7話
夜の帳が下り、村が静寂に包まれる頃――ナギは再び深い眠りに落ちていた。
その夢は、一昨日や昨日のものよりもさらに鮮明だった。
そこは黒い霧の海。
すでに見慣れたはずの光景でありながら、どこか異様な静けさがあった。
空気は湿り気を帯びていて、まるで霧そのものが呼吸しているかのようだった。
「ナギ……」
あの声だ。低く、甘く、魂を撫でるような声。
呼ばれるだけで、全身が震えた。
「また……夢……?」
振り返ると、霧の奥から黒龍が姿を現す。以前よりもその姿ははっきりとし、まるで実在するかのような質量と気配を放っていた。
鋭いはずの眼差しは、慈愛と渇望をない交ぜにして彼女を射抜く。
「ようやく……“器”が熟した」
「器……?」
黒龍はうねるように近づき、巨大な頭をナギの前に下ろした。
その瞳の奥に映るのは、他ならぬ彼女自身。
「お前はもう、“境”を越えた。身体も、心も、我が血を受け入れる準備ができている……」
「……なにを……しようとして……」
その問いに答えるように、黒龍の身体が光に包まれ、形を変えた。
漆黒の鱗は柔らかな黒衣に。
巨大な身体は人の姿へと変化し、そこには、人とも神ともつかぬ美しい存在が立っていた。
男とも女とも形容しがたい中性的なその姿は、神秘と妖艶さを宿し、見る者の理性を溶かすようだった。
「我が巫女よ……我が“花”を咲かせよう」
ナギの身体が宙に浮かび、黒龍の腕の中に抱かれた。
温かく、心地よく、抗えぬままに彼女は身を委ねる。
黒衣の中から伸びた腕が、ナギの腹へと優しく触れる。
「……ここに、俺様が命を宿す……」
その言葉と共に、淡い光がナギの体内に流れ込む。
まるで心の奥底まで満たされるような感覚。
心臓の鼓動と呼応するように、腹部の奥が淡く脈動する。
そこに何かが――生命が宿る感覚。
「これが……」
「そう。お前は今、我が“種”を宿した。魂を繋ぎ、血を繋ぎ、存在を繋いだ」
「……私……本当に……?」
ナギは無意識に腹部に手を当てた。
まだ何も変わっていないのに、そこには確かな“気配”が宿っていた。
「目覚めよ……我が巫女。次に会う時、お前はもう完全なる器となる」
その言葉と共に、霧が再びナギの周囲を包み――そして、現実の夜明けが訪れた。
目を覚ましたナギは、まず自分の身体に違和感を覚えた。
「あれ……?」
下腹部が妙に重い。
そして温かい。昨日まではなかった感覚。
慌てて布団をめくると、身体に異常はない。だが――指を腹に当てた瞬間、ビクンと体内が反応した。
「……なに、これ……」
同時に、胸の奥から強烈な吐き気と眩暈に襲われ、彼女は思わずベッドの端で嘔吐した。
だが、そこに吐き出されたのは何もない。体内に異物があるような、でもそれが自分の一部であるような奇妙な感覚。
「まさか……夢の中で……?」
ナギは震える手で腹を抱える。
ほんの少し、膨らみ始めているようにすら感じられた。
そして、その異変に気づいた者がもう一人。
部屋の戸の隙間から、ひっそりとナギを見つめるイルル。
その唇には、どこか嬉しげな笑みが浮かんでいた。
「……始まったんですね、“黒龍の巫女”としての覚醒が……」