さいさいEX 最初の夜明けを最愛のキミと1
勝手に「さいさい」なんて名乗っちゃってますが……
今回は76話時点で書いたハッピーエンドの案を文にしてみました。色々と現在の話からは違いが見られると思いますが、温かい目で見ていってください。
朝、目が覚めると真っ先に飛び込んでくるのは太陽光だ。
これだけは無いと、レヴィは目覚めることが出来ない。
「レヴィ君、そろそろ起きる時間で……もう起きてましたか」
「あぁ……おはよう。アリスはやっぱり早いね。使用人には勝てないよ」
こういう、整った生活習慣にはとても感心するのだが、彼女への不満はある。――不満というよりかは直して欲しいところだ。
別に人を貶したり、虐めたりしているわけではないのだが、彼女の言葉にはそれなりに棘がある。故に刺さり、脆い心ならかなり体力を削られてしまう。
「いえ、そんなことはないですよ。リリィさんもレイラさんもまだ寝ていますし、育ち盛りのララさんたちもまだですし……起きてるのはアブセルト様くらいですかね」
「あぶ……あぁ、リイラさんの本名だったっけ。色んな名前があるからややこしいね」
何でも、妹のレイラと名前が似ていないことに嫌気が差して改名――偽名を使っていたらしい。が、彼女の考えは一日で改められた。
元部下であるアリス――幼少期の名をラピスと呼ぶが、彼女が記憶を取り戻したことからその出来事は時を進めた。
あの時のアブセルトの顔といったら、もうくしゃくしゃでおばあちゃんみたいだった。と比喩しておこう。
「ややこしいとはなんですか。あの聡明なアブセルト様のご意向なんですから、文句を言わない!」
「はーい」
アブセルトの話になると口数に拍車がかかるアリス。
ここは触らぬ神に祟りなしだ。会話を即座にアブセルトのそれから切り替えなければ、再び五時間超の説教を食らうことになる。
レヴィは大きく伸びをし、朝の新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
“unknown”が息絶え、仰望師団の輩から邪精霊を剥奪し、ガヴェインは実際に正義の集団であることが証明した。
ここまで火の粉が彼らに降りかからない、素晴らしく整った世界があっただろうか。
答えは否だ。
常に戦場に身を投じ、その身を砕いてきたレヴィやアリスらからすれば、この平穏はとても居心地が悪い。
「……落ち着きませんね……珈琲でも煎れてきます」
「あぁ、ありがと。その間に着替えておくよ」
アリスが一礼して退室すると、レヴィは純白のシャツに袖を通した。
もう、あれから三年が過ぎた。
死体ばかりを見てきたあの頃とは違い、もう彼は荘厳な装備を纏ったりはしない。
比較的ラフな格好で、まるで街に散歩に行くかのような気軽な軽装で。
あの頃は命を支えてくれていた――というよりかは、ヴェリュルスと同じように運命共同体であったクロウも、今は刃がだいぶ欠けた。
壁に立てかけられ、その体を休ませているようだ。
他に変わったところがあるとすれば――。
「御機嫌よう、レヴィ」
「朝からなんの御用です? リルムさん」
――こうしてレヴィの部屋に無断で時空の亀裂を生み出し、そこからひょこんと顔を出すリルムがいることくらいだろうか。
まぁ、レヴィが死に、他にも死者が沢山出たあの三年前から見れば、この状況は天国に相応しいくらいに変貌しているのだが。
「まだ五時だというのに随分早起きなのね。成長期はもう終わってるんだし、もう十分背は高いんだからちょっとくらい夜更かししちゃってもいいのよ?」
勝手な言い分だ。
未だ、アリスへの魔力の供給が上手くいっていないというのに。いや、齟齬があった。
上手くいっていないのではなく、ヴェリュルスが自ら命の綱を切ったことで、彼の体で生成される魔力量が半分になってしまった。故に、必要魔力量が増える夜になると、彼は自然と眠りについてしまう。
アリスにも、夜は早く寝るようにと説明しているものの、なかなか言うことを聞いてくれない。
夜な夜な女子を大広間に集めて、密会やら恋バナやらゲームやら何やら。
おかげ様でレヴィは夜九時以降になると、もう眠くて眠くて堪らない。
そんな、寝不足もいいところのレヴィに、朝早くからリルムが何の用か。
「生憎眠いんですよ……今もほら、ふぁ〜……もう珈琲を飲まないとやっていけないくらい眠いんですから。リルムさんが霞んで見えますよ」
「あら、それは私が神々しいからではなく?」
いい冗談だ。アリスと同等なのではないだろうか。
彼女もなかなかの天然キャラだ。
それを発掘したのは、他でもない異世界召喚者――ハヅキ・トオルだ。
リルムと初邂逅を果たした時、彼は意識を飛ばされた。
その後はガヴェインの拠点まで連行され、妹であるカオルがレヴィを連れ戻し、レヴィが彼を助けに戻るまではとにかくリルムの遊び相手をさせられたらしい。
それは彼にとっては別に精神的にも身体的にも無理のない――というより、全く害のない仕事だったものの、『それなりに堪えた』と、本人は後になって語った。
「冗談もいい加減にしてくださいよ〜。で、結局何の用なんです? 話が全く進んでいない気がしますけど」
「あぁ、用と言えば用ね。何、ちょっとしたお話よ」
何かを含ませたような言い方をして、リルムは二マっと笑った。
この手の笑い方には何やら既視感を覚える。
「お話? なんですか?」
「結婚式の日取りを決めましょう?」
「は?」
空いた口が塞がらないとはこのことをいうのか。林檎を嵌め込むことが出来るくらいの大きな口だ。
リルムはそんなレヴィの反応にも、全く引けを取らずに続ける。
「レヴィ、あなたとアリスの関係性はもう誰もが知ってるわ。なら、もう結婚してしまえばいいのよ。もうあなたも二十一でしょう? 今年だったかしら? まぁ、とにかく十八を超えているなら……」
「ちょ、ちょっと待ってください! ぼぼぼ僕が、アリスとけっこん!? そんな……いや、ちょっと落ち着きましょうよよよ」
「落ち着いてないのはあなたの方よ、ふふっ」
落ち着きがなくなるのも致し方あるまい。
今まで、確かに好き好き同士で死地を潜り抜けてきた仲だ。
手も繋いだ。キスもした。――ならあとは。
もう、自分で答えが出てくるのが分かる感覚。それが妙に情けないことのように感じられる。
「と、とにかく! まだアリスと僕にはそれはちょっと早い……し、まだ整理しないといけない案件が残ってる……」
「……リリィのことかしら?」
図星を突かれ、思わず声が漏れかける。
今頃隠すことでもなかろうが、彼は自ら言い出した約束を未だ果たしていない。
『征伐戦、生きて帰ったら……僕は……二人を絶対幸せにしてみせる』――まぁ、一度死んでいるからして、約束が無効になるのは少し置いておくとしても。それにしても、自ら言い出した約束を守れない自分の不甲斐なさに、今は苛まれるのみだ。
どちらかを選択なんて、出来っこない。
死んでも尚、レヴィのことを思い続けてくれていたアリス。
死なず、生きている間ずっと、同じようにレヴィのことを思い続けてくれていたリリィ。
男の子の欲から言えば、レイラも引き込みたいが、彼女とはまだ日が浅すぎた。
彼女から何か申し出があればその時は、少し考えるのかもしれない。
「仕方ないじゃないですか……大事な人は一人とは限らないんですし……」
