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鳥籠の仇花  作者: 藍園露草
2/6

001

 イドラゲア・ハイド・アイルトーン。

 幼く見える彼は王命により、軟禁されている。それは一重に、強大過ぎる魔力を恐れ、その力を魔石生成ひいては戦争の際に利用するためだった。

 そんな彼には、アリシア・ヴォルカンという世話役のメイドがいる。

 十代前半ほどの中性的な美少年と、妙齢の美女の主従。遠くから見るだけなら非常に絵になり、目の保養となる二人だ。

 しかし、彼の主従を知る者は口を揃えて語る。

 ――――あれは大魔王と、大魔王使いだと。



 人が空中に舞い上がった。

 黒ずくめに仮面をつけた、暗殺者みたいな風体の人間、五名。それが次々と床に叩きつけられ、ボールのように跳ねる。

 その内の一人。一番装備の良い男の後頭部の上から足が掛けられ、ガッと勢い良く踏みつけられた。

「この愚民が。豚にも劣る分際でイドラ様を攫おうとするなんて……身の程を弁えろ屑が」

 主に対しては小鳥の囀りのごとく囁かれる声が、泣く子も黙る恐ろしさを伴って紡がれる。

 黒いワンピースにエプロン、ホワイトプリムという極普通であるはずのメイド服が、何故か処刑執行人のように思える。結い上げた赤毛は魔女狩りの炎を連想させ、蔑みを浮かべる整った顔は悪魔も裸足で逃げ出す形相に。

 美女であるほど迫力と怖さが増すと知ったのは、彼女が屋敷に来てからだ。

「貴様ら、一体どこの使いだ? 吐け、今すぐ」

「だ、誰が答えるもの――――ぁぎゃあああああああああああああああ!!」

「あぁん? よく聞こえなかったわね……どこの誰の使いかしら? 言え」

「ぃ、言うか……ぎが、ぎぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいぁぁああああああああああああああああああああああああ!!」

「言え。死ぬなら、楽なほうが良いでしょう?」

 爽やかであるはずの朝食風景にて響き渡る阿鼻叫喚と、頭蓋骨の軋む音。

 大魔王、赤い悪魔と称される彼女の所業は恐ろしいの一言に尽きる。

「今日もアリィは快活としてますね、公爵」

 目を剥きたくなるようなことを言ったのは、彼女の主たるイドラゲア。このアドニス帝国の生きた国宝であり、終身刑を科せられた罪人でもある。


 彼の父は前皇帝への反逆罪で処刑された。

 そして彼自身は償いとして軟禁され、生涯、魔石を生み出し続けることを義務付けられた。現在は、このヴォルテール公爵家に引き取られ、屋敷内で暮らしている。罪人の身内とは思えない程に破格の待遇だ。

 しかし、アイルトーン伯爵が本当に皇帝に逆らったかどうかは分からない。もしかしたら、彼の力を手に入れるために掛けられた濡れ衣かもしれない。

 そのことについてどう思っているのか、仮面のような表情からは分からない。推し量ることが出来ず、知るのも恐ろしいことのように思える。


 だが、普段何を考えているか分からない彼は、今は微笑んでいた。

 堅く閉じていた蕾が、ふわりと花開いたような笑みだ。

「やっぱり女性は元気なのが一番です」

「あ、あぁ……そうだな」

 盲目な彼の言葉に顔を引き攣らせながら、フランツ・リオ・ヴォルテール公爵は肯定する。元気どころじゃねぇよ、と内心で叫びながら。

 目の見えぬ彼には分からないだろうが、今この場の光景は地獄絵図寸前だ。室内にいる誰もがサッと視線を逸らし、痛みと恐怖で動けない哀れな敵たちを視線に入れないようにしている。

 どうやら、自分がアレを止めなければいけないらしい。

「あ、アリシア……もうそれくらいにしてはどうだろうか?」

「ほら、苦しみたくなかったら言いなさい……あら、何でしょうか?」

「アリシア、だから、その」

「何でしょうか、公爵」

「いや、だからな」

「な ん で しょ う か?」

「なんでもありません」

 切れ長い目の「邪魔すんじゃねぇ」という訴えに、あえなく彼は敗北した。

 このメイドは彼個人に使えている。だから、この屋敷の主たる公爵の頼みや命令など、一切聞かない。そして誰よりも強く、誰よりも働くので、文句を言うことも咎めることも出来ない。……というか屋敷の者は彼女が怖いので、止めることが出来ない。

