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鳥籠の仇花  作者: 藍園露草
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004

 魔術の詠唱が、わずかにした。それを認識した直後、イドラゲアは眠気と体の加えられる圧力から、床に崩れかけた。

「イドラ様!」

 控えていたアリシアが大切な主を支える。彼に抱えられていたトトは、心配げにミャウミャウと鳴く。

「ぐっ……これは、一体」

 ウィランはよろけながらも剣を抜き取り、アリシアと共に詠唱する声の聞こえる先を睨んだ。

 この眠りの呪文にはひどく覚えがある。魔術の入門書で覚える、初級のものだ。素質があるものなら誰にでもすぐ覚えられるが、力が弱く効果範囲も狭かったはずであった。

 それがこれほどの威力を持つということは、使い手がよほど手練れの魔術士か。あるいは……。

 そう考えている間にも、声が接近してくる。カツ、カツ、とわざと立てているのではと思う程、高らかにヒールの音もする。

 ウィランはそれに顔を顰めながら剣を構え、アリシアは片膝を立てる形でその場にしゃがみ、前傾姿勢を取る。

 ぎぃ、と重厚な扉が開き、魔術の使い手が姿を見せた。

「見つけたわ、裏切り者の――――げふっ!?」

 女が台詞を言い終える前に、その顔面に蹴りが入った。

 黒いスカートを舞い上げながら、飛び蹴りを放ったメイドがその場で一回転し、優雅に着地。それとは対照的に、襲撃者である女は無様に倒れ込んだ。尻餅を拍子に、女の襟元からペンダントが飛び出す。皮紐で吊った飾りは、テーブルの上に置かれたものと同じ『響石』だった。

 あぁ、やっぱりそうか。ウィランが呟く前に、東方に生息するという悪鬼の顔をした大魔王(アリシア)が女の胸倉を掴み、往復ビンタをかます。

「っ……!? い、イキナリ何す――――ひぃっ!?」

 蹴られた上にビンタされた女は、メイドを睨んで声を荒げる。だが文句を言い終える前に、小さな恐怖の悲鳴が上がった。

「ふざけるなよ貴様こんなところで眠りの魔術とか何考えてる馬鹿女が髭はともかくイドラ様はねお前なんかより繊細でか弱いお方なのよその魔術のせいでお体に触ったらどうするつもりなの怪我や後遺症なんて出来たらどう責任を取るつもりなのかしら斬首じゃ許さないわよ痛みと絶望を延々と与えた末に殺してやるそしてお前の親類と所属する組織諸共滅べむしろ滅ぼす」

人形のように動かない冷徹な美貌、光のない暗鬱とした殺意全開の瞳、そしてノンブレスで発せられる怨念の篭った言葉。主を危険な目に合わされたメイドが憤怒の炎を背負う姿は、歴戦の戦士が息を呑むほど恐ろしい。

 だがこの襲撃者、よほど気が強いのか。怯みはしても降伏することはなく、アリシアに食いかかるように喚いた。

「あ、貴方一体何なの! 眠りの魔術を使ったのに、どうしてそんなに動けるわけ!?」

「ふん。私に異常状態を起こす魔術なんて効かないわ。それより……」


 この件、どう落とし前つけてもらおうかぁぁぁぁああああああああああ?


 地を這うような低音で尋ねながら、赤毛のメイドは女の首を絞めにかかる。ぐぇ、と上がる声とバタバタ暴れる手足も相まって、まるで鶏のようだ。

「お、おぅふ……」

 出番を大魔王に取られたウィランは、剣を持ったまま情けない声を上げた。知ってはいたが、やはりイドラゲア狂いな彼女は恐ろしい。

 そう思っていると、

「あれ……? あの人、ちょっと少将に似てる……?」

 主に髪と目の色が、と首を傾げるイドラゲア。抱き直したトトを介して、襲撃者を観察しているようだ。

「……言われて見れば、そうですね」

 アリシアは溺愛する主君の言葉を聞き漏らさない。

 メイドは訝しげに呟くと泡を吹く女をポイッと捨てて、ウィランの方へ向き直った。青筋と血管の浮かぶ憤怒の美貌に、彼はその巨体を竦める。

「少将、こちらの女性とはどういったご関係で?」

「え? いや……」

 言葉を投げかけられ、ウィランも投げ捨てられた女を見る。

「あ」

 見て、気づいた。

 その女は、憎き教会の修道騎士服……を改造したらしいワンピースに身を包んでいた。全体的に整った顔立ちだが、性格が反映されているのか目元や表情のキツさが目立つ。杖を手に持ち太股に投げナイフをつけた女は、腰まで伸びた髪を括らずに垂らしている。

