第三章 夏の間 ③
第三章②
バイト先から任されたのは、思いもよらないヘンな仕事だった――
ポテチの話――
そこはいちおう住宅街なんだけど、昼間でも妙にひと気のないうらぶれたところで、夜なら物騒じゃないかと思えるような狭い路地だった。ブロック塀に囲まれた敷地のなかに長屋みたいな造りの住宅が二、三棟建っていて、そのなかの一軒が届け先だったんだ。例によって住んでる気配のない古びて黒ずんだ木造の日本家屋で、どの家も表札は出ていないんだけど番号が振ってあったからわかったんだ。
それで目当てのお宅を探してノックした。何回かノックしたら、なかから返事があって「なんですか」っていうから「お届け物です」って応えたら、初めてドアが開いて中年の女の人が出てきた。
伝票のあて先は男の名まえなんだけど、奥さんなのかなと思って「○○さんですね」ってたしかめたら、「ちがう」っていうんだよ。住所を確認してもらったら、「ここにまちがいないけどワタシじゃない」っていうんだ。
オレは転居したんだなと思って念のために「前に住んでた人あてだったみたいですね」っていうと、彼女はもう二年以上まえからここに住んでるっていうんだ。しかも独居だって。
去年一年間保険証を使ってないんだから、少なくとも一昨年まではいたはずだろ?
これは転居扱いにもできないし、住所が単純にまちがっているかもしれないと思って、その長屋にこういう名まえの人はいませんかってきいたら、「つき合いが無いからわからない」っていうんだよ。
それどころか彼女、突然不穏な表情になってさ。
「たびたびヘンな電話がかかってくるんですけど」とか、「心当たりのない郵便物がくる」とかいい出して、オレが市役所の職員かなにかと思ってるみたいなんだ。だから、ボクはただのアルバイトなんで、不審なことがあれば警察に相談した方がいいですよっていった。
そのひとは諦めたような顔になって「そうですね。すいません」なんていうんだ。
よく見れば、化粧っ気がなかったから年齢不詳なんだけど、ちょっとキレイなひとなんだよ。もしかしたら水商売なのかもしれない。なんだかワケアリって感じだったな。
ウマの話――
大通りの交差点の角なんだけど、そもそも交通量がそれほどある場所じゃないんで閑散としてるんだよ。届け先の家は雑木林のある角の隣だと思ってたんだけど、よく見ると雑木林を囲むようにフェンスがあって、ちゃんと門扉がついていた。木は伸び放題、草は生え放題で、もう森林状態なんだけど、そこが目的の家だったんだ!
まさか、そんな林のなかに家があるとは思えないんだけど、門扉にはインターフォンがついてるんで押したんだ。反応がないんで留守伝票かな、と思ったらポストがないんだ。
しかたないから、なかに入って玄関までいこうとしたんだけど、本来地面があるべきところが埋め尽くすほどのゴミだらけ。草茫々のなかのゴミを踏み潰しながら進んだら、正面によくわからない段ボール箱が山積みでいきつけないんだ。雑木林のなかに瓦屋根があるし壁が見えてたんで、少なくても家があるのはたしかなんだろうと思って、壁伝いに回ってみたら勝手口らしきところにいきついた。
そこがまた凄まじいことになってて、ドアが三分の一ほど開いてるんだけど、ドア前の角にやはり段ボール箱が山積みで開かないんだ。なんの箱なのかと思って見たら、なんか生ゴミみたいなのが溶けて接着剤のように全部がくっついてるんだよ。
どうしようかと思案してたら、なかからTVかラジオの音が聴こえてるんだ。これは居るなと思って、その隙間から頭をツッコんで「コンニチワ―」と声をかけた。なかの様子は天井付近の壁くらいしか見えないんだけど、そこらへんあたりまでおなじような段ボールが積んであるのがわかるんだ。
これはホンモノのゴミ屋敷だと思ったんだけど、あいかわらず放送が聴こえてるんで、もう一度まえより大きな声をかけたんだ。しばらくその状態で待ったんだけど一向に反応はない。
