101話 ニンゲン≠→↑〇〇←〇
赤い、血が流れた。
それは涙であり、血でもある。
目から零れる赤い涙は、頬を伝って僕の頬へと落ちる。
やがてその赤い涙は、透明さを取り戻す。
彼女が「ニンゲン」であることの証明。
それが、今なされた気がした。
掠れたような、か細い声で彼女は言う。
「レヴィ君」と。
だけど僕は、彼女の顔をまじまじと見つめることは出来なかった。
意識が海に沈むように、ゆっくりと途切れた。
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祠は薄い灰色を塗ったように汚れ、その表面には下界と同じ言語で「デウス」と書かれている。
どういった意味かは分からないが、祠というだけはあって、神々しさのような、神秘的な何かを感じ取ることは出来る。
そして、彫られた「デウス」の下には、また同じように「触れろ」ともあった。
触れることで、何が起きるは分からない、とセシリアは言っていたが、ミカエルやガブリエルに出会えるならば、多少のデメリットは厭わない。
そう決意したレヴィの左右で、少女らが心配そうな表情で彼を見つめる。
「本当に、これでアリスを助けられるのか……もう一度、僕らのそばに立てるようになるのか……って言いたいの?」
少女らは、彼を見つめながら頷く。
そんな心配は無用だと言わんばかりに祠へと向き直るが、それに触れようとした手を、リリが掴む。
彼女なりに力を込めたのだろう。
恐らく、祠に触れようとしても触れられないほどには力がこもっている。
「大丈夫だよ。なんの危険もない」
「言いきれますか?」
手を掴んだリリに代わり、リリィが問う。
振り返ると、彼女は深刻な問題を抱えたような表情で見つめている。
その手は握られているが、震えていて、「また」、レヴィが知らぬ間に遠くへ言ってしまうのではないかということを危惧しているようでもある。
「たかが神様と会うだけだよ。神様なら僕の中にもいるし、大丈夫」
「……ヴェリュルスさんは優しいだけです。本当の神様は、どうか分かりません」
あくまで神の慈悲を信じないリリィは、レヴィの行方を阻もうとする。
リリは相変わらず祠に触れさせてくれないし、リリィはリリィで言葉で止めてくる。
止められることはそれほど嫌に感じない。が、それにアリスが絡んでくるとなれば、また別問題。
レヴィも彼女と同じで、アリスのことになれば、衝動を止められる自信はない。
「それでも行くよ。ごめんね。すぐ戻ってくるから」
「……」
レヴィの固い意思を前に、為す術なく退き、残念さを表情に出す二人。
今は、身の安全が保証されている四人よりも、一人で放ったままのアリスの方が気にかかる。
アリスともう一度出会い、普通の日々を送ること。それだけを切に願い、祠へと手を伸ばし――。
途端、視界が奪われた。
否、奪われたのではなく、眩さに目が眩んだのだ。その閃光と共に衝撃がこちらへ向かって飛び込んでくる。
防ぎようのない衝撃に、体が仰向けに倒れていくのが良く分かる。倒れ、倒れ、倒れた。その瞬間、後頭部に強い打撃を感じた。すると、視界は白から黒へと変わり、それが次第に赤じみて――まるで太陽を直視したような感覚の中、レヴィは深い意識の底へと沈んでいった。
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「レヴィ……」
気が付けばレヴィは、同じ顔をした青年の前に立っていた。
彼の顔は思案気味。
まるでレヴィの身に何かが起こったような。そして、それを心配しているような、そんな表情。
思えば、下界の騒乱から何まで、ずっと心配されてばかりな気がする。
たったの一度も心配されずに任せられたことは――数回しかない。
いつもアリスに止められ、リリィに止められ、悪い意味ではないがほとんどの行動を阻まれてきた。それが今や、同体を司るヴェリュルスでさえも、彼のことを心配している。