 だって、大魔王だから。

 命が惜しければ、大魔王に逆らってはいけない。そして大魔王は、大魔王使いの言うことしか聞かないのである。

 そうしてエンドレスで流れ続ける、悲鳴。スプラッタ直前の、光景。今にも朝食をリバースしてしまいそうだ。怖い。

 すると、デザートのショコラケーキを食べていた大魔王使いが口を開く。

「アリィ。此処で殺したら、床が汚れて掃除が大変だよ」

「ハウスメイドにお気遣いなさるなんて、なんてお優しいイドラ様……っ。畏まりました。この者たちは牢屋に入れ、拷問するとしましょう。私直々に」

 イドラゲアに待ったを掛けられたアリシアは、うっとりと頬を染めながら足を下ろす。踏みつけられていた暗殺者は頭を押さえながら悶え、ゴロゴロと転がる。大魔王に拷問されると聞いた他の暗殺者は泡を吹き、気絶した。

「うっ……!」

 哀れな彼らを見た騎士団の兜の隙間から、涙が零れ落ちる。

 そして公爵も泣きたかった。

 気を失いたくなる気持ちは良く分かる。しかし狙った相手がいけなかった。彼は皇帝の保護対象であり、大魔王の愛を一心に受ける大魔王使いだ。下手に手を出せば命が危ういし、彼に何かあれば最悪……国が滅ぶ。滅ぼされる。

 彼女はイドラゲアの唯一にして、最強のメイドなのだ。そして病的なまでにイドラゲア至上主義者である。主のためなら、世界を征服しかねない。

 救いは、彼女の主が権力に興味がないことだろうか。

「アリィ、彼らがどこの使いか特定出来る?」

「イドラ様のご命令とあれば。とはいえ、すでに粗方の予想はついております……毎度毎度飽きもせず、我が主を狙うとは。なんて愚かなのかしら」

「手に入らないからこそ、躍起になるのかもね」

「なるほど。確かにそうですね。イドラ様は喉から手が出るほどの、美少年に目のないご婦人方も垂涎の麗しさですから。その上優れた才を持つとなれば、血迷う者が出ても納得というものです。けしからん」

「そこまで言われると照れる。……でも、こう何度も来ると鬱陶しいや」

「ええ本当に。潰しますか?」

 ギラン、と剣呑に輝く眼に背筋が凍る。

「いや、ちょっと警告の手紙を送っておいて。叩き潰すのは、その後にまた刺客が来た時にしよう」

「敵にご忠告なさるなんて、イドラ様……なんて慈悲深いっ」

 はぁん、とアリシアは豊満な胸を押さえる。

 うぐっ、と公爵と従者は胃の上を押さえる。

 この刺客を放った相手は、死より恐ろしい目に遭うだろう。遅かれ早かれ、大魔王の手によって。

 こうして爽快な朝は、赤い悪魔によりホラーテイストに染め上げられた。

 いつものことである。


  ◇◇◇


 イドラゲアは目が見えない。

 元から見えなかったわけではない。六歳まではちゃんと見えていたのだ。むしろ見えすぎていたというべきか。彼の瞳は左右どちらも、魔眼だったのだ。

 それを知った前皇帝は、王命で目を献上するように要求した。それに応じた時、イドラゲアの世界から光が消えた。全てが暗闇に包まれた。

 けど、それは完全にではない。視覚は駄目でも、触覚からなら平気だった。

 触れれば分かるのだ。触れているものがどんな形をしているのか、そこに何が書かれているのか。相手がどんな顔をしているのか、どういった感情を抱いているのか。分かってしまうのだ。

『化け物め』

 ダンスの練習で世話になる、女講師が罵ってくる。

「イドラ様、お上手です。それでは、今日はもう少し先をしてみましょう」

 表面上は笑いながら、おだててくる。

『高給だから請け負っているけど……断れば良かったかしら。こんな何を考えているか分からない、得体の知れない子供の相手なんて。気持ち悪いのよね』

 けど腹の内で考えているのは、これだ。反射的に魔術で吹き飛ばしそうになるのを我慢しながら、イドラゲアは無表情を貫いて踊る。

 人間に触れるのが、イドラゲアは大嫌いだった。この世界にいる大半の人間は、イドラゲアを忌み嫌っていた。あるいは道具として見ていた。中には公爵のように、いくらか好意的に見てくれる者もいるが……そんなのは極少数だ。

