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第二章 ワンスアポンアサマータイム ①

第一章

オレは英語の夏季補習を受けることになり、それがきっかけで小芋という男に出会った。そのせいで、その間のバイトを〝ウマ〟に頼むことになる。


 夏休み最初の月曜の朝、心配していたが時間どおり小芋は迎えにきた。朝からもの凄い眩しさだった。

 初めて見たときは暗かったし、バイトの仕込みの最中だったので、ろくに注意していなかったが、小芋のバイクは改めて見るとカッコよかった。メタルグレーのタンクにはメーカーのロゴがエンボスに浮き上がっている、ロードタイプのシンプルなシルエットだ。こういうのなら乗ってみたいと思えたが、そんな余裕はオレにはない。

 夏の朝の風を切って爽快だった。住宅街の長い日陰のなかを小芋のバイクにタンデムしながら、ウマはちゃんと荷物をもらいにいってくれただろうかと考えていた。

 オレたちの大学は自宅から南に数キロ下った丘陵地のてっぺんにあった。バイクなら、ものの二十分で着く。東京近郊とは思えないほど、キャンパスから見下ろす下界は繁みの合間に住宅の屋根が見え隠れしているといった長閑な風景が望めた。交通量の少ない大通りを下れば、都下多摩地区を南北に走るモノレールと東西に走る私鉄のターミナルに出る。そこからさらに丘を上るのだ。

 都内にくらべれば環境はこれ以上ないくらいいいはずだが、オレにとって交通の便はいいとはいえなかった。おなじ市内なのに自宅から私鉄に出るためにはJRを大迂回して乗り継ぎ、また戻ってくるという物理的な不便さと、もっと手ごろなモノレールは私鉄の三倍くらいの運賃という経済的な不便さだった。どう考えてもクルマに限る。バイクならベストだ。

 午前の陽ざしが芝の緑をキラキラ輝かせたキャンパスに、ほぼ時間ぴったりに着いて補習授業の教室に入ると、場所をまちがえたかと思うほど女のコがいっぱいいた。知った顔のヤツがいたのできいてみたら、なんとオレたちの経済学科だけでなく、教育学科と合同の補習らしいことがわかった。

 教育学科といえば、男ばかりで殺風景な経済学科とちがい女の園みたいなところだ。夏休みの最初から憂鬱な気分で過ごさなければいけないかと思っていたが、逆の展開になりそうだった。

 席次は決まっており、五十人ほど入れる教室の前半分が教育学科、後ろ半分が経済学科に分かれていた。オレと小芋の席は教室の端と端で離れていた。オレは経済学科の先頭らしく、教育学科との境界をあけるためか、前一列に座る者はいないようだった。

 そこに小芋が座って喋っていたら、担当の講師らしい若い背広姿の男が入ってきた。教育学科の女のコたちが少しざわついている。小芋は自分の席に戻った。

 講師は「二週間の補習を担当する〝(つた)()〟だ」と自己紹介した。また、女のコたちがざわついた。なんだろう、有名な講師なのか?と思った。

 色黒で長めの髪をきちんと整えている。齢のころなら三十代半ばから四十代くらいか。大昔に流行った青春ドラマに登場する熱血教師のイメージがある。見方によれば、甘い声で女性を誘惑するレディキラーにも見える。

「蔦葉」という珍しい名まえは女性シンガーの〝(つた)()永遠(とわ)〟とおなじ字を書くのだろうか、などと考えていたとき、ふと気づいた。


 ――もしかしたら蔦葉永遠の兄妹か、なにかなのか? それで女のコたちがざわつくのか?

 

 そう考えると、どことなく目もとが似ているような気がしないでもない… 

 似ていないといわれれば、そうとも思える… 

 どっちにしろ、オレにはどうでもよいことだった。

 教卓に立った講師は出席をとり始めた。

「アオバクルミ… アサキユメミ… イシナガキクヨ… ウメダカゲツ… 」

 教育学科からのようだ。経済学科まで、ひととおり呼び終えると「呼ばれてない者はいるか」と顔をあげる。

「オーイ、オーイ」

 見れば、小芋が手を振っている。蔦葉講師が気づいたようだ。

「どうした?」

「呼ばれてません」

「ボク」というように自分を指さしている。

「キミはだれだ?」

「ボクです」

「ボクはわかってるよ。名まえをきいてる」

「小芋サンです」

 教室内がどっと沸いた。

「小芋…これはなんと読むんだ? ウスイ?」

 蔦葉は出席簿を凝視して、きいた。

「碓氷峠のウスイだろ?」

「そうです」

「へえ… 個性的な名まえが多いから、オレも憶えるのに苦労するんだよ」

 そうして不意に壁のボードにマーカーで書きだした。

《Usui Koimo》

「小芋碓氷は一般的な英語表記ではこうなるな」

 自分の目のまえに座る女子にこれを読ませた。彼女は「ウスイコイモ」と読む。続けて「ウスイコイモといえば?」と隣のコに尋ねた。そのコは少し考えて「ポテトチップス」と答える。教室がまた沸いた。

