輝きすぎた三高聖女は年下王子に婚約破棄される
数年ぶりに聖女もの書きました。
「筆頭聖女シェイラ、僕は君との婚約を破棄する!」
カルロ王子がたどたどしく筆頭聖女シェイラに言い放った言葉に、ホールは静まり返る。
王子と聖女シェイラの仲は今日に至るまで良好と思われていて、人々は王子が婚約破棄を突如言い出すなど予想してもいなかったのだ。
一体どうなってしまうのかと、人々は戦々恐々としながらことの成り行きを見守っている。
そんな中で当のシェイラはと言えば、いつものように微笑みをたたえていて、突きつけられた婚約破棄にもまったく衝撃を受けていない──人々の目にはそのように映った。
「ね、ねえ、シェイラ! 婚約破棄だからな、わかったなっ!」
幼いカルロ王子の言葉に、シェイラはさらに口角をあげた。
──これは天啓!
実はシェイラにとっても、カルロ王子との婚約破棄は願ってもないことなのだった。しかし、聖女から王子への婚約破棄を切り出すことは実質不可能。シェイラはカルロと不仲ではなかったから、これはカルロ王子が自分の恋路を応援するために、精霊からの天啓を得て行動しているのだろうとシェイラは判断した。
『はいっ、カルロ王子。聖女シェイラは喜んで婚約破棄をお受けいたします!』
シェイラが口を開こうとしたその瞬間。
「カルロ王子っ!! 筆頭聖女であるシェイラ様との婚約を破棄するとは、一体全体どういうおつもりですかっ!!」
城じゅうに響き渡りそうな剣幕でカルロ王子に詰め寄ったのは、シェイラの補佐官であるダニエル・レクシーだった。
「聖女様は、不祥事を起こさない聖女ランキングで十二年連続一位、真面目な聖女ランキングでも十年連続一位、そして、国民から『いつまでも働いてほしい聖女』として支持されること九年連続……! 将来、王妃になってほしい聖女ランキングでも一位を獲得しているのです。一度たりとも不祥事を起こしたことのない満足度ナンバーワンの偉大な聖女様ですよ! そんな聖女様のどこが不満だと言うのですか!? 婚約破棄だなんて……いくら王子といえど、言っていいことと悪いことがありますよ!!」
シェイラはダニエルの背中を見つめ、心の中でため息をつく。彼が自分を擁護してくれるのは嬉しい。とても嬉しいのだが……。
──ダニエル、今は……大人しくしていてよ~!
シェイラの心の声はもちろんダニエルに届くことはない。
「だから、そういうところなんだよ!」
とカルロ王子が叫ぶ。
「どういうところですか!?」
とダニエルが問い返す。
「シェイラは僕より十二歳も年上だ!」
「二十五歳、花の盛り。若さと落ち着きを兼ね備えた年齢です。シェイラ様は日々、今が一番綺麗です」
「二十七のダニエルから見たらそうかもね! それに、シェイラは僕よりずっと背が高い!」
カルロが不満を述べると、周囲の人間は納得した顔を見せた。確かにシェイラは女性としてはすらりとした長身で、それが小柄なカルロ王子と並ぶとより際立つ。
しかしダニエルは納得しない。
「それだけで不満だというのですか? 聖女様が大人の女性であり、背が高くすらりとして凛々しいことに何の問題が? 堂々たるその姿は、他国の女王にもひけを取らないと感じております」
「背が高いダニエルには、僕の気持ちなんてわからないさ! それに……シェイラはさ……光り輝いてるじゃないかっ!」
カルロ王子は苦々しい顔をしながら、シェイラをびっと指さした。
シェイラは青春時代の全てを聖女としての職務に費やし、徳を積んだ。その結果、彼女は常に後光が差しているかのように輝いている。
それはまさに、聖女の中の聖女と呼ぶにふさわしい存在感だった。
そう、シェイラはカルロ王子と比較して高年齢で高身長、そして徳が高い──いわゆる三高聖女なのだった。
「僕みたいな、ただ王子に産まれただけの凡人には、シェイラはまぶしすぎて困るんだよっ!」
「他者の優れた部分を見て卑屈になるなど、王族としてあるまじき姿! それならばカルロ王子、あなたも努力すればよろしい! 大体、光り輝いているところがシェイラ様のいいところです! どこにいても探しやすいですし、残業で暗くなっても明かりいらずで経済的ですし!」
「僕には困るって話だよ! ダニエル、そんなに言うのなら君がシェイラを貰ってやればいいだろう! レクシー公爵家の三男、ダニエル・レクシーがさあ!」
カルロ王子はまるであらかじめ用意していたかのように、より一層声を張り上げた。
──そう、それ、それ、それよっ! カルロ王子、頑張ってください!
