第一章 凄いヤツがやってきた!
序章
オレは大学時代の友人に二十年ぶりに会うために東海地方の町に向かう途上、あのころのことを思い出していた――
オレの大学は自宅とおなじ東京郊外の市内にあった。ただ交通の便が悪くて、電車だと一時間以上見なければならなかった。オレは宅配のバイトをしていたこともあって、たいていはクルマでいっていたが、駐車場代がもったいなくて、よほどのことがないかぎり講義に出ないことにしていたのだ。
その日はツレから、試験まえなので出ておいた方がいいという情報が入っていた。無事に午前中の一般教養の講義が終わり、オレは午後のバイトにいくつもりで先を急いでいた。建屋のおもてに出てきたときだった。
時間を見ようとモバイルを開けば、チャットが入っていた。教務課からだった。リンクを確認するようにと書いてある。
――なんだろう?
リンクにあるのは名簿だった。そのタイトルには《英語補習受講者名簿》と書かれていた。《秋野雄飛》と、その名簿にはオレの名まえがはっきりと記されている。オレ以外にも二十数人の名まえが載っていた。
「なに、これ?」
顔をあげると、オレの肩越しに〝ウマ〟が覗いている。動物ではない。顔の長いオレのツレだ。
「英語の補習?」
面白そうな顔をして彼はいうのだ。
「一年のときの英語の単位が足りてないってことだろ? 中学生か、オマエは」
あたりを見回すとオレみたいにモバイルを見て慄然としているヤツが何人かいた。この名簿に名まえがある連中だろう。
さらに日程を見て愕然とした。夏休みに入ってすぐの二週間、午前中に受講しないといけないらしかった。
オレのバイトは七月が繁忙期なのだ。その一番忙しい、つまり稼ぎどきに、二週間も半日しかできないということになってしまう。
「何回サボったんだよ」
「三回以上だろうな。そうでなけりゃ、単位を落とすわけないもんな… 」
「面倒見のいい学校だな。留年防止策か。やっぱり就職とかに関わってくるから、なるべく当該年度に修得させたいんだろ」
ウマはわけ知り顔の他人ごとだ。それよりバイトの方が気がかりだった。午前中の分をだれかにやってもらうしかない。目のまえにいるウマに頼もうと思ったそのときだった。
「キミたちもこれ受講するの?」
リンクの画面を有名時代劇の印籠のようにかざして、そうきいてきたのは必修授業のときによく見かける顔のヤツだった。若いころの〝ポールマッカートニー〟のような顔立ちで、瞳の色まで黒じゃなかった。ちょっと日本人離れした、いかにも女のコにモテそうなナンパな感じの男だ。
顔の印象に反して体格はがっしりとして背が高く、たくしあげたTシャツの袖からのぞく腕は筋肉質だった。まるで昔からの知りあいのように、こっちを見降ろしている。
ウマや、いつも一緒の〝エルザ〟が関わり合いになりたくないといったふうに「オレたちじゃないよ」といって、オレを指さした。
「キミもこれ、受講するんだ?」
そういって画面を指さしながら、柔らかなまなざしでオレを見た。それでも妙な迫力がある、と思えた。
「キミも…?」
「も」なんていうことは「もしかしてキミもか、ポール?」といってやりたかったが、そこまで懇意ではない。にも拘わらず、いきなりドンと肩を叩いて「そうなんだ」と彼は笑った。
「一緒に受けよう。オレ、独りだと心細いからさ。いいだろ?」
まったく知らない人間に、心細いから友だちになろうと売り込んでいるってことだ。いったい、だれが心細いのやら…
その名簿で初めて彼の名まえを確認できた。
《小芋碓氷》
「これ、オレ」
画面を指さして、ひょうきんに笑っている。だから、オレも自分の名まえを指し示して「これがオレ」と教えてやった。
「ウスイって名まえなの? 昔の武芸者みたいだな」
「碓氷峠からもらったんだ。その昔、難関といわれた峠なんだそうだよ。難関を乗り越えろということかな」
「じゃ、いきなり難関だな」
「お互い、ここから難関を乗り越えるんだよ」
きけば、小芋はウチのそばで独り住まいしていることがわかった。補習の間は、毎朝オレを迎えにくるというのだ。なんだか便利そうなヤツと出会ったなと思えた。
その夜、バイトが八時過ぎに終わり、ウチでウマと補習授業期間中のバイトの段取りをしていたところに小芋から電話が入った。ウチの確認のためにこれからくるというのだ。
待っていると窓のそとにバイクの低い音が停まった。クラクションが二回鳴ったので、窓から顔を出すと横の道にミドルサイズのオーソドックスなバイクが停まっていた。小芋だった。
「上がってこいよ」
オレの部屋は二階だった。というより、オレの住んでいるところはオレの部屋以外が倉庫だったのだ。
「どこから入るの?」
網戸を開けた窓から手を伸ばして「そこのシャッターをあげて、左手にある階段を昇ってこい」と教えた。彼は、ちゃっかりバイクも倉庫に押し込んだ。そのへんに停めておけば、どんなイタズラをされるかもしれない。
「キミはここに独りで住んでるの?」
部屋に入ってくるなり小芋は、きいてきた。
「ウチのオヤジがまだ若いころ、ウチは酒屋をやっていたらしいんだ。そのときに使っていた倉庫なんだよ。いまはガレージみたいになってるけど、オレが小さいころはまだ売れ残りのお酒がいっぱい積んであった。オレは倉庫番みたいなものだ」