「そう気を揉まなくても平気よ。誰もあなたを責めたりはしないわ。だって、この帝国の英雄ですもの。ええ、その名が一番相応しい。仰望師団を滅し、“unknown”の連鎖を断ち、ついでに私もこの屋敷に住まわせてもらってる……あなたに返しきれないほどの恩を持っている人は沢山いるのよ。誰も、あなたに逆らおうなんてしないわ。勿論、『死ね』とかいうのはダメだけどね」
饒舌ながらも、その一言一言に重みを含ませた喋り方だ。
誰も自分を責めない。果てさてそうだろうか。
間違いなくアリスからは批判を浴びるだろうし、リリィからも――。
コンコンと、ノックの音が広い部屋に谺響する。
「レヴィ君、入って大丈夫ですか?」
「あら、来たようね。じゃあ、私は行くわ。何、気にすることはないわよ。私さえもまともにさせたんだから。やる気元気なんちゃら! ってね。頑張りなさい」
亀裂から頭を引っ込める瞬間、彼女はチロっと舌を出して戯けて見せた。
本当にそれでいいのか。なんて自問自答が、レヴィの中で繰り返される。
それは人としてどうなのか。
その前にまず、結婚というプレッシャーが積もりに積もってしまう。
「――レヴィ君、レヴィ君」
「あ……うん……」
知らないうちに部屋に入っていたアリスに肩を揺すられ、レヴィは現実世界へと舞い戻る。
思えば、あの時もそうだったか。
アリスを、アイラを知らず知らずのうちに魔法で召還した際、魔力不足で眠っていた彼を起こしてくれた時。『ねえ、ねえったら』――あの言葉も、今や何年前のことか。
数年前の出来事が、十数年前の出来事にも感じられる。
「どうしたんですか? 具合でも悪かったり……?」
「いや、大丈夫だよ。珈琲、貰おうかな」
『結婚』というものを意識した後でも、意外と冷静に振る舞えるのはレヴィ自身も驚きだ。
当事者であるアリスは、そのことについてなど考えてもいないようで、こちらを向いてにっこり笑顔だ。
「はい、どうぞ。レヴィ君は砂糖とミルク……っと」
「もう何年も一緒にいるから慣れてきたね……たはは……」
「そりゃあ……慣れるってなんか嫌ですね。もっと新鮮な言い方があればいいのに」
「そう、だね」
たわいない会話が途切れ、アリスは珈琲を啜る。レヴィもまた珈琲を啜り、互いに静寂を過ごした。
時刻はまだ午前五時半。レイラたちを起こしに行くには少し早いし、この静寂を破るのも何やら名残惜しい。
アリスはそんなレヴィの気持ちなど知った様子もなく、珈琲と一緒に持参した本を開いた。
栞を抜き取り、そのページからまた読み始める――その一連の動作さえもが、もう愛おしい。
「ぁ……」
思わず漏れた声に、アリスが栞を挟んでこちらを向く。
何もそこまでして自分の声に反応しなくても良いのだが、それを言うとアリスは不機嫌になってしまう。
「レヴィ君は……欲求不満なんですか?」
「へぁ?」
予想外の言葉がアリスの口から飛び出し、レヴィの頭をスコンと撃つ。
欲求不満ではないが、それなりに悩んだり溜まったりしているのは事実かもしれない。
だがそれはアリスに関してではなく、主にこの屋敷を取り巻く平穏に関してのものだった。
ヴェリュルスが最後に残したもの――それは、もしかしたらそういうものなのかもしれない。
「いえ、欲求不満なら私の手を握ったり色々して貰って構いませんよ。私はいつでも大歓迎!」
「いや、そういうのじゃなくて……」
「イチャラブ中ちょっと失礼します」
レヴィの手を取り、艶やかな唇が言葉を放った時、再び来訪者だ。
木製の扉の向こう側に見えたのは、一人の男と二人の少女。片方は発育不足の桃髪で、片方はすらっと背が高い、まるでモデルのような黒髪少女だ。
そしてその隣に立つのは、もう青年を通り越して大人になった、これまた黒髪の男だ。
「朝から何やってんだよお前ら……ララ達の教育に悪いだろ?」
「うぅ……」
トオルがレヴィの隣に座り、ミーナとカオルがアリスの隣へと。
ただでさえ男性が少ないこの屋敷で、トオルという存在はレヴィにとって、少しの救いでもある。
あの頃は必死で、そんなことに注視している暇はなかったが、いざ平穏になってみると変わるものである。
レヴィの肩に肘を乗せ、トオルはニマニマ顔を近付けて言う。
「んでよ、朝から何してたんだよ」
「何って、ただ話をしながら珈琲を……」
「嘘つけこの女ったらしめ!」
たった一歳しか年齢は変わらないはずなのに、彼のレヴィの扱い方は弟のようなものになっている。
自分はモテないからと、レヴィに軽口ながらも怒りをぶつけるトオル。
彼も昔――中学時代はモテたのだが、その後がいけなかった。詳細は伏せるのが吉だ、
「まぁ確かにイチャイチャしてなかったといえば嘘になるかもしれないね」
「だろ? 俺が入った時なんか手も繋いでたし……あぁ! なんで俺はモテねぇんだァっ!」
モテないというのは少し齟齬がある。
彼だって、この世界に来てからというもの、告白されたことはある。
ただ、その相手が少し――悪いというかなんというか、まだ早すぎるのだ。
「煩いですよトオルさん。外まで丸聞こえです。それよりどうですか? このドレス。似合ってますか?」
「おう、似合ってる。可愛いぜ……じゃなくてっ! なんで俺の相手はララなんだ!? もっとなんか……欲を言えばリリィみたいに同年代くらいの子と付き合いたいっ!」
ララが嫌なわけではない。だが、それなりに同世代の女の子と付き合いたいものだ。
幼い少女相手では、何やら気が引ける。
手を繋ぐくらいは出来るだろうが、それはもう親子の域に達してしまう。
「またそうやってツンツンしちゃうんですか? 素直じゃないんですから〜」
「本当だよ〜。ララの気持ちにも少しは応えてあげた方がいいと思うわ〜」
「それがいいと思う」
「レレは、トオルの好きにすればいいと思うわ。ロロはどう思う?」
「ロロはルルに賛成よ。最近、レレと意見がよく分かれるわね」
突如扉の向こう側から流れ込んだ色とりどりと髪色をした少女たち。
彼女らの揺れる虹色の髪は、トオルの頬をパシパシと叩く。正直こそばゆい。
「ロロがレレと同意見じゃなくなった? どうゆうこっちゃ?」
「最近、自我が芽生え始めたのよ。特にロロに。だから意見が流されずに済むようになったわ」
なるほどと頷くトオル。
かつては心の拠り所が姉妹しかなかったのか、いつもレレと同意見に纏めあげていたロロが、遂に自我を持ち、自分で意見を言えるようになったと。
結構な事じゃないかと、再びトオルは頷く。
正直、この平穏がもたらした変化は、いいことだけには留まらない。
平穏な日々に早変わりした瞬間、体調を崩す者もいた。
今はもう普通に留まっているが、あの時は酷かった。
彼女自身、戦場に身を投じていた訳では無いが、それなりに張っていた気が一気に緩んだのだろう。
その緩急があまりに大きかったのか、倒れた。そう、リーフェンスだ。
「御機嫌よう。朝から大変賑やかで結構だ。が、そろそろ朝食の時間だ。さっさと大広間に来い」
「はーい」
口を揃えて、皆が返事をする。
こうして冷静に見えるリーフェンスでさえ、魔性のレヴィの力には為す術もなく倒れ伏した――つまり、惚れた。
思えば、もう壁に掛けてある時計の短針は七時を指している。
いつの間にこんなに時間が過ぎたのだろうか、平穏というものは恐ろしく彼らを怠けさせる。
ここに突然、仰望師団と“unknown”が現れたらどうするべきか――そんなこと、考えることも出来ないくらいに。
「考えていても仕方ない。今は平穏なんだ……」
「?」
