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第二章 ワンスアポンアサマータイム ②

第二章①

オレとポテチの夏期英語補習が始まった。同時にウマを加えた三人でのバイトが午後からのルーチンになった――

 翌日は経済学科の出席順のトップであるオレに順番が回ってきた。読むだけならオレは得意だと思っていたら、蔦葉から意外な質問をされた。

「秋野、このテキストの最初を見てくれ」


《A long time ago…》


「これはなんと訳したっけ?」

「昔々…」

 この程度ならいつでも答えられる。

「ほかにも言い方があるんだが?」

「ずっとまえ、とかですか?」

「英語の言い方がほかにある」

「英語?」

「映画のタイトルに使われたことがあるんだけどな」

「…?」

「アメリカとか、ハリウッドとかさ」と呟くようにいって蔦葉は微笑する。

「アメリカ? ハリウッド?」

 オレは自慢じゃないが、祖父の影響で古い映画には詳しいと思っていた。しかし、そんなタイトルの映画があったか?と頭を巡らした。

「『アメリカングラフィティ』…じゃないですよね」

「『ハリウッドグラフィティ』なんてタイトルがあるか?」

 そこで思いついた。両方に共通したタイトルといえば――

「ワンスアポンアタイム!」

「はい、正解! おい、みんな拍手しろ」

 クラス中が拍手喝采になった。オレは得意だったが、そのとき初めてそれらのタイトルの意味がわかった。「ワンスアポンアタイム」とは「昔々」という意味だったのか、と。

「これは英語の決まり文句で、つまり『ワンスアポンアタイムインアメリカ』とは、昔々アメリカで…という意味になるな」

 蔦葉の解説をうわの空でオレは思い出していた。

『ワンスアポンアタイムインアメリカ』は、オレのけっこう好きな映画だった。尺は長いが、アメリカの禁酒法時代を舞台にした、引き込まれるようなノワールだった。

 ふと我に返ると、蔦葉が重要なことをいっているのに気づいた。

「週末には中間考査をやる予定だが、この決まり文句を使った英作文をつくってもらうからな。考えておけよ」

 楽しく気楽な補習授業だと思っていたら、やっぱりそれだけでは済まなかった。

 休憩時間になると、いつものようにポテチがこっちへやってきて「中間考査なんてあるのか」とさえない顔でいう。オレがウマに連絡をとるつもりで席を立つと、腕を掴んでいうのだ。

「頼りにしてるぜ、アニキ」

「エッ」と思った。どうやらポテチは、こんなときのためにアテになりそうなヤツにツルむつもりだったようなのだ。

「なにが独りじゃ心細いだ、要領がよすぎるぞ」

 ウマとは連絡が取れずに戻ってくると、教育学科の領域に座っていた一人の女のコが待っていたようにこっちにくるのがわかった。どうせ、またポテチ目当てだろうと思い、あまり意識もしないでいたが、よく見れば知った顔だった。

「あっ! ああーーー!?」

 思わずオレは彼女を指さした。そのコは紛れもなく、オレにほほ笑んでいた。

「いたの? ぜんぜん気がつかなかった」

 オレの中学時代のクラスメイトだった〝照山(てるやま)(かえで)〟なのだ。色白で〝ベティブープ〟みたいな巻き毛は、あのころのままだった。ただ、ちょっとふくよかになったか。

「アタシも今日、秋野クンが指されるまでわからなかったのよ」

「おなじ大学だっていうのは、だれかからきいて知ってたけど、会わなかったな」

 昨日も今日も出席はとったが、まさか同級生がいるとは思っていないので、お互いきき流していたのだろう。カエデは、ポテチにも臆せず話しかける。

「小芋クンのことも知ってるよ」

 ポテチは薄笑いの表情でオレたちを交互に指さす。

「知り合いなの?」

「同級生なんだよ。おなじクラスだったんだ」

「オレのことも知ってるの?」と、ポテチは自分の顔に人さし指を向ける。

「知ってるよー、だって隣の中学校にいってたでしょ?」

 カエデがいう「隣の中学」というのは、オレたちが卒業した中学の隣に建っていた別の中学という意味ではない。学区が隣ということだ。

「知らないコがいたらモグリだよ。女のコの間で、すごい人気だったんだから」

「オレ?」と照れるポテチ。どうやら近所に住んでいたのは事実らしい。

「じゃあ、自分の学校でもモテてたんだろ?」

 ポテチは「わからん」と肩をすぼめた。不思議な男だ。人間が繁殖するための需要と供給のバランスが苦労せずともとれているというのに、そんなことには無頓着といったふうなのだ。

 もっと不思議なことはカエデだ。少なくてもオレより勉強ができたはずなのに、なんでこんなところにコイツがいるのだ?