それどころか、ヘンに目が痛くなってきて、そのうちやっと尋常じゃない臭気が溜まっているのに気づいた。腐臭で目を開けていられないほど、家のなかの空気が酸化していたんだな。まさか、なかで死んでないだろうなと思って慌てて外に出た。
もう一度戻ってルスデンをあの腐臭漂うドアから、なかに放り込んで終わりにしようと思って、門扉の外の歩道で書いてたんだ。そうしたら、どこから出てきたのか、作業着にキャップをかぶった人が立ってたんだよ。
もしやこの家の人かと思ってきいたら、「そうだ」っていうんでサインしてもらった。
作業着が今日初めておろしたみたいにキレイで、この炎天下のもとで作業しているにしては顔色が真っ白なんだ。よく見たら、顔の上を小さなムシが這ってるんだよ。もうゾッとしちゃってさ、一回で受け取ってもらえてよかったと思った。
*
ありとあらゆるフツウじゃない配達をやり始めて一週間が経った。一日ルスデン配りをしては再配達をするというルーチンを繰り返し、やっとなんとか目安がつきそうだった。オレはこの市役所の仕事を始めてから、集配センターにいかなくなった。この荷物がはけるまで、これ専門になったからなのだ。カサが小さい荷なので最初のときに全部預かってしまったから、ポテチやウマとウチ集合、解散になった。
この大事な繁忙期にこんな稼ぎになりそうもない仕事を回されたのは、ウマのヘマのせいとばかりはいえなかったようだ。どうやら七月の頭にバカンスのための休みを申請したことがきっかけだったみたいだ。おかげで八月いっぱいまでは休もうが、なにをしようが期限内に仕事が終われば文句はないということだ。これで気兼ねなしにカエデやアヤたちと海にいける。
そしてバカンスまで、あと数日というある日。
ここのところ天気が愚図つくことが多くて、また梅雨に戻ったみたいな陽気だったのだが、その日は朝から晴れ上がった。今日は午前中から暑くなりそうだ。
オレは町の北側にある隣町との境の一級河川の近くにきていた。そのへんはけっこうな段丘で、上の方は緑地公園になっていた。届け先の家はマップのアプリで検索すると、この公園のなかにあるみたいなのだ。ちょうど段丘の立ち上がりのあたりで、クルマでもバイクすらも入れない。そこで自転車のオレに出番が回ってきた。
ウチの方からくると公園から降りるようになるのだが、とりあえずどこから降りれるのかわからなかった。マップと照らし合わせながら、みちを探した。人の手が入っていないホントの自然公園なので、この時期草が伸びまくって遊歩道のまわりは自分の背丈ほどもあるのだ。あたりの風景すら見えない。たしかにこんなところにクルマで入ってくるクレイジーはいないが、バイクでもまえが見えないからとても無理だった。
しばらく付近に目を凝らしながらチャリを押しているとケモノミチみたいな轍があるのを発見した。ここを降りてちがっていたら、チャリを押して登ってくるのは容易ではない。どうしようかと思ったが、ほかにそれらしい径が無いのだ。思い切って挑戦してみた。
けっこうな傾斜を径は、ほぼ直角に降りていく。やがて、まわりの草いきれが消えて人家の屋根が見えるようになった。急坂の途中に大きな一戸建ての家があった。径沿いに木造のフェンスがあって、そこに木戸やポストがあるのだ。
この家は傾斜地に建っている。家のなかはどうかわからないが、広い芝敷きの庭は傾いているのがわかる。表札はなかったが、家のまえの灌木の陰に人がいたので声をかけた。どうやらこの家で正解らしい。
木戸を開けて庭に足を踏み入れたら、その高齢の婦人は手を振っている。なにかいってるのだが、年寄りだからよくわからなかった。
「?」
次の瞬間、灌木の陰からものすごい速さで、なにかがこっちにくるのがわかった。芝を這うように黒い塊が甲高い声をあげながら襲ってきた。オレがわけもわからず突っ立っていると、その物体はオレの足首に噛みついたのだ!