心を入れ替える独り言を耳にしたアリスは、小首を傾げ、頭上にハテナを浮かべる。
そう、考えていても仕方ない。
今は平穏だからと、気を緩めていてもバチは当たるまい。
「皆、ご飯食べに行こ」
レヴィの一声で、部屋中の虹色がぞろぞろと動き始める。
――。――。――。――。――。――。
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「……三年も経てば、人数も変わるもんだね」
「まぁな。てか俺は三年もいねぇんだけど」
レヴィとトオルの会話。その半ば、ひとつの重要な話があった。
「レヴィよ、アリスの件はどうすんだ?」
「アリスの件?」
表面上はクールを装いながらも、内心は冷や汗ダラダラだ。
午前中のリルムとの話を忘れたわけもあるまい。
彼女は、食事中だというのに頬杖をつき、レヴィとアリスを交互に見てニヤニヤと満足そうな笑顔だ。
「け、結婚とか……しねぇのか? お前ももう二十一だろ?」
「結婚……か。トオルはどう思うの? やっぱり、した方がいいのかな?」
正直、この状況では自分の意思を頼りに結婚まで辿り着ける自信が無い。
ここで踏み込む決断が出来れば、彼は立派な男で王なのだろうが。
こうしてここで結婚――プロポーズに踏み込めないのは、全部が全部リリィの所為ではない。
というか、勿論リリィの所為にはしないし、だからといって意気地無しな自分の所為にもしたくない。
結局のところ、後者が一番、今のレヴィに相応しい状況だ。
となれば、後は誰かに背中を押してもらうだけで結婚という大きなポイントに到着出来るのかもしれない。
それが今ここで、トオルからのものならどれだけ心強いか。
「そりゃああんだけ美人なんだから、独り占め出来るって思ったら……結婚した方がいいんじゃねぇか?」
「独占欲の問題なの?」
「あぁ、正直結婚なんか形でしか。儀式でしかない。付き合い方は、デートしてる時とかとほぼ変わらねぇ。……と、俺は思うんだがな」
トオルの言い分を纏めると、つまりは結婚してもしなくても、表面上の見た目が変わるだけで、本来の形は変わらないということだ。
これにはレヴィも同意見であり、頷かざるを得ない心境に陥った。
ならば結婚なんてしなくても良いのでは――トオルに相談したのが間違いだったのかもしれない。
後押しされるどころか、後ろに引っ張られている。
「まぁ……少し、考えてみるよ。ありがとう、トオル」
「お、おお? 役に立てたんならいいんだけどよ……」
彼の期待を裏切るようで悪いが、レヴィは生憎彼の後押しが役に立ったとは思っていない。寧ろ、後退したのだから。
そうとは知らずにトオルは、口に物を含んだままララたちに唾を飛ばして反論している。
――こうなれば、頼れるのはあと二人くらいか。父であるイヴァンと、今でも自分を思い続けてくれているレイラくらいか。
アブセルトも、なかなかいい案をくれそうだ。
「父さん……か」
大広間に設置された大きなテーブルのお誕生日席に、イヴァンは座っている。
三年前に死んだっきり、戻ってきたのはつい最近なこともあり、体調は良くない様子だ。
顔も痩せ細っているし、スープを掬ったスプーンも震えている。
病弱そのものを具現化したような彼の様子を見ると、どうも彼に相談する気にはなれない。
レヴィと話している暇があるなら、すぐに横になって体調を元に戻して欲しいところだ。
だが、トオルや周りの皆の話を聞いて微笑む姿には、少しばかり体調の復活が垣間見える。
「ところでよ、ここに揃ってないやつはどこで何してんだ?」
皆が話している最中、不意に話の腰を折ったのはアブセルトだ。
女性らしい見た目にしては大きな声に、肩を跳ねさせる少女たち。まるで蛇に睨まれた蛙のように、竦む。
「ここに揃っていないやつと言うと、エイプルとアルゴかしら? あの子たちなら……あら、どこに行ったのかしら?」
「あいつらなら遠征だ。遠征と言っていいものか分からんが、エクスカリバーを探しに行くとか」
エクスカリバーなど、このルーナ帝国――この世界に存在しているのか。
全てを切り裂く伝説の剣。それを手に入れた暁にはどうするのだろうか。
妙にあの二人に懐かれているレヴィからすれば、もしかすれば貰えるのかもと思ったり思わなかったり。
「女の子二人で行かせたの? 危ないよ。気を付けなきゃ」
「……レヴィ様がそう仰るのなら、私も行ってまいります」
一般人には分からない変化なのだが、デレた。
この屋敷に住むものからすれば、その差は歴然だ。まず敬語になるし、レヴィだけ『様付け』だ。まぁ、謙るに値するのがレヴィだけだということも理由のひとつかもしれないが。
「いや、リーフェンスさんも女の子なんだから一緒じゃ……」
「私を女の子扱い……新鮮です」
言葉の綾かと思い、一瞬肩を竦めたのも束の間だった。
リーフェンスは女の子扱いされることにまんざらでもなさそうだ。いつもは硬い口角も、少し上がっている。
「驚いたわね……リーフェンスがこんな表情をするなんて……」
「そりゃあ、私に男装させたような人間と、こうして全うに女の子扱いしてくれる方とを比べれば、この差も頷けるものだろう?」
リーフェンスの言い分は間違っていない。間違ってはいないのだが、それを放った彼女の表情が表情だ。
いつもは――今までに笑顔になったことがないんじゃないかと思うほど、本当に無表情のリーフェンスが満面の笑みを浮かべている。
「ボクからすれば、その女の子扱いもレヴィ様の策にしか思えないんだけどね」
「レイラ? な、何を?」
「だってほら、レヴィ様って女ったらしじゃん? それにはわけがあるんじゃないか……って考えると、まず最初に思い浮かぶのは接し方なんだよね」
レイラの冷静沈着な意見に、その場にいる女性全員が、首がもげるほど激しく頷いた。
実際、ここにいる女性の半数以上がレヴィの虜になっているため、その体験は身に染みて分かっているのだ。
実際に手を出そうとした者もいたようだが、その時はアリスに――言うまでもない。
「僕は別に女たらしじゃないけど……」
「いや、流石に言い逃れ出来ない域に達してるぜ、レヴィよ」
レヴィの反論も、虚しく散る。
アブセルトは妹を擁護する選択をしたようで、その整った顔をレヴィに向け、しかし彼の魔性にやられたのかにへへと顔をだらしなく歪める。
この一連の流れで、アリスがどれだけのストレスを感じたか。
答えはほぼゼロだ。
三年前なら、怒りに怒り、狂いに狂っていてもおかしくない。
だがここで踏みとどまることが出来ているのは、何も彼女が異常をきたしているからではない。むしろ、まともになったからこそ。
アリスが帰還した日。あの日から、彼女は少しずつ穏やかになっていった気がする。
冗談を言ったりするところ。つまり根っこの部分は変わらないが、性格の面ではだいぶ変わったところがある。
例えば、さっきも体感したように怒ることが減った。これは体内から溢れる魔力量が減ったことによる恩恵のひとつである。
そして髪色が黒に戻ったり。これは魔力量が関係しているのか分からないが、徐々に変わっていった点だ。
「アブセルトさん顔! 顔! あははっ!」
「お姉ちゃん顔! あははっ! なぁにその顔!? ふはははっ!」
アリスやレイラを出発点として、笑い声は段々とテーブルの周りを囲っていく。
朝ごはんの食卓に、色とりどりの笑い声が咲いた。
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コツコツと、廊下を歩く足音。
