第十五章『春の兆し』
冬の厳しい寒さがようやく和らぎ、街には少しずつ春の気配が訪れていた。もふもふカフェの窓際には、小さな花の鉢植えが並び、店内にも春を感じさせるデコレーションが施されている。動物たちも活発さを取り戻し、カフェの中を楽しそうに駆け回っていた。
将之は、ルカが店内を元気に走り回る姿を眺めながら、カフェラテを一口飲んだ。
「ルカ、今日はやけに元気だな。」
「春だからでしょうかね。動物たちもどこか浮き足立ってる感じがします。」幸華が笑顔で答える。
「確かに、春って何かが始まるような気がして、ワクワクしますね。」
その時、カウンターでスコーンを焼いていた美優香が声をかけた。
「今日は新しいメニューを試してみたんです。春の味をイメージして、桜風味のスコーンを作ってみました。」
「桜風味?いいですね、春らしいです。」
「将之さん、よかったら味見してください。」
美優香が焼き立てのスコーンを差し出すと、ほんのりピンク色で、桜の花びらがあしらわれている。その可愛らしさに思わず笑みがこぼれる。
「いい匂いですね……いただきます。」
一口かじると、ほんのりとした甘さと桜の香りが口いっぱいに広がった。
「美味しい!ほんのり塩味もあって、甘さが引き立ってますね。」
「そうなんです。桜の塩漬けを使ってみました。春の訪れを感じてもらえたら嬉しいです。」
その時、奥から広孝が大きな声で笑いながら登場した。
「春か……俺もそろそろ動き出すかね!」
「動き出すって、何かやりたいことでもあるんですか?」将之が尋ねると、広孝は腕を組んでにやりと笑う。
「今度、外で小さな運動会をやろうと思ってさ。動物と一緒に走れるレースとか面白くないか?」
「いいですね、それ!春らしくて元気が出そうです。」
「それなら、動物と人が一緒に挑戦できるゲームを考えましょう。」味夏がすぐに乗り気になり、メモを取り始めた。
「春の運動会か……楽しそうですね。」
そんな話をしていると、外からお客さんたちが続々とやってきた。春の陽気に誘われて、カフェにも活気が戻ってきたようだ。
「今日は常連さんも多いですね。」
「そうですね。冬の間はなかなか来られなかった方も、ようやく顔を見せてくれるようになりました。」美優香が嬉しそうに言う。
ふと、窓際で静かに本を読んでいる拓麻が、小さな声でつぶやいた。
「……春か……新しいこと、やってみたいな。」
「拓麻さん、何かやりたいことがあるんですか?」
「いや、特に決まってるわけじゃないけど……もっと動物たちに喜んでもらえるようなこと、できたらいいなって。」
「例えば、動物たちと一緒に過ごすスペースをもっと充実させるとか?」
「そうだな……でも、どんな環境が一番いいのか、もっと勉強しないと。」
その真剣な眼差しに、将之は少し感心した。無口で無愛想な拓麻だが、動物に対する愛情は人一倍強い。それがカフェの雰囲気を支えているのだと、改めて感じた。
その時、カフェの奥で涼楓が犬たちのケアをしていた。ブラッシングをしながら、ふとつぶやく。
「春は換毛期だから、毛がいっぱい抜けて大変だけど……これもまた成長の証。」
「涼楓さん、動物たちの世話、いつもありがとうございます。」
「別に、私がやりたいからやっているだけ。」
淡々としたその言葉の裏には、しっかりとした信念が見え隠れしている。涼楓が黙々と動物たちの毛を手入れする様子を見て、将之は自然と心が落ち着いた。
夕方、カフェが少し静かになった頃、美優香が将之に声をかけた。
「将之さん、最近少しずつ顔が柔らかくなってきましたね。」
「そうですか?都会にいた頃より、確かに自然に笑えるようになったかもしれないです。」
「それはきっと、動物たちが癒してくれているからですね。」
「そうですね……ここに来てから、日々が穏やかで、心がほっとする瞬間が増えました。」
「それは良かった。将之さんが笑っていると、ルカも嬉しそうに見えます。」
その言葉に、将之は少し照れながらルカを撫でた。
「これからも、この場所を守っていきたいです。春が来て、新しいスタートを切れるように。」
美優香は優しく微笑みながら、カウンターに並ぶ花を見つめた。
「春は、何かが変わるきっかけになりますからね。」
その言葉が、将之の胸に深く響いた。これから訪れる新しい季節を、どんな気持ちで迎えようか。動物たちと共に過ごすこの場所が、さらに多くの人を癒せるように、少しずつ自分も変わっていきたい。そんな思いが、心の中で芽生え始めていた。
ルカが甘えた声で鳴き、将之の膝に乗ってきた。その温かさが、春の兆しのように心に染み渡った。
(終)