002
魔石は魔術の補助に使う物質であり、魔道具の燃料である。
このアドニス帝国は過去から現在に至り、魔石を動力の基盤にしている。魔力に富んではいたが、石炭などの燃料の類はそう多くなかったからだ。
ゆえに、いつでもアドニスは魔石を消費し、必要としていた。
どれほど生み出しても、それでも足らないくらいに。
ざらざらとした、石ころの感触。
これを魔石にしていくのには、さほど難しい過程はない。ただ身につけておくか、自分の周辺に置いておく。基本的には、それだけでいい。
だからイドラゲアのベッドの下には、石を詰めたケースが複数押し込まれている。今日はもう、交換されて別の石がギッシリ入っているようだ。
「今日は石が多いね」
押し込まれているケースを数えたあと、彼は呟く。普段は五つほどだが今日は七つもある。どのケースにも石が満タンだ。しかも、ストックのケースを隣の部屋に配置しているらしい。
「運ぶの大変だっただろうに、どうしたんだろ?」
小首を傾げる主の問いかけに、アリシアは報告にあった内容を伝える。
「教会の過激派によるテロで、ドナウ地方にある魔石鉱が閉鎖されてしまったと聞いております。現在、新たな鉱山を掘り進めているようですが、やはり魔石が困窮傾向にあるそうです」
「そっか……貴族も厄介だけど、教会も面倒だね」
「えぇ、本当に」
内心で「イドラ様にご迷惑をかけるなど、許しがたい」と思いながら、アリシアは拳を握り締めた。
アドニス帝国にて勢力を拡大させつつある、フェルメール教会。始祖である聖人は神の力を崇拝し、魔力を邪な物であるとした。
信者はその教えに乗っ取り、魔術に関する抵抗運動を行っている。普段は集会や行進程度だが、過激派はテロリストと大差ないことをして、周辺に被害を出している。今回のように。
しかし彼らの背後には、スポンサーとしてそこそこ地位のある貴族がいるので、簡単には潰せない。憎たらしいことに。
この魔術大国では鬱陶しいほどの、反魔術組織。TPOを弁えずに好き勝手するので、国内での評判は悪い。目先のタンコブと言っても良いだろう。
「そもそも神力も魔力も大差ないのに、なんで差別したがるんだろ?」
「自分達が特別であると自尊しているのでしょう。ゆえに、その他の力を見下しているのだと、私は推測しております」
「宗教的な問題なんだね。そういうのが、一番めんどうくさい。どれだけ言っても聞かないから。聞く耳ないから」
とにかく、彼らのおかげであちこちが困ることになる。人間嫌いなイドラゲアではあるが、仮にも貴族なので見過ごせない。罪人の身内だろうが腐っても貴族である。なので、上に立つ者として出来ることをしなければ。
「必要になる魔石は何があるかな? それを集中的に作っていきたい」
「公爵からのお話ですと、水と癒し属性が必要だそうです。鉱山近辺では職業病や怪我が多いですし、今回のテロで負傷者がいると報告があります。また、南部の砂漠地帯では水の魔石が足りないそうで」
「分かった」
イドラゲアはケースの上に手を置き、魔力を注いでいく。
余分な魔力が皮膚から放出されるので何もせずとも魔石は出来るが、手ずから行ったほうが効率も良い。ケース四つを癒し属性、三つを水属性という配分にして魔石に変えていく。
この屑石を用いた魔石生成はイドラゲアの疲労を軽減し、貧民が飢えぬように現皇帝セレスティアルが定めたものである。
職に手をつけらないない孤児や物乞いが集めた石を買い取り、それをイドラゲアが魔石に変換して、公爵家を介して売りさばく。売り上げの何割かは、孤児院へと寄付される。下から上へ、上から下へと金銭が循環し、結果として国全体が潤っていく仕組みだ。
とりあえず、部屋にある石は変え終えた。しかし、これだけでは足りないだろう。もっと沢山の魔石を作って、準備しておかなければいけない。
「アリィ、隣の部屋に行く」
「かしこまりました」
アリシアは主の手を取り、華奢な体を支えながら隣部屋へと案内する。
手入れされているものの、やや埃っぽさの残る部屋。そこはいわゆる物置である。公爵家の屋敷の一部なので、そう狭くないはない。……はずなのだが、石を詰めたケースが所狭しと並んでいるせいで圧迫感がある。
まぁ、基本的に目の見えぬイドラゲアには、あまり関係ない話だが。
「一時間ほどしたら、お部屋に戻って休憩を取りましょう。いくらイドラ様が無尽蔵に魔力を作れるとはいえ、短時間に大量の魔力を消費するのはお体に良くありません」
「うん。分かった」
イドラゲアは頷くと、彼女はポケットからタイマーを取り出し、時間をセットする。そして物置にある机と椅子に主を座らせ、机の上に石の詰まったケースを置く。
「さて、どれくらい出来るかな?」
青髪の少年は両手を何度か握った後、楽しむように呟く。
いくら多趣味にしているとはいえ、屋敷を出られず視覚に乏しいイドラゲアの娯楽は少ない。わりと退屈なのだ。だから制限時間を設けた作業は、彼にとってはミニゲームにも等しかった。
それを知っているメイドは、苦笑しつつ優しい眼差しで彼に告げる。
「ご無理はなさらぬよう。ご自愛くださいませ」
「うん。分かってるっ」
先ほどと似たような返答。
