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第三章 夏の間 ⓶

第三章①

夏期補習が終わり、七月末頃に計画しているバカンスを待つだけになった。

そんなとき、オレは市役所の妙な仕事を請け負うことになる。


 夕方、六時過ぎくらいにウマから連絡があった。

《おおい、もうやめようぜ》

「もう終わったの?」

《まだだけど今日中に終わらせることはないだろ?》

「人手があるうちに件数を稼ぎたいんだ。もうちょっと頑張れ」

《もう飽きちゃったよ。留守ばっかりなんだもん》

「八時になったら帰ってこい」

《ちぇっ》

 このフォーメイションにしてから、あえて昼どきに学食に集合しないで、それぞれで昼飯を摂ることにしたのだ。最後に配達済みの伝票を持ってウチに戻ることにしていたのだが、終了時間を決めていなかった。

 たしかに夏時間とはいえ、午後七時過ぎれば薄暮になってくる。普段の配達なら午後八時までが原則なのだが、この荷に関しては、それが通用しないのもたしかだった。どこへいっても人の気配のしない、ろくに明かりも灯っていない古色蒼然とした建物ばかり。昼間でも不穏で不気味な幽霊屋敷の列挙なのだ。そんなところへ完全に日の暮れた夜の八時に、肝試しでもあるまいし、不毛な仕事のためなんかにいく気がしない。

 

 午後八時過ぎ。

 オレは近場を回っていたから、いちばんに戻ってきたと思ったら、もうウマが待っていた。

「早いな。何件回ったんだよ?」

 ウマは腕を組んで渋い表情をしていたが、クルマから伝票を取り出しながらいう。

「十四件しかいなかった」

「えっ、そんなに居たの?」

 思えばウマが渋い表情をしたり、険しい顔で平静を装うのは、得意になっているのを隠す常套手段なのだ。 

 

 ――それにしても初日のポテチより成果を上げてるではないか!


 冷静に考えるとウマの担当は通り沿いばかりだ。いちばん居る可能性の高いところのはずだ。通常業務なら十四件など一時間かそこらで回れる。ここは安易に褒めてはイカンと考えた。

「やればできるじゃないか」

 ウマは逆に不満そうな顔をしていうのだ。

「なにが―― ポテチよりやったんだぜ」

「回った件数は? ポテチは再配達の連絡が十七件あった」

「くそおー、ポテチめえ」と歯ぎしりして悔しがった。これで明日は、もうちょっと精を出してくれるだろう。

「そういうユウヒは、どれくらいやったんだよ?」

「オレは自転車(チャリ)だ、オマエらと比べること自体おかしいだろ。午前中、雨も降ったし」

「ところでこの中身なんだけどさ」と、ウマはひとの話もきいてないふうに荷の一個を手に取った。

「オレは知らないよ。ただ市役所の仕事だっていわれただけだ」

「いや、これ薬らしいんだ」

「クスリ?」

「消毒液とか絆創膏とか包帯が入ってるらしい」

「なんで、そんなこと知ってるんだよ。まさかオマエなかを…」

 ウマは慌てて手を振った。

「最後に回ったウチできいたんだ。怒られちゃったよ」

「怒られた? なんで?」

 オレは嫌な予感がした。また、なにかヘマをしたのかと勘ぐったのだ。

 そこに低いエンジン音がしてライトが目に入った。ポテチが戻ってきたのだ。

 ポテチも加わってウマの話は、さらに続く――


「最後は古びたアパートでさ。庇や窓から水が垂れたような黒い痕があちこちに残ってて、ドアの横に白い煤けた小窓があるんだよ」

 それはまともなアパートだ、とオレはいってやりたかった。オレやポテチが回っている物件の凄まじさを見たら、ウマは思考停止に陥るだろう。

「灯りが点いてたんで居るだろうと思って、しつこくピンポンしてたらやっと出てきて。痩せた中年の男の人だったんだけどさ、その人が怒っていうんだよ」とウマ。

「またコレかっていって、こんなもの配るくらいなら、医者にかかれるような制度を考えろって」

「そんなことオレたちにいわれても… なあ」

 オレはポテチの顔を見た。彼は腕組みで薄笑いを浮かべているだけだ。

「オレもそう思ってたら、アンタにいってもしょうがないけどっていうんだ。だから、コレなんですかってきいたの。そうしたら常備薬だよって教えてくれた。こんなモノ、いくらあっても役に立たないっていうんだよ」