口論している二人ではなく、シェイラに注目している人がいたとしたら、彼女の口元がますますはっきりとした微笑みを作ったことに気が付いただろう。
なぜならばシェイラは密かに、補佐官であるダニエルに恋心を抱いている。
けれど聖女には厳しい「職場恋愛禁止」の規則があり、たとえどのような身分でも例外はない。過去には多くの聖女と補佐官が恋愛関係となり、それによって免職され、神殿を去ることを余儀なくされていた。
そうなってしまったら、今でこそ筆頭聖女としての地位を得ているが、生まれは貴族とも言えないほどの貧しい男爵令嬢でしかないシェイラは三男とはいえ広大な領地、そして大陸一の鉱山を所有するレクシー公爵家のダニエルとは釣り合わない。
一緒にいるためにはシェイラは聖女であり続けなくてはいけなかったのだ。
「自分のような矮小な人間が聖女シェイラ様を娶るだなんて、とんでもない!」
ダニエルが声を張り上げて否定したので、シェイラはがっくりして、彼女をとりまく光が少し弱まった。
「不敬です。私はシェイラ様には……この国で一番幸福な女性になっていただきたいんです! こんな爵位継承権もない、馬車馬のように働くのが取り柄の男なんてふさわしくありません!」
「じゃあ、ダニエルに爵位をあげるよ! 不正が発覚して取り潰しになった伯爵領があるから。伯爵ならいいだろ? 公爵家から独立して、思う存分シェイラの第二の人生を輝かせてあげなよ」
「論点をずらすのはやめてください!! そんなことで、幼少期から姉のように親身になってくれたシェイラ様をないがしろにするのですか?」
「ないがしろにしてないから、こうやって落としどころを探そうとしてるんでしょーが! まったく、誰のために……!」
二人の口論は平行線で、一向に終わる気配がない。
──カルロ王子、あなたがくれたこのチャンス、逃さない。
「ダニエル、おやめなさい」
シェイラは行動を起こすべく、口を開いた。
「ですが、シェイラ様!」
「……望み、望まれた相手と結ばれたいのは人間として当然の感情。王子も聖女も変わりのないことです」
シェイラの落ち着いた言葉に、人々はじっと耳をかたむけた。
職場恋愛をしたら退職、というルールが聖女のために作られたものだということにシェイラが気が付いたのは三年前だ。
国のために祈ることをやめて女性として生きる、とはなかなか言い出せないから、穏便に個人としての幸せを追求できるように、名目上は厳しい戒律が課せられているのだ。
そのからくりにようやく気が付いたシェイラは、ダニエルにアピールを開始した。
まずは雑誌をめくりながら「指輪が欲しいな」と宣言してみた。
ダニエルは気づく様子もなく、レクシー公爵領の鉱山の話をしたり、「宝石を献上品にする提案をしましょうか!」と的外れな返答をしてきた。
二年前。「やっぱり、ダイヤモンドの指輪で求婚されるのが女子の夢よね」と言ってみた。ダニエルは「そうですか。報告書に書き残しておきますね」と大真面目に応えた。
二人の間に、何の変化も起きなかった。
そうしている内にシェイラは世間では嫁ぎ遅れと呼ばれる年齢になってしまった。ここまで待ったからにはよっぽどの相手でないとだめだ、ということで余っている身分の高い男性──年下のカルロ王子がシェイラの婚約者になってしまったのだ。
それが今日、終わる。
自由になって、今度は自分の幸福のために行動するのだ、と強く決意したシェイラのまとう輝きは再び強くなるが、人々はそれがシェイラの個人的な感情ではなく慈愛の心による光だと解釈した。
「カルロ王子。私はあなたとの婚約破棄を受け入れ、そして聖女を引退します。私はあまりに長く、聖女の神殿にとどまりすぎました。……この国にも、新しい風が必要かと思います。けれどご心配なさらないでくださいね、どこにいても(結婚して田舎へ移住したとしても)、私はあなたの幸せ(身長が伸びること)を祈っていますわ。この国の国民の一人として、それが務めですから」
シェイラの穏やかな微笑みと、表面的には立派に聞こえる言葉にホールの貴族たちは感動し涙を浮かべた。
ただ一人、ダニエルを除いては。
「なぜですか、シェイラ様!」
一礼し、ホールを去ろうとするシェイラにダニエルはなおも食い下がった。
「ずっと考えていたの。聖女の仕事はやりがいがある。でも、それだけでは私の願いは叶わない」
だからシェイラは聖女の職を辞して、鈍感なダニエルに玉砕覚悟で告白するつもりだ。
「……あなたの、願いは……なんですか?」
「我が国のレクシー鉱山から産出された、最高品質のダイヤモンドの指輪で、愛する人に求婚されることよっ!」
「……ダイヤモンド……ですか。なるほど……最高品質と言いますと、大きさはどの程度……」
