003
投稿遅くなってすみません。
もう少し早く書けるようになりたい…。
客間のソファに腰掛けた彼は、屈強な偉丈夫だった。
年は三十の半ばを過ぎるところか。太い眉に高い鼻、険しく厳しい面構え。腰のベルトには軍刀と短杖を提げている。軍服の上からでも主張される筋肉に包まれた体からは、彼が歴戦の戦士であることが分かるだろう。
ウィラン・オータム。階級は少将。アドニス帝国陸軍、第五師団の師団長を務める、叩き上げの軍人だ。
そしてイドラゲアの父ガルテーンのかつての部下であり、戦友だった。
「お久しぶりです、少将」
「唐突な訪問、申し訳ない、アイルトーン伯爵。体調はどうでしょうか?」
「今日は普段よりも良いですよ」
イドラゲアは膝の上にトトを、右の後ろにアリシアを配した状態で頷く。
いつものことながら、平然としていて心情が窺えない。ウィランはその険しい顔と巨躯から大抵の者に怯まれるが、彼の場合はそうではない。盲人というのもあるだろうが、この男は昔から慌てたり怯えたりすることは少なかった。
今も平然と、カップを片手に話題を切り出してくる。
「して、ご用件は? 魔石でしたら既に三十二ケース程、用意していますのでどうぞご自由に」
「あ、あぁ……それは有り難い」
が、今回の用件はそうではないのだ。と、ウィランは首を振る。
そのあと、彼は懐から小箱を取り出し、テーブルの上に箱を置いた。
箱の蓋を開け、出て来たのは無色透明な石だった。艶や質感は水晶に似ていたが、どこか得体の知れない光を帯びている。
「伯爵。この石に、少し触れてみてはくださらぬか?」
「はい? 分かりました……アリシア」
「畏まりました」
イドラゲアが一声かけると、赤毛のメイドは石を手に取る。彼女は石を指先で丹念に調べ、確認する。危険や異常がないことを確かめ終えると、彼女は恭しく主の手に石を差し出した。
「……! これは」
受け取ってすぐに、イドラゲアは気づいたらしい。仮面のように動かぬ顔が、ほんの僅かに驚愕を滲ませた。
それもそうだろう。膨大すぎて勝手に体外へ出て行く、己の魔力。それが石へと勝手に注がれると同時に、力が量と共に増大したのだから。石自体からは魔力を全く感じない点にも、奇妙さを覚えていることだろう。
「少将、これは一体なんなんですか? 魔石ではないようですが……」
「最近、教会に出回っている物です。教会派は『響石』と呼んでいるそうで」
「使用者に共鳴して、力を増幅する石。……魔石鉱が教会に潰されたのは、これが一因ですね?」
「その通り」
ウィランは頷き、肯定を示す。
やはりこの男は勘が鋭く、頭の回転が速い。と、少将は今更過ぎる感想を抱く。幼少からそうだが、イドラゲアはあどけない見目に反して何かと聡かった。
それを厄介と取るか、話が早いと取るかは個人次第だろう。ウィランとしては事件の詳細を伝える手間が省けたため、丁度良かった。
だから彼は、響石についての説明を始める。
「この石は特性上、持ち主の魔術も強化するようです。その上、使えば使うほどに持ち主の魔力や魔術を増長させる作用すらあると、報告に載っています」
「つまり、使えば使うほどに強くなる……敵に持たれると厄介ですね」
「えぇ。なので現在、軍ではこの石を回収しています」
それはもう徹底的に、と彼は言葉を付け加える。
石は大きければ大きいほど、多ければ大きいほど効力を増すようだ。だからアクセサリーの形にして所持する者が多かった。が、手術で体内に植え込む無茶をする輩も多く、現在の回収にもかなり手間取っているという。
「回収した石はどうしているんですか?」
「副作用のようなものがないか、体に害を為す物質はないか。その辺りを徹底的に調べた後、こちらで再利用する方針で向かっています」
「そうですか。まぁ、それが普通ですよね」