少しは任せてほしいものだ。
と思った。――が、
「――ぅわぁっ!?」
「あははははははっ! かわいいおとこじゃ! わらわのあそびどうぐにちょうどよい!」
今回だけは、ヴェリュルスの不安も的中。
何故なら背後に見知らぬ少女が立っていて――否、浮いていて、それに気付いた瞬間、レヴィは驚きに飛び跳ねたからだ。
心臓の音が鳴り止まない。
まず、ここは何処なのか。
見渡せば、ここら一帯は白い箱と似たような世界らしい。ただ、少し廃れていて、どこか物悲しい雰囲気の場所だ。
ただ一つ決まりきっていることは、ここが現実世界ではないこと。先ほどのように、白い箱のような空想の。存在し得ない世界だ。
その理由に、浮いた少女がいるし、何せヴェリュルスがいるのだから。
「……レヴィ、こいつは誰だ……? 俺たちはどこにいる?」
「僕も分からない。君は何も知らな――」
「あははははははっ! よい! よい! じつによいぞ! それでこそわらわのみとめたおとこじゃ!」
ヴェリュルスへの返答に口を挟み、大声で笑い転げる謎の少女。
見れば、彼女は薄い茶髪の低身長。
言葉遣い的に精神年齢は低いよう。見た目もしかり。
まず、何がおかしいのか分からないし、どちらかと言えば何の状況把握も出来ていないこちらの方が笑い転げ、不安を和らげたい気持ちだ。
「はぁー! はぁー……おもしろい。じつにおもしろいぞ」
「……君は? 何がそんなに面白いの?」
平静を取り戻す。――とは言え、あくまで笑顔は絶やさない少女に、レヴィが問う。
「ふむふむ、まだか」と、顎に手を当てて何かを考える素振りを見せる少女。その姿はさながらアリスそのもので、デジャヴがレヴィを襲う。
既視感はすぐに通り過ぎた。なのに、何か心の奥にしこりがあるような、そんな感覚だけは拭えない。
「おぬしらは、まだおもいだしとらんのか」
「思い出す……? アリスとの、アイラとの記憶を?」
「それいがいになにがある? ……きおくがかんぜんにもどれば、わらわのこともすぐにおもいだせるはずじゃが……」
そうは言われても、生憎アイラとの記憶は封印されたように思い出せない。思い出せるのは、記憶の節々と端々。それもかなり瞬間的なことしか覚えていないし、記憶にあるとすれば、アイラと花畑へ行き、キスをしたこと。何も知らない彼女に言葉を教えたことだったり、それほど重要なことでもないものだけ。
だが、記憶の鍵を握るのはアイラだけでなく――。
「おぬしなら、あるいは?」
「俺? 俺も全部は覚えてねぇよ」
「きょうゆうすればすぐだろうに」
そう言われ、少しヴェリュルスの肩が跳ねた気がした。「共有」に思い当たる節があるのか、それとも何か。
ヴェリュルスは暫く考えた結果、何かを諦めたようにため息をつく。
その表情はあまりにも悲壮で、落胆という言葉を表すには十分過ぎるほどだった。
「分かったよ。すればいいんだろ?」
「いやならしなくてもよい。わらわがことばで、おぶらーとにつつんではなしてやるからのぉ」
その提案に乗るかどうかは、どうやらレヴィ本人に託されたよう。
二人がレヴィを見つめ、選択肢を迫る。
――記憶は、一度しっかり戻ったはずなのだ。ヴェリュルスが神の一人だと聞いた時、確かにレヴィは全ての記憶を取り戻した。だから、彼は「辛かったね」と、確かに言った。
なのにその節々が次々に失われ、溶けていくのは、それが余程衝撃的なものだから、レヴィの脳が勝手に記憶を消去していることによる。
と言われれば、何の疑いもなく信じられるだろう。そして、ヴェリュルスと少女の会話を聞くに、その可能性は決して低くない。
少し考えた挙句、レヴィは一つ、ヴェリュルスに問いかける。
「君は、覚えてるんだね」
「……俺は……まぁいいだろ」
「……」
何となく、レヴィの放った言葉をまともに受け止めていない気がした。気がしたのではなく、その言葉通りだ。