 

 ――なるほど、それでウマはこれがなんなのか知ったんだな。


「それで不機嫌そうにドアを閉めながら、コレありがとうなって。そのとき気づいたんだけど、その人、目が緑色」

「目が緑? 外人さん?」

「ちがう、ちがう。瞳じゃなくて白目の部分が」

「白目が緑色? 爬虫類みたいじゃないか」

 するとポテチがいうのだ。

「まえにオヤジにきいたことがあるけど、長いあいだ寄生虫がいる人は白目が緑色になるって」

「保険証を使わないのは健康だから、とばかりはいえないのか… 」

 もちろん、純粋に去年は医者にかからなかった人もいるだろう。オレも、たぶん医者にかかった記憶はない。だから、オレのところにも配達される可能性はある。

 だが、それ以外の理由で医者にかかれない人が、こんなにいるということなのだ。彼らはなんらかの事情で、こんな心霊スポットみたいなところに住まざるをえないのだろう。やっと、この仕事の正体が、わずかだが見えた。そして、この仕事をやりたがる人がいないホントの理由がなんとなくわかった気がした。

「こんなところで話してるのもなんだから、うえに上がろう」とオレは彼らを自分の部屋に促した。

 そこでオレは明日から午後七時で一旦終わろうと提案した。理由を説明するまでもなく、みんな賛同した。とくにウマは大賛成だった。

 ポテチはいうのだ。

「今日、回ったウチなんだけど畑のなかの雑木林の奥に建ってるアパートでさ。バイクで入ったら怒られそうだったんで、みちに停めて歩いていったんだよ。伝票にはアパートの名まえが入ってるんだけど、およそそうは思えないアバラ家で、土壁が落ちてそこから廊下に出入りができるようなボロさ。外からもう部屋のドアが見えてるんだ」

「そこに住んでる人がいるの?」とウマは眉をひそめる。オレも二日前までなら、そういっただろう。

「玄関らしきところに回ってみると、たいした高さはないけど、いちおう段差のあるフローリングの廊下なんだよ」

「アパートの名まえは伝票と一緒なの?」オレはきいた。

「それがどこにも出てないんだよ。だから、どこが玄関なのかもわからなかったんだけどさあ。問題はそこじゃないんだ」

「なに、なに?」と、オレとウマは身を乗りだす。

「壁がほぼ無いから、ほとんど外廊下みたいなものなんだけど、靴を脱いで上がるのか、そのままでいいのかがわからなくて…」

 オレとウマは思わず苦笑した。いつも豪快な印象のあるポテチが、そんなことで悩む姿は想像できない。

「上がるのがためらわれたんで、とりあえずどうしようかなと…」

「ドアに部屋番号がついてるんだろ?」

「手前の部屋は何号室かわかったけど、順に並んでいれば目的の部屋に出る可能性はあるんだが、そこはヘンな造りでさ。壁側の外から見ると、なかで廊下が曲がってたりして、けっこう入り組んでるんだ」

「何階建てなの?」

「平屋なんだけど、いったい何部屋あるのかわからない」

「どうしたんだよ、それで?」

「大声でゴメンクダサーイって叫んだ」

 ポテチなら恥も外聞もなく、それがやれる。オレやウマだったら、どうかわからない。おそらく、躊躇のあげく留守伝票(ルスデン)を書いて帰ったろう。

「反応がないから、もう一度呼びかけたら、奥の方からハーイっていうんだ」

「いたんだ」

「ところが待てど暮らせど出てこない。それでもう一度呼んだら、また返事はするんだ」

「だけど出てこない?」

 頷くポテチ。

「なかに入れないから、お届け物でーすって叫ぶんだけど、まったく無反応でさ。しかたないんで玄関の靴箱の上にルスデン書いて置いてきたんだ」

「ポストなかったの?」

 今度は首を振って、あとを続ける。

「そこはそれらしきものが無かったからさ」

「しかたないよ。目に触れるところに置いてきたんだから、居ればいずれ連絡があるだろ」

 オレはそれを責めようとは思わなかったが、さらに先があった。

「帰り際に畑で作業している人がいたから、きいたんだ。○○荘って、あそこですかって」

「うん、うん―― 」

「そうしたら、その人がいうんだよ。そうだけど、なにか用? あそこは近々取り壊すから、もうだれもいないよって。そこのオーナーだったんだ」

「だって、だれかいたんだろ?」

 ポテチは難しい顔で頷く。

 オレとウマはゆっくりお互いの顔を見合わせた。ウマは血の気のない顔をしていた。たぶん、オレもそうだったんだと思う。

 ポテチは、それからまた戻って伝票を持ち帰ってきたという。

「よく、そんなところに戻れたな」

「いや、雨が降り出すまえだったから、全然大丈夫だよ」

 それが明るい午前中だろうと、近くにオーナーがいようと、返事があったのは事実なのであれば、フツウの人は近寄れないはずだ。このへんがポテチの人並みはずれたところなのだ。

