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第三章 夏の間 ①

第二章⑥

カエデの父がオレの実家のタバコ屋にきたことで、ひと騒動起こる。

事態は収拾したが、その後アヤがバカンスにこないといいだし、オレは焦る。


 なんだかんだいってもふり返れば、あっという間の二週間だった。終わってみると、この大学にきて最も充実した日々だった。普段よりまともに出席していたのではないか。やっと学費を有意義に使えた気がする。

 今日の補習最後の試験もカエデのおかげで、なんとか乗りきれた。あとはポテチやウマと、バイトをしながら楽しい夏休みが待っている。

 食堂のいつもの席で、カエデはオレに不満そうにいう。目のまえでウマが、なにやら笑いを堪えている。オレがくる前に、カエデになにかいわれたのにちがいない。

「ねえ、あの映画をアヤに借りて観たの」

「『夏草のいざない』?」

「SF青春映画っていわなかった?」

「そうだろ?」

「怪獣映画でしょ、アレ?」

 ウマは、もう大笑いだ。

「怪獣も出てくるな」

「怪獣も出てくるな、じゃないわよ。なんで、あんなところで怪獣が出てくるのよ。おかしいでしょ?」

 この女は本気で怒っているみたいだ。オレたちがこの映画のことを知っているから、面白いのだろうと過大な期待をして観ていたのだろう。

「せめてワニならよかったんだがなあ―― 怪獣だもんなあ」

 オレがとぼけた口調でいうと、ますます興奮しだした。

「ワニだろうとカニだろうと、ボーイミーツガールの胸キュン青春ものだと思って観てたら、どこからあんな動物が出てくるわけ?」

 ウマが他人ごとのように付けくわえる。

「しかも、女のコの方は怪獣の餌食になってたという…」

「どこが面白いのよ。アタシ、トラウマになるわ」

「でも、あの曲いいだろ?」

 オレは映画を面白いといった憶えはない。あくまで、劇中にかかる〝ウミユリ〟の挿入歌が好きだといっただけだ。

「あの曲聴くと映画を思い出しそう」

 こういうときにかぎってアヤは現れなかった。

 ポテチが「おかわりシスターズ」のテーブルから戻ってきてきく。

「決まった?」

 オレたちは顔を見合わせた。

「なにが?」

「海にいく話だよ」

「いくんだろ、なあ?」と、オレはカエデを見た。

 カエデは思い出したように、手を叩いた。

「そうか。アタシたちは先に向こうの施設にいってるから、キミたちは泊ってるホテルにきてよ」

「ホテルに泊まるの? 豪勢だな」

「だって、しょうがないじゃない。アヤと二人だけなら施設に前ノリで泊めてもらうって手もあるけど、ツレがいるんだから」

 そうだ、カエデのオネエチャンとその友だちがくるといっていたな。

「宿泊代とかも出るの?」とウマ。

「出るわけないでしょ。お礼も含めたお車代がスズメの涙程度。だいたい、ボランティアは手弁当って相場が決まってるんだから、自腹のビジネスホテル」

「好きなんだな、キミたちは」

 好きじゃないとできないが、できるだけの経済的背景があるからなのだろう。オレには好きでもできない。だから、夏休みも惜しんでバイトに精を出すのだ。

「ということはだよ」と、ウマはオレたちを見回す。

「往きは四人で帰りは八人ということになるな」

「クルマ二台で往かなければな。オレの軽ワゴンとウマのクルマを出すようだろ?」

 ウマが「OK」と手ぶりで返事をすると、「オレはバイクでいく」とポテチはいう。

「ユウヒがタンデムすれば、クルマ一台で済む」

 なるほど、六人ならワゴンの後部をフラットにすれば、うしろに四人はなんとか乗れる。そうなると運転手は自動的に、バイトでオレのワゴンを使いなれているウマということになる。