「この隣の白いビルがキミのウチだと思ってたから、想定外だった」
小芋はそっちの方を指さす。
「いや、オレんちはそこなんだ。メシや風呂は向こうにいくんだ」
オレがタブレットを閉じながらいうと、彼は綻ばせた表情で床に座り込んだ。
「安普請だけど、いいな。ここは」
すると、ウマがよけいなことを喋るのだ。
「自然を感じられるからな」
「?」
「暑いだろ、この部屋」
見れば道路に面した東側と北側の窓は全開になっており、初夏の湿った夜気が大量に侵入してくる。部屋の両隅に二台の送風機が、こっちを向いてぐるぐる首を回していた。
「エアコンがないんだよ」
「なるほど」と、小芋は顎をさするようにした。
「夏は暑くて、冬は寒いのか。まあ、秘密基地みたいな部屋があるだけで十分だよ。それ以上は贅沢だ。人は自然を常に感じていないといけない」
彼はもっともらしくアシストしてくれたが、ウマは追い打ちをかけるようにいい放つ。
「道をはさんで前のマンションからまる見えだし、こっちは窓を開けても母屋の壁だ。女なんか連れ込めないぞ」
もう一度、それを確認した小芋は「せめてエアコンぐらいないとな」などと突然いいだすのだ。まるで、そういうことをしたいのかと思わせた。
「そんなことしなけりゃいい」と、オレは小芋に缶コーラを差しだす。受け取った彼は「ダンケ…」といいかけて、「これは常温コーラか?」と渋い顔になった。
「なにしてたの? キミはあそこにもいたな」
小芋は初めてウマの方に顔を向けた。「あそこ」とは、小芋と出会った場所のことだ。
「こいつは、見てのとおりのウマ。高校からの友だちなんだ」
オレがフォローすると、小芋はその長い動物面の顔を見て口角を上げた。
「〝裾茂〟ってんだよ。以後、お見知りおきを」とウマ自身が自己紹介した。
「下の名まえは?」
「〝マモル〟。〝擁〟って書くんだ」
「スソモマモル――か。裾茂クンは午年なの?」
とぼけた顔で小芋がきくと、ウマは顔を赤くしていうのだ。
「生まれ年はキミたちと一緒、留年も浪人もしてません!」
「じゃ、なんでウマなの?」
オレはひと目で、その理由がわかるだろうと思っていたから「見てのとおり」といったが、小芋にはわからなかったのか。
「ウマ面だからだよ」と教えてやると、甲高い声で笑った。ウマは当然のように不愉快な顔になる。
「モラハラだ」
なおも「好きな野菜は? 好きなワク番は?」などときいたりするのだ。
「もういいだろ。そのうち蹴られるぞ」とオレが横ヤリを入れた。放っておくと小芋の悪ノリはどこまでもエスカレートしそうだったし、ウマの機嫌を損ねることになりかねなかった。
「バイトの代わりを頼んでいたところなんだから」
でも、いまのやり取りを見ているかぎり、コンビネーションはそう悪くはなさそうだった。ただ、小芋というヤツはこういうイジリをするのか、と気づかせてもくれた。
「バイトって、なにしてるの?」
「宅配」
「儲かる?」
「数をこなせばな」
「オレが代わりにやろうか?」
「・・・?」
冗談でいっているのか、とオレは彼の顔を覗きこんだ。
「アンタはオレと一緒に補習授業を受けるんでしょ?」
「そうだった!」と、まるで他人ごとのように手を叩いて笑うのだ。これも悪ノリか?
「それにオレは補習がなければ実家に帰るところだったんだ」
「小芋の実家はどこなの?」とウマ。
「オレの実家は、もともといまオレが住んでるところなんだ」
「どこに住んでるのさ?」
「ここから十五分くらいのところにあるURのマンション」
オレは驚いた。
「ああ、あそこ? すぐそばじゃないか! 夏休みじゃなくても毎日帰ってるだろ」
「高校までは、だよ」
きけば、小芋の住んでいるところはちょうど学区の境界外だったため、オレとはちがう中学にいっていたのだが、高校まではそこに住んでいたらしい。まさに奇遇としかいいようがない。
「オヤジが転勤族でね、高校のときにオレを残して家族は引っ越したんだ。夏休みになれば向こうにいくつもりだったんだけど」
「向こうって、どこ?」
「愛知県の半島なんだ。近くには世界大会も開かれたことがあるサーフィンのメッカもあるんだぜ」
「へえ」とはいったが、そこがどのへんなのかということすら想像がつかなかった。
「補習なんかリモートとか、疑似空間でやればいいのにな」
「メタフィジカルはダメだよ。ウチにスポットないもの」
「レンタルスポットがあるだろ」とすまし顔の小芋。
「二週間借りるのか?」
ウマがヘンな笑い方をしている。
「アンタだって借りるようだろうよ」といえば、小芋は「オレは実家にいけばプライベートスポットがある。VR補習なら帰れた」とシタリ顔なのだ。
「メタフィジカル」とは仮想現実空間のことだ。リモートの立体版だと思えばよい。最近では、すべての講義をこれでやっている大学もあるときく。
小芋の都合はその方がいいかもしれないが、いずれにしろオレはバイトをウマに頼むしかない。ウマはタブレットを見ながら嘲りを含んだ調子でいう。
「メタフィジカルにしないのはペナルティの意味もあるんだよ」
オレと小芋は顔を見合わせた。そういわれてもしかたがない。ウマに逆襲をされた。
つづく
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