レヴィの問いを流し、そっぽを向いて悲しそうな表情を浮かべるヴェリュルス。その拳は強く握られ、くい込んだ爪が皮膚を破って血を流している。
「……僕は、聞かない。弱虫だから、強制的でないと聞けない気がするんだ。自分の過去を振り返りたくない。ただ、君の正体を知って、アリスを取り戻せればそれでいい」
「……それが、おぬしのけつろんか?」
黙って頷くレヴィに、少女はやれやれと首を振り、悪態をつく。
「べりゅるす、おぬしはそんなによわむしじゃなかろう? そのしょうこに、おぬしはきおくがある」
「……」
別に、ヴェリュルスが強くてレヴィが弱いという構図が出来上がったとしても、不満はない。実際そうだし、これまで生きてこれたのも彼のおかげだから。
なのに、彼女の言い回しにはどこかトゲがあり、少し苛立ちを覚えるのも確かなのだ。
少女はニタリと笑みを作る。レヴィの心境を読み取ったように作られたその笑みは、やがてスっと消えた。
その理由は、彼女の背後に突如現れた白い影だ。
少女は白い影の気配を感じ取って、少し怯えたような表情を見せた。そして、白い影の手らしきものが少女の頭に振り落とされると――。
「いてっ」
「こら、ミカ。虐めちゃダメでしょう?」
――白い影は次第に肌色を帯び、人の姿。女性へと姿を変える。
振り落とされた手は、どうやらチョップだったようで、ミカと呼ばれた少女は「いてててて」と頭を擦っている。
「ミカ……? え? あのミカエル……?」
「そうじゃ。わらわがだいてんしのみかえる。それとどうじにかみでもある」
すんなりとミカエルという名を名乗る少女。いつまで経っても名前を明かさない、絵本の中の悪役とは違ったようだ。
そして、ミカエルが名前を明かすと、彼女よ背後にいた女性――薄茶けた色の髪の女性がレヴィの前まで歩み寄り、名乗る。
「私はガブリエルって言うの。この子はミカエル……ミカって呼んでくれて構わないわ。子供っぽくて扱いにくい子だけど、仲良くしてあげてね。……実際子供なんだけど」
「うるさいうるさい! わらわはもうさんびゃくねんのときをいきるだいてんしじゃぞ! ……まぁ、おぬしらとはきょうぞんしているもどうぜんゆえに、みかと呼んでもかまわぬが!」
ガブリエルの喋り方がリルムのそれと似ていることに少し親近感を覚えると、すかさずミカエル――ミカが口を挟み、ペースを乱す。
相も変わらず子供っぽさ全開のミカだが、先ほどの言葉が真実なら、本当はへりくだった方が良いのかもしれない。
「あぁ、へりくだるなんて考えなくていいわよ。この子はそんなの望んでないから」
「そう……ですか」
レヴィが恐る恐る口を開き、そう言葉を返すと、ガブリエルは少し微笑んで彼に言う。
「ですかなんて水臭いわよ! 私たちとヴェリュルスくん達の仲でしょう? 敬語なんて使わなくていいわよ!」
「ガブ、こいつはまだ記憶が戻ってねぇ」
ヴェリュルスのアドバイスも虚しく、「そんなこといいからタメ口でいいわよ!」とレヴィの手を取り、ぎゅっと握って、上下に振りまくるガブリエル。
彼女のフレンドリーな性格は、誰かに似たような気もする。いや、誰かが彼女に似たのかも。
「こほん、そろそろほんだいにもどそうかの。れびーよ。おぬしはきおくがもどらんくてもいいと。あずりさいあがもどってくれさえすればいいと、そうおもっておるのだな?」
「は……うん。記憶が戻ったって、それは僕が知り得る彼女じゃない。もはや別人なはずなんだ。だから、僕は別に知ろうとは思わない」
レヴィの、しっかりと考え込まれた答えに少し頭を悩ませる様子のミカ。再び顎に手を当て、小首を傾げる。
数秒経つと、ミカは表情をがらりと変え、レヴィを真摯に見つめ始めた。
「な、何……?」
「……」
ものも言わないミカがレヴィを真顔で見つめ続ける。途中、ガブリエルに目線でどうしたらいいか問うが、彼女は頷くだけ。何の解決にもなっていない。
一分ほど見つめられたか。
