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easy boy

作者: シブサワエリ

大学のとき、同期で学科も、何なら1年生のときの英語のクラスも第二外国語のフランス語も一緒だった男の子の話である。


彼は、イージーと呼ばれていた。


伊地知くん、イジチくんと言うから、イージー。


センスのいい男友達が、またセンスのいいあだ名を付けたなと思った。


その男友達はあたしのこと、進藤だからシンディーって呼んでくれてて、よく考えたらそれとあだ名の付け方一緒なんだがあたしは普通にシンディーローパーが好きなので最初にシンディーと呼ばれたとき「ヤダ〜ありがとう」などとよろこび、ヘラヘラしていた。


それはそうと、当初伊地知くんはなんか知らんがとてもじゃないけどあたしがイージーと呼んでいい感じではなかった。


あたしが話しかけると、いつも機嫌が悪そうだったのだ。


英語のクラスの、仲がいい一部のメンバーで飲む日に、待ち合わせ場所の喫煙所近くのベンチで、伊地知くんが一人でスマホをいじりながら座っていた。

そのときに話しかけたのが最初だった。


「伊地知くんー」


伊地知くんはちらっとこっちを見るとすぐスマホの方に目を戻して言った。


「どうも」


にこりともせずに。


あら、なんか怒ってる?


あたしが伊地知くんの隣になんとなしに座ると、伊地知くんはまた少しこっちを見ると少し離れて座り直した。


もしかして、嫌いです?

でも別に思い当たることないな。


まあいっか、と思ってあたしは煙草を取り出して火をつけた。


伊地知くんを見ると顔をしかめながらスマホを