100話記念 真
羨望の眼差し。
その視線が自分の胸に当たっていることに、今更気付いた。
レイラがアリスの胸を凝視し、その様子を手を動かしながら眺めるリリィ。
彼女から見れば、物凄く変な空間であることははっきりと分かる。
少女が少女の胸を凝視し、それに羨ましさという感情を上乗せしていることも、普段とはまた違ったものだ。
「……レイラさん。なんで私の胸を?」
「へっ!? あ……」
どうやらレイラの方にはその自覚がなかったようで、腑抜けた声を上げる。
それとは別で、アリスはまじまじと眺められていたことに対しての羞恥心が募るようで、胸を手で隠しながら顔を赤らめる。
この場にレヴィがいたのなら、「アリスが恥じらうなんてね」、と揶揄っていただろう。
生憎ここには彼はいないので、レイラとアリスのやり取りをリリィが眺めているだけだ。
「だ、だって……大きいんだもん……」
「大きいん……ですか? 自分のものだから分かりませんけど。あ、最近またキツくなってきましたよ」
アリスの皮肉に、レイラは席を立ち上がって地団駄を踏む。
貧しい者、富んでいる者。どちらでもなく、どちらでもあると呼べるリリィは、見兼ねた様子で頬杖をつき、二人の会話に口を挟む。
「胸の凸凹くらいで揉めないでくださいよ。書類はまだまだあるんですし……」
「凸凹って言わないでよ!? ボク別に凹んでないよ!?」
そう大声を上げて反論するレイラもごもっとも。だが、凸と言われたアリスは満足げに胸を張る。
それに伴い、今日来ていたラフなシャツのボタンがはち切れそうになる。
二人の一喜一憂を目に映すリリィは、恐らくこの言葉たちの紡ぎ出す意味というものを理解出来ていない。
胸の優劣によって引き起こされる、女子の中の格差社会というものを、リリィは未だ知らないのだ。
許嫁がいる以上、男を探し、モテる必要は無いし、むしろそのような男は邪魔になるだけだから。
「何をそんなに怒ってるんですか。リリィはそんなに胸が大きい小さいで何も変わらないと思いますよ」
「平均サイズが何を言う!?」
そこそこの大きさの双丘は、レイラと比べるにしては少し残酷すぎるかもしれない。
「とにかく、巨が貧を屠るのだ。これ以上私に食い下がるな」
「ウギャァァァァァァァア!」
何かを悟ったような口調になるアリスは、叫びながら殴りかかるらレイラの拳を柔らかく受け止める。
やれやれと首を振るリリィは、二人の気持ちを理解出来ず終い。分かろうとすら思わない。
「……そこまでバストアップしたいなら、試してみればいいじゃないですか」
「試すって何を」
そう聞き返すと、アリスは机の引き出しを引き、一冊のノートを取り出す。
表紙には「レヴィ君日記」と書かれている。が、その色は赤で、しかもノートの下地は黒だ。所々血が飛び散ったような模様に加え、その分厚さといえばもう、辞書に匹敵する。
そのノートのあまりの異様さには、流石のリリィも黙って見ているわけにはいかなかった。
「何ですかそのおぞましいノートは!?」
「レヴィ君日記です」
「日記っていうか、もう普通にホラーなんだけど!?」
レイラとリリィが続け様に言葉を撃つが、アリスはピクリともせずにそのノートをペラペラとめくる。
――頭がおかしい。
にへへと笑うその口角は狂気に曲がっていて、目はその文だけしか見えていないようにも見える。
「……ダメなやつだよこれ」
「狂いましたね遂に」
そう、同時に放つと、「コホン」と空咳をしてアリスがノート(狂気)を閉じる。
再びその表紙を見なくてはならないことへの恐怖が多少。しかしそれ以上に、ノート一冊でここまで変貌してしまうアリスが怖くて仕方ない。
ノートを閉じればいつものアリス。
顔は整って、頬は少し赤い。何の変哲もない、普通のアリスに元通りだ。
「要するにですね、恋をしろと」
「恋……? 恋ならしてるよ」
「は? 誰にですか?」と問うアリスに、顔を少し赤らめてレイラが言い返す。
「決まってるじゃん、レヴィ様だよ」
「……」
何かを考えるように顎を手で擦り、アリスは椅子に腰掛ける。