 彼は眉間に縦ジワを寄せた。

「配達のワゴンだろ? アレに六人乗るの?」

「なんだよ。不潔だとでもいいたいのか?」

「不潔だし、定員オーバーだ。原付より遅くならないか?」

「重量は仕方ないけど、ほとんど自動運転の高速道路だぞ」

「エアコンもろくに効かないし、うしろは乗り心地も悪い」

「床にカラオケ大会やったところみたいな毛皮でも敷けっていうのか? 夏だぞ」

 オレとウマが口角泡飛ばしあっていると、カエデが割って入った。

「いいよ、アタシたち電車で帰るから」

「まて、まて」と、さらにポテチが口を出す。

「せっかく一緒に遊びにいくんだから、帰りは別々なんてつまらないじゃないか」

「じゃあ、どうするんだよ。タンデムしようっていったのはオマエだぞ」

 今度は矛先がポテチに向いた。すると彼は拝むような手つきでいうのだ。

「肝心なことをいい忘れてた。往きはタンデムなんだけど、帰りはそういうわけにいかないのを忘れてた」

「?」

「わるいけどオレ、当日は現地から実家に帰るつもりなんだよ」

「実家って、愛知県だろ?」とウマ。

「伊豆の海で遊んで、そのアシで愛知県まで帰るの?」

 ポテチなら、そのくらいのことはやるだろうと思えた。たしか彼は、八月には実家に帰るといっていたし。

「じゃあ、やっぱり二台だ。いくらなんでも満員電車じゃあるまいし、荷台に五人は無理だ」

 ウマは満足そうな顔になった。ウマ自慢の自家用車が出動することになれば、オレのワゴンに乗りたがるヤツはいないだろう。


 ――なにしろオシャレなセダンだからな。


 癪に障ったが、同時に気づいたこともあった。

「するとバイトはそれまでってことか… 」

 急に、なんだか心細くなった。ポテチの能力には正直、驚かされていたのだ。本来なら、オレ独りでヒイヒイいいながらやっていただろう仕事をものともせずに片づけてくれていた。ポテチがいなければ繁忙期をこんなに楽しく過ごせなかった。

「楽なバイトも、あと二週間か… 」

 見た目にも気落ちしていたオレの肩をウマが叩くのだ。

「心配するな。オレは最後までつき合ってやるから。でも、土、日は休むよ。ポテチがまだいるからいいだろ?」

「オマエが頼りになるなら、オレはこんなにがっかりしないよ」

「なに!」

 またヘンな具合になりそうで、カエデとポテチが鼻息の荒いウマを「どう、どう」と宥めてくれた。


 翌土、日曜は、ウマが優雅に休みだった。だが、もう夏期補習は終わった。ホントなら、またオレ一人で百件ちかい配達をやるところなのだ。稼ぎが減るとはいえ、ストイックな夏の肉体労働にくらべれば、アシスタントがいることで精神的にだいぶ楽だった。

 こうして前向きに物事をとらえようとしているときにかぎって、思いもよらないヘンな仕事をさせられるものだ。  

 実は昨日、オレは特別な仕事を頼まれた。なんでも市役所の仕事で、健康保険を昨年一年間使わない人に軒並み配られるものがあるのだそうだ。これは通常業務とちがうので、市内全域を回らなければならない。これも結構な数があったが、モノが小さな箱だったから全部積めた。

 通常業務がないわけではない。新規のモノは隣接する区域の担当や社員に振り分けられたのだが、担当区域の残っていた未配達や再配達のモノは持っていかなければならない。

 とりあえず、この分はオレがやることにして、ポテチに先に市役所の分を持っていってもらった。いくらモノが小さいといっても、ポテチはバイクだ。でも彼は持てるだけ持っていくという。

 これがウマなら心配でしかないのだが、ポテチの背中は安心して見送ることができる。

「ポテチ、これは手渡しが原則なんだよ。だから、いないウチには留守伝票(ルスデン)を入れてきて、置き配はダメなんだ」

「そうなの? 効率悪いな」

「理由をきいたわけじゃないからわからないんだけど、一回目は手渡しできなければルスデンで、二回目以降は連絡があった客の指示に従う。そのときは置き配でも宅配ボックスでもいいって」

