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最後の夜明けは最愛のキミと  作者: れる
第五章 アズリエル
104/205

97話 あなたらしいこと。

「――絶対、助けてね……」


 声が、聞こえた。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「っ……」


 どこからから、アリスの声が聞こえた気がした。風を切って進む艇の音に紛れ、はたまた粉々に粉砕された風に紛れ、その声は遠ざかり、消えていく。


 どうしようもないほど冗談が好きで、人をからかう彼女は、いつもあの軽快な声でレヴィの名を呼んでいた。

 彼女の声が聞こえなくなってから、少し体重が落ちた。

 彼女の声が聞こえなくなってから、少し体調が悪い。ノリも。


 まさに生きる特効薬と呼べる彼女だ。

 今から向かう天界に、彼女をまた「創り出す」方法があることを願うばかりだ。



「レー様……顔色、悪いです」


「……そう? これでもいつも通りだよ」


「レヴィは顔が白いからそう見えるだけかもな」


 冗談めかしくそう言うアブセルトの言葉にも、少しも笑えない。緊張しているのか、それとも焦っているのか。


 見かねたアブセルトは、ほぼ同じ身長のレヴィの頭に手を置く。


「……どうしたんですか?」


「大丈夫だ。なんかあっても、ぜってぇ上手くいくから」


 いつか、こうしてアブセルトに慰められたりしたことがあったような。あの頃はまだ子供だった。今は違う。全て自分で決められるし、もう「王」と呼ばれても遜色ない――はずだ。


「はい……それにしても、不思議な艇ですね」


「そうですね。誰も操縦していないのに、勝手に天界に向かってる……」


 リリィの指差す先には、誰も動かしていないのに、勝手に舵が動いている。右に一捻り。左に二捻り。

 ゆらゆらと揺れる艇の上で、レヴィたちはこうして時間を潰していた。


 ヴェリュルスが皆に伝えたおおよその到着時間は、一日半程度だった。

 今は出発してからまだ三十分。天界ノヴァーテが潜んでいるであろう暗雲はすぐ目の前だが、多分そこを通り抜けるのが一番の試練なのだろう。


「あんなんで大丈夫かよ。迷っても知らねぇぞ?」


「咄嗟の判断はアブセルトさんに任せるよ」


「はぁ!?」


 不意を突かれ、驚きの声を上げるアブセルト。まぁ、聞くところによると「陽喰」らしいからして、艇の舵を取るくらい全く問題ないのだろう。――彼女の反応を見る限りはそうは思えないが。


「見えてきたね。あれがボクらの目指してる天界?」


「あぁ、俺の故郷、ノヴァーテだ」


 途端に顔色が変わり、ヴェリュルスが顕現する。その顔色は、どこか優れない様子だ。

 これもまた、緊張しているのか、本当にアリスを救うことが出来るのか、と不安がっているのか。


「ねぇ、ヴェリュルスさん。リリィ、少し前から気になってたことがあったんですが……」


「なんだ?」


 リリィがヴェリュルスと相対し、それから問う。


「リリィ、前に『天使の末裔』って言われたんです。だから、殺さなきゃいけないんだ……って。天使の末裔って、何なんですか? そんなに命を狙われるような悪いことした人の末裔……とか?」