 十数年ぶりだが、すごく見覚えがあった。知り合いどころではない。

「り、リーシャ……?」

「リーシャって、少将の妹さんの名前だっけ」

「ほぉ?」

 記憶から掘り出したイドラゲアの言葉に、アリシアの周辺の気温がかなり下がった。ような感覚に襲われる。

「少将……それはつまり。公爵家とイドラ様は、貴方方、御兄妹の喧嘩に巻き込まれた。そういうことでしょうか?」

「あ、いやっ、その」

 柄にもなく冷や汗をダラダラと流しながら、首を振って必死に弁解しようとする。……アリシアは見惚れるような笑みを浮かべていたが、目が全く笑っていなかった。「くだらないことに巻き込むな糞髭が」と、その目が爛々と語っている。恐ろしい。ひたすらに恐ろしい。

「トト、少し目を瞑ってて頂ける? イドラ様にお目汚しになるようなモノを見せてはいけないから」

「ミャッ!」

 魔法生物は元気に返事をすると、その大きな黒い手で己の目を塞いだ。

 赤毛の美女はリーシャの首根っこを掴んでズルズル引きずりながら、青筋を立てながら微笑むという器用な表情でウィランへ歩み寄る。

「ま、待ってくれアリシア殿。妹の件については、イドラ殿、ヴォルテール公爵とその使用人たちに深くお詫び申し上げる。謝罪金も払い、誠意ある対応をしたい。リーシャには何故こんなことをしたのか問い質す。貴公の私刑も兄妹できっちりと受ける。だから今、殴るのは止めてくれ! 崩壊した顔面を陛下方の御前に晒すわけにはいかんのだ!!」

「御免で済んだら法律なんぞいらんわ」

「誠に申し訳ありません!!」

 アドニス帝国陸軍第五師団の師団をしているはずの男は、その場で綺麗な土下座をした。その後頭部を見下ろす視線は、絶対零度を誇っている。

「……ん……ぅ」

 と、アリシアの手元で呻きが聞こえた。

 見れば、気絶していた女ことリーシャが目を覚ました。魔術士にしてはタフなのか、覚醒した彼女は目尻を吊り上げアリシアの手を振り解くと、ウィラン目掛けて飛び掛った。

 女は太腿のナイフを抜き取り、突進する。

「裏切り者、ウィラン・オータム! 覚悟!!」

「くっ……」

 魔術で体が鈍っている上に土下座の体勢をとっていた彼は、それでも少将の地位に上り詰めるだけの実力を持っていた。間一髪のところで妹の攻撃を防ぐと、剣で弾き飛ばす。

 弾かれた衝撃で女はよろけて、倒れる――――イドラゲアの方へ。

「しまった……」

 ウィランはリーシャを飛ばした先に誰がいるかに気づくも、遅かった。

「きゃっ」

「……! ぎっ」

 女の悲鳴よりも響いたのは、短い嫌悪の嗚咽。

 リーシャにぶつかられたイドラゲアの顔に、普段の能面じみた平淡さが外れていた。義眼の嵌る眼を見開き、頬を引き攣らせ、口元を歪めている。


 イドラゲアは大層な人間嫌いだった。普段は制御しているが、唐突にアリシアやトト以外に触られると反射的に魔術を使うレベルで。


 その上、イドラゲアに触れた女の内心は最悪の一言に尽きた。自分勝手に公爵家を襲撃し、己の正義感に任せた行動をとった犯罪者の傲慢な思考回路。自分のしていることは正しい、だから許される。本気でそう思っている愚かな女の心はイドラゲアの嫌悪感を刺激し、その魔術の威力を強めた。

「あ、が、ぁ」

 制御困難な高位魔術が、無詠唱で発動する。

「ひっ」

 女は膨大な魔力を感じて悲鳴を上げると、何を思ったかイドラゲアの服を掴んだ。

「イドラ様!」

 アリシアが駆け出し、手を伸ばす。

 だがその手が彼に触れる前に、彼らは目の前から姿を消した。



 魔術の効果が切れ、目覚めた騎士たちが応接間へと駆け込む。

「失礼致します! イドラゲア様、ウィラン様、お怪我は……」

 ノックをした後入室した騎士の一人は、応接間の光景を見て固まった。

 そこに青髪の盲人伯爵の姿はなかった。あるのは、赤い髪が目を惹くメイドと逞しい体躯の師団長だけだ。室内は家具が転げて散らばっており、そこで争いがあったことが一目で分かる。