「キミのことは〝ミスターポテトチップス〟と憶えよう」

 これをきっかけに小芋は、その甘いマスクも手伝って人気者になった。それ以来、彼は「ポテトチップス=〝ポテチ〟」と呼ばれることになるのだ。

 そして、蔦葉も今度はボードに自分の名まえを書く。

《蔦葉悠久》

「これでツタハハルヒサと読ませるんだ。今日から二週間だけのつき合いだが、これもなにかの縁だから名まえくらい憶えといてくれ」

 蔦葉は気安さをアピールしたのかもしれない。

「ごらんの通り、このクラスは教育学科と経済学科という学部を超えたハイブリッドの補習授業となる。理由は簡単だ。ウツワに合った人数の組み合わせ、はやい話が人数合わせだな。それ以外の意味はなにも無い」

 教室は妙に和やかな空気に包まれた。

「この補習で単位をとれない場合は自動的に三年生に上がれなくなる。四年で卒業できなくなるってことだ。英語の単位を落としたくらいで留年なんてバカらしいだろ?」

 蔦葉は教室内を、ぐるっと見回した。なんだか視線を合わせるのが恥ずかしくなって、思わず俯いてしまう。

「心配するな。オレがこのクラスは全員すくい上げてやる。そのかわり一日も休むなよ」

 当たり前のことをいっているだけなのに、妙に説得力があった。この講師は、やはり熱血型なのだろうか、と思わせるのだ。

「モニターを立ち上げて、そこにある《夏期補習》のファイルを開いてください」

 蔦葉はいう。どうやら補習の始まりらしい。これから昼までの約四時間、このモニターのまえに拘束されるのかと思うと気が遠くなりそうだった。それが二週間続くのだ。

 ドキュメントを開けば、朝から眠くなるような横書きの英文がびっしりと並んでいる。蔦葉はそれを流暢な英語で読みだした。

「A long time ago, in a galaxy far, far away・・・」

 ひと段落読み終えると「この補習では、これをテキストで使うからな」といった。なんでも、けっこう有名なファンタジーらしい。いわれてみればどこかできいたことがある。

「昔々、遥か彼方の銀河系で…」と今度は訳しだした。

 一斉に目のまえの女子たちは机にうずくまるようにした。メモしているのだ。しまった、オレもやらなければ、と慌てて自分のタブレットを開く。

 ときどき解説を入れることはあるにせよ、ほとんど読んでは訳すという繰り返しに、けっこう忙しなかった。時間はあっという間に過ぎた。

 一時間半も経ったころ、二十分の休憩をとるといって、蔦葉は教室を出ていった。さっそく小芋=ポテチがオレの隣にくる。

「きいた?」

「?」

「あの講師、蔦葉永遠の兄貴らしいぜ」

「歌手の? やっぱりそうか」

「知ってたの?」

「いや、あの講師が現れたときから教育学科の女のコたちの様子がヘンだったからさ」

 そういって教育学科の領域を見ると、何人かの女のコがこっちを見ている。ポテチに視線を集めているのだ。

「ポテチ、まえの女のコたちがオマエと喋りたそうにしてるぜ」と指さすと、彼は鼻で笑っていうのだ。

「さっき、あのコたちから蔦葉のことをきいたんだ」

「もっと、きき出せよ。オレはちょっとモバイルをかけてくる」と教室を抜け出した。ウマのことが気にかかっていた。

 廊下に出てウマに連絡を取ったが、出なかった。手が離せないのかもしれない。なにしろ、夕べ見た伝票の件数は百五十件を超えていた。オレでも一日では回りきれない量だ。

 チャットのアプリで昼に落ちあう場所を指定した。補習が始まってしまえばモバイルをOFFにしなければならない。

 教室に戻ると、オレの席のまわりでポテチが女のコたちと談笑していた。最初にオレと会ったときに「独りじゃ心細い」なんていっていたが、だれよりも社交的な人間じゃないか。

 しかし、ポテチを取り囲んでいるのは、いずれも自分の趣味には合わないコたちばかりだというのに気づいた。もうちょっと気の利いたクールなコが一人くらいいてもよさそうなものなのに、と思うのだ。