ミカは「それ」が終わると、直ちに笑顔に戻る。あまりの変貌ぶりに、少し怖気付くレヴィ。だが、彼のその反応にミカは喜ぶように満面の笑みになり、そして口を開いた。
「だめじゃ」
「え? 何が――」
「おぬしはかこをみなくてはならぬ!」
何故か怒ったように頬を膨らませ、前のめりになるミカ。
唖然とするレヴィに近付くヴェリュルス。彼は少し困ったような顔を見せたあと、不意にレヴィの手を取った。
「ぇ――」
疑問符の「ぎ」すら出ずに、頭の中に次々、フラッシュバックのように浮かんでくるのは負の感情と、それに繋がっていた「出来事」の数々。
アイラが振り返る。彼女は落とされた。
兵も仲間も全員が全員、銃殺されたり食い殺される。
挙句の果てには自分さえもが捕まって。
大量のうじ虫を口の中に詰められ。
身体中に油を注がれ。
途中、垣間見えるアイラとのキスや、手を繋いだ日々。
それが終わるとすぐさま、地獄へと落下。
体に魔術で火を付けられ。
ただ単に熱い。痛い。
その言葉が。
脳内に。
蔓延り。
終い。
には。
――天空の端から見える、地上に落下していくと思われる落下直後のアイラの姿。
真っ白で白銀の彼女の髪が、黒く染まっていき、その姿はやがて見えなくなり、僕の、姿が、消えてしまう直前に、少しだけ、見えた、地面に走る、衝撃波――。
「――ぁ」
意識が元へと、とは言っても、未だ意識は白い箱のような世界の中。
汗だくの状態で辺りを見渡せば、そこには不安げな表情で見つめるヴェリュルス。これから起きるであろう喜劇に笑みを浮かべるミカ。そして、そのどちらでもない微妙な表情を浮かべるガブリエル。
彼らのそのまた向こう側を除けば、先程よりも辺りは綺麗になっていた。
風の吹き抜ける草原と、そこにチラホラと咲くアイリスの花。
その花々の丁度真ん中辺りに光が。
虹色に光るその光が、辺りに栄養をばらまいているのか、その光が広がった後には花が急成長し、蕾は花開き、枯れ始めていたしわくちゃな花びらも、一番の最盛期に戻り始めた。
「これは……」
「ガブとミカが、これで最後だとよ」
「最後……?」
意味が理解出来ず、オウム返し。
ヴェリュルスはレヴィの心配など、もう忘れたように微笑し、その喜びを隠しきれない様子だ。
「アイラが……戻ってくる」
「……え」
あまりの驚愕。そして、あまりにも簡単にアリスが戻ってきてしまうことへの驚きが入り交じり、おおよそ変な顔になっていることだろう。
だが、そんな変な顔もすぐさま涙顔に変わる。何せアリスが帰ってくる。
ただそれだけで、不安になるほど涙が溢れ、手が震え、膝に力が入らなくなって崩れ落ちる。
「それほどよろこんでもらえるのなら、わらわもほんもうじゃ〜」
「そうね。でも、これっきりよ? 次はないわよ? 次、アイラを泣かせたり、死なせたら、もう知らないからね? ……まぁ、レヴィくんはそんなことしない。出来ないだろうけどね」
分かってるとばかりに、うんうんと何度も頷くレヴィの横で、ヴェリュルスもまた、貰い泣きをしている。どちらかと言えば、ヴェリュルスの方が涙でぐしゃぐしゃなんじゃないかと言うほど。
顔を合わせ、盛大に吹き出す。
これほどまでに楽しそうに笑うヴェリュルスの顔は初めてかもしれない。
全て、アリスのおかげだ。
「あ、いいわすれておったが」
「ぅ……何……?」
辺りの草原が風に揺れ、少し不穏な空気を運ぶ。
それを感じ取ったレヴィは少し表情が落ち着き、ミカの顔を見つめる。
だが、彼女はあくまで「かんたんだろう?」というような雰囲気でサラッと言った。
「これにはおぬしのまりょくがひつようじゃ。それも、もちろんおぬしがからだからほうしゅつし、あずりさいあをもういちどつくらねばならん」
「…………は?」
豆鉄砲を食らった鳩のよう――鳩そのものだ。唖然と口を開くが、周りの三人は「それくらい可能だろう」くらいに思っているのか、自体を重く受け止めていない。