「出席日数が足りてなかったみたい」と恥ずかしそうに舌を出す。

 

 ――それじゃあ、オレが補習を受けている理由と一緒じゃないか!


「サボったってこと?」

「サークルの方に駆り出されてたのよ。一年生だったからフル回転でやってたの」

「サークルって、なにやってんの?」

「〝カラオケ研究愛好会〟」

「カラオケ?」

 オレとポテチは声をそろえて叫んだ。カエデは屈託なく笑っている。

「講義をサボってカラオケボックスにいってたの?」

 そのタイミングで蔦葉が戻ってきた。

「なにがカラオケだ。おい、やるぞ。席に着け」

 カエデがここにいる謎が解けるのは、あとのお楽しみとなった。補習が終わってからききだそうかとも思ったが、頼りにしているウマが待っているし、カエデもサークル活動があるらしく、残念ながらお楽しみはさらに先延ばしになった。


 待ち合わせの〝びっくりドンファン〟にいくと、ウマは今日も二十件前後しかこなしていなかった。

「いやあ、荷物をもらってからさあ、ポテチの分の仕分けをして、ついでにルートまで検索してたら始めるのが十時ころになっちゃって… 」

 悪びれずにいうウマを見ていると、コイツも仕事をスムーズに進めようとしているのだと思うしかなかった。

「やりたくないわけじゃないんだから仕方ないよ。でも、明日からはオレの方のルートまで検索しなくていいから」と、ポテチはそれとなく気遣いを見せた。

 その日も昨日と同じくらいのペースだったが、ポテチは数が少なかったのか、ずいぶん早く戻ってきた。まさか、どこかに捨ててきたのではないだろうなと、ちょっと心配になったが、そんなことをすれば中間考査がどうなるかわかっているはずだと思い直す。

 ポテチには、オレたちのルートの最後の方の分を渡してやってもらった。おかげで昨日ぐらいの時間には終わることができた。

 明日の伝票をもらって帰り、地図アプリでルートを確認して別れ際、ウマに明日は学食で落ち合おうといった。大学は配達テリトリーのなかなので、ルートにもよるが〝びっくりドンファン〟より安くメシが食えるから特にウマの抵抗はなかった。


 今日はポテチに読む順番が回った。


《The party of the invitation arrived at the station… 》


 ポテチはわざとそう読んでいるのかと思うほど、ヘンなイントネーションで発音していた。《invitation》や《station》を「インビタシオン」とか「スタシオン」などと、まるでフランス語のような読み方をするのだ。《arrived》を「アリベ」と読んだときには、さすがの蔦葉も「アライブド」と強い口調で直していた。しかし、それ以上はポテチが読み終わるまでなにもいわなかったが、「はい、そこまで」と彼を座らせてからこういった。

「ミスターは、まるでムッシュみたいな読み方をするな」

「ミスター」とは「ミスターポテチ」のことだ。オレだけでなく、蔦葉をはじめこの教室にいる大半がそう感じていたらしく、どっと沸いた。当の本人もどこ吹く風で、みんなと一緒に笑っているのだ。不敵なヤツだ。

 休憩時間になると、ポテチとカエデがやってきた。オレたちはさっそく、昨日の続きをカエデにききだした。

「カラオケ研究愛好会って、なにをするサークルなんだよ?」

 サークル名どおりならばカラオケを研究する会なのだろうが、そんなサークルに入ってまでカラオケがしたいのか?

「カラオケの研究とは名ばかりでウチのサークルの活動は、ほとんどが高齢者の施設でレクリエーションをやることなの」

「カラオケのレクリエーション?」

「そう。利用者さんたちにカラオケをやってもらったり、アタシたちが歌って楽しませたりするの。もう、大喜びなんだから」

「へえ。それを去年はフル回転でやったの?」

「ほら、アタシたちはボランティアでやってるわけじゃない? カラオケボックスとちがって料金が発生するわけじゃなし、施設としてもレクリエーションを担当する職員の手が省けるので、あちこちからお呼びがかかるのよ。あまり無碍には断れないからって、去年は一年生がフル回転で施設を回ったってわけ」

