98話 騒乱
耳が、飛んだ。
「――」
目が追うことが出来ないそのスピードは、僅かな衝撃、風となってカオルの頬を掠める。
気付けばリルムは剣を鞘から抜いていて、気付けば剣の一部は血で濡れている。気付けばトオルは苦痛を全く見せない表情。いつの間にか彼の左耳は千切れ、数秒後、柔らかい腐葉土にキャッチされる。
「……このくらいじゃ、脅しにもならないわね」
「……」
相も変わらず黙りこくったままのトオルは、デュランダルに切り落とされた耳に手を当てることすらなく、呆然と立ち尽くす。
その瞳はくすみ、何も見えていないようにすら見える。
手に掴んだままのダーインスレイヴは、相も変わらず血を吸い続け、その刀身は血にまみれ、まるで最初から赤色の剣だったかのようだ。
「リルム、気を抜くな。いつ来るかわからん」
「ええ。そのつもりよ」
気を抜くことはなく、リルムもまた、聖剣デュランダルをぎゅっと握りしめる。
何年と振ってきたその柄が、任せろと言わんばかりに熱を帯びる。
「リル姉〜、どうしたらいいのぉ〜?」
「とりあえず」、と言おうと、問いかけたルルに振り向いた瞬間だった。
顔の右半分に、強い衝撃を覚える。切られたのではなく、殴打されたような。
「ぐあっ――!!」
脳震盪を起こした頭が、吹き飛ぶように大木へとぶつかる。幸い、体には何も痛みはない――が、頭への衝撃が強すぎたよう。
目眩、というよりも、視界の焦点が合わず、制御の聞かない唇からは涎が零れる。頭だけの不随になったような感覚に陥りながら、やっとのことで開いた口で、大きく叫んだ。
「にげなさいっ!」
彼女の言葉に、周りの皆は唖然とする。
勿論、彼女ひとりをここに置いていけるはずもなく、ダーインスレイヴと邪精霊に蝕まれたトオルを、このまま放っておくわけにもいかない。
リルムの叫びが、森中に木霊した時、不意にリーフェンスが笑って言った。
「はっ、やだね」
「――は?」
反抗的な態度。それは、リルム無しでの戦闘を継続するという意思の表れであり、それと同時にほぼ自殺行為を取ると言うのとも同意だ。
リルムの、最後の力を振り絞った叫び声も虚しく散り、終いにはリーフェンスがひとりで対峙する形に。
肝心要であるはずのララたちの助力。
それが今、彼女らの戦意喪失――分かりやすく言えば、「リルムでさえ吹き飛ばされてしまうような相手に勝てるはずがない」と、弱々しく膝を着いたことにより、彼女らは戦闘力として数えられないものとなってしまった。
残っている戦力は、戦意喪失しなかったリーフェンスと、脳震盪が治りかけているリルムだけ。
リルムは先の攻撃でまだ視界がはっきりしておらず、剣を交えるには少しの猶予が必要だ。
対してリーフェンスは、むしろこれからの戦闘に滾っているのか、生き生きとした瞳をしている。
「リフ姉……大丈夫なの?」
「大丈夫。きっと助け出すから」
そうは言うものの、内心冷や汗が止まらない。剣を交える相手の強さにわくわくする気持ちと、それに相反する、身が凍え震えるほどの恐怖。
どちらの気持ちが勝っても、この戦闘では負ける可能性がある。その反面、気持ちの昂り故に勝利をもたらす可能性も――。
まさに諸刃の剣だ。
「――いくよ!」
そう叫ぶと、リーフェンスの力のこもった右腕が飛んでいく。
空を舞う千切れた右腕は、くるくると綺麗に回転すると、先のトオルの耳と同じように地面に着する。
「――あぅ……! が……ぅぁ……」
痛みというよりも熱さに悶絶するリーフェンス。地面に這い蹲り、右腕を抑えながら、声にならない声を絞り出す。
「うぁ……うぅ……」
十二歳の少女に対しての仕打ちじゃないだろう。と、心の奥で叫びたい気分だ。
悶絶する真横では、意識を失いかけたリルムがようやくのことで立ち上がる。が、体が思考についていかないようで、再び膝を折る。
「リルム……ぁ……だい――」
「じょうぶ」と続けようとするが、それはダーインスレイヴが彼女の顎を押し上げることで途切れた。
剣の冷たい感触が、顎から「死の恐怖」という冷たい感情を流し込む。
