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『銀の回廊』(ディクシーズ・マイロウ)


 今回はディクシーズ作品で最も無名の作品、『銀の回廊』についての話をしようか。無名というと語弊があるかもしれないな。知られていないのと人気がないことと隠されてるということは全て異なることだからね。まあ、初めに発表された媒体の性質上、仕方の無いことなんだけれども。


 この作品のことを知っている読者は……そうだな、現物のあった日本ならおよそ数十人、世界中からかき集めても百人に満たないだろうね。なんといっても収録された本が五十冊しか印刷されていないんだから、こればかりは仕方のないことだろうし。一種の都市伝説じみた扱いをされてたわけなんだけど、このたびとうとう見つけた……というか、所持していた友人の好意で読ませて貰って、タイトルも判明する運びとなった、ってわけ。いや、コレクターの奇癖には困ったもんだね。良いものほどひとの目に触れさせたいという気持ちと、良いものゆえに他人から隠し通したいという気持ちに揺れていたあたり、分からなくもないけど。ま、そのへんの事情も考慮して、なるべく詳しく紹介していくから、興味のある読者の方々にはご容赦願いたい。んんんー。割とネタバレ気味だけど、そこはあんまり気にしなくてもいいかな? 復刊される可能性は皆無に等しいし、出回りそうに無いわけで。今回の紹介は、これこれこういう本があったんですよ、という見せびらかしだしね。


 傑作という言葉で言い表すには少々、静かすぎるかもしれない。この話はどこにでもある小説の枠をはみ出してはいないからだ。当然のように語られる歴史に淡々と聞き入る話だと言ってしまえば、それだけのことではあるし。否定も出来ない。この話は大きな衝撃のための激しさとは無縁であって、加えて言えば綺麗な描写もほとんどない。そこで起きたこと、起きなかったことを入り交えた、あっても無くても何も変わらないような、そんな小さな会話が繰り返されてゆく。


 それに、内容はそう難しいものでもない。中世の封建制の時代から続く一地方の領主の城があって、そこの回廊の一区画を「銀の」という言葉で飾っているんだ。一章ではその回廊の名の由来について、とある老人が語り始める。聞き手は当代の領主。といってもまだ幼い、少年といって良い年齢だ。先代が病気で亡くなって、爵位を継いだばかりなんだけど、この少年は老人のことを知らないでいた。つまり客人でも住人や召使いでもなんでもなく、勝手に自分の城に入り込んだ曲者なんだ。本当はね。だけど彼を咎めることもなく、面白がって話を聞くんだ。彼の話にだんだんと引き込まれていくわけ。


 老人曰く、自分は回廊の精霊である、と。


 語り口のためか、なかなかサマになってるおかげか、喜んで話の続きを望むうち、この回廊が辿ってきた歴史と、回廊を通り過ぎていった人々の数奇な運命が語られるんだ。


「時の回廊、という言葉があるんじゃよ。曲がりくねった廊下だとしても、廊下である以上通り抜けてゆく者達にはいつも必ず目指す場所があってのう。立ち止まる者もおって、走り抜ける者もおった。回廊とは途中であるということじゃ。先が隠れていて見えないくせに、必ず終わりが存在していることも分かり切っておる。引き返すことができることもあれば、帰ることが出来ぬこともあろう。しかし、それでもひとは必ずどこかへと辿り着かなければならぬ。ときには唐突に終わってしまう道もあり、いつまでも望む場所へとたどり着けぬこともあろうが……なあ、領主殿よ、途中であるとはどういうことか、お前さんには理解しているかの?」


「ええ、ご老人。それは、終わっていないということです」


「うむ。それも答えじゃ」


「或いは、始まってしまったということです」


「そうじゃの。答えはひとつではない」


「はい。終わっていないということは、変わりゆく可能性があるということです。始まったということは、終わらせなければならないということです。ご老人の望むお答えは分かりませんが、少なくとも、私たちには終わりがある。どんなことも、いつかは終わる。幸福も、不幸も、ひとの一生も、時間も、悪夢も。終わりがある……それはとても素晴らしいことではないでしょうか」


「父上殿のことを思い出しておるのかね」


「そうかもしれません。父は、苦しんで、死にましたから」


「あれは強い男だったのう。あまりに急いで駆け抜けていったのかもしれんな」


「教えていただけませんか」


「ふむ。何をかね?」


「あなたは、何故に、私の前に姿を現したのです?」


 ここまでがプロローグの会話だね。老人の答えは優しくも厳しいものだった。少年は老人が語り続ける回廊で行われた過去の会話や、様々な人々の歴史に耳を傾ける。


「何故、ここだけが銀の回廊と呼ばれているのか。知っておるかね」


「いいえ。有名な話なのですか?」


「有名ではなかろうさ。恥辱とでも呼ぶべき理由じゃからの。まず他の回廊とは違い、この一区画には焼けこげや装飾品を剥ぎ取られた痕跡が残っていることに気付くじゃろ」


「ええ」


「よく見れば、少量の銀を埋め込むことで誤魔化していることも分かるかな。なにぶん時代が時代じゃったし、こんなところまでの侵入者を赦したという事実も重なったんじゃよ。二代目の領主が悪政を布いたのが原因とは、流石に後世に堂々と残せなかったようでの」