 カエデは教育学科の領域の、ある一帯を指さして教えてくれた。

「あそこにいるのがカラオケ研究愛好会の面々… 」

 すると、そこに集まっていた数人の女のコたちが、こっちにそれぞれアピールするのだ。ウィンクする者、親指を突き上げる者、手を振る者… 

 オレが見るかぎり、彼女たちの全員がポテチにアピールしているようだった。オレはポテチの腰を押して、「オマエは向こうで、少し彼女たちの話をきいてやった方がいいと思う」といってやった。

「どんな話を?」と、ポテチはキョトンとした。

「なにをどうしたいのか、きいてこい」

 にやけた顔のポテチの背中を見送りながら、オレはカエデにきくのだ。

「あのコたちはみんな、カラオケ研究愛好会なんだろ?」

 カエデ自身もポテチのことが気になるらしく、あっちを向いたまま頷く。

「するとカラオケ研究愛好会の一年生は、毎年この補習を受けてるってことになるな」

「なるべく単位を落とさないように、うまく調整してるつもりなんだけどね」

「単位を落とさないで済むヤツもいるんだ?」

 カエデは見降ろして「いるよー、そりゃあ」と、もっともらしい表情になった。

「今日も午後からサークルやるの?」

「うん」

「昼メシは?」

「食べるよ」

 素っ気なくいう。

「そりゃ、そうだろうよ。どこで喰うのかってきいたの!」

「今日はお弁当持ってこなかったから学食かな」

 そこへ蔦葉が戻ってきたので、カエデは席に帰った。


 補習を終えてカラオケ研究愛好会の連中と一緒に学食に向かうとき、カエデはいう。

「秋野クンたちも学食にいくの?」

「バイトの打ち合わせを友だちとするんだ。ここらへんじゃあ、学食が一番手頃だろ?」

「そうだね。学内のモールは夏休みでやってないし、外のお店は体育会やサークルの人たちで占拠されてるから、人気のない学食がいいかもね」

 学食に入るとガラガラの食堂に、ぽつんとウマが退屈そうに待っていた。

「お疲れ。早かったなあ」

 ウマは気怠そうな顔で、また悪びれずにいうのだ。

「寝坊しちゃった。だから今日も、そんなにやってない」

 オレは思わず椅子に座り損ねそうになった。「オマエな…」といいかけて、ポテチの能天気な笑顔が目に入り、さらに力が脱けた。

 ポテチはこちらに関係なく、向こうに集まっているカラオケ研究愛好会の連中に愛嬌をふり撒いていた。ノンキでいいね、となにげなく向こうのテーブルを見ると、談笑しながらカエデたちが食事をしている。

 なかの数人、おなじ補習を受けているコたちが、ちらちらとポテチに視線を投げるのだ。ポテチは彼女たちの期待に応えているのだろう。まるでアイドルだ。いってみれば、オレとウマはポテチのバーターみたいなものか。

 カエデは、あまりこっちを見ようともしなかったが、彼女と喋っている髪の長いコに視線が釘づけになった。目立つほどの美人とはいえないが、黒目勝ちの瞳と官能的な唇がなんともいいバランスだ。補習に出ているコではなかった。オレにとって、こんなお淑やかなコを初めて見たと思った瞬間だった。

 しばらく、ぼーっと見ているとウマがいうのだ。

「ユウヒ、オマエはメシ喰いながらヨダレ垂らすのか?」

 我に返ると、目の前のふたりがヘンな笑い方をしている。ポテチがウマに、なにかよけいな知恵をつけたらしい。

「バカいえ… 」

 しかし的を射られた焦りから、そのあとを続けることができなかった。すると、ポテチはこう提案した。

「そうだ。補習が終わったら、どこかに遊びにいこうよ」

「補習が終わったって、バイトがあるだろ?」

「一日ぐらい休めるだろ? 彼女たち、誘って」

 そうきいた途端にウマの目が輝きだした。こんな生き生きとしたウマを見たのは、ひょっとして初めてかもしれない。今日は初めて見るものづくしだ。

「そうだよ。いこう、いこう!」

 そりゃあ、夏休みなのだから一日ぐらい遊びたい気持ちはあるけれど、この繁忙期のさなかに休暇をくれとはなかなかいえないじゃないか。

 急に気が重くなってきたのに、ポテチはとっととカエデたちの席にいっている。フットワークと社交性だけは、ひと一倍優れている。

 オレが頭を抱えていると「こんにちはー」といって、カエデがやってきた。あの素敵な彼女は向こうのテーブルでこっちを見ている。

「秋野クン、中間考査が終わった日にカラオケいこうよ」

 ポテチの席に座ったカエデは、そう提案してきた。

「そういう話になったの?」

「だって、アタシたちも予定が詰まってるしさあ。補習が終われば、あそこにいる彼女たちの大半が実家に帰っちゃって、施設まわりをアタシたち数人がやらなきゃいけなくなるじゃん?」