「一回目は、いない場合必ず持ち帰るってことだな」

「そういうことだけど、オレたちはこれ専門だから」

「じゃあ楽な仕事だ。モノもコンパクトだし」

「量があるから一発で終わることはないだろうけど、のんびり一回りすればいいよ」

「よくこんな楽な仕事を回してくれたな?」

「いや、ホントのところをいうと、やりたがる人がいないらしいんだよ」

 とたんにポテチは表情が変わった。

「えっ、なんで―― なんかあるんじゃないの?」

 オレは苦笑いで頷いた。

「一個当たりの単価が安いらしいんだ。市役所の仕事だからな」

「ははあ、そのうえシバリもあるしな。でも数があるから悪くないんじゃないの?」

「しかも、この仕事には期限があるんだよ。八月いっぱいで終わらせてくれって」

「注文が多いんだな。バイトだから甘く見てるんじゃないのか?」

「断ろうと思えば断れたんだけど、例の荷物破損の一件があるから、あまり無碍にできなかった」

 するとポテチは健康的な真っ白い歯を見せて「大丈夫、オレがいるうちに終わらせちゃおう」といって出ていった。

 こんな心強いヤツがいればウマなどは必要ないのだが、なにしろ量をこなさなければならない。いまは一人でも多い方が助かるのだ。

 ところが、昼にポテチと落ち合ってみると、彼はいままで見たことないような険しい表情をしていた。学食のテーブルに座るなりいうのだ。

「ユウヒ、あれってなんなの?」

「モノはなにかきいてないけど、どうしたんだよ。なんか疲れた顔してるけど?」

「疲れもするよ」

 ポテチがいうには、とりあえず午前中に回れるだけ回って、たったの二件しか手渡しできなかったらしい。

「川べりに学生向けのマンションが何棟かあるだろ? あそこに二十件もあってさ、全部留守なんだよ。夏休みだぜ。帰省してるとしても一件くらい居てよさそうなものじゃないか」

「二十件あって一件も居ないの?」

「しかもルスデン書いてて気づいたんだけど、そのほとんどが日本人じゃないみたいなんだ。漢字二文字とか三文字の名まえで、それが当用漢字とは思えない字ばっかり… 」

「ほかのも?」

「いや、そこだけ。でも、ほかのところもマンションどころか古びたアパートばかりでさ。住んでる人がいるのかって」

「でも、ルスデン入れてきたんだろ?」

「入れてきた。どこもポストらしきものはあったからさ」

「ポテチ、ムダ足になるけど、今日回れるだけ回ってくれよ。二回目からは連絡があったところだけ回ればいいから。市役所の仕事だから、そんな怪しいモノじゃないと思うけど… 」

「時間のムダとしか思えないけど、しかたがないな。まるでルスデン書くために回ってるみたいだ」

 オレは彼の出がけにルスデンの綴りを二、三冊渡した。これがウマなら、もういいたい放題だろう。

 その日、ポテチの成果は十件に満たなかった。

 

 翌日、オレの方が一区切りついたので、市役所の仕事に参加した。

「ポテチがまる一日で十件に満たないということは、ウマなら一件もやれないかもしれないな」

 ポテチは鼻で笑いながら「ユウヒも回ってみればわかるよ」という。

 とりあえずポテチはクルマでは狭くて入りづらいところばかりの大学周辺を回ってもらうことにして、オレはわりと平坦な市街地を回ることにした。

 ポテチは昨日のまま、出ていった。荷がはけてないので、積み替えなど一切する必要がなかったのだ。

 実際、回ってみてポテチのいうことがよく理解できた。

 いく先々は大方がアパートだった。畑の隅や公園緑地の森の陰などに建っている。どれも昭和の遺物としか思えないような古さなのだ。表の壁はモルタルが剥がれて網目がむき出し。そこに鬱蒼とした蔦が絡んでいるところもあった。柱がまるで朽ちている。おそらく何年も掃除をしたことが無いのだろう。ほぼ、廃墟といってもいいくらいだ。どう考えても、こんなところに人が住んでいるとは考えられない。