「……我が一族は、代々、民との善き関係を築いてきたと教わりましたし、書物にもそのような話が載っているなどとは聞いたことがございません。何かの間違いでは」


「何が間違いなものか。二代目の治め方はそれはひどいものじゃったよ。この回廊でも、お抱えの騎士が隠れて暗殺の相談をしておったこともあったくらいじゃからな。見限るだけならまだしも、誅殺の密談などされるような領主なんぞ滅多にあるものではない。余程のことじゃ。回廊をずっと行った先には領主の寝室がある。この場所こそ、迷った彼らの決断を押しとどめた最後の場所であったんじゃ。無論、真実殺されておればお前さまのような領主殿が生まれてはおらんがの」


「信じられません……見てきたような語り口はともかく、そんな話があれば」


「あるわけが無いんじゃよ。もちろんその後、心を入れ替えたはずじゃ。過去の悪事など記録されておったら面倒ごとの元にしかならんしな。三代目も肉親が責められるような行為をあえて広めようなどとは思うまい」


「ならば、何故その二代目は?」


「うむ。その心変わりの原因となったのが、民衆による襲撃じゃな。侵入されて、宝物の多くを強奪された挙げ句、この回廊まで辿り着かれたんじゃ。騎士も主人を守ることに乗り気ではなかったようでの、ただ、二代目には息子が一人、娘が一人おった。その娘が自らの身体を張って暴徒からこの城と父親を守ったのじゃ」


「……なんと」


「傷つけられた回廊がそのままでは見栄えが悪いし、客人を招き入れるにもちと困る。かといって華美に過ぎる修繕などしようものなら再度の襲撃があってもおかしくなかろう。なにしろ税を跳ね上げ、贅を尽くしたことが原因の一端じゃからな。となれば、あるもので直すしか無かろう。貴族の城には銀の食器があるのは当然じゃ。息子の提案で、その銀を使って回廊を彩ろうということになったんじゃな。以降、この事実を伝えられた次代の領主はこの回廊の修繕をすることはしなかったんじゃよ。自室のそばにあるこの回廊は、過去の鏡のようなものじゃ。先達の失敗を理解しておったのだな。自分がそうならぬよう、いわゆる戒めの意味合いも強かろうさ。ゆえにここは銀の回廊というのじゃ」


 と、この調子で銀の回廊で起こった様々な過去が明かされてゆく。老人と少年の会話の奥に見え隠れするのは、一見すると単なる時代の変化であるとか、過去への懐古のように思いがちだけど、その実、これは思い出話なんかではないんだ。回廊は途中ではあるけれど、それゆえに誰もが辿り着く前の言葉を零してしまう。成り上がった貴族の驚くべき計画、禁じられた恋に身を焦がす使用人の声、日ごと夜ごと現る紳士達の悪意、五代目が得た親友との悲愴なる別離、そして貴族たるためにその身に抱く義務、民衆を死に追いやる戦争への否定と肯定、時代は貴族をゆっくりと絶えさせてゆかんとして、父が息子に託そうとしていた意思を知ることとなる。そして、彼らは自らが貴族であることの意味を問い続けている。


 老人の正体はおいおい明かされてゆく。けれど少年は言及しない。それは些事であり、また老人も自らが何者であるかに意味を持たせようとはしていないからだ。


 冒頭で交わされた会話における、時の回廊という言葉は、この物語の重要なテーマのひとつなんだ。この物語は始まるけれど、その最後にあるのは結末ではなく、ゆるやかに訪れる日々の連続でしかない。当たり前に続いてゆく物語への参加を果たしたに過ぎないことを知る。それは、まだ終わっていないということ。始まってしまったということ。それが果たして希望であるのか、絶望であるのかについては言を待たない。途中にある限り、誰にも明確な答えなど出せないんだ。それを少年も、読者も知っているからだ。


 どんなものも、いつかは終わる。あらゆるものに、たしかな終わりがある。その事実だけが、何よりの幸福であることにだけ触れて、筆を置くことにしよう。


 ただ、叶うならば――と、少年は口にする。


「叶うならば、日々は銀の回廊の如く、輝けるものでありますように」と。



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