「あ、アリシア殿。イドラゲア様は……」

「…………」

 答えぬメイドの手は、小刻みに震えていた。

「なんてこと……」

 自然と洩れ出た言葉に、焦燥が滲んでいる。

 触れれば読心が出来てしまうイドラゲアの人間嫌いは、筋金入りだ。反射で魔術を使う程に。反射的に、咄嗟に使うものだから、使用する魔術は完全にランダムである。本人でも何の魔術を使ったが、一瞬分からないくらいだ。

 今まで何度か無意識に使ったことはある。落雷、氷結、変化、タライ落とし……程度に差はあれど、大抵はイドラゲア自身に影響するものではなかった。

 だが、今回は違う。

「まさか、空間転移の術を使われてしまうなんて」

 空間転移とは、文字通り目に見える範囲にあるものを物体、生体問わず別の空間へと移す高位魔術のことである。普段は重い荷物を倉庫などに移す際に用いられている。

 おそらく、彼はウィランの妹を対象として魔術を使ったのだろう。あの歪んだ顔から、一刻も早く女を引き離したいと思ったに違いない。

 だが困ったことに、魔術が発動する直前、彼女はイドラゲアを掴んだのだ。

 空間転移の欠点は制御の難しさの他に、目標が他に隣接している場合、それも一緒に移動してしまうことだ。隣接したものは、目標とは違い多少乱雑な転移となる。

「い、イドラ様は……?」

 尋常な様子でない彼女に怯えながらも再び、騎士は問いかける。

 ブルブル震えるアリシアの代わりに、ウィランが答えた。

「……アイルトーン伯爵が、フェルメール教団の騎士に連れ去られてしまった」

「なっ」

 返って来た言葉に彼らはどよめいた。

「そ、それは本当ですか?」

「あぁ」

実際は少し違うのだが、結果的にはそうなるだろう。

 頷くと、彼らの焦りが見て取れた。当然だ、普段から刺客を放たれ誘拐されそうになるイドラゲアが、本当に連れて行かれてしまったのだから。だが対応が遅れることはなかった。騎士たちは一刻も早く、公爵に先ほど起きた一件を報告するべく、そして行方不明となった伯爵を捜索するべく動いた。

「少将」

 黙っていたメイドが、射抜くような眼差しでウィランを見据える。

「貴方には、公爵方から事情聴取を受けてもらいます。よろしいですね?」

「うむ。この一件は私が齎したようなことだからな……」

 妹の暴走を止められなかったことを苦々しく思いながら、頷く。

 そこでふと、気づいた。今の彼女の言葉には、アリシア自身が事情聴取に参加する旨がないのだ。

「アリシア殿は、今から何を……?」

「何を? 決まっているでしょう」

 そう静かに呟いた刹那、風切り音と共にメイドが姿を消した。

「は……?」

 アリシアが主同様忽然といなくなり、ウィランは瞠目する。

 ――――まさか、イドラゲア同様に空間転移を? いやいや、確か彼女は魔術を使えなかったはず。なら何故消えた?

 グルグルと思考を回転させながら呻いていると、応接間から廊下へ続く扉が開いていることに気づく。

 単純に、部屋を出たらしい。

 音速を軽く超えた、そのあまりの速さに唖然とする。驚いたのはウィランだけではないらしく、騎士も動揺する仕草を見せ、誰かが「あの女、本当に人間じゃない」とぼやいた。まったくもってその通りだ。

 三十秒もせぬ間にアリシアが廊下まで戻ってくる。メイドは両手に旅行用の鞄、背に身の丈近くあるチェロケース型携帯武器庫を備えていた。

「先ほど休暇を取らせて頂きました。なのでしばらく留守にします」

 無論、主を迎えに行くために。

 本来ならアリシアも当事者として聴取を受けねばならない。だが彼女は、それよりもイドラゲアの元へ行くことを優先した。何よりも主が第一。それが彼女アリシアである。

「あぁ、外に出されたせいで不自由な思いをされているはず……右も左も分からず、困っているに違いないわ」

「まぁ、そうだろうな……」

 盲人だし、病弱だし、と誰かが呟く。

「アリシア殿……イドラ殿がどこにいるのか、分かるのか?」

「主に仕える者なら、その程度分かって当然というもの。今そちらへ向かいますからね、イドラ様ぁ!!」

 ウィランの言葉に答えると、長い足で床を踏みしめて駆け出す。そして一息に玄関を飛び出て、街から郊外へと去っていった。

 その日、赤い烈風が巻き起こったと一騒ぎがあったのは余談である。


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