序 章
短くて長い物語の始まりです。
オレは、もう彼にはなれない…
浜街道の信号で停車したとき、クルマの横を通り過ぎる若い二人を見て、ふとそんなことを思った。
彼は片手にシンプルなフレームの自転車のハンドルを握り、もう片方の腕にボードを抱えている。赤銅色に灼けた逞しいボディに黒いタンクトップをまとい、白い歯を見せて笑っていた。そのサドルを押しているのはストレートのロングヘアで脚も長い女のコだった。彼の顔を覗きこみ、なにかいっている。
このへんは太平洋ロングビーチと呼ばれ、近年、日本のサーフィンのメッカに名乗りをあげている場所だ。
「世界大会も開かれたことがあるんだ」と〝ポテチ〟からきいたことがある。あのふたりはサーファーだろう。彼の方の夢は、そんな大きな舞台で波に乗ることなのか。野望を持った若さが眩しかった。若いころなら、よし、オレもあのカッコよさを真似しようと思ったかもしれない。
オレは少なくても、もう彼みたいにはなれない。
〝ポテチ〟―― オレが大学のときのツレだった男、小芋碓氷のことだ。忘れもしない、あの夏の英語の補習で担当の講師が名づけた。今日は二十年ぶりに彼に会いにいく。
うしろのクルマのクラクションが鳴った。信号が青になっていた。ついつい、昔の思い出に没頭してしまった。最近、こういうことが多くなった。必ずあの夏のことなのだ。たわいもない出来事の数々――
そこにはいつもポテチがいたように思う。
若い二人をまた追い抜いていく。彼らを見ていると、あの日のポテチと〝アヤ〟のことを思い出す。
〝アヤ〟―― 松尾彩は専攻学科こそちがえ、おなじ大学の同期だった女のコだ。「いろどり」という稀な名まえをいつも「あや」とまちがえられるのだそうだ。いちいち直すのが面倒なので「アヤ」で通していると教えてくれた。
ポテチのバイクにタンデムしたアヤを見送ったときのことをオレは憶えている。もう二十年もまえのことだ。たぶん、彼女の本名を知っているのは、ポテチでも、〝カエデ〟でもない。オレだけだろう。アヤ本人もオレが知っているとは思っていまい。
〝カエデ〟こと、照山楓もおなじ補習で知り合った。知り合ったというより、再会した、というべきだろう。彼女とオレは中学の同級生だったのだ。おなじ大学の教育学科にいることも知ってはいた。
ただ、キャンパスで会うことはまずなかった。専攻がちがうということももちろんあったが、オレはほとんど大学にいっていなかったのだ。毎日バイトに明け暮れていて、出席をとる必修や席順が決まっている語学の講義にしか出ていなかった。
彼女たちとの出会いは、偶然のタマモノとしかいいようがない。あれはいまから二十年ほどまえ、オレがまだ大学二年の夏休みまえのことだった――
つづく
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