そして暫くその状態が続き、そしてそれは突然終わりを迎えた。
「レイラさんは別に、恋をしてる訳じゃないですよ」
「は?」
「恋をしてる自分に酔ってるだけですよ」
何も。オブラートにも包まず、遠回しにも言わず、ただ直球でその言葉を放り込む。
そういう見透かされたことは何度かあったレイラだが、今回のは正に例外。初めて自分の知らない自分を言い当てられたような気がして、少しよろける。
「……いや、胸の話でしたね。あとは、揉んだりしたら――」
「いや、いいよ。泣いてもないし」
先程までの威勢はどこへ行ったのか、レイラは俯いて、アリスの机に両手を置く。
別に怒っているわけでもなく、悲しんでいるわけでもない。それを汲み取ったアリスは、すうっと息を吸い込み、言った。
「あなたはレヴィ君のことを好いてる。それは分かりますし、本当にそうだと思います。でも、どうしても引っかかる所があるんです」
「……? どこ?」
自らも分からない答えをアリスに求める。
そりゃあ、レヴィの魔法で生み出された少女ならば、彼のことを本気で愛しているのかくらいは、一目見ただけで分かるのかもしれない。
だが、レイラ本人には、本気でそれが分からない。何故なら自分は本気で彼を愛しているつもりだし、そんな自分に酔っているという感覚が微塵もないからだ。
そんな風に、顔には出さずに悩み悩むレイラに、アリスが言葉を投げかける。
「……レヴィ君が助けを求めていて、それを助けるのは大前提。私たちが一番成すべきことです。でも、あなたは小さな頼みは聞かないことがある……そこです」
「……」
言い返す気にもなれず、レイラは黙って俯く。
彼女の言う通りだと、思った。
面倒臭いからといって、レヴィの頼みを断ったことはあるし、そうしたことによってレヴィが少なからず落胆することも考えてはいなかった。
その先何を言わずとも、全てを感じ取ったという表情を向けるレイラに、アリスはもうひとつ助言を加える。
「でも、私は分かります。あなたが本気でレヴィ君のことを好きって。愛してるっていうことは。ただ、もっと真摯に彼と向き合ってほしいなって思っただけなんです」
ちろっと可愛く舌を出し、おどけてみせるアリスに、レイラは微笑み返す。
その微笑みは誰のものよりも可愛らしく、恋する乙女の笑顔だった。
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結局胸の話はどうなったか。
簡単な話、屋敷内にあったバストアップ方法が書かれた本(なぜそういうものがそこにあるのかは分からない)の示す通りに努力してみよう。という話に纏まった。
アリスの言葉以来、巨乳嫌いからアリスを排除するという強行に出たレイラ。
彼女の言葉が余程身に染みたのか、今はレヴィのお願いごとを聞くために彼の部屋まで行っているらしい。
「可愛い子ですよね。愛嬌があって、素直で。それでいて忠実。優しい……私負けちゃうんじゃ……」
「リリィもいるんですから、その辺は忘れちゃダメですよ」
この会話では、もうアリスがこの戦から退場してしまったような雰囲気だが、彼女も負けてはいない様子。
大きく胸を張ると、ボタンが弾け、丁度レイラを連れて入ってきたレヴィの額に直撃する。
「痛っ!?」
「うへへ」
「女の子らしくして!」
いつも通りの変わらぬ日常。
そこには少しレイラの気持ちが増幅して混じっているが、差程問題はない感じだ。
レヴィが倒れて仰向けになり、彼を起こそうとレイラが腕を引っ張っている間に、リリィはふと頭に思い浮かんだ疑問をアリスにぶつける。
「……もしかして……他意があったんじゃ……?」
「……レヴィ君をもっと愛して欲しかったんですよ。てへっ」
可愛らしくおどけるアリスに、感嘆のため息を零すリリィ。
大きくはだけた胸元が、起き上がったレヴィの視界に入るや否や、レヴィは彼女の元に歩み寄り、平然とした顔でボタンを取り付ける。
「これだからレヴィ様は……」と、呆れた声を上げるリリィ。
簡単な、三人の少女と一人の青年の平和な日常だ。