「一年生がいるだろ?」

「今年は不作でさあ」とカエデは考え込むようなしぐさをする。

「そうか…」と、オレはあからさまに残念そうな顔をしたつもりだった。

 内心では――

 よかった、これで休まなくて済む。カラオケなら、どうせリモートだろうから、翌日のルート探しをしながらでも参加できる――とタカをくくった。

「だからさ、七月の終わりころにしない?」

「えっ、まだどこかにいくの?」

 カエデは、キューピーちゃんのような瞳を大きく見開いて驚いたようにいう。

「いくの、とはなによ。誘ってきたのはアンタたちでしょ?」

 オレは慌てた。ポテチとウマが勝手に考えたことだ、なんていえるはずがない。

「わかった、いく。でも、なんで七月の終わりころなんだよ。補習が終わったら、人手が足りなくなるんだろ?」

「ちょうど、そのころに西伊豆の施設に慰問にいく予定があるの。そのついでよ」

 七月の終わりころなら、なんとかなるかもしれないとオレは思った。

「だから、いけるのはアタシとアヤだけだよ」

「アヤ…? どのコ?」

 カエデが指さす方向には談笑するポテチたちの姿があった。その輪から独りだけ外れてこっちを見ているコがいた。()()()だった。

「あのコ、アヤっていうの?」

 カエデは頷いて、「松尾(まつお)(あや)」と名前を教えてくれた。

 

 ――なんだ、彼女とカエデだけならいいじゃないか!


 突然いく気満々になった。

 するとウマが、またよけいな口出しをするのだ。

「こっちは四人だから、あと二人くらい連れてきなよ」

 オレは、また椅子からずり落ちそうになった。

「四人? あとだれだよ?」

「エルザも連れていこうぜ。独りだけ置き去りは可哀そうだよ」

「エルザか… 」

 ポテチが現れるまえは、いつもこの三人でツルんでいたのだ。彼だけ除け者にするわけには、やはりいかない。

「エルザ?」

 その名前をきいた途端、カエデは怪訝な表情をした。眉間に縦ジワが立っている。

「女のコ? 日本人?」

 ウマは俯いて笑い出した。誤解を解かなければいけない。

山野(やまの)って仲のいいヤツがいるんだよ」

「ヤマノ? 〝山野エルザ〟? モデルの?」

「山野エルザとおなじ苗字だから、エルザって呼ばれてるんだ。男だよ」

「なあんだ」

 意外と薄い反応だった。

「あと二人かあ… みんな、もう予定が入っちゃってるしねえ…」と思案顔のカエデだったが、そこに戻ってきたポテチがこういった。

「二人じゃ寂しいだろ、オネエチャンとかいないの?」

 するとカエデは目を見開いていうのだ。

「そうだ、オネエチャンがいた! 連れてきてもいい? なんで姉がいるってわかったの、ポテチクン?」

 ポテチはしたり顔で「女きょうだいがいそうな顔してるからさ」と占い師みたいなことをいう。

 オレは、これも初めてきいた。

「カエデのオネエチャン? オネエチャンなんていたの?」

「うん。二つ上なんだけど」

「美人ならいいよ」と、またウマのよけいな一言。

 オレはウマの脇腹をド突いて、「冗談、冗談…」とつくり笑顔で繕った。

 ポテチはさらに「だったら、オネエチャンの友だちと一緒に」と勝手に決めている。

 カエデはおかしそうに口もとを手で覆って、「じゃ、オネエチャンにきいておくね」と自分のテーブルに戻っていった。

 ポテチは「カラオケには、あの四人も参加するから」といって、カエデと一緒に補習を受けている連中を指さす。

「左からランチャン、スーチャン、ミキチャンっていうんだ。もうひとりはアヤチャン」

「オマエは、ノンキでいいよ」と、オレは呆れた。

 今日もこれから重労働が待っているのだ。だが、オレの気分は高揚していた。ひとつ楽しみな目当てができたのだ。


つづく






毎週金曜日23時に更新します。

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