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初となる主人公チート物語です。一般的に知られる最強物とは少し趣向が違う予定ですので、気に入ってもらえるか少々心配です。
今日も爽やかな朝が来た。
「イドラゲア様に相応しい、晴れ晴れとした朝だわ」
アリシアは結い上げた真紅の髪を揺らし、裾長いエプロンドレスを翻しながら愛しの主の元へと一直線。窓も植木もメイド仲間も騎士団も何のその。軽やかにヒールを鳴らしながら、文字通りに一直線。
アーリーモーニングティーを乗せたワゴンを押し、エプロンのポケットに温度計などを入れた彼女の姿は、精巧に造られた人形を思わせる。顔立ちは美しく、体は豊満かつスリムで、世の女性が羨む理想の体型だ。
そんな彼女を放っておくものはあまりいない。たとえ仕事中であっても。
「やぁ、アリシア。今日も美し……」
「退きなさい。邪魔よ」
「ふぐぁっ!!」
細腕からは想像も出来ぬ見事な右ストレートが、馴れ馴れしい男の顔面にめり込む。今日もまた、アリシアの恐ろしさを知らぬ新米が宙に舞った。
「……まずい、これは完全に致命傷だ!」
「ぅわああああああああしっかりしろぉおおおおおおおおおお!!」
「す、スミスの自慢の顔が……崩壊してしまってるわ……っ」
「ドクター! 早くドクターを呼ぶんだぁー!」
そして他の使用人たちの悲鳴があがるのも、いつものことだ。
「ふん。今日もまたつまらぬ物を粉砕してしまったわ……あぁ、早くイドラ様の元へ向かわないとっ」
屍のように動かぬ使用人と、それを畏怖の目で見る従者達。双方を無視してアリシアは廊下を渡って行く。主のための紅茶を乗せたワゴンと共に。
周囲の評価などどうでもいい。彼女の眼中にあるのは長年一心に想い続ける主だけだ。どんな色男とて、彼女の前では甘いマスクも野菜にしか見えない。先ほどの男はさしずめ、まぁそこそこ女に好かれそうなミニトマトだろうか。
「イドラ様、朝ですよー」
そんな彼女は華のような笑顔を浮かべ、扉をノックする。
しかし彼はまだ起きていないだろう。それが分かっている彼女は、脳裏に眠っている主人の姿を浮かべ、唇を緩ませた。
「イドラゲア様、失礼いたします」
ドアノブを回し、私室へと足を踏み入れる。
目に優しい色合いの壁と絨毯に、派手さのない洗練された調度品と、上品なインテリア。この部屋に置かれるものは全て、他ならぬアリシアが主の命でセッティングしたものだ。
そして部屋にあるふかふかのベッドには、綺麗な青い髪をした少年がすやすやと眠っている。
「あぁ、今日もまた愛らしい……っ!」
アリシアは陶器のように白い頬をほんのりと染め、感嘆の声を漏らす。
案の定、イドラゲアはまだ夢の中だった。強い魔力を持つ証である、普通なら有り得ない色の髪。少女のようなあどけない顔。その瞼で隠れた紫の瞳が、本物であったならどれほど素晴らしいか。否、例え義眼であっても我が主の美しさが霞むことはない。
そんな主君の寝顔をしばし堪能したあと、優しく彼を起こしにかかる。
「おはようございます、イドラ様。今日も素敵な朝ですよ」
「……ん、おはよ……アリィ」
「朝の健康チェックをしましょう。失礼しますねー」
「ん」
彼はまだ眠そうな顔をしながら、シャツの前を肌蹴させる。
アリシアは測定セットを取り出し、朝のバイタルサイン測定を始める。てきぱきと体温や脈を測る様は、一般的な使用人の範疇を超えている。
アリシアは、人嫌いなイドラゲアが唯一傍に置くナースメイドだった。彼が幼い頃から彼のお世話係をし、同時に体の弱い主の健康診断、時には看護もしてきた。この程度のことなら朝飯前なのである。
「はい、今日も健康でございます。本日の朝食はサーモンのソテーとデーツのサラダになっています。付け合せはトースト、スコーン、タラーリが焼けておりますが、どれにいたしましょうか?」
「タラーリの気分……今日は、アールグレイなんだね」
「はい。良い茶葉が入りましたので」
アリシアは紅茶を注いだカップを渡すと、彼の後ろに回る。普段から持ち歩くブラシを取り出し、ボブショートの髪を漉いていく。強すぎる魔力で色素変貌を起こした髪は、朝日を受けて艶やかに輝く。
「うふふふふ。今日もイドラ様のお髪は美しゅうございます。まるで晴れ渡る空のようなスカイブルーです」
「ん……アリィのは、ルビーみたいな赤だっけね。僕とは正反対だけど、一緒にいるなら丁度良いね」
「えぇ、そうですねっ」
アリシアは声を喜びで弾ませながら、衣装箪笥に吊っている服を取り出す。
この可愛らしい主には、フェミニンで華やかな衣服が似合う。燕尾服は金ボタンと清潔感溢れる白に。袖口にフリルをあしらったシャツは対照的に黒く。ジャボは三段フリルにレースのついたものを選ぶ。ブーツは歩きやすいよう踵のない、シックかつ愛らしい一品を。
そして彼に欠かせないのは、歩行用の杖と盲人のための腕時計。
「……そういえば」
と、着替え中の主が呟く。
彼の足首には、様々な色合いの石を嵌めた金細工のアンクレットがある。彼によく似合うデザインだが、アリシアはこの装具があまり好きではない。
なぜなら、お慕いする主君を束縛する枷のようだからだ。
「これ、もう代えて別の石をつけないと。ベッドの下の石も」
「あぁ、もう全て魔石になったのですね」
「うん。枷についてるのを交換したら……公爵に伝えておいて」
「かしこまりました」
アリシアは頷くと、うやうやしい手つきで枷についている魔石を外す。
魔力に満ち溢れた、高純度の宝石。これが元は、どこにでも転がっている石ころだとは、誰も思うまい。
これは誰にでも出来る芸当ではない。屑石を魔石に変えるほどの強大な魔力の持ち主である、イドラゲアだけが可能とする力。現在、純度の高い魔石を人工的に作り出せるのはこの主君だけだ。
ゆえに、彼は王命で屋敷に軟禁されている。
「はい。代え終えました」
赤、青、緑、黄色。様々な色に変わった魔石を外し、黒ずんだ屑石を取り付け終えた。ベッド下にある大量の魔石は、公爵家に使える使用人が交換するようになっているので置いておく。
そんな毎日を初めて、早くも十年が過ぎようとしている。
「今日は何をしよう。勉強して、ダンスの練習して、ピアノを弾いて……」
「午後の体調が宜しければ、錬金術はどうでしょうか? 以前イドラ様がお求めだった材料も、手に入りましたので」
「うん、いいね。そうするよ」
着替え終えたイドラゲアは、右手を差し出す。
アリシアはその手を取り、彼を立たせる。
「それでは参りましょう。我が主」