「あ、いえ、今のは言葉のあやよ。聖女ではなくて、私個人を心から求めてくれる人がいれば、ガラスでもなんだっていいのよ。……そりゃ、もらえるならば実用性を無視した派手なものがいいけれど」
もうすぐ聖女をやめるのだ、という開放感からついつい心の底からの願いを口にしてしまったシェイラはあわてて訂正したが、ダニエルは何かを考えこんでいるようだった。
「あの、ダニエル、私……」
「わかりました」
考えこんでいたダニエルはすっと顔をあげた。その瞳には強い意思が宿っている。
「シェイラ様の希望は①カルロ王子と婚約破棄をする。②聖女の契約更新を行わず、退職する。③実用性を無視した派手な指輪が欲しい。④聖女ではない心から自分を愛する人に求婚されたい。以上でよろしいですか?」
「ええ、まあ」
「わかりました。このダニエルにお任せください。全て手続きは行っておきます」
「……わかったわ」
シェイラは正直、③と④が分離していることに不安を感じているが、ダニエルの勢いに押されて頷いた。
「それでは、シェイラ様。あなたのこれからの幸福を祈っております」
別れの言葉に、シェイラの胸がわずかにざわついた。
▪️▪️▪️
「終わった……」
翌日、もしかしてダニエルが自分に指輪をくれるのではないだろうか……とそわそわしながらやってきたシェイラが目にしたのは、全ての事務手続きが終了したことを告げる書面と──ダニエルの退職届だった。
『シェイラ様、十年間お世話になりました。自分は実家に用事ができましたので、一足早く職を辞させていただくこととなりました』
たったそれだけの、短い手紙。
「仕事が早すぎる……」
シェイラはがっくりと膝を落とし、呟いた。聖女をやめればダニエルとの関係も変化すると思ったのだが、これでは変化しすぎだ。なにしろ自分から玉砕することなく、ダニエルはシェイラの元を去ってしまったのだから……。
──それって、私の気持ちに気が付いていて、求婚を断れないから顔を合わせないようにしたのかな……。
聖女と補佐官という立場では生まれるはずのなかった疑念がシェイラの心に生まれて、シェイラをとりまく聖なる光がその勢いを弱めた。
そうして『筆頭聖女シェイラ様、婚約破棄、そして引退』のニュースが国中をかけめぐった。ついでに「元筆頭聖女シェイラ様、婚活を開始」の記事もあったが、そちらはさほど注目されなかった。
シェイラの元にダニエルが戻ってくることはなく、丁度年度末の契約更新期間だったこともあって、シェイラの退職の日がやってきた。
「うぅ……まさか状況が悪化するなんて……このままでは、全てを失ってしまう……やっぱり、仕事に生きよう……それしかない」
聖女でいさえすればダニエルが戻ってきてくれるかもしれないと、シェイラは再就職のためにカルロ王子の元へ向かった。
彼は勝手な婚約破棄の罰として神殿の事務員の仕事をさせられているのだが、カルロは書類作業をしながら、ぶつぶつと誰かと会話をしている。
「ちゃんと精霊が望むように行動したんだから、僕の身長、伸ばしてくれるんだよね? ね?」
『それはあなた次第ですね。好き嫌いしないとか、夜更かししないとか』
「えー、僕、二人のために頑張ったじゃないか! こんな罰まで受けている健気な僕をさ……」
シェイラが近づいたことにカルロは気づいて、驚いた顔をした。
「シェイラ! どうしたの」
「あ、あの、聖女やめるのをやめようかと……」
「本当!? え、でもダニエルって結婚のために退職したでしょ? なんでシェイラが残るの?」
王子の素朴な疑問に、貼り付けていたシェイラの笑みが凍り付く。
「ダニエルと……私は……今ではもう、なんの関係もありませんので……」
カルロの問いかけになんとか答えたシェイラだったが、光がどんどん消えていき、そして消失した。
「わあ、シェイラが光らなくなった!」
「光らなくなった……では、私はもう、聖女としても必要ないということですね。聖女やめるのやめたのやめます……」
「ええ~!? ちょっと待ってよシェイラ~!」
シェイラはカルロ王子の言葉には耳を傾けず、ふらふらと外へと歩き出した。行き先もわからないまま、ただひたすら市街地に向かって足を動かす。
──真面目に生きてきたはずなのに、全てを失ってしまった。
大通りには恋人たちが楽しそうに行き交い、宝飾店にはきらびやかな指輪が並んでいる。そんな中、輝きを失ったシェイラは人混みに紛れて、とぼとぼと歩いている。
「私だって、好きな人からの心からの贈り物が欲しかっただけなのに……」
──私の願いは、そんなにも身の程知らずだったのだろうか。
シェイラがふと視線を向けた先には宝飾店があり、シェイラはガラス越しにダニエルの姿を見た。彼は真剣な表情で指輪を選んでいるようだったが、時折店員に笑いかける。その横顔に、シェイラの胸がぎゅっと締め付けられた。