「天使なぁ……」


 そう呟くと、ヴェリュルスはリリィから顔を背け、空を見やる。所々に浮かんだ雲が、まるで今のこの状況の写鏡のようにも感じられる。


 再び、リリィへと向き直ると、ヴェリュルスは言う。


「お前、言ってたろ? ガブリエルとか、ミカエルとか」


「えぇ、上位神、上位天使の――え?」


 何か、心の中で物音がした。

 ポツンと、ぴちゃんと、水面に雫が落ちるような音。

 自らが放った言葉に、突っかかりを覚えたリリィは、「まさか」といった表情でたじたじ。


「あぁ、ひとつ誤解を解くとしたら、ガブリエルとかミカエルの末裔じゃねぇ。それだけは確かだ」


「……あ……そうなんですね」


 「よかった」というか、「残念」というか。

 どちらでもあり、どちらでもない感情を放っぽりにして、彼女は再びヴェリュルスの話に耳を傾ける。


「ただ、天使の末裔っちゃあ末裔だ。ほんとに末端だけどな」


「それは……」


「ヘリアスっつーやつの、曾孫だよ」


 聞いたこともない名前のはずなのに、リリィは膝から崩れ落ち、ボロボロと涙を零す。

 心のリミッターのようなものが外れ、いとも簡単に涙腺が決壊する。


「曾孫……? じゃあ……母様は……それを知っていて……?」


「母親のことは知らねぇが、ヘリアスは知ってる。もうよぼよぼの婆さんだ。正直、生きてるかどうかもわかんねぇ」


 涙を零しながら、ヴェリュルスのその冗談に笑顔を作るリリィ。その笑顔は、どこかヘリアスのそれを彷彿とさせるような、そんな雰囲気さえした。


「お前がヘリアスんとこ、行ってやれば泣いて喜ぶだろ。時間出来たら寄ってやる」


「……ありがとう……ございます」


 途絶えぬ涙が川のように頬を伝い、甲板の一角に小さな水溜りを作った。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「天使には勝てない。それが天界のルールだ。例え仰望師団でもな。仰望師団は自分らがトップにいたい狂人の集まり。だから、トップに躍り出るには天使たちを殺さなきゃならない。ってことでお前が狙われてたってわけだ」


「天使の末裔……だから……やっと合点がいきました。全て繋がった気がします」


 涙を拭き、謎が解けて晴れ晴れとした表情をするリリィに、ヴェリュルスは遠い目で呟く。


「アイラ……」


「……」


 それだけ呟くと、彼の体はレヴィの意識の管轄下へと返される。

 ふっと意識がなくなり、そして視界が広がる。白い箱から戻ってくると、いつもこんな感じだ。


「……取り戻さなきゃ、ね」


「出来ますよ。レヴィ様なら」


 激励の言葉。

 いつも自分にかけられてきた言葉とは、一味違った雰囲気を感じる。

 背中を押すだけの言葉が、隣に立って、一緒に彼女を迎えに行ってくれるというような。


 実際その通りなのだが、言葉だけでは表しきれない感情がある。

 それは希望であり、はたまた絶望でもある。その理由。隣で静かに下卑た笑みを浮かべるミーナだ。


「……ふふ」


「何か、おかしいの?」


 思わず笑い声を漏らすミーナに、険しい表情のレヴィが問う。雰囲気に気圧されるミーナ以外の女の子たちは、第五感で感じ取ったのか、一歩後ずさりする。


 狂気と希望の対峙に、周囲の空気が一気に変貌する。周りで見ている者たちも、どちら側に付けばいいのか分からない。


「いやね、必死もいいところだなぁ……って思ってさ」


「うん、そりゃあ必死にもなるよ」


 何故、とは聞かなかった。

 心の中の、本物のミーナが教えてくれたからだ。余計な詮索をするべきではないのか、と、“ミーナ”は思考するが、どうやら彼女にも良心はあるようで、自ら思いとどまった。


「ミーナももう、癖がめんどくさいから普通に話すけど……そんなに必死になって、助けられなかったらどうするのさ。また新しく作り出すの?」


「……どうして、そんなことを聞くの?」


 レヴィがミーナの良心に気付く。

 彼女がレヴィを心配して、彼の心が壊れてしまわないように、気配りをしている。あろうことか「仰望師団が」だ。


 だが、ミーナはもはや自らの矛盾に歯向かったりはしない。

 本物のミーナに浄化されているわけでもなければ、自らの悪心が歪んでしまったわけでもないのに――。


「なんでかな……わかんないや」


「……君は、本当にいい人だね」


「けっ」


 可愛らしくない吐き捨ても、今では優しい言葉のように感じてしまう。

 この変化が、何によるものなのか、レヴィには想像もつかないまま。


「で? ミーナは保証はないって言ったんだけど、大丈夫なの? アズリエルを取り戻せなくても」


「……取り戻せるよ。心の奥で、アリスが叫んでるんだ。助けてって」


 ヴェリュルスと入れ替わった時から、絶え間なく心に飛び込んでくる、「助けて」。紛れもない彼女の声だ。

 レヴィが、そんなアリスの呼びかけに応じない理由がない。誠心誠意、それに応えようと思う。


「助けて、か……」


「? どうしたの姉さん」


 アブセルトの、風に溶け込みそうな呟きをレイラが聞き取る。


「いや……消えてしまったから、それに対して助けてつってるのか。それとも、何か苦しいことでも……」


「ッ!」


 途端、レヴィの顔色が変わった。

 アリスが何か苦しい思いをしている可能性を、彼は見落としていた。「助けて」の中に、そのひとつの意味を見出したアブセルトはやはり聡明だ。


 それか、レヴィの頭が十分に回っていなかったのか。


「落ち着きなよ、王様。今カッとなっても、何も出来ない。着いてから暴れな」


「……そうだね、ごめん」


 仰望師団のひとりに「ありがとう」を言う日が来るなんて、半年前の彼なら思わなかっただろう。それもこれも、アリスを失ったレヴィに「何故か」優しく接するミーナがいてこそだ。