敵に持たれると困るが、自分達が持てば心強い道具だ。敵の武器や所有物を再利用するというのは、戦争の時でもそうでもないときでも良くある。
「ええ。それで一つ聞きたいのだが……伯爵。貴公に、この石が作れるでしょうか?」
「それは陛下からの問いですか?」
「はい」
「……私に触れてなお、言えますか?」
「はい」
軽い脅しにも、少将は肯定の言葉を返した。
ウィランはイドラゲアが幼い頃からの顔見知りだ。だから、イドラゲアの特異体質も、持っている力も知っている。知っている上でなお頷くということは、本当である可能性が高い。
それでもやはり、嘘をついている恐れもあった。何事も疑ってかからなければいけない。念のため、実際に触れて確認する。彼の考えを遡り、記憶へと到達する。
「…………」
彼の記憶にある限り、セレスティアルは実際にそう言ったようだ。言葉の響き的に、確認の意味が強い。
イドラゲアは黙り込み、響石を指先で弄びながら考え込む。一体どう返答すればいいのか、迷ってしまったのだ。
一分ほどして、イドラゲアは素直に答えることにした。
「無理ですね。これは魔石ではないので」
「というのも?」
「魔石というのは魔力が蓄積することで力を帯びるか、属性の根源に接触して変化したもの。でも……この石は、魔力の影響を受けて出来たものじゃない」
炎で炙れば火の属性に。水に浸せば水の属性に。土に埋めれば土の属性に。風に晒せば風の属性に……そんな具合にしていくことで、魔石は出来る。
変わり種には死した生き物の化石が魔石化したり、竜種のような上位にいる魔物の体内で生成されるものもあるが、いずれも『魔力』が必要不可欠だ。
イドラゲアの生成する魔石もそういったものだ。そして、魔力に関連したものしか作ることは出来ない。
そのことを、ウィランに伝える。
「そういうわけなので、私にこの石は作れません。期待に添えぬようで申し訳ありませんが、陛下にもそうお伝えください」
「なるほど……つまり、この石は魔力のある土地の物ではない。国外から仕入れられたものである可能性が、高いわけですね」
先ほどの説明でそう推測したのか、彼はふむと相槌を打ちながら呟く。
考えていることを口に出す、というのは致命的なものだ。しかし客間に第三者はおらず、目の前にいるのは隠し事をするべき相手ではない。互いの意見を交え、相談するべきだからそうしているのだ。
「魔力の枯渇した場所。となると、国的にはグラナードかマハトマの方面か」
「個人的にはマハトマの可能性が高いような気がします。この石が大陸外から仕入れられた可能性も、消しきれないから」
と、イドラゲアは紅茶を口に含みながら自分の考えを提示する。
マハトマは大陸の南にあり、大陸で最も治安の荒れたキナ臭い国だ。
国土の大半は砂漠という有様の乾燥帯で、サンドワームや砂食み、鋼鉄喰いといった魔物が生息している。昼と夜との寒暖差が激しく、降水量が少ないので、農作物や家畜は期待出来ない。オアシスの水や果物、異国との貿易品が主な収入源だ。物乞いや奴隷、闇市も少なくないという。
そんな状況から脱するためか、マハトマは隣接した国々とよく戦を起こす。だが手に入れた国も戦で荒れ果て好景気には向かわず、また富を求め争うという荒唐無稽なループを繰り返しているという。
しかも圧政によるクーデターの多発や国外テロリストの侵入もあり、政府が政府として機能せず、無法地帯となっていた。
「グラナードは魔術を切り捨てた、科学と技術一筋の国。だから、魔力を増幅させる石を製造したり、他へ売ることは少ないかと。だってお金をかけて使えないものを作ったりはしないし、素材をそのまま売らずに石を利用した道具を作るような気がします」
「確かに、それは言えていますな」
トトの兜に包まれた頭を撫でるイドラゲアに、彼は蓄えた顎髭を撫でながら神妙そうに頷いた。