 当然インターフォンなど付いてないから、ドアをノックするのだが、軋みがひどくて居る気配すらしない。ところが不思議なことに、どのアパートにもポストらしきものがあった。ルスデンが入れられるだけでも、ありがたかった。

 その日は回ったところ、すべてで留守だった。ポテチの十件に満たない成果はバカにできない。

 オレはむしろ安堵していたかもしれない。こんな廃墟からどんな化け物が出てくるか、わからないではないか。できればノックもなしでルスデンを入れて帰りたいと思うような物件もあった。

 オレは途方に暮れた。これなら八月いっぱいは十分にかかる。その間、ずっとこんな緊張を強いられるのだ。

 でも、こんな肝試しみたいなバイトをやっているのはオレだけではない。ポテチだって今日も昨日も悪夢と思いながらやっていたにちがいないのだ。できれば、ホントにポテチがいるうちに終わらせたかった。


 月曜日にはウマも参加した。三手に分かれていけば、いくら空虚で無意味な仕事でも数だけはこなせる。オレは、なにしろ早く一巡させたかった。

 まず、ウマにもポテチとおなじ説明をした。

「オレたちですら件数をこなせないんだから、とてもオマエに期待できないが、できるだけたくさんルスデンを書いてくれ。あとが楽になる」

 ウマはきょとんとした顔できく。

「どういうこと? いってもムダなの?」

「ほぼ… 」

「どんな仕事だよ。それじゃあ、やりたがるヤツがいないに決まってる。なんで、そんなのを引き受けてきたんだ!」

 思わず「オマエのせいだ」といいそうになったが、見かねたポテチが間に入ってくれた。

「断れない事情があるんだよ、黙ってやれ!」

 凄みをきかせた物言いでどやしつけると、すぐにウマは怯んだ。

「わかった、わかった。やるよ、やりますよ、やればいいんでしょ?」

「最初からそういう素直さがないと、社会に出ても嫌われ者になるぞ」

「よけいなお世話だよ… 」

 普段からオレがいいたかったことをみんなポテチがいってくれた。

 その間にオレは倉庫から自転車(チャリ)を引っぱり出しながらいった。

「やれば、わかる。途中で挫けるなよ」

「ラグビー部の合宿じゃないんだから―― だいたい、そのチャリをどうするんだよ?」

 ウマが怪訝な顔をするのでフォーメイションを説明した。

「ポテチは昨日の続きを頼む」

 彼は無言で親指を立てた。

「ウマはクルマで、この伝票どおりに配達してくれ。オレはチャリで、このへんのクルマが入れそうもないところを回るから」

「みんなバラバラになるの?」と困惑するウマ。

「二人でいっても、しかたがないところばかりなんだよ。バラバラの方が効率がいいだろ?」

「オレのクルマ出そうか?」とウマは気遣いを見せたが、オレは首を振った。

「オマエのクルマが、いちばんこの仕事に向いてない。そんな四畳半くらいもあるセダンが入れそうな道を通ることは、たぶんない」

「ええ… 」

「せいぜい、この軽ワゴンが精いっぱいだろうよ」

「精いっぱいって、この軽ワゴンが入れないようなところもあるってこと?」

「あるかもな」

 不安げな表情の彼にいってやった。

「オマエには立派な脚があるだろ?」

「遠くに停めて歩けって?」

「この程度のモノを運ぶだけなんだから、たまには歩け」

 ウマは荷台に山積みになった荷物を見ながら溜息をついた。

 そして、しぶしぶクルマに乗り込む彼に、出がけのポテチはいうのだ。

「オマエには立派なヒヅメのついた足があるだろ! 歩かないで走れ!」


つづく


毎週金曜日23時に更新します。

*作中の人物、団体、作品等の名称は、実在する一部を除き、特定のモデルはありません。

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