第一章『もふもふカフェ開店』
都会の喧騒に疲れ果てた増田将之は、仕事の忙しさから解放されるため、新しい生活を求めて静かな街に引っ越してきた。都心から電車で一時間ほど、緑の多い風景が広がるその街は、まるで時間がゆっくりと流れているかのようだった。
「やっと着いたか……」
古びた木造のアパートの前で、大きな段ボールを抱えたまま深呼吸をした。澄んだ空気が肺に染み渡り、ようやく肩の力が抜ける。引っ越し作業はまだ始まったばかりだが、都会にはない静けさが心地よかった。
荷物を運び入れている最中、少し道に迷ってしまった。地図アプリを確認しようとスマホを取り出すが、どうにも電波が悪い。途方に暮れ、適当に歩き出したとき、ふと目の前に現れたのは、石畳の小道の先に佇む一軒のカフェだった。
『もふもふカフェ』
アンティークな木製看板にはそう書かれており、柔らかいフォントがどこか心を和ませる。窓越しに見える店内には、木目調のテーブルと椅子が整然と並んでおり、ほのかな灯りが優しく照らしていた。引っ越しの疲れもあり、自然と足が店に向かっていた。
ドアを開けると、可愛らしい鈴の音が店内に響く。中には数人の客がいて、テーブルの下で猫が寝そべっている。奥のカウンターには、ショートカットの女性がエプロンを身につけて、コーヒーを淹れていた。彼女がふと顔を上げ、将之に微笑みかける。
「いらっしゃいませ。初めての方ですか?」
その優しい声に、将之は少し緊張しながら頷いた。
「ええ、引っ越してきたばかりで、少し迷っちゃって……」
「そうでしたか。大変でしたね。もしよかったら、一杯いかがですか? ここ、動物たちと触れ合えるカフェなんです。癒しが足りないときは、彼らが力になってくれますよ。」
将之は戸惑いながらも、女性の勧めに従い、窓際の席に腰を下ろす。周りを見渡すと、犬や猫だけでなく、小さなウサギやモルモットも、自由に動き回っていることに気づく。まるで動物園のようだが、不思議と騒がしくはない。
「お待たせしました。カフェラテです。」
カウンターから女性が持ってきたマグカップには、可愛らしい肉球模様のラテアートが描かれている。ふんわりとしたミルクの香りが鼻をくすぐり、自然と顔がほころぶ。
「可愛いですね……」
「ありがとうございます。ここでは、もふもふたちと一緒にくつろげる空間を大事にしているんです。ちなみに私は武藤美優香、このカフェの店主です。」
「そうなんですね。増田将之といいます。よろしくお願いします。」
「将之さん、何かあったらいつでも声をかけてくださいね。うちの子たちが癒してくれますから。」
その時、ふと足元に柔らかな感触があり、見ると、ふさふさの尻尾を持つ柴犬が鼻を押し付けてきた。目を細め、甘えたように尻尾を振っている。自然と笑顔になり、手を伸ばして撫でてみると、温かさが手のひらに伝わってくる。
「その子はルカ、ちょっと人見知りだけど、気に入った人にはすごく甘えますよ。」
「そうなんですね……不思議と心が和みます。」
美優香が少し笑って、「それがこのカフェの魔法なんですよ」と言った。都会では感じられなかった静寂と、動物たちの純粋さが心に染み入る。しばらくの間、将之はルカと戯れながら、カフェラテを一口含んだ。優しい甘さが体中に広がり、疲れが徐々に溶けていく気がした。
「また来てくださいね、将之さん。」
店を出るとき、美優香のその言葉が不思議と心に残った。自然と足が軽くなり、引っ越しの続きをするために歩き出す。新しい街、新しい出会い、そして『もふもふカフェ』。心の中で少しずつ、この場所が大切になりそうな予感がした。
(終)