「ト……オル……い、痛い……よ」
「……知らねぇよ」
涙を零し、そう呟くトオルは、大きくダーインスレイヴを引き、勢いよくそれを喉元に――。
「トオルッっ!!!!」
鬼の形相で、リルムが剣を弾き飛ばす。
ダーインスレイヴがトオルの手から離れ、地面に刺さる。
「リーフェンスには手を出すな。この……私が相手だっ!」
そう言って、リルムは倒れたリーフェンスの前に立つ。
力を込めたデュランダルの柄が、リルムの怒りを体現したように紅く染まる。やがてそれは刀身の方へも染まっていき――赤いデュランダルが顕現した。
「リルム、ごめんな。俺、もう無理だわ」
「そんなことない。トオル、大丈夫よ……だから」
そう言いながら、デュランダルをトオルへと向ける。トオルもまた、それに反応するようにダーインスレイヴを向け――剣が、交わった。
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目を開いたのは、草原だった。
そよ風が草花を揺らす、心地よいその場所で、レヴィは目覚めた。
辺りを見渡せば、景色全てが草原。
花園、と言った方が雰囲気があるだろうか。周囲には、艇から飛ばされたのであろう部品や何やらが散乱しており、たまたまその破片にぶつからなかった四人の少女が、倒れていた。
「リリィ……リリィ! 大丈夫?」
「ぅ……」
案外、落下時の衝撃は小さかったようで、リリィが目覚めると、周りの全員が目を擦り、起き上がる。
風が様々な色の髪を揺らし、通り抜けていく。その風は、草原の果てからやってき、そして草原の果てへと消えていくのだろう。
「……痛くなかった……なんでだろ?」
「地面が特別柔らけぇわけでもねぇしな」
レイラの問いかけに答えたアブセルト。
彼女の言葉通り、レヴィが踏みしめる地面の硬さは地上のそれとほぼ変わらない。少し柔らかいくらいか。
かといって、レヴィたちに特別な加護がついているわけでもない。呪いの類ならあるいは。
「はぁ、ミーナの存在忘れてない? ミーナがやったの」
「え?」
不意に背後から声がする。
勢いよく振り向くと、そこには指先に、どこかへ繋がる半透明の糸を巻き付けたミーナが立っていた。
「糸だよ、糸。これで皆の体を巻き付けて引っ張って、衝撃を和らげたの〜。ミーナ天才っ」
そう言って、薄い胸を張るミーナ。
指先を少し曲げると、反射の具合で見えなかった糸に色がつき、レヴィたちの体にしっかりと巻き付けられているのが良く分かる。
ミーナが一歩後退し、腕を大きく後ろに引っ張ると、まるで蝶蝶結びが解けるように、するするとレヴィたちの体から糸が解けていく。
糸を回収したミーナはご満悦の様子、だが。
「――手錠が」
「あぁ、あれくらいならいつでも抜けられたよ〜」
嘲笑うように「ふへっ」と顔を綻ばせるミーナだが、何故かその表情に狂気は感じられない。表情だけではない。行動さえもが、仰望師団としては到底離れたものになっている。
手錠を壊し、抜け出すことが出来たのなら逃げればいい。ましてや、邪魔であろうレヴィたちのことなど、糸で救わなくても見殺しにすれば良かったのだ。
彼女の優しさなのか、それともこれも計算の内なのか――。
「……ありがとうね」
「え? なんで手錠外してありがとうなのさ〜?」
あくまで軽快な態度を続けるミーナだが、その目には迷いが見える。
それは恐らく、「このままレヴィたちの味方を続けても良いのだろうか」という不安と、「やはり裏切るべきなのか」という迷いの葛藤であるはずだ。
――そうであってほしい。
他に違うことを考えていたのなら、それはもうレヴィに想像出来るものではないはずだから。
「いや、君はいい子だ。ありがとう」
「いい子って……ミーナ、そんなんじゃ……」
――毒気が、抜けていくような感覚だ。
今まで蝕んでいた毒そのものが抜け、それがまたどこかへ向かっていくような。
――――それがもしや。
「ダメ!」
「え?」
体から完全に抜け切ろうとしたその邪精霊の最後の一端を、「箱」の中に座り込んでいた本当のミーナが掴む。