 ――ただ、アリスを取り戻したその先、ミーナがどう豹変するかは全く予想出来ない。


「……さ〜ぁ、見えてきたよぉ〜」


 いつもの調子が戻ったミーナが、くすんだ目をカッと見開き、進む先に浮かび上がる巨大な島――天界=ノヴァーテをその目に映した。


「これが……天界=ノヴァーテ……」


 ノヴァーテを目にした瞬間、咄嗟に行動出来なかった五人が投げ飛ばされた――。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「――……」


「カオル……?」


 呆然と座り込んだカオルに、ルルが声をかける。閉じかけているが、寝てはいけないと押し上げる瞼。寒さに震わせるその体は、ルルが触れるとピクリと跳ねる。


 ようやくのことで意識を取り戻したカオルが、徐に声を上げる。


「……お兄ちゃん……」


 その声を聞き逃さない者はいなかった。

 全員が、眠い中頑張って起きている故に、その小さな一言が、明瞭に耳に飛び込んでくるのだ。


 声色からして、心配。

 体がそわそわしているから、焦り。

 瞼が痙攣しているから、疲れ。


 感情の何もかもが負に向かい始めているカオルに、不意に声をかける者がいた。リルムだ。


「焦ることはないわ。あなたは妹だから知っているでしょうけど……あれでも結構意思は強いじゃない。何も心配なんていらないわ」


「……リルムさん……」


 そんなこと、百も承知だった。

 一番信頼しなければいけない自分が、信頼しきれていなかったことへのショックが多少、だが、それ以上にリルムの言葉から伝わる安心が、心に広がる。


「確かに、ご飯の時にどこに買い物行くか話してましたけど、トオルさん、全く意見を曲げないんですよ……だから……だから、きっと、危険なことは……しません」


「ララちゃん……ありがとう」


 小さな少女の、僅かな言葉で、少し気持ちが前に向かった気がする。


 寒さで震える腕を擦りながら、竜車の荷台でカオルは立ち上がる。全員が、彼女の瞳を――僅かながらも希望が生まれた彼女の瞳を見つめる。


「皆、ありがとう。私、お兄ちゃんを絶対に取り戻します。だから、少しだけ……助けてください」


 彼女の佇まい。勇姿に、その場の全員が大きく頷き、「もちろん」と返す。


 森に入ったあたりで、風景と共に音がしんとし、それに釣られたようにリルムの顔色も変わる。


「さぁ、トオルの居場所だけど……どうやらこの辺りのようね」


「……え?」


 リルムの声掛けに、周りの皆は一斉に警戒状態に入るが、どこを見渡してもトオルやしき姿はない。

 むしろ、音が無さすぎておかしいほどだ。


 だが、それこそがトオルの存在を示すもの。嵐の前の静けさというものだろうか。辺りの小鳥たちは鳴くのを止め、鳥の癖にまるで恐怖しているようにぷるぷると震えている。風もまた、彼の存在に恐れおののいたように吹くのを止め、葉は揺れることを知らない。


「――出てきなさい。トオル」


「……」


 リルムの声に合わせて森の木の奥から現れたトオルは、まだ一日しか経っていないのにかなりやつれ、病人にも見える。


 だが、その手に持つ「勇者のような剣」から感じられる魔力量は、リルムが今まで感じてきたそれとは一線を画す。

 尋常ではないその剣の魔力に、リルムは脂汗を額に滲ませながらポツリと呟いた。


「ダーインスレイヴ……」


 彼女が言葉を零すと、カオル以外の全員の表情が一変する。それは、希望から絶望へ。空彼方から深淵へ。天国から地獄へ。

 何も知らないカオルでさえもが、その剣の圧倒的な存在感、威圧感に気圧され、たじろぐ。


「は、離れなさい。少し……いえ、かなりまずいわ」


「まずい……? リルムさん、今更何言って――」


 リルムのみが、その瞬間を目で追うことが出来た。


 握った柄から飛び出た沢山の棘が、トオルの手のひらを貫き、大量の血液と共に噴出したその時――目にも止まらぬ速さで、カオルの元へと飛び込んだ。


「――ッ!?!? ぐぅうううううっ!!」


「……」


 咄嗟のことで背中から噴き出した「精霊」を盾にすることで、致命傷を避けるカオル。未だ使い方に慣れていない所為か、彼の剣から放たれた膨大なエネルギーは二つに別れ、それぞれララたちの元へと――。