そしてもうひとつ、足音が鳴った。
「はぁ、朝から食いすぎたかな……太って……ないかな?」
歩きながらも腹の肉を摘み、体重の変化を気にするアブセルト。が、彼女のスレンダーさには、細身長身のレヴィでさえ目を見張るものがある。
女性らしいといえば女性らしいのだが、そのその背の高さからボーイッシュに見て取ることもできる。
まぁ何にせよ、そんな心配は無用なのだ。
「アブセルトさん」
「ひゃんっ! ――……お、おう、レヴィか」
突然の大声に驚くのはレヴィの方だ。
一度死んで、邪精霊が抜けてからというもの、彼女の反応や話し方には些か女の子らしさが加わった。
その変化に満足そうに頷いたのは、レヴィだけではなかった。
「話が……あるんですけど」
「は、は、話!? ちょっと待って心の準備が……」
「お姉ちゃん……そんなわけないじゃん。レヴィ様はボクかアリスかリリィにしか興味がないんだから」
全く、この屋敷に蔓延しているのかもしれない。名を『妄想病』としようか。
ありもしないその後の話に期待を膨らませるアブセルトとレヴィの間に割って入ったのは、他でもない実妹レイラだ。
彼女は、思春期を抜けてレヴィへの気持ちの制御が出来るようになったのか、最近はかなり大人しい。
だが、さっき『ボク』と言ったような気がしないでもない。
「わ、わかんねぇだろうが気まぐれなんだからよ! 突然のこ、告白かもしれねぇじゃん?」
「それはボクかアリスかリリィにしか訪れない奇跡だよ。この屋敷にどんだけ女の子がいると思ってるの? その中から選ばれるなんて、ありえないじゃん」
なかなか辛辣な物言いだ。
レイラのアサルトライフルから放たれた、言葉という弾丸に打ちのめされたアブセルトは、ヘナヘナと顔から赤みが抜けていく。
「あ、アブセルトさんにもいい人が現れるよ! 大丈夫ですよ!」
「私はお前じゃないと……」
不覚にもドキッとしてしまった。
この気持ちを知れば、流石のアリスもきっと怒るだろう。『揺らいだ』なんて――。
「はいはい、演技はいいから。で、話ってなんです? レヴィ様」
「ぁ……いや、何でもなかった。ごめんね」
翻り、手を降って自室に帰ろうとしたその時、ふと手を握る感触があった。
手の小ささからして、アブセルトではない。レイラだ。
「レヴィ様……」
振り返ると、彼女が心配そうな顔でこちらを見つめる。
今までもこの表情に、かなり惑わされてきたものだ。
何かとレヴィに不安があれば、こうして察して手を取ってくれる。それは有難い。有難いことなのだが、流石に今回の案件は一人で解決しなくてはならない。頼っては、いけない。
「……いや、本当に大丈夫だよ。ありがとう。あ、そうだ。お昼にさ、スポーツでもして遊ばない? 使用人の仕事ばっかりじゃ疲れちゃうんじゃ――」
「レヴィ様」
厳格な声だ。
その声色に少し肩を震わせながらも、レヴィは彼女の次の言葉を待つ。
「バレバレですよ、悩んでるの。辛いなら辛いって、言ってくれていいんです。ボクだって、お姉ちゃんだって、レヴィ様に救われた命なんです。これくらいしか、恩返しが出来ないんです……どうか、助けにならせてください」
「…………僕は、別に何も……」
あくまでしらを切り通そうとするレヴィに、レイラの優しさはまだ彼を甘やかそうとする。
掴んだレヴィの手を両手で握り、そこから愛を流し込むようなイメージをしながら言った。
「……なら、なんで『大丈夫』って言うんですか?」
「……それは……」
この瞬間、レヴィは負けを自覚した。
勝負でも何でもないこの攻防で、レイラの方が一枚上手だった。
彼のことをずっと思い続けてきた結果の賜物だ。
「『大丈夫』じゃないからそう言うんです。それが例え、しょうもなくてちっぽけな不安や悩みでも、ボクらは全身全霊で応えます。そして、必ずレヴィ様をその沼から這い上がらせてみせます」
三年間の出来事を経て、レイラは一回り、いや、二回り程成長した。それは心情の変化だけでなく、彼女の考え方などについてもだ。
希望。その言葉が、今の彼女を表す、一番の言葉だ。
誰からも期待され、そしてその希望と期待を裏切らない。
そんな、素晴らしい人になったのだ。
「やっぱり……三人には敵わないな……」
アリス、リリィ、レイラ。それぞれが、それぞれにない特性と個性を持っている。それは時に悪い方面に働くこともあれば、良い方面に働くことも。
彼女らにしか出来ない、彼の心の支えの役割。それは、この三人に大きく分けられていて、更に言うと、三年前からこの魔法のようなものにかかったっきりだ。
言い方を変えれば、守護魔法のようなもの。
何にせよ、レイラはレヴィの中で、なくてはならない存在になりつつあった。
「三人って、アリスとリリィとボクのこと? いやぁ、照れるなぁ……」
「なんで私は入ってないんだ」
小声で呟くアブセルトの声は、レヴィには届かない。
「レイラ、話を……聞いてくれる?」
「はい、あなたの頼みとあらばいつまでも」
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レイラとの話し合いが終わったのは、太陽が窓から斜めに差す時間だった。夕方四時半頃だろうか。
この時間になれば、使用人たちは皆で厨房に入って夕食の準備を始める。
正直、使用人でない人たちの食事を賄うのには、今厨房にいる使用人全員は必要ない。
ただ、その肝心の使用人の数が多いため、ほぼ地産地消の関係が成り立ってしまっている。
自分の分以外にもレヴィたちの食事を作るとすると、自分の分より余分にご飯を作らないといけないわけだが、そこで活躍するのがこの屋敷のメイド長であるアリスだ。
生憎、リリィやレイラは手先が不器用なので、この時間帯はレヴィやトオルと一緒に、雑草抜きや掃除をしている。
今日はレイラを遅くまで付き合わせたことも相俟って、彼女の仕事は免除した。あくまで今日だけだ。
一人雑草抜きに参加しないだけで、どれ程の雑草が次の日に増えているか――考えただけでも恐ろしい。
全く、この屋敷の雑草とは不思議なもので、雨もそんなに降らなければ肥料を撒いてるわけでもないのに、一日雑草抜きを怠れば次の日にはもう――。地獄絵図だ。
本来ならば使用人たちがするべきことなのだろうが、今は恐らく食事の準備をしているだろうから、仕方なくレヴィも参戦しているわけだ。
ちなみに、トオルはこれを毎日やっている。
「はぁ……腰いってぇええええ!!」
「トオル、いきなり大声出さないでよ。耳が潰れるかと思ったよ」
「はぁ!? 無茶言うなよ! お前は……い、痛くねぇのか……!?」
トオルには悪いが、その『ニホン』とやらでの生活とは違った生活が理由だ。
長い間『ニホン』で暮らしてきたトオルからすれば、この作業は確かに腰に来るだろう。が、生憎レヴィはこういった雑務に慣れている。
イヴァンが仕事中で、レヴィと遊べない時もずっと、こうして雑草抜きをさせられたものだ。
「小さい頃からやってるからね。トオルは辛そうだね……部屋で休んだら?」
「いや、いいぜ別に。それよりよ、話は結局どうなったんよ? 決まったのか?」
唐突に。というか、こういう話になることは最初から分かっていたはずだ。
まず最初にトオルに相談したのだから。
トオルは恋バナに燃える女子のように、レヴィの次の言葉を待っている。
――あぁ、さてはトオル、楽しんでるな?