 大抵は、こいつみたいにイドラゲアを侮蔑している。

『こんな化け物小僧の相手をしなければいけないなんて……さっさと終わってくれないかしら。もしくは死んでくれればいいのに』

 それはこっちの台詞だ。

 内心で反論しながら、ひたすらステップを踏む。


「―――――……ィイドラ様ぁっ!」

「へぶっ!?」


 目の前で風切り音が起こる。

 どかぁん、とド派手に鳴った音。それと同時に聞こえた、悲鳴。

「…………? え、何?」

 一体何が起きたのか、目の見えぬイドラゲアにはいまいち分からない。

 小首を傾げる彼には把握しきれなかったが、端的に言えばバイオレンスな出来事だった。優雅に駆け寄ってきたアリシアが、女講師を勢い良く蹴り飛ばしたのである。ご主人様至上主義の最凶メイドのハイキックで、彼女は吹き飛んだのだ。

 他の使用人が小さく悲鳴を上げたが、彼女は気にしない。ささっと衣服の乱れを直して、己の主へと向き直る。

「アリィ……?」

「イドラ様、少しお顔が悪うございます。少々休んではどうでしょうか?」

 彼女は軽々とイドラゲアを抱き上げ、そう進呈する。ピクピクと痙攣している講師のことは、徹底的に無視だ。

『雇われ者の分際でイドラ様に不愉快な思いをさせるなんて、許すまじ。あとで血祭りにあげてくれるわ……っ!!』

 触れる肌から伝わってくる、彼女の感情。

「……血祭りは駄目だよ。こっちが雇ってるんだから。それに、もう血祭りにあげちゃってるよ? これ以上は死んじゃうよ」

「あ、あら? 嫌ですわ、イドラ様。私、そんな野蛮なことなど思っておりませんわ……おほほほほほほ」

「そんなの今更のことじゃないか。でも、ありがとう」

 アリシアは優しい。

 いつだってイドラゲアの世話をしてくれるし、文句も言わず守ってくれる。勉強も分かりやすく丁寧に教えてくれるし、仕草や感情の機微を拾ってさり気なく補助をしてくれる。今みたいに、助けてくれる。

 イドラゲアの世界で最も優しく、心強い存在は、彼女だ。

「ささっ、お部屋に戻りましょう。よく眠れるよう、歌でも歌いましょうか」

「歌……」

 彼女の言葉で、ピーンと思いつく。

「待って。部屋に戻る前に、ピアノを弾きたい」

「ピアノ、ですか?」

「うん。それで、ピアノに合わせて歌ってくれない?」

 駄目? と、小首を傾げながら尋ねる。

『……ぁぁああああああああああああああああどうしてこんなにも愛らしいのかしらこの方は! そんな風に頼まれたら断れるわけないじゃない!! 私を悩殺したいの? 悶え殺すつもりなの?! 完敗ですよ!!』

 愛らしい、と言われてちょっと照れる。けど嬉しい。

「イドラ様ったら、仕方ありませんね……少しだけですよ?」

「うん」

 イドラゲアは彼女に手を引かれながら、ピアノを置いた広間へ向かう。

「今日は何を弾こっか」

 ピアノの椅子に腰掛け、数冊置かれた楽譜に触れながら考える。

「アリィはどれが良い?」

「イドラ様がお弾きなさる曲でしたら、なんでも」

「そっか……うん、これにしよう」

 しばらくして最近引いていなかった曲を選ぶ。譜面が脳裏に、浮かぶ。 それをしばし見て、暗記する。そしてイドラゲアは鍵盤を弾いていく。

 ピアノの旋律に合わせ、アリシアが歌う。

 主従の旋律が、屋敷中に美しく響き渡った。


 遠目で見るだけなら、保養になるのに……。

 屋敷の誰もが、そう思う。

 思うが、二人は知らない。興味もないのだった。


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