「無理して上がって、なかの部屋を探し回ったりしないでよかったな」

 ポテチは甲高い声で笑った。オレたちは笑えなかった。次はオレにそんな物件が当たるとも限らない。

 現に似たような物件にいったことをオレは思い出した。この際だからオレの話もしておこう。

「大きな通り沿いのアパートだと思ったから、いってみたら住宅街なんだ。こんなところならウマに回せばよかったと思ったんだけど、アパートらしきものが無いんだよ」

「どこらへん?」

「工業団地のはずれで、近くを旧国道がある交差点のちょっと入ったところ。ここからチャリで二十分くらいかな」

「そんな近くならユウヒでいいんだよ。オレは、もっと遠くの物件がいっぱいある」とウマはいう。

「それが?」とポテチは先をききたがる。

「わからないから、そのブロックにあるウチの表札を端から順に見ていったんだ。そうしたら三軒目くらいに表札のない建物があって、見た目は木造二階建てのフツウの家なんだけど、陰に集合ポストが見えたんで、ここだと思った」

「アパートの名まえが出ていないの? さっきの物件と一緒だな」とポテチ。

「それに、おもてから見ただけじゃあ一見わからないんだけど、敷地いっぱいに建ってて奥が深いんだよ。だから、ここじゃないかと思ったんだけどさ」


 ――ちょうど西日が眩しくなる午後六時ころだった。

 玄関のドアを開けると、なかは真っ暗だった。西日が射しこんで、玄関の三和土(タタキ)から一段高くなって板貼りの廊下が奥に続いているのがわかる。完全に靴を脱いで上がる造りだ。

 正面右に二階に上がる階段があり、廊下の両脇は木製の引き戸が並んでいて、この引き戸一枚が一部屋として、どのくらい奥があるのかわからないのだ。なにより、このアパートは共用部分の廊下に一切窓がない。玄関のドアを閉めると、まだ日があるのに漆黒の闇だ。おそらく部屋に窓があるだけなのだろう。

 こんな造りのアパートが昔はフツウだったのか、と懐疑的にもなる。タタキの壁際に靴箱らしいものが備え付けられているところを見ると、もしかしたら会社の寮に使っていたのではないかとも思える。玄関はフツウの家とおなじ一枚ドアだし。

「こんにちはー」と二度ほど声をかけた。

 ポテチのときとちがって返事はなく、静まりかえっているのだ。

 これは上がって部屋を探すしかないと思ったのだが、玄関を開けっぱなしというわけにいかない。仮にそうしたとしても、奥の部屋では暗すぎてわからない。

 ふとドアの横を見るとスィッチがあった。これを点けたら廊下に明かりが灯った――薄暗いのだ。玄関を閉めると、とても嫌ーな雰囲気なのだ。

 オレは靴を脱ぐのをやめ、ポテチのようにルスデンを書くことにした。そこの気持ち悪さに耐えかねたオレは、おもてに集合ポストがあるのを幸いに、外で書いたのだが、今度は集合ポストに名札が一切入っていないのがわかった。そこでドアにルスデンをはさんで引き上げることにした――


「あそこも、たぶんだれも住んでないと思うよ」

 オレがそういうとウマがよけいなことに気づく。

「だって電気がきてるんだろ? 居るんじゃないか?」

「じゃあ、オマエいけ。大通り沿いはオマエの担当だ」

「冗談でしょ。そういうところはポテチの担当だ」

 そんなことをいい出せば、みんなポテチの担当になってしまいそうだ。

 オレはウマにいった。

「大通り沿いが担当だからって、そんな心霊スポットみたいなところに当たらないとは限らないんだぞ」

「そういうところだったら、ポテチを呼ぶ」

 いつもはなにかしらのリアクションがありそうなのに、ポテチはニヤニヤ笑って妙におとなしかった。


つづく


毎週金曜日23時に更新します。

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