「……するよ」
「まぁそうだよな。そんな簡単に決められるはずねぇ……もん……な…………? ――まじか」
豆鉄砲を食らったような表情を見せるトオル。まさかレヴィがその踏み切りを決断するとは思っていなかったようだ。
期待を裏切ることが出来たレヴィは、笑顔を見せる。
「うん、足踏みしてても仕方ないもんね」
「で、いつよ?」
「何が?」
「プロポーズだよ。アリスにすんだろ? どんなんにするか、決めてたら俺も手伝ってやるけど」
――どうやらトオルとレヴィの考えには、深い溝があったようだ。
あくまでトオルは一般論を論じているが、実際のところレヴィが行おうとしているのは、その一般論からかなり離れたものだ。
その可能性に気付いたのか、トオルはレヴィに振り向くと、タジタジと目を見開いた。
「……お前、すげぇよ。まさかハーレムを築こうとするとはな」
「はっ、ハーレム!? ちょっとレヴィさん! それは――」
物申したいと、完全に気配を消していたカオルがレヴィの前へと立ち塞がる。
その表情には、遺憾の意が含まれている。無理もない。まだトオルには言っていないが、レイラさえも巻き込もんで結婚しようなんて思っているのだから。
逆に、アリスが逆ハーレムを築くともなれば、レヴィは猛反対しただろう。
カオルが言いたいのは、そんな彼女らの気持ちも考えてやれということだ。
「少し……いや、だいぶ人のことを考えずに、勝手に僕が選択した道だ。間違ってるかも……いや、完全に間違ってる」
「ならなんで……」
刮目するカオルに、レヴィは必死とは思えない言い訳をする。
心の余裕の無さが原因だ。
今すぐ解決しなくてはいけない問題ではないのだが、レヴィは何故か焦ってしまっている。
「僕は、約束を守る。それが……一番だと、思ってる」
「でも……」
「まぁいいじゃねぇかカオル。ここは異世界で、レヴィは王様だ。つまりだ、何でもありなんだよ」
男同士だからか、レヴィと親友の関係だからか分からないが、彼はレヴィの二股宣言に賛成のようだ。
あくまで正論を押し付けようとするカオルを制し、トオルはレヴィを擁護する。
「……まぁ、それがこの世界のルールなら? 仕方ないとは……思うけど……」
「ルールではないんだけどね……というよりも、カオルの言ってることは正しいよ。これは僕の、勝手な我儘なだけ。そう思ってくれればありがたいな」
勝手にしては余りにも勝手で、我儘にしても余りにも我儘な話だ。それは承知の上、レヴィは過ちという正義を遂行する。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
大広間での晩餐会。
そこには、かつて助けを貸してもらった面子も揃っていた。
カーマインにプリル、そしてハーク。彼女らが今宵の晩餐会に呼び出されたのには、大きな理由があった。
それは単純に、長年に渡り続いてきた戦いに終止符を打ったあとの謝礼を言うためであり、もしもうひとつ理由があるとするならば、今の不安定な生活を抜け出して、この屋敷に住まないかという提案をすることだ。
女の子を引き込もうとしているにも関わらず、珍しく反論の意を見せなかった屋敷の女子たち。この静けさは何かのサインなのか否か。
カーマインたちがこの屋敷に来るのは久しぶりのことで、屋敷の構造などもうとっくのうちに忘れているかのように彷徨っている。
ハークはと言うと、彼女は未だ屋敷に来たことがなかったため、同じように彷徨い徘徊するのは仕方ないことだ。
レヴィが彼女らの背後から歩み寄り、声をかける。
「皆さんお揃いですね。大広間に行きましょうか」
「あぁ、レヴィ様お久しぶりです。その後はどうしてましたか?」
「……一回死にました」
「……」
まさかと言わんばかりに疑いの表情をレヴィに向けるカーマインとプリルだが、もうひとり、ハークはそのことを疑ってはいない。
というより、疑えないのだ。
ハークはカーマインとプリルの袖を掴み、首を横に振った。
その意図を読み取ったか、カーマインは黙りこくり、プリルは必死に謝ろうとした。
「レヴィ様……疑ってすみません。カーマインもほら、頭下げる!」
「うっ……ぐっ」
「やめてください。そんな……頭を下げるようなことはしてませんから」
彼独特の優しい物言いに、プリルは何らかの違和感を覚えたようで、首を軽く傾げて言った。
今までならもう少し、本気で焦ったような口調になったはずで、しかし今はそれがないという違和感。これこそが、一度死んだ者の風格とかいうのだろうか。
「……レヴィ様、どうかされましたか?」
「え? いや、何でもないよ……です。早く大広間に行かないとレイラが全部食べちゃいます」
何かを言いたげなプリルから目を離し、彼はずんずんと大広間へと足を早めた。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
大広間には、今まで関わった全ての人が集まっていた。
使用人――メイドたちを含めると、それは百人を超える。
第一次“unknown”征伐戦で命を落とした傭兵たちも、三年間で全員が復活した。それもこれも、ハークという強大で厳格ある少女が掟を破って、人情で動いてくれたおかげに他ならない。
もうこれに関しては、レヴィも頭が上がらない。今でも彼女を呼ぶ時は「さん」呼びだ。――年は下なのだが。
道中がどうであれ、こうして皆が無事、生きていられること。これがレヴィの求めた、『自分の周りだけの幸せ』である。
彼が本当に全うしなくてはいけないのは、この帝国の統治だが、それは今のところ置いておこう。
何はともあれ、こうして晩餐会が開けるまでに平和になったことへの感謝の気持ちを、皆に伝えなくてはならない。
――結婚の話はその後だ。
「レヴィ君、顔が怖いですよ?」
「……ぁいら――え?」
自分で放った言葉も思い出せず、唖然としながら声を漏らすレヴィ。
アリスはそんな彼の手を握り――。
「ど、どこに?」
「ちょっとおすすめスポットがあるんです。来てください」
手を引かれるがままに、彼は屋敷の外へと連れ出された。
屋敷から漏れ出す光がぎりぎり届くくらいの距離の庭の上。
アリスはそこで立ち止まり、レヴィの手をゆっくりと離した。
冷たいながらも温かみのある指先が離れていくのが切ない。この刹那、その気持ちだけで心は埋め尽くされていた。
手と手が離れた瞬間――。
「……」
手を取った。
再び、指先から自分の体へと流れ込んでくる魔力の流れを感じる。
この瞬間だけが、アリスが自分の作り出した魔法の結晶であるということを実感できる。
アリスは再び握られた手を少しの間見つめると、レヴィへと目を向けて頬を赤らめた。
少し、新鮮な気分だ。
彼女がこうして頬を赤らめたりするのは、本当に珍しいことで、それに胸を打たれてしまうこの状況もまた、非常に珍しいことだ。
しばらくの間、見つめ合った気がする。
無言で見つめ合うのが、これ程心臓に負担がかかるとは、思いもしなかった。
今この瞬間、自分でも驚きなのは、アリスを見つめている時に全く他の女の子のことを考えなかったことだ。特にレイラとリリィ。彼女らのことは、アリスと同じくらい好きで――。
「それが……そもそも間違い、だったんだね」
「……」
彼女らに対しての気持ちは、決して嘘じゃなかった。嘘ではないのだが、気持ちの割合を見ると、その差は歴然だったよう。
今、こうして何年もかけてやっと分かった事実に、レヴィは心底気持ちがが楽になった。
「月が、綺麗ですね」
夜空を見上げるアリスにつられて、レヴィは同じく夜空を見上げた。満天の星空と、その中で真ん中に輝く満月。
二つの配置が、どうにもレヴィと彼を取り囲む人集りのようにも見える。
「……うん、綺麗」
「……」
だが、やはり一番星というものは存在していて、それはやはり月の一番近くにあった。
『近くにいる者程、あなたにとって大事な人になるの。これから誰と関わるかは分からないけど、この言葉を大事にしなさい』。母親から聞いた言葉だ。
現状を顧みても、やはりその言葉に狂いはなかったようだ。アリスという一番星が、一番側で輝いている。
「……アリスはさ、どこから記憶があるの?」
「記憶、ですか?」
突然、ふとした疑問が湧き上がる。
彼女がアイラ――アズリサイアとして生きていたあの時代の記憶は残っているのか。
もし残っているのなら、未だに決着の着いていない、レヴィとヴェリュルスの恋の行方はどうなるのか。
もう彼は同化しているから、別に優劣をつけても彼らに意味はない。が、個人的に気になった部分であるのは確かだ。
「記憶……私が覚えているのは……断片的にだけですね。レヴィ君に生み出された瞬間のことは勿論、覚えていません。でも、それからあとのことは……途切れ途切れには」