「ぎぃっ!!」

「はぁっ!!」


 お互い、反対方向にいたリーフェンスとリルムが、自らの剣で、飛んできたエネルギーをそれぞれ真っ二つに裂いた。


 ――だが。


「……リルム、あれ、全く本気じゃないな」


「そうみたいね。まぁ……多勢に無勢。……いくら特殊な仰望師団でも、こっちは謎の力を持った実の妹と、グラムとデュランダルを持った上級魔法使い。『星』の力を持つほどの力を有した四人の子供……流石に勝てないわけがないじゃない?」


 そう余裕ぶって見せるリルムだが、内心そんなことはないと焦っているのは、声の震えからして誰もが感じることが出来る。


 ――魔剣、ダーインスレイヴ。強大な力の代償に、所有者の血を吸うという、何とも性格の悪い魔剣だ。

 リーフェンスの持つ魔剣グラムと違い、ダーインスレイヴは「剣の意思」が硬い。リルムの持つ、不滅の剣デュランダルとも違い、浄の剣ではなく、正しく魔の剣。


 だが、リルムたちが焦っている理由は、この強さだけではない。むしろ、これは二の次。デュランダルとグラム。そしてその所有者二人の強さから鑑みるに、これだけの条件下なら負けることはない。


 彼女らの焦りの原因はひとつ。

 魔剣ダーインスレイヴが、所有者に寄生し、自らと所有者の力を何倍にも増幅させること。それこそが、冷静沈着であるはずのリルムが脂汗をかいてたじろぐ理由だ。


「……死にたくないわね」


「リルムさん……そんなに手強いんですか?」


 何も知らないカオルは、ただ少し上手くなった精霊の扱いを披露しながら、リルムに問う。


「このまま戦っても、防戦一方ってところね。トオル相手なら、蚊を殺すよりも簡単だけど……あの剣が邪魔ね……」


「……剣を、手から離せばいいの?」


「あながち間違いじゃないわ。でも、あの剣の真の力は寄生。いくら手から離れても、力はそのままなのよ」


 どうしようもない状況に打ちひしがれる気持ちだ。

 どうにかしようと策を練るも、全て、あのダーインスレイヴという大きな壁が立ちはだかる。そして、それを超えられる方法はひとつ。


「……正面突破しかないのよね……」


「……力押しですか?」


 目の前に迫った兄奪還のチャンスに、カオルの調子はかなり良さそうに見える。が、彼女の言う力押しは、あまりにも危険が多すぎる。


 まず、力押しをしても、逆に力で負けてしまうこと。増幅された筋力と魔力に、勝てる気がしないのは言うまでもない。

 そして、正面突破の難しさ。今の彼にはほとんど隙が無く、どうにか隙を作り出しても、最悪邪精霊を噴出することで、渾身の一撃は防がれるだろう。


 だからと言って、今の彼に言葉で説得することは容易いことではない。口を聞かない彼に、何を説こうというのか。

 おおよそ、全く耳に入ってはいないのだろう。

 そして、耳に入っていても。心に響いていたとしても、それを蝕む邪精霊と魔剣の存在を忘れてはならない。


 言うなれば、二重ロックだ。

 ひとつが解除されそうになれば、もうひとつが防御する。――死角が、皆無だ。


「どうしようもないわね。これは」


「リルムさん! どうする気で!?」


 徐に、止まったトオルに向かって歩き出したリルム。風のないはずの森に、微風が吹き、彼女の見事な金髪をふわりと揺らす。


「だ〜い丈夫よ。危険なことはしないわ。ただ、ひとつ伝えたいの」


「何を……」


 近付き、ほぼ彼女とトオルの距離はゼロだ。トオルが胸を張れば、リルムの胸とくっついてしまうほどに接近する。


 だが、これほどまでに近付いても、トオルは剣を振り上げない。トオルにとっては、魔剣の好きにさせる絶好のチャンスのはずが、彼は全く動かない。

 ただ、ぽたぽたと、手から伝い、落ちる血の雫が秒針のように音を刻む。

 いち、にぃ、さん。と、どこからかカオルがそれを数え始めて三拍だった――耳が、飛んだ。

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