だって、その指輪は自分のためではないから。
瞳にじわりと涙が滲んで、シェイラはダニエルから顔をそむけて人混みに身を隠した。今ではシェイラは完全に光を失っていてただの女性でしかなく、誰もシェイラに目を向けるものはいない。
「シェイラ様!」
呼び止める声に、シェイラは思わず足をとめた。振り返ると、ダニエルが息を切らせて駆け寄ってくるのが見えた。
「シェイラ様! お一人でこんなところにいては、危ないですよ」
「ど……どうして、光っていないのに私が見えたの」
「わかりますよ。あなたがどこにいても」
ダニエルの言葉に、シェイラはぎゅっと掌を握り、顔を背けた。
「そう……ありがとう。もう、仕事を辞めたのだから、そんなに気を遣わなくていいのよ」
「光がないということは、今、あなたは悲しんでいるんですね」
ダニエルの言葉に、シェイラは自分の感情の揺らぎによってまとう光量が変わることを初めて知った。
「……そうかもね」
「悩みがあるなら話してください、聖女ではなくたって、あなたのためなら僕はなんでも……」
ダニエルの優しい問いかけに、シェイラの胸はじくじくと痛む。けれど、その痛みをごまかすように背中を向けたまま、ぽつりとつぶやく。
「……あなたには、わからないわ。分かってほしいとも思わない」
「分かりたいです!」
去ろうとするシェイラの背中に向かってダニエルは声を張り上げた。
「僕は、もっとあなたのことを知りたいんです。聖女に関することなら、全て理解できる自信があります。けれど、シェイラ様。あなたのことは、いつまでたってもよく分からない。それは仕方のないことだと思っていました、自分とは職務上の関係でしかないのだからと……」
ダニエルは静かに懐から小さな箱を取り出し、シェイラの目の前で開いた。中には豪奢な輝きを放つ美しい指輪が収められている。
「これって……」
「あなたのために用意しました」
「……私に?」
「……公爵令息といえど、自分は三男。王子にはとても勝てない、ただそばにいられるならそれでいいと思ってきました。婚約破棄を聞いて、始めは非常に腹が立ちました。けれど安堵している自分にも気が付きました」
シェイラはダニエルの言葉を聞きながら、きらめく指輪をじっと眺めていた。三年前に、シェイラが欲しいと言ったデザインとよく似ていた。
「自分ならば、あなたが求める条件を満たせる……僕にもチャンスが回ってきたのだと……指輪を用意することにしました。最高のものを渡したくて、数日かかってしまいましたが……」
「この指輪……誰か他の人のために選んでいたんじゃないの?」
本当に指輪を受け取っていいものかと、シェイラはおそるおそる尋ねた。だって、ダニエルは聖女としての自分をなぐさめるために、指輪を選んだのかもしれないのだから。
「何を言ってるんですか!」
ダニエルはまっすぐな目でシェイラを見つめた。
「あなた以外にこの指輪を贈る人なんて、この世に存在するわけないでしょう? だってあなたは、僕が思う一番素敵な女性なんですから」
ダニエルが嘘をつくような人間ではないのだと、シェイラはこの十年で十分に理解していた。
「……でも、もう、私は聖女ではなくなってしまったのよ」
「もう、いいんです。自分だって補佐官ではありませんから」
その答えに、シェイラは笑ったつもりだったが、涙がこぼれてしまった。涙を拭いながら、それでも心は温かさで満たされていくのを感じている。
「受け取っていただけますか。三年前のデザインなので、古いかと思いますが」
「……確認するけれど、本当に私がもらってしまってもいいの?」
「最初から、あなたのものです」
ダニエルは微笑み、そっと指輪をシェイラの指に指輪をはめた。子どものような表情でじっと指輪を眺めるシェイラはかつての筆頭聖女のような輝きではないが、優しく、暖かな光を纏っている。指輪はその光を受けて、彼女の喜びを表現するかのように、きらきらと光り輝いていた。
「すごく光っていて、とっても綺麗……」
「それは、あなたが輝いているからです。……喜んでいただけたようで、良かったです」
ダニエルの大真面目な言葉に、シェイラはいつのまにか自分を取り巻く光が復活していたことを知って、恥ずかしくなった。
後世の歴史書によると、「長身王カルロ」の幼少期に仕えた八十七代目の筆頭聖女シェイラは引退後、夫と領地を賜り、その地を治めた。彼女は聖女の地位を退いた後も聖なる力を失わなかった希有な存在として「大聖女」と呼ばれ信頼を集め、尊重されながら幸福に天寿を全うしたとされている。
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