しかし、語尾には楽しむような響きが滲んでいた。
チーン、とぜんまい仕掛けのタイマーが終わりを告げる。
「イドラ様、お時間です」
「……ふぅ、ここまでか」
一時間に出来たのは、全部で二十五ケース。本当はこれから二十六ケース目の半分まで行っていたのだが、その前に時間になってしまった。だからか、少し残念そうに呟く。
「もう少しで新記録だったのに……」
「惜しゅうございました。しかしご無理はいけません。……ささっ、お部屋に戻りましょう。紅茶をご用意しております」
「うん」
アリシアに勧められ、イドラゲアは部屋へと戻った。掃除はしているが、それでも埃っぽさは残っていた。そのため、こほっ、と乾いた咳が出た。
それを聞いたアリシアは、用意していた紅茶に蜂蜜とレモン果汁を加えて、主へと差し出す。
「ありがとう」
「勿体無きお言葉です」
喉に優しい紅茶を飲んで休んでいると、イドラゲアはある気配を感じた。同時に、こちらに近づいてくる音を捉える。
廊下の方から、とてとてと小走りする足音が聞こえる。とても小柄なせいか足音は軽い。しかし速度はとても早い。
普段はこの屋敷にはいない、けれどとても親しい存在の足音だ。
「アリィ、トトが帰ってきた!」
「そのようですね」
と、アリシアは扉を開け、こちらへやって来る者を出迎える。
「お帰りなさい、トト」
「ミャウッ!」
扉から顔を出し、「ただいま!」と言うように声を上げたソレの風体は、可愛らしくも異様だった。
背丈はイドラエアの膝上くらい。頭が大きく、胴がずんぐりとした体型は生まれて間もない赤子のよう。しかし手は頭部と同じだけの大きさがあるため、なんともアンバランスなシルエットだ。
彼……一応オスである……は、真っ黒い肌をしている。大きな目は燐を燃やしたような薄緑に橙の光が混じり、鋭く尖った爪は赤い。体には甲冑の一部を着け、意匠を凝らした古めいた兜を被っているのが大きな特徴だ。
この珍妙な姿をした生き物の名はトト。イドラゲアが十歳の時に作った魔法生物で、外で魔石の売買の手伝いや情報収集、護衛役をする使い魔である。こう見えて肉体派だ。
「お帰り、トト!」
「ミャウーッ」
主人が両手を広げて呼べば、トトは短い足で駆けながら飛びついた。イドラゲアは人間に触られるのは嫌いだが、それ以外の生物は平気だ。主に怪我をさせないように手加減しながら抱きつく使い魔を、優しく受けとめる。
「わっ、元気一杯だね。良かった良かった。外はどうだった?」
「ミュー、ミャウッ」
イドラゲアは身振り手振りする使い魔の、兜に包まれた頭を撫でる。
トトは言葉を理解するが、人間の言葉を喋るだけの知能はない。そして心の声もないので、触れても何を言っているのか分からないらしい。
代わりとして、彼が見聞きしたことを映像で確認出来るようだった。
「平原、森林、砂漠……随分と遠くまで行ったんだね。お疲れ様」
「ムキュッ、モキャッ!」
「ん? 教会の連中に会ったの?」
「ミャウウ!」
「そう、壊されそうになったの……大変だったね。でも返り討ちにするのはいいけど、控えめにね? でないと、色々訴えられたりするから」
「ミャウッ」
こくんと頷いた後、膝に抱きついてくる使い魔に、彼は口元を綻ばせる。
「あははっ。寂しかったの? うん、僕もアリィもトトがいなくて、ちょっと寂しかったよ。しばらく屋敷でゆっくりしてようね」
「ミャミャウー」
トトは返事をしながら、主の白い手に頬擦りをする。そして抱っこ、と言わんばかりに大きな両手を挙げた。
本来は戦闘に秀でた魔法生物のはずだが、この甘えたな部分は愛玩動物に通ずるものがある。敵と見なした相手にはどこまでも残酷に。けれど心許す者に対しては素直かつ純真だ。
その面は、もしかしたら生みの親に似たのかもしれない。
「ん、抱っこ? うん、はいっ。ぎゅー」
イドラゲアは、笑みを深めると膝元にいる彼を抱き上げた。この主は、信頼する相手や動物に対しては愛情深い。特にこのトトは、自ら作った使い魔なので尚更だ。子を思う親のような慈しみを見せる。
「んふふふーっ。今日は一日ぎゅーってしとこ」
彼はニコニコと笑みを浮かべ、頬をトトにくっ付けながら抱き締める。彼の腕の中で、小さな使い魔が「ミューッ」と嬉しげに声を上げる。
「…………っ!!」
普段はポーカーフェイスでいる主の、無邪気で屈託のない笑顔。普段の姿も愛らしいが、これは格別だった。レア物である。どうしよう、カメラを取ってくれば良かった。アリシアは彼らの姿に身もだえながら、自分の準備の悪さに歯噛みした。今度からは気をつけなければ。
そう思っていると、今思い出したとばかりにトトが彼をペチペチと叩く。
「ミャー、ミューウ」
「ん、公爵が僕を呼んでるの? 少将が客間に来てるのか……また魔石関連の話かな? アリィ、客間に行こう」
「は、はい……っ」
顔を押さえて悶えているのを悟られないようにしながら、アリシアは主の手を客間へ案内する。
無論、彼の片腕の中にはトトが抱き締められたままだった。
一応ほのぼの系をイメージして書きました。
これからバイオレンスなところも増えるでしょうけど、こういった面も表現できたらと思っています。