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『全て青は破片と化して』(ペーター・ヴィエッジズ)


 先日、待望の『The fragment of blue』の日本語訳『全て青は破片と化して』が刊行された。正直なところを言えば、この訳者には荷が勝ちすぎていると感じられた。……そういった極めて個人的な不平はさておき、まずは目出度いことである。下手をすればお蔵入りになりかねなかったと聞き及ぶに至り、この出版社の英断には頭を垂れるしかない。もし叶うならば、知名度はいささか低いのだが、ヴィエッジズの名を世の中の愛書狂に知らしめたとされる『不在の神、有罪の紙』も刊行してもらえれば、と思う。こちらは書物を愛しすぎた男が神の存在を解体して一冊の本にしてしまう、という内容である。神の観念や実在の不可能を断じているが、特筆すべきはそこではない。一冊の本で世界そのものを描こうとしたことが偉業なのである。悔やまれるのは――作者自身が肯定しているように、その試みはある意味で成功し、ある意味でこれ以上ないほどの失敗となった。書き上げた瞬間から、その価値は一瞬ごとに減じてゆき、最終的にはどこにでもある歴史書同様、時間の残骸、記憶の瓦礫としての役割しか持たなくなってしまったのである。やはり構造上の問題があったと言わざるを得ない。


 そんな実験的な本を書いていたことが注目されたのは近年のことである。彼は一切の変節をしない。方向性を違えることもない。読者の目には奇異に映るが、彼の行為の全てには必ず意図があるのだ。書かれた作品の分野や性質は数多の種類であり、何一つとして同種に分類出来るものはない。行動の不可解さから奇人扱いされていたが、それも含めて誤解されることは十分承知しているのだという。


 ひねくれ者を自認する作者だが、このヴィエッジズという名前に、昨年起きた事件を思い出される読者も多数おられることだろう。79歳という高齢をおして、彼はパフォーマンスとして白紙のメモ三百枚を三日間かけて食したのち、以下のような言葉を吐いたというものだ。


 「明日尻の穴から出るであろう紙。消化されようが、されなかろうが、どれ一枚として頭の中にある無数のアイデアが書き込まれて排出されることは無い。あらゆる書物は描かれなかった本達の墓場かもしれないが、かといってそれが自然に増殖することも無いのだ。捨てるくらいなら隠したまま天国へと昇ろうじゃないか。まあ、天国があればの話だがね。とはいえ地獄の方ならこの目で見ることが出来るだろう。それで十分。惜しむらくは、そこで得た天啓を君達に見せてあげることができないことだな。もし苦悶と抑圧が強き意志へと昇華するのなら、死後の人間の多くが傑作をものし得るだろう。作家であれば尚更だ。誰も見たことの無いもの、誰も知り得なかったものこそがおそるべき創作を成す。が、やはり墓場の下にいる作家は、自らの体が灰となる姿を見られないのだ。なんとももの悲しいことじゃないか。なあ、そうだろう?」(ウクバールの大衆紙より引用)


 勿論、無茶である。老体には耐えられなかったのであろう。周囲の家族と弟子、それから新聞の記者を見回したのち、彼は前のめりに倒れ伏した。ウクバール唯一の大作家は、自らの言葉の結末を見ることもないまま、この世を去ったのである。顔には満足げな笑みが浮かんでいたとのことだが、希有な行動力を有し、加えてエンターテイメントを解する心を持った、この偉大な作家が永久に失われたことには変わりない。まさしく世界にとっての損失であったと言える。


 そして無論、彼の胃の中に溜まっていた白紙には何も書かれていないことは明白であり、……彼が一枚だけ飲み残したと思しきメモ――折りたたまれたメモだが――には、周到な幕引きの言葉が遺されていた。


「だが、現在は無限なのだ。現在だけが全てなのだ。未来は予想、過去は記憶に過ぎない。そして私は無数にある結末のひとつのみを空白領域に描き、自らの手によって現実の続きを造り上げることに成功した」(同上)


 ここから分かるのは、彼が記者らに語った言葉が何遍もの練習をした努力の成果であること、そして悪辣な偶然が彼の邪魔をしないでいてくれたこと、それだけである。


 作者の話はこれくらいにして、そろそろ問題の『全て青は破片と化して』について語りたいと思うのだが、それは実に困難な作業なのである。何しろこの小説は……小説と言っても差し支えないと書評子は考えているのだが、一切の名詞を使わずに描かれた物語なのである。青い世界が(と分かるのはそのイメージになるべく近似するよう用意された動詞と形容詞の万華鏡じみた組み合わせのためだ。それが海なのか、空なのか、それとも我々が未だ持ち得ない別の何かなのかは、作者以外には知り得ないことであり、加えて死者は語る術を持たない。永遠に確定しないことを運命づけられていることも計算のうちであろう。)ゆるやかに壊れていく様子なのである。こぼれ落ちてゆくようでもあり、罅が入った世界が一瞬にして崩れ去る姿にも思える。まさしくヴィジョンとイメージ、それも読者に相応の想起すべき映像が無ければ成立し得ない空間の話なのである。また、ゆるやかに、と書いたが、それにしたって書評子の得た感覚に過ぎない。このゆるやかさは通常、動作をゆっくりと行うようなレベルではなく、宇宙空間における対比的な長さとして表現されるべきゆるやかさとも考えられる。語り得ぬことに対しての受動的な沈黙ではない。無言を貫くことによってその不確かなものを可能な限り正確に、誠実に、精神の奥底へ伝えようとする能動的な意思表示なのである。


 おそらく、そう、おそらくではあるが、作者は全てを読者の内部世界に委ねようとしたのではないか。ただその青がどのような形を取るかのみが不明であり、彼が望み、読者に強いた関心事であったのだ。それだけに細心の注意を払われたであろうことは、文章の随所に窺える表現の抽象性、或いは、無形性とでも言うべき雰囲気の隙の無さに見て取れる。悪魔的とも言える筆の運びは青を害する一切の色彩を排しており、喚起するべきものすらも不定とさせる、あの水面を揺らすような、青く透けた宝石を撓ませるような、曖昧ながらも決して無ではないものが、読み続けているうち、内側から音もなく生まれてくるのである。


 前述した彼が最期に遺した言葉は、この本を本国にて出版する前日に放たれたそうである。まさに、その通りに世界を描き、そのくせ、その世界を得た者達を甘やかさずに放り出そうとするあたり、まことに老作家の溢れるほどの気概が感じられるようである。


 ただ一つ書評子には不安がある。このようなことを記すのは場違いである気もするが、不当な失望から作者の名誉を守りたいとする義務感が勝ったため、書かねばなるまい。


 天衣のごときあの表現が無惨に切り裂かれたあげく、無遠慮な青い絵の具で台無しにされるのはあまり想像したい事態ではない。名画が名画たり得るのは、身勝手な他者の筆が入ることが無いからであり――いや、言を弄すのはやめるべきだろう。一言で事足りる。


 原書で読むべき傑作は、読者が思うよりもずっと多く、そして隠れるように存在しているのだ、と。



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