グラナードは徹底した技術と情報主義の国だ。その方針はまとまっていて、安定している。基盤が一枚岩でしっかりしているので、他国へ中途半端に手を出すことは少ないと言える。
対するマハトマは、無秩序の協和国だ。戦で得た土地と奴隷で開拓や食物栽培をしているようだが、改善するには不十分だ。自国や異国の民を御し切れていない。景気を上昇させようと、事件に一枚噛んでいる可能性は高かった。
どちらにせよ、間者を送って調査するべきだろう。
話の結論は、そこに至った。
話を終えた後、沈黙が客間を包んだ。
少年の見目をした彼と、威圧感すら感じさせる少将との間に、話題はない。両者の間に流れる空気は刺すように冷たく、どこか重苦しかった。
どんな場合でも、会話というのは必要だ。それがときに、場の流れを一転させ良好にしていくからだ。
「…………」
だが、二人とも何を言えばいいのか分からなかった。
ガルテーンに罪が科せられる前は、こんなではなかった。片方は父の友人、もう片方は上司であり戦友の息子という間柄だったからだ。
しかし今は違う。イドラゲアは罪人の子。真実はどうあれ、表向きにはそうなっている。罪人の子供と仲良く話していれば、周囲から白い目で見られる。イドラゲアはそれを理解していたため最低限の接触しかしなくなり、ウィランは仕事の忙しさもあって同じく交流することが減ってしまった。
しかも軟禁生活から早十年、というのも原因の一つである。その年月は長いようで短くも、二人の間に微妙な溝を作る程度には十分すぎたのだ。
気まずい。非常に気まずい。
だが何を話せばいいのか分からない。昔はあんなにスラスラと出来ていたことが、こんなにも難しいだなんて、ウィランは予想だにしていなかった。あぁ……あの頃は、一体どんな風に話していただろう。遠い過去に思いを馳せる。
「…………あ、ああ!」
彼は持ってきていたものを思い出し、声を上げた。
「伯爵、遠方を訪れた際に撮った写真があるのだが、どうだろうか?」
「……写真、ですか?」
懐から写真の束の入った封筒を取り出しながら言うと、彼はきょとんとした顔で目を瞬かせた。
作り物の義眼から心情は読み取れない。しかし、上げた声は弾んでいるように思えた。それもそうだろう。彼は盲目だが、触れたモノの姿形は分かる。自然を切り取った写真は、彼がその風景を知覚出来る数少ない代物だ。
「仕事で北方の山のものだ。その頃は寒さも厳しくなる頃でな、一面が雪景色だった。……イドラ殿、雪兎は好きか?」
「雪と兎……うん。好き」
なんとか過去の調子を取り戻そうと、昔の話し方で語りかける。すると向こうもそれに同調したのか、素の口調になった。
アリシアは、それを微笑ましげに見ている。彼女が威圧感たっぷりに笑ったり、蹴りを入れる準備をしていない。いつもみたいに追い出されることはなさそうだ。良かったよかった、と安堵して、話を続行することにした。
「そうか。イドラ殿は自然も動物も好きだったからな。山中では牡鹿が駆けていたり、水辺には鴨の群れが泳いでいてね、その写真もあるから見ると良い」
「うんっ。ありがとう、少将」
彼に写真を手渡すと、イドラゲアは口元を緩めて、はにかみながらお辞儀する。膝の上の魔法生物も、同じように頭を下げる。
……主を溺愛するメイドが、こちらに嫉妬の視線を送ってきたが、気にしない。気にしたら負けだ。見てはいけない。気合負けしてしまうから。
その後ウィランは、アリシアの紅茶と茶菓子を口に運びながら、イドラゲアに外でのことを話した。仕事の内容には触れず、生息する動物や季節の花々といった彼の好む話を中心に。トトで外のことは分かるだろうが。やはりその時の体験や昔話、マメ知識などを交えたそれは聞いていて楽しいようだ。
二人は十年前に戻ったように、会話した。
――――外から人の倒れる音が次々とし、奇妙な眠気に襲われるまでは。