――あなたが、出ていったらダメ。あなたはミーナと共にあるべきなの。
邪精霊のミーナは、その言葉に振り返る。見ると、そこには苦しそうに悶絶しながら、彼女の末端を掴み、離さないミーナがいる。
「ミーナは……もう、他の人に……迷惑をかけたくないの……だから……」
「ミーナ……どうし――」
言葉が途切れると、レヴィが覗き込み、顔色を確かめる。膝をつき、そのまま横に倒れたミーナの顔は、まさに真っ青。今すぐに病院へ、と言いたい所だが、生憎ここは天界だ。そんなものがあるはずがない。
「ミーナ……」
「戻って……戻ってっ!」
そう叫ぶと、ミーナの体へと、沢山の純白の糸が吸い込まれていく。それはどこから来たのか分からないほど遠くに繋がっている。
糸が手繰り寄せられる――なんて柔なものじゃない。高速で。そして確実にミーナの胸の中へと吸い込まれていく糸は、丁度夕焼けの光に反射して、幻想的な光景を作り出す。
「――」
糸の吸い込みが止まると、ミーナは目を閉じ、そのまま気を失った。
何が起きたのか分からない一行は、どうしていいのか分からず、辺りを見回す。が、そこに何かヒントがあるわけでもなく、はたまたミーナが気を取り戻すわけでもなかった。
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剣を交え、金属音が鳴り響いたその直後だった。リルムの、力のこもったリルムの剣が、緩んだトオルを押し倒す。
それでも、彼の無力化を目的とし、煌々と光り続けるデュランダルは、その力を緩めようとはしない。
リルムでさえも、ただ「力で勝った」としか思ってはいない。
「トオル! 戻りなさい! あなたは邪精霊に負けるような――」
「……るせぇな。聞こえてるっつーの」
狂気の抜けた、間抜けな声。
仰向けのトオルは、ダーインスレイヴの柄の棘が手のひらに刺さっているのもお構い無しに、ポイと剣を投げ捨てる。
抵抗する気はない。
正気に戻った。
そんな言葉を羅列するよりも、その真摯な眼でリルムを見つめる方が、何よりも早かった。四姉妹は、役目が回ってこずに全てが終わってしまったことを安堵するが、ララだけは違った。
「トオルさんっ!」
「うぉっ!?」
胸にデュランダルを押し付けていたリルムを突き飛ばし、ララがトオルに抱きつく。
興奮し、魔力量が増加したのか、彼女の込める力はズンズンと強くなっていき――。
「いててててててっ!!! 痛えって! おい! 離せ!」
「トオルさん! トオルさん! トオルさん! トオルさん!」
肋骨がミシミシと、音を立てながら折れる準備を始める。そして、その肋骨とトオルが悲鳴を上げながらへし折られる寸前、残りのルルたちが彼女を取り押さえる。
「ララ、後でゆっくり話せるのよ〜」
「そうよ。まぁ、あれだけ迷惑をかけたトオルと話すには少し時間を置かないとダメみたいだけど」
「そうよそうよ」
「お前ら……」
突き飛ばされたリルムは、現状を把握出来ずに唖然と口を開いている。
ただ、一つだけ、ララたちの態度の変わりようから分かったことがある。――「全て終わったのだ」と。
「……戻った……の?」
「……ごめん、リルム。リーフェンスも……その……腕が……」
自らで治癒魔法をかけ、とりあえず止血だけはした様子のリーフェンスは、先程の痛みなど全く感じていなかったような様子で、ただ一言。
「やっぱりレヴィ様の方があんたよりも何倍も魅力があるね」
「どういう意味で!?」
「さぁ?」と、とぼけながら踵を返すリーフェンスは、そそくさと竜車に乗ってしまった。
「……」
「リルム……本当にごめん。俺、多分……? ちょ、おい!」
何を言うよりも先に、リルムの目からは涙が伝っていた。特別な感情があるわけでもなく、血の繋がりもない。ただ、至って普通に接してきた、弟のような存在が正気に戻ったことには、零れる涙を抑えることは出来なかった。
嗚咽混じりの泣き声。
それすらもう。
「泣いてなんか……ないわよ……っ」
涙と感激の静かなパレードは、天界よりもたらされた祝福だった――。