「そう……君が落ちた時のことは?」
「落ちた……?」
まずレヴィが彼女を生み出したという記憶がある、その時点で、彼女の記憶は破壊の一途を辿っている。
あまりの魔力の膨大さ、そしてそれを制御しようと苦戦するあまり、彼女にとって大事な記憶が段々と抜け落ちていく。
それが、戦骸の体質だった。
その影響は多方面に向いているようで、大きな記憶の喪失だけではなく、小さな記憶さえ――つまり、今日の朝ごはんなども、覚えていないことが多々ある。
これからの課題は、その戦骸の症状を最小限に抑える方法を探ること一択だ。
「どこから落ちたんです? 崖……とか……?」
「……いや、勘違いだったね。ごめん」
今の所、こうして話が出来ているのには秘密というか、裏がある。
朝も話したように、レヴィが彼女に流す魔力量を少しでも制御すれば、彼女の負担は少し減るのだ。
結果、アリスの記憶の抜け落ちは最小限になる。
これをどうにかして、レヴィから彼女に流れ出す魔力量をゼロに等しいものに出来るなら、それに越したことはない。が、今のレヴィにそれをしろと言えば、彼は青菜に塩をかけたようにグダってしまう。
今でさえ、魔力を抑えるのに苦戦しているのに、それを更に抑えようとなると、それはもう『無理』の領域に足を踏み入れることとなる。
「レヴィ君が勘違いなんて、珍しいですね。何かあったんですか?」
「いや、別に? ……そろそろ戻るかな、いくら春でも夜は寒いや」
「むぅ、何かから逃げてます?」
頬を膨らませて言うアリスへと振り向くと、レヴィは両手で腕を擦りながら、ウザいほど寒いアピール。
だがアリスはそんなこと屁とも思わないような表情で、話を続けた。
「……私、あの時の言葉、凄く嬉しかったです。私と最後の夜明けを一緒に見るって決めてた……って」
「決めてたっていうか、なんか不意に思っただけなんだけどね」
父イヴァンに連れられ、シーガの塩湖に行った時、その時既にアリスは屋敷にいた。
今思えば、その頃から年の大きく離れているはずの彼女のことを思い続けていたのだなと、自らの執念深さに感服する。
淡い空色と、濃い青色の生むコントラストがとても綺麗だったのを覚えている。
第三次“unknown”征伐戦の時は、血の色で桃色に染まった塩湖だが、今はどうなのか。少し、気になるレヴィが心の中にいた。
「私も次、塩湖に行ったら言ってみたいです。あんなキザな言葉」
「馬鹿にしてる?」
「いいえ。さっきも言ったじゃないですか。本当に嬉しかったんです。今のは……ちょっと照れ隠し的な?」
舌をちろっと出すアリスに、拍動の勢いは止まる様子を見せない。いや、止まったら死んでしまうから止まってはダメなのだが。
毎朝珈琲を持ってきて、一緒に話をする時間は全く緊張したりしないのに、今のような改まった状況に陥ると、何故か心も体も強ばってしまう。
「はいはい、可愛いよ」
「な、なんですかそのあしらい方!?」
こちらもまた、照れ隠しのためにそう流し、彼女から目を背ける。
もしこの場であの話を持ち込めば、彼女はどんな反応をするのだろう。
喜び、嬉しさ。はたまた悲しみが生まれてくることも可能性としてはある。
今、彼女がそれを望んでいるのかいないのか。それを予想するのすら、今は難しい。
「レヴィ君は何だか、不思議な人です」
「不思議な人?」
そう言われる筋合いはない。むしろ、アリスの方が変人――言葉を変えて、魅力的な人であることは確かだ。
ただアリスの傍で立ち続けているだけの男に、そこまで不思議な点があるとは思いづらい。
「だってそうじゃないですか。どうしてそこまで私にご執心なんですか?」
「べ、……ご執心ってわけじゃ……」
内心、アリスにご執心だ。
だが確かにアリスの言い分にも納得出来るところはある。
どうして自分が生んだ魔力の塊に、好意を抱き、それが他の女の子に勝るのか。
そう考えれば自ずと、『不思議』という言葉は浮かんでくるのかもしれない。
「私のこと、まだ……好きなんですか?」
「……悪い?」
「悪くはないですけど。ダメですよ〜、男の子なんですから、ちゃんと女の子のことを好きにならないと」
アリスの言いぶりから察するに、彼女は自身を『女の子』として見ていないと取れる。
それは彼女だけでなく、彼女を生んだレヴィへの侮辱にも値する行為だ。
しかしながら彼女はその卑下の意味も裏の意も、しっかりと理解しているようで、その目を潤ませながら言った。
「私は……人間じゃないんですから」
「――。僕が……アリスをどう思ってたって関係ないだろ? 君の考えを貫いたら、アリス、君は誰とも結ばれない……そんなの、僕が嫌だよ」
生みの親としても、彼女のことを好いている男の子という点から見ても、そんな彼女だけが報われない世界は嫌だ。
いくら人外でもなんでも構わない。
とにかく、今はアリスのことが好きで、彼女以外をやっと捨てきったところなのだ。
「わ、私は魔女で……戦骸で……バカでアホでドジで間抜けで……そんな女の皮を被った魔力の塊なんて……レヴィ君には相応しくないです……」
「……アリスは、僕のことが嫌いなの?」
アリスは即座に首を横に振る。
当たり前だ。その涙の意味も、叫んだ言葉の意味も、全てがレヴィに絡まることだから。
「ならそれでいいじゃん。何も自分に負い目を感じることなんかないよ。むしろ完璧過ぎるから負い目くらい感じてほしいところだけど」
「なん……だか、私に似てきましたね」
皮肉にも、その言葉は真髄を突いている。
長い間アリスと共に過ごしたこともあって、彼女に性格が似てくるのは致し方ないことだ。
それに、彼女は育ての親でもある。
思えば、『育ての親』とも呼べる程年の離れた相手に恋をするのは異常なのか否か。
「……熟女好き……?」
「しばくぞ」
間髪を入れないアリスのツッコミに肩をすくめる。
なんの脈絡無しに言葉を発したのに、彼の心中を全て読み取っていたかのようなキレのいいツッコミが、何故かレヴィの心に染み渡る。
まだ、心が『安寧』と呼べる程まで回復していないのかもしれない。
「涙は止まった?」
「えぇ、おかげさまで」
「?」
涙の跡が残るその頬を手の甲で撫ぜ、アリスはそれに擦り寄る。
こうやって普通の日々が送れていること。
当たり前のように、アリスとレヴィが健康体でいること、奇跡としか言いようがない。
イヴァンも、ふと口にしていた。
『邪精霊に打ち勝つ程の精神力を持てば、大抵の事は乗り越えられる。アリシアのことも諦めるなよ』と。
そうは言っても、アリスとの話は精神力でどうこうなる話じゃない。タイミングの問題だ。
「――……戻ろうか」
「何か話があったのでは?」
相変わらず物事の真髄を突く発言だ。
昔、この国にもそういった化け物がいたらしい。名前をなんと言ったか――「サトリ」だったか、その化け物によく似ている。
勿論、性質がだ。
「いや、何でもないよ。また今度話そう」
「そうですか……何かしらワクワクしてたんですが……」
「そんなに期待することじゃないよ」
そんなたわいない話をしながら、彼らは光の射す屋敷へと向かっていった。
その背後には、ただ一つの人影が――。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「でよぉ、ララが俺をコテンパンにするんだよ! 何でまだ10歳ちょっとなのにあんなに強いかね!?」
「――」
「ん? てかあいつらって何歳なんだ?」
「――」
「……レヴィ!」
「――え?」
突然、水中から引きずり出された気分だ。
眠気と、先程大事なことを伝えられなかった後悔が相まって、彼は意識の奥底に沈んでいたらしい。
レヴィの肩を揺するトオルは、そんな彼の様子など気にすることもなく大声で話を続ける。
「いや、だから。ララたちは今何歳なんだよ? 全く知らねぇんだけど」
「えーっと……確か、今年13だよ」
「13? やっべ。意外といってたな」
トオルは彼女らのことをもう少し幼く見ていたようで、遠くから彼を見つめるララたちにジェスチャーで謝る。
彼女らは、自分たちの年齢を勘違いされていたことに――まぁ、演技だろうが激怒し、猛スピードでトオルの元まで駆け寄る。
両手で肩を掴み、激しく揺らすララ。
止めようとする残りの四人。
まるで親のような眼差しで彼女らを見つめるレヴィの隣から――。
「レ〜ヴィさまっ!」
「うわ、びっくりした! ミーナ、どうしたの?」
桃色の頭がひょっこりと顔を出した。
レヴィよりひとつ上。つまり、トオルと同い年にも関わらず、あまりにも体型が幼いために、年齢を間違われることも少なくないミーナ。
一度は命を落とした彼女だ。その目の奥には、今でも死への恐怖が宿っている。