「所詮、ウチの学校じゃ高望みはできないよ」とポテチはあとでこぼしていた。そんなことを彼女たちのまえでは、オクビにも出さないところが彼の巧みさなのかもしれない。

 休憩後、蔦葉は順番にテキストを読ませた。十行くらい読ませると、そのあとを彼が訳した。オレは概ねの算段を立てて、今日は自分に回ってきそうもないと踏んだ。

 十一時半過ぎたころに、蔦葉は「モニターを閉じて」といった。

「なにか質問はあるか?」といって教室内を見回す。

 ポテチがうしろのヤツとなにか喋っているのを目ざとく見つけた蔦葉は「ミスターポテチ」と呼ぶ。

「なんだ、なにかききたいことがあるのか?」

 ポテチは手を振って「いや、いいんです」と慌てたように応える。

「なんだよ、いってみろよ。なんでもきけよ」

 蔦葉は質問しやすい雰囲気を出したかったのかもしれない。

「ききたいことがあればオレにきけ。なにを喋ってたんだよ」

 あるいは終了直前の弛緩しそうな空気を締めようとしたのか。するとポテチはいった。

「先生は蔦葉永遠のお兄さんじゃないかって… 」

「そんなこと、いま関係ないだろ!」

 教室内が、またひと際沸いた。蔦葉は唯一、こたえられない質問を引き出してしまったようだった。その日は、そんな和やかななかで終わった。

 バイクを停めた場所に向かうみちみち、「どこかでメシ喰おうぜ」とポテチはいう。

「じゃあ、〝びっくりドンファン〟にいこう。そこでウマと待ち合わせしてるんだ」

 オレは果たしてウマがどのくらいやってくれたのか、気にかかっていた。三、四十件は片付いているだろうな、と思っていた。

 待ち合わせたファミレスに着いたとき、ウマはとっくにきていた。

「二十件いかなかった」

「嘘だろ?」

 しかし、彼を責められない。初めてやった宅配のバイトなのだ。要領もなにもなかったろう。それにしても夜までに百件以上回らなければならない。オレは心が折れそうなのを堪えて切り替えた。

「よし、残りはオレがやる」

「いいよ、手伝うよ」とウマはいう。

「手伝うったって、クルマ一台しかないんだぜ」

「いや、けっこう近場に集中しているところがあるんだよ。マンションとかさ」

 なるほど。まとめて持っていって、ふたりで配っちゃえばいいのだ。配達担当と宅配ボックス担当に分けるってこともできる。これだけでもかなり能率は上がるはずだ。

「オレも手伝うよ」

「えっ?」

 おもむろにポテチがいうので戸惑った。そりゃ、三人でやった方が楽しいが、遊びじゃないのだ。

「バイクでやるっていうの?」

 ポテチは微笑を浮かべて頷く。まるで自信満々だ。

「小物を大きな袋にまとめて入れて、背負ってやればいい」

 そこでウマが思いついたようにいう。

「時間指定や再配達のものなんかは、バイクなら小回りがきくし速いんじゃないか」

 時間指定や、その日のうちの再配達は、せっかく前日に決めたルートから外れるのでたしかに面倒だった。

「なるほど!」

 オレはウチの倉庫に、布団を入れていたチャックのついた大きめのビニールバックがいくつもあるのを思い出した。ポテチとそれを取りに戻る間に、ウマに伝票を分けておくように指示した。

 それからオレたちは二手に分かれて出発した。ポテチは荷物を入れたバックをタンデムシートの両側にぶら下げ、あと一つをデイパックのように背負って出ていった。頼りになるヤツだ。初めて彼の心細くなる性格に感謝した。そうでなければ出会えていない。

 独りで途方もない数を黙々とやるよりは、二人の方が楽だし、気疲れもなかった。ただ、配達の状況を入力する端末が一つしかないので、逐一ポテチから入るチャットをチェックするのが面倒だったが、そんなことは苦労して独りでやることに比べれば贅沢だ。

 七時ころ、薄暮の工業団地の大きな通りを走っているときに、ルームミラーを見ていたウマが不意に笑い出した。大丈夫か、疲れているのかな、と思っていると、突然運転しているオレの側の窓からヘルメットが飛び込んできた。ポテチが顔を見せる。

「お疲れー!」

 ポテチはオレたちのクルマにバイクを並走させていた。朝と変わらない元気さだ。どれだけ体力があり余っているのか?

「終わったの?」

 ポテチは親指を突き上げた。

「少し持っていこうか?」

「いいよ。こっちも、もうちょっとだから先に帰ってろよ」

 ポテチから終わった伝票を預かると、彼はスピードを上げてみちの彼方に消えていった。

 オレとウマは配送センターに戻り、明日の伝票をもらって帰ってくると、それぞれの分担に伝票を分けてルートを決めることにした。ところが、よく考えてみたら現物を見ないことには、それがどんな大きさの荷物なのか判別できなかった。

「明日、荷物をもらってから分けておくよ」

「そうだな。そうしておいてもらえば、今日よりスムーズになる」

 ウマが気を利かせてくれたので、ついでによけいな一言も添えた。

「あと、午前中に三、四十件やっといてもらうと助かる」

「そんなにやったら、ユウヒの取り分がなくなるぞ」

 なんだか急に楽しい夏休みになったような気がした。

 これが、この年の夏休みの一日のルーチンになった。想定外だったのは、おそらくこのバイトの稼ぎは三分の一以下になるということだった。せっかく今年こそは部屋にエアコンを入れられると思っていたのに…


つづく


 

毎週金曜日23時に更新します。

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