなくては。
「……覚えていない方がいいかもしれませんね」
「……? どういうい――」
トオルの言葉が遮られるのは、今日で何度目だろうか。
いや、今回は遮られたのではなく、自発的に声を出すのを止めたのだ。
その理由は、部屋の扉が開くのと同時に入ってきたリルムの姿と、彼女と共に入ってきた、予想外に美味しそうな香りだった。
「な、何の匂いこれ……」
粥の香りは確かにするのだが、その中に仄かに含まれている、食欲をそそる香り――元の世界では嗅いだことの無い、珍しい香りのようだ。
「何って……お粥よ?」
「粥苦手だって言ったんだけどな……」
トオルの拒否も虚しく、自らの食欲と、粥の香りに負けてしまう。
ベッドの淵に座り、「あーん」と言いながら口を開けさせる――自ら口を開けたトオル。
スプーンを咥え、粥を喉の奥に流し込むと――。
「――っ!!!! は!? は!?」
「ど、どうしたんですトオルさん!?」
――。誰か、元の世界で昔言っていた言葉の真相は、こういう意味だったのかもしれない。
「――何も言えねぇ……」
彼は水泳選手だからして、そんなことは有り得ないのだが、この言葉は正に今の為に作られたようだ。そんな錯覚さえ起こしてしまう。
トオルの言った言葉が、良い意味なのか悪い意味なのか理解出来ない二人は、互いに目を合わせ、そしてトオルを見る。
「リルム……」
「何?」
徐に彼女の手を取り、両手で包む。
「? 何よ?」
「美味すぎんだろ!」
そう叫ぶと、少しの沈黙の後、二人は顔を見合わせて笑顔になる。
二人の表情から推察するに、ララもこの粥作りに加担していた様子だ。
「な、何入れたらこんなに美味くなんだよ!? 俺粥嫌いなんだけど!?」
「特別なものはひとつしか入れてないです。ね?」
ララの問いかけに、リルムはコクリと頷く。
邂逅した時は、リルムの圧倒的な力で殺されたというのに、今はこうしてお互いに協力し、笑顔でトオルを囲む――どうやらこの世界は。ここの住民は、かなり気持ちの切り替えが早いらしい。
「そのひとつって何だよ?」
「――愛ですよ」
「――愛よ」
何が、彼をここまで良い気分にさせるのか。この世界は、トオルの気分を良くするためだけにあるんじゃないかと思ってしまうほど、彼の待遇が良い。
特に苦しい思いもしていないし、周りの人間に自分を邪険に扱う奴はいない。
終いには、「愛」を恵んでくれる女性と少女の存在まで。
「……はぁ」
「どうしたの? 嫌だったかしら?」
「いや」
――もう一回、俺はお前に言ってやれる。俺は。
「――俺って幸せだな……って。そう思っただけだよ」