しかし、その恐怖を掻き消すくらい、この世界に引き戻してくれたレヴィへの恩情は厚い。
「ちゃんとアリシアさんに伝えられたんですか? 結婚しようって」
「……言えなかった」
「やーっぱりですか! ダメですよ! ちゃんと思ってることは口にしないと」
背中をバンバンと叩く元気なミーナを横目に笑いながら、レヴィは相も変わらず意気地無しな自分の性根に苛立ちを覚えた。
「ミーナこそちゃんと伝えないと」
斯く言うミーナも現在、親友に想いを伝えられずに悩んでいる最中だ。
名前をイルマと呼ぶ。
レヴィも一度だけ会ったことがあったが、彼女の第一印象は『影が薄い』である。
金髪に碧眼という、超絶美少女には変わりないのだが、それでも何故か、影が薄い。
レヴィの話は置いておくに値する重さだとしても、ミーナが伝えたい気持ちはとても簡単なものだ。
ただ、『ありがとう』と。
しかし、小っ恥ずかしいのか、彼女はなかなかその言葉を言い出せない。
結果、イルマとは再び疎遠になってしまっていた。
「あの子には何も言わなくても感じてくれるからいいんです! 問題はあ! な! た! のことですよ!」
「うげ」
話を逸らす作戦も失敗に終わった。
ミーナは何度も何度も同じ言葉を繰り返すが、今のアリスは心が穏やかではないはずだ。涙こそ止まったが、心自体は揺れ動いているに違いない。
果てさて、『結婚しよう』の一言が、彼女の心を穏やかにする鎮静剤になるのか、波を荒立てる興奮剤となるかは、レヴィの奮闘次第。そんなこと分かっている。分かった上での踏み止まりだ。
「……考えてどうにかなる話、じゃないのは最初から分かってたんだけどな……」
「なら実行するのみですよ! ふぁいと!」
「いや、でも今日だけでそんなに連れ回したら流石に怪しまれるか……?」
そう、彼は今日一日でアリスとの時間を長く取っていた。
これ以上話があるとすれば――というふうに悟られないためには、この話は明日に持ち越した方が良いのかもしれない。
「うん、明日だ」
「…………意気地無し」
ボソリと放ったミーナの一言も耳に入らず、レヴィは自室へと足を運んだ。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「やめろ……やめろ」
暗闇の中、彼は言った。
「もうこれ以上は……」
今までの恐怖、憎悪、怒りの全てが集まってフラッシュバックしたような光景に、レヴィは息を詰まらせて、ただ『やめろ』と呟くことしか出来ない。
「なんで……おいやめろよ……俺の、僕の、大事な……仲間なんだよ……」
────屍だ。
屍。生を全うし、生涯を終えた者達だ。
その数を挙げればキリがない。
中には、会ってから日が浅いトオルやカオルたちも含まれている。
そして、彼らが団子になって怯えている相手は、今まで対峙した“unknown”たちだ。
蛇型、蟷螂型、竜型、他にも沢山だ。
各々が自らの武器をしならせ、靡かせ、振る。
「――っぁ!!!」
団子の中に、アリスを発見した。
怯えて腰が抜け、立ち向かう勇気すら皆無に見える。
「やめろっ! アリスはっ! アリスだけはぁあ!」
飛び出そうとするが、両手に繋がった手錠と鎖が彼を離そうとしない。
見れば、それが繋がれているのは大きな一枚岩。到底、この岩を砕けるとは思い難い。
「やめろ……やめろ!」
“unknown”たちがズリズリと人々に近付く。
「もうっ! 頼むから! 僕が何をしたって言うんだよっ!!」
涙が頬を伝い、唾が飛ぶ。
その声に、反応したかのようにひとつの“unknown”。――蛇型の“unknown”がレヴィへと近寄る。
「ぁ……んだよ。やれるんならやってみろよっ!」
その瞬間。
刹那だった。
人の団子が綺麗な赤に染まる。
――赤。赤。赤。
――赤。赤。赤。
「ぅ…………」
「睨んだって結果は変わりはしないよ」
遠くに輝いて見えたのは、ひとりの男。
金髪に、弱々しい目付きをした少年だ。
「フレイ……君……?」
「やぁ久しぶり。元気?」
あまりにも狂気の減った彼の言動に、レヴィは唾を飲み込み、言葉を失う。
「無視なんて連れないことをし――」
――ノコギリで、木を切り倒す時の音ほど、悲しい命の声が聞こえたことはない。
だが今はそれ以上に悲しそうに聞こえて。
いつかトオルが教えてくれた、彼の世界の「キカイ」とやら。
歯車やネジがたくさん集まって出来ているそうだが、その中にチェーンソーというものがあるらしい。
「デンドウ」で刃を回転させ、木を切り倒す「キカイ」。
恐らく、その音に似ているはずだ。
フレイの上半身が消え、その断面図には綺麗な真紅と、薄紅色の臓器。
そしてなんだかよく分からない白い糸やらが沢山。
一瞬でただの立つ二本の棒になってしまったフレイは、悲しそうな声で泣いた。
その声は、あまりにも掻き消えそうにか細く、常人では聞き取れないものだ。
「なんで……お前らの仲間じゃ……ないのか……?」
その言葉への返答はゼロ。
蛇型の“unknown”がレヴィへと近付く。
伸びきっていた鎖が緩まり、徐々に壁に近付き、果てには壁に背中が付いた。
「や、やめろ……」
蛇は動きを止めた。
「……やめてくれ」
蛇は微動だにしない。
「……!? やめっ――」
その僅かな空気の揺れに気付けたものの、それはなんの意味も為さなかった。
これこそ一瞬、刹那だった。
まず視界がなくなりました。
次に、何やら体を貫く感覚がします。これはもう感覚のみで、痛くも痒くもありません。
その次は、まるで玉ねぎになったかのような気分です。微塵切りというに相応しい感覚が、体の先端から襲いかかります。
最後は勿論、僕の原型なんかまるでなかったかのようにぐちゃぐちゃに。肌の肌色なんて見えないほどにぐちゃぐちゃに。
すごくぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃにされました。
心の中で叫びます。
こんな時、アリスにちゃんと気持ちを伝えていればな。って。
――心がだんだんおかしくなってきました。あひ、な。けど、僕頑張ったんだよお母さん! パパ! 見てみて! 僕が描いたんだよこれ! すごごごごごあいでしょ!? ねぇ、褒めてよ。誰か、褒めてよ。誰でもいいから、褒めてよ。
――褒め……てよ。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「〜〜〜〜っ!!! 」
「え!?」
朝、だった。
いつもより眩しく感じるのは、夢の中で暗闇を見ていたからだろうか。
勢いよく上半身を起こしたレヴィと、それに驚き椅子から転倒するアリス。
だがアリスは、持ち前の反射神経で尻餅を回避し、レヴィは持ち前の天才頭脳で状況を直ちに把握した。
「……おはようございます」
「……おはよう」
各々が状況整理した瞬間、この場にはおかしな空気が発生した。
それは誰にも理解し難い、あの――あれだ。
「朝から元気ですね。下の方も元気なんじゃないですか? 見てあげましょうか」
「朝から下ネタやめてくれる? ていうか、いつも思ってたんだけどアリスって何時からここにいるの? 今5時半だよ? 早すぎない?」
自分で言っておいて何だが、言葉にしてみて再確認出来た。
アリスという少女の執念を。
流石に、5時半以前にレヴィの部屋にスタンバイしているとは、本人すら思っておらず、驚きの表情を隠せない。
「実はレヴィ君が寝たあとはずっとここにいます」
「……怖いよ」
夜中にトイレに行きたくなった時、もし電気を付けてそこにアリスの顔が浮かんだらと思うと、夜も眠れなくなりそうだ。
――思えば、アリスは寝ているのか。寝ていないとなると、レヴィが毎朝倦怠感に襲われる理由も納得出来る。
「怖くないですよ。それで、どんな夢を見てたんです? 声が詰まってましたよ」
「あぁ……うん。ちょっと怖い夢をね」
あんなもの、悪夢としか言いようがないだろう。
信頼し、大切に思っている仲間全員が目の前で惨殺され、大切にも思っていないフレイまで目の前で殺され。挙句の果てには自分までもが殺された。
痛みこそ残っていないが、体を八つ裂きにされた感覚は今でも若干残っている。
「男の子なんですから、泣いちゃダメですよ」
「泣……え?」
知らぬ間に涙を流していた。
心がキュンと収縮し、今頃になって、夢の中での恐怖が蘇ってきたような感覚だ。
肩を震わせ、啜り泣く。
どうしても恐怖が心から抜けてくれない。
――アリスを失うという恐怖が。
「はぁ……おいで」
「ぇ……」
不意に抱き寄せられ、胸に顔が埋まる。
甘い香りが、鼻を掠める。
その香りは、レヴィが今まで堪えてきた辛さが、痛さが、涙が全て吹きこぼれるように流れ出す。