誰も、その先が大変なだということを分かっていない。唯一体を分け合い、分かってくれているはずのヴェリュルスでさえ、今はテンションが上がっているのか、落とし穴に気付かない。
「……? じゃから、まりょくをほうしゅつし、あずりさいあをもういちど――」
「僕が……魔法を使わなきゃいけないの?」
「? あたりまえじゃ。おぬしいがいのだれにできる?」
レヴィの一言に、ハッと気付いたヴェリュルスは顔に手を当て、まるで紙屑を丸めるようにその指先に力を込める。
彼もやっと、この巧妙に出来た罠――意図して作ったものでは無い罠の全容に気付いたようだ。
「魔法を使うって……お前……」
「どうしたら……」
「なにかもんだいか?」と問うミカに、ヴェリュルスは声を張る。
「問題かじゃねぇんだよ! 俺たちは魔力はあっても、魔力線がねぇんだ! 魔法なんて使えるはずねぇだろうが!」
「……べりゅるす……おぬし、そんなかんじだったかの……?」
涙目でそう呟くミカに平静を取り戻したのか、ヴェリュルスは頭をくしゃくしゃと掻き毟って、どうにか気持ちを抑えようとする。
だが、その努力も虚しく、彼は怒りの矛先をどこにも向けることが出来ないまま、涙を目に溜めた。
「仕方ないわよ……最愛の。奥さんだもの」
「……ひとつだけ――」
「もう何も聞きたくねぇよ!!」
そう叫ぶヴェリュルスは、伸ばしたレヴィの手を振りほどき、世界から消えた。突如フッと消えた故に、どこへ消えたかは分からないが、恐らくレヴィの意識の根底。底で眠ったのだろう。
ヴェリュルスのあまりの変わりように驚きを隠せず、こちらもまた泣きだしそうなミカ。
何とかしなければと、レヴィがミカの元へと近付き、目に溜まった涙を指で拭う。
「ぐすん……おぬしのように……ぅ、きざなやつはみたことがないのぅ」
「キザか……」
単なる優しさが、どう転じてキザになって堪るものか。これは持って帰るべき最重要案件でもある。
と、一つの決意を胸に留めたレヴィは、どうすればいいのかと策を練ろうと頭を回す。だが、この世界での魔法が使えないということは、簡単に言えば「世界が平面で出来ている」というほど、ありえないことなのだ。
それをどうにかして立体にしようなど、魔法を使えるようにしようなど、到底無理な話だ。
「まりょくのだしかたをわらわがおしえてやろうか?」
「下界では大体試したんだけどね……体質だから治るか分からないよ」
それでもやってみる価値はあるはずだ。
その決意を表明すると、ミカは言う通りにやってみろと仰せだ。
まず、背中に意識を集中させ、背中が暑くなる感覚を覚えること。それが魔法を放てる全長らしいが――。
「何も感じないや……むしろちょっと肌寒いよ」
「……しかたない。わらわもおにではない。むしろかみじゃ。てんしじゃ。えんじぇるじゃ! ……とくべつに。とくべつにじゃぞ? おぬしらにしれんをあたえる」
「試練?」
試練と言われて思い付くのは、幾多の敵を倒したり、ものすごく高い崖を登ったり。と言ったものだが、ミカの舌なめずりを見るからに、そんな半端な、ヤワなものではないことが分かる。
「そうじゃ。ないようはの…………あ? もうたっせいしたようじゃの」
「え、え? どういうこと?」
ミカはくるりと体を翻し、レヴィに背中を向けると、ふわふわと浮きながら少し向こうへと歩き(移動し)、そしてまた翻って、片手でピースを作ると、こう言った。
「おぬしのつれておるしょうじょのじゃせいれいをこうせいさせること。そして、それがすこしぶんれつしてげかいにいってるゆえに、そのじゃせいれいのかいしゅうを……といいたかったのじゃが、どうやらもうたっせいできとるようじゃ」
「更生……?」
そんなことが出来るのかと問いたくなるが、その気持ちは抑えたまま。それ以上に、今度こそアリスを取り戻せるという喜びが勝り、涙こそ出ないが、手の震えは止まらない。
「こうせいじゃ。できたことはないんじゃがな。おぬしらがそれをやってのけたら、あずりさいあをもどしてやろうとおもったが、それはすでにおわっておることじゃ。……わらわはえんじぇるじゃ!」