「痛ーーっ!」
小さなイヌなのだ。しかも見た目はキュートな姿をしている。噛みつくような凶暴なイヌには見えなかった。
オバアサンは、ゆっくりこっちにきながら「ポンチャン、ダメよ」と穏やかにいう。しかしイヌはオレの足首をがっちり咥えたまま、離そうともしない。
「ポンチャン、ポンチャン… ポン!」
オバアサンの怒声にイヌはオレの足首から離れ、また灌木の陰へ猛スピードで消えていった。
「イヌがいるから、そこで待っててっていったのよ」
「すいません… 」
サインをもらって箱を渡し、ふたたび木戸を開けようとすると、一目散にこっちを目がけてくる「ポンチャン」の姿が目に入った。オレは慌てて外に出て木戸を閉めると、どうやらイヌは木戸に激突したらしい。
パトリオットミサイルみたいなヤツだ。あんなに小さくても立派に番犬の役目を果たしている。短パンでこなくてよかった。
「ポンチャン!」
また怒声が響く。
オレは面倒に巻き込まれないうちにと思い、さっさとチャリを押して退散した。
下に降りてみると幹線道路に出た。こちら側からなら、たいして離れていなかったし、場所さえわかれば上から降りてくるより簡単だったかもしれない。クルマでもバイクでも、いこうと思えばいける場所だったのだ。
ある日の仕事終わりにウマはいうのだ。
「夕べ、オフクロがどんなバイトしてるのかってきくからさ、こんな仕事を毎日してるんだって話したら、一年間保険証を使わない人に常備薬を配るのはオレの町でも昔やってたって」
ウマが住んでいるところは隣の八川市の北側に隣接する東村大和市だった。ここまでくるのにクルマで三十分くらいなのだが、八川市内が混むので朝夕は一時間ちかくかかる。ウマは集合時の遅刻の言い訳にするが、帰りは混雑を回避するためにオレの部屋で時間を潰してから帰ることが多いのだ。
「やっぱりあるんだ?」
「だけど二十年以上まえの話で、あまり評判がよくなくて、いまはやってないらしいよ」
「この町でもそうすればいいのになあ。ムダとしか思えないよなあ」
するとポテチが「だけど、この仕事はいろんな意味で社会勉強になるよ」といえば、ウマは「社会の底辺ばかりを見てるようでメンタルによくない」と反論する。
「だからさ、ああいうふうにはならないようにしようと自覚するだろ?」
ポテチの意識は高いと思う。なにごとも前向きに捉えようとしている。オレやウマは、ただただかったるいだけで、今日の仕事が終わればそれでいいとしか考えてない。まわりに目を向ける余裕など無いのだ。そういう意味では、彼にとっての無駄な時間など一ミリも無いのかもしれない。
楽しみにしていたバカンスが目前に迫ったある日の昼過ぎくらいに、ウチの近くをチャリで通ったら呼び止められた。見れば集配センターで荷出しを手伝ってくれる社員の人だった。暑いさなか、ワゴンのハッチの陰で手を挙げている。どうやらオレの代わりに担当地区を回ってくれているらしい。
彼は笑いながらいうのだ。
「大変なのを請け負っちゃったな。二十件もあるマンションで一件も居なかったって?」
「そうなんですよ。ほかにもマップで検索してもよくわからないところだったり、廃墟みたいなアパートだったり。しかも、ほとんどが留守で」
「二重手間だよな。だから毎年やるヤツを探すのに苦労してるんだ」
「断れないんですか?」
「市役所の仕事だから、関係をつくっておきたいんじゃないの」
「保険証を使ってないからってクスリなんか配るより、もっとなにか別のことを考えればいいのにね」
「ああ、配達してるモノのことね。アレはそういう意味じゃないんだ、所長にきかなかった?」
「?」
オレは指示に従って軒並み配達しているだけだ。それ以上の意味などきいていない。
「アレは保険証を使ってない人たちに常備薬を配る名目で、所在確認をしてるんだ」
「所在確認?」
「そう、ちゃんとそこに住んでるかどうかをたしかめてるんだよ」
「なんでそんなことを?」
「原則、手渡しで置き配がダメなのは配達員に確認させるためなんだよ。いま増えてる無職の人や高齢者の孤独死、不法滞在、犯罪や事件に関わっていないかとかをね」
「だからヘンなところばかりだったのか」
オレはやっと、この嫌がらせのようなプロジェクトの実態を知った。
その日の夜、オレはそのことをウマに教えた。
「市役所がそんなことまでやるんだ? オレのところでもやってるのかなあ」と、しかつめ顔のウマ。
「でもオマエらのお蔭で、なんとか終わりそうだよ」
「終わりそうなの? だって今日も、けっこう留守ばかりだっただろ?」
「だからルスデンを置いてくるのが重要なんだって。所在確認なんだから連絡がないものは、もうオレたちの手に負えないってことだろ?」
「戸籍抹消されるのかな?」と大げさにいう。
「そんなこと、オレたちの知ったことじゃない。市役所か、警察の仕事だ」
「なるほど。確認できない件数を絞ってるってわけか。それでいいのかなあ」
ウマは、ろくに仕事の能率が上がらないわりに、そういう細かいことに拘りを見せる。これが最後の一人まで確認するなんてことになったら、真っ先に逃げ出すに決まっているのだ。
「ところでポテチは、まだ戻ってこないの?」
やっと気づいたようにいうので、オレは教えてやった。
「もう、とっくに帰ったよ。バカンスの準備をするんだって」
「もう明日か!」
「明日、仕事終わってから午前0時にウチに集合だ」
「オレも帰る」といって、慌てて出ていった。
「準備がある」なんていってるが、バカンスといってもたかが海水浴だ。海パン一丁あれば済むことではないか。なんの準備がいるというのか。
それとも女のコが乗るからクルマの洗車でもするつもりなのか――
つづく
毎週金曜日23時に更新します。
*作中の人物、団体、作品等の名称は、実在する一部を除き、特定のモデルはありません。