「何も怖くないよ。私はずっとあなたの傍にいる。ぜーったいに離れたりしないから、大丈夫。あなたの大事な人は、あなたの傍から離れない。大丈夫、大丈夫、大丈夫」
「――っ! うぅ……」
いつもとは違った、どこか亡くなった母を彷彿とさせる話し方に懐かしさを感じる。
あれは大体15年ほど前のことだったか。レヴィがまだ物心ついて間もない頃だ。
母――アルストロメリアは、一言で表すと、優しい女性だった。
いつもレヴィを気にかけ、怪我をすれば、どんなに小さなものでも魔法を使って治してくれた。
幼きレヴィからすれば、彼女こそが本物の魔女だったかもしれない。
自分が何歳の頃に死んだかは、覚えていない。というよりも、彼女が死んだのがいつなのか、それすらレヴィは知らないままだ。
愛し、慕い、これまでにないほどレヴィが尊敬した優しい魔女。彼女はいつの間にか、その短い生涯を終えていた。
「かあっ……さん!」
「……」
アリスは何も言わずにただ、抱きしめ続けていた。
育ての親という観点から見れば、アリスもまたレヴィのもうひとりの母親であることに変わりはない。
「怖かった……こわ、かったよ……みんなを失うのが怖くて……それでっ……何も……できなくて……」
「……」
甘い香りが、鼻腔を満たしきった時、彼は心からの安らぎを得た。
この世の全てを取り込むことさえ可能とさえ思えた香りだ。
これが俗に言う『魔女の香り』なのか。
安らぎを得ると、泣きつかれた所為もあって、眠気が襲いかかる。
心の波は穏やかだ。
天気は晴れ。雲ひとつ無く、快晴と呼ぶに相応しい心の晴れ模様だ。
「……」
「……寝ましたか?」
胸に抱き締められたまま、彼は二度目の眠りに落ちた。
アリスへ伝えなければならないことを、何も伝えられないまま、彼女が期待しているかもしれないその言葉を言わぬまま。
「……本当、可愛いんですから」
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
二度目の眠りから目が覚めたのは、体内時計で見ると7時頃だった。
ただ、それはあくまで体内時計であり、実際の時刻は6時半だった。
アリスの胸に埋めていたはずの体が、物悲しいことにベッドの中に戻されている。
その事実に、心も少しのダメージを負いながら、レヴィは起き上がった。
午前6時半。丁度使用人たちが起床し、朝の支度を始める時間だ。
となれば、今ここにアリスがいないことも納得出来る。
朝食を作っているのだろう。
「言えなかったな……」
言葉が詰まるだけでなく、タイミングやチャンスも、全てが上手くいってないように感じる。現実逃避だと言われても仕方ないだろうが、タイミングが悪すぎるのも確かだ。
泣き腫らして、やっと言えるかと思えば、こうしてアリスはいない。
運命がレヴィとアリスを遠ざけようとしているのか、逆に自分たちで離れていっているのか。
不意に、コンコンというノック音が聞こえた。
やけに小さなノック。
レヴィが寝ていると思っているのか、その気遣いが垣間見える。
「あ、レヴィ君。起きてましたか」
扉を開けて入ってきたのは、黒髪の魔女。
白い正装に身を包んだ、色白の素晴らしいことこの上ない少女。
アリスは片手で、バランスよくトレイを持っている。その上には、コーヒーカップと砂糖とミルク。
バランス感覚が秀逸でなければ、このトレイは落としてしまうだろう。
何せ、コーヒーカップが端に寄り過ぎだ。
「もう一回だね。おはよう」
「おはようございます。……さっきは、あんな話し方……申し訳ございませんでした」
いつにもなく礼儀正しくカーテシーをするアリス。ユラユラと動くはずのトレイは、微動だにせずバランスを取っている。
「ううん、懐かしい感じだったし、あれのおかげで心が軽くなったから大丈夫だよ。むしろ……ありがとう」
「……はい」
レヴィの役に立てたこと、それに頬を赤らめるアリス。やはり、人間性は多々ある。
自分で自分のことを『魔力の塊』なんて言うのは、少しタチの悪い冗談のひとつだったと思うことにしておこう。
アリスは、手に乗せたトレイを綺麗にベッドの横の小さなテーブルに置く。
レヴィもまた、ベッドから足を下ろし、アリスへと向き直る。
「アリス……ちょっと改まって話が……」
「なんですか〜? ま、大体分かりますけどね〜」
からかっているのか、本当に理解しているのか、アリスは珈琲に砂糖とミルクを加えながらレヴィの話に相槌を打つ。
その流麗な話の流し様に、話を聞いてもらえるのかという不安が募るのはどうしようもないことだ。
「実は僕……結婚……しようと思って……」
「……へぇ〜。お見合い候補がいるんですか?」
「え? いや、違うよ。アリスと……」
慌てて返答するレヴィだが、彼女の顔は暗い。もしや、何か気に障ることをしてしまったのか。
今日こそが、触らぬ神に祟りなしの日だったのか。
アリスは顔を俯かせたまま、レヴィの方を見ようとはしない。
心做しか、肩も小刻みに震えているように見える。
「アリス……? あ……ごめん……嫌だった……?」
肩の震えが増した気がした。
そこまで彼女を怒らせることをしただろうか。それとも、最初からアリスはレヴィに気などさらさらなかったとでも言うのか。
「ぷっ……くくっ……」
「……え?」
「ぁあ! もう無理です! おっかしいっ!」
――アリスのこのふざけた表情。
人のことを嘲笑うようなこの表情。
怒りが沸き起こるのも理解出来る。が、今はそれ以上に愛しさが勝ってしまう。
「え? え? 何?」
「ばっ……バレないと思ってたんですか? くくっ……バレバレですよ! 最初っから最後まで! ぷっ……」
どうやら、してやられたようだ。
細かい事情は、聞かなくても理解出来る。
おおよそ相談に乗った誰かがアリスに告げ口をしたのだろう。
そうとなれば、その犯人をこちょこちょの刑に祀りあげるしかあるまい。復讐だ。
「はぁ……で、誰から聞いたの?」
「誰から? いえ、私は最初から気付いてましたよ? まぁ、後から色んな人に聞きましたけど」
――これは、レヴィの心を弄んだアリスの罪だ。彼女もこちょこちょの刑に祀りあげるとしよう。
にしても、そこまで分かりやすく表情や態度に出ていたとは思い難い。
「好き」という気持ちならまだしも、「結婚したい」という願望が表情に出ることなど有り得るのか。
「まぁいいや。後でこちょこちょするから」
「セクハラですよ」
「うるさい。僕は結構本気だったんだけどな……」
どうしても、そのショックを隠しきれない。やっとのことで言えた願望――プロポーズが、こんな形に終わってしまうとは思ってもみなかった。
大体、いつから気付いていたのか。
気付いていたなら、何故すぐに言ってくれなかったのか。
「え? 誰も断るなんて言ってませんけど」
「――OKなの?」
「はい。むしろ断る理由がないじゃないですか」
これまた、いい意味で裏切られた気分だ。
彼女はやはり、「サトリ」だったらしい。
ここまで清々としたプロポーズの返事があっただろうか。
これはトオルにも教えてやらねば。
「本当に? 嘘じゃない? か、からかってない?」
「えぇ……? どんだけ疑うんですか」
「だって……」
アリスは珈琲を啜りながら、レヴィを冷静な目で射抜く。
だが、その目の奥には、隠しきれない嬉しさが溢れていて。
「レヴィ君がそんなに真剣に結婚のことを考えてくれてる、なんて知ったら……断れないでしょう?」
「違うよ! アリスの気持ちだよ! 君の気持ちを優先してよ!」
あくまで回りくどい、滲み出す『仕方ない』感。それだけで結婚の返事を貰いたくはない。どうせなら、清々と散るか、涙を流して喜ぶか、どちらかにしたい。
アリスはレヴィの問い詰めに、少し戸惑った様子を見せつつも、空咳をし、少し赤みがかった顔で言った。
「ち、ちょっとくらい気付いてくれたっていいじゃないですか……は、恥ずかしいんですよ」
「ちょっと前までは抱き着いて来てたのに」
思えば、最近は彼女のスキンシップが減った気もする。
前までは、廊下をすれ違うだけでハグされ、どこか買い物でも行こうかと思えば手を繋がれ――まぁ、悪い気はしないのだが。
こうして彼女の中に恥じらいが生まれたことは、人間への一歩として、それ以前に女性への一歩として、とても大きなものなのかもしれない。
「そ、それはいいんですよ! とりあえず……私は、あなたの……レヴィ君のことが好きです。だから……」
「……」
余程結婚への恥ずかしさが勝るのか、何度も「け」と言っては沈黙し、それを繰り返した。
「結婚……してくれる?」
「は、はい……」
窓から吹き込む清々しい風が、白いカーテンをゆらゆらと揺らす。