「何回言うのよ……」
天使であることを豪語するミカに悪態をつくガブリエルだが、彼女もまた、初めて成せた偉業に。そして、旧友であるアリスが生き返ることに期待が高まっているようだ。
「とにかく! もうあとはふれるだけでよい。もう、わらわにあいにくるようなまねはよすんじゃぞ?」
「それはどういう――」
最後まで言葉を吐き出す前に、自分が遠くに見えていた草原の。アイリスの花畑の真ん中へと移動させられていることに気付く。
一時はどうなるかと思われたアリス奪還も、ようやくハッピーエンドで収束を迎えそうだ。
少し宙へと浮かんでいる光の玉。
それはどこからどう見てもただの虹色に光る玉であり、他の何物でもない。
本当にこれに触れるだけでアリスが戻ってくるのか、見当違いなことをしている感じはするが、それはミカやガブリエルに失礼だと、そう思った。
息を飲み、ゆっくりと。
自分の鼓動の音を聞きながら、虹色の光の玉に触れる。
指先が、溶けるような感覚と共に虹色の玉に沈みこんでいき、その中にもう一つ小さな球があることに気付く。
何も物を言わず、ただ黙ってそれを手に取ると――。
「――ッ!?」
意識が飛んだ気がした。
ここが、意識の隙間なのか、それとも現実世界なのか、あるいは天国なのか。どこにいるかも分からない。
何故なら、視界が真っ白で覆われているから。
唯一動く右手を空があるだろう上に翳し、何かあるかと掴もうとする。
何も掴めず、空を掻く五本の指が、いつの間にか柔らかいものに触れていた。
瞬き一つしない目が、白い靄の中から出てきた小さな肌色をしっかりと焼き付けた。
気付かない間に、見覚えのある顔が視界に映る。それと同時に、伸ばした右手の五本の指が触れているのが、それの――彼女の頬であることに気付く。
靄からその全体が現れ、レヴィの上に覆いかぶさる。短いながらも、髪が当たるほどの顔の距離で、レヴィは瞬きせず、ただ彼女の頬に手を当て、ものも言わずに彼女を見ていた。
彼女はレヴィの上で四つん這いになり、そして目に涙を溜め、それが零れ、流れ出す赤い涙。
レヴィの頬に伝った赤い涙が、耳を伝い、やがて地面に辿り着き、その瞬間に辺りに、一度にアイリスが咲く。
涙、涙、涙。赤から透明へと帰したその涙は、次第に勢いを止め、そして薄紅色の、魅力的な唇がその名前を刻む。
「レヴィ君」
反応を返したいが、返せない。
体が動かない。
ただ溢れる涙を瞬き出来ない目から次々と押し出し、目に映った可憐な白髪の少女の頬を撫でる。
彼女は手に擦り寄るように顔を傾け、そして再び涙を零す。
笑顔だったその口角が、段々と涙を堪えるような。嬉しくて堪らないような形になり、その名前を何度も何度も口に出す。
「レヴィ君……レヴィ君……レヴィ君……」
嬉しさを表せないこちらは、ただぼーっと見ているだけだ。それなのに、彼女は嬉しそうに涙を流し、手に擦り寄り、しかし抱き締めたりはしない。
あくまで、この感情を押し殺した今を楽しんでいるような。実に彼女らしい行動だ。
――やがて左手も動くようになり、彼女の頬を両手で挟む。
ぎゅっと両手をくっつけるように押し込むと、彼女の顔がまるで睨めっこをした時のように可愛らしく。そして面白く潰れる。
そんなたわいもない戯れに、泣き笑いをしながら彼女は、そっとレヴィに口付けをする。眠った王子様にそっとそれをするように。おやすみの前に、両親が子供の頬にキスをするように。優しく。優しく。優しく。
戯れが続き、しばらく泣き笑いを繰り返した後、彼女は何か言うのを忘れていた、とばかりにハッとして、一言、呟いた。
彼女の潰れた顔が面白くて、笑えるようになった口で少し笑っていた。彼女が何かを言おうとした時、何かを言うのを忘れていた、とばかりにハッとして、彼女と同時に、一言、呟いた。
「愛してる」
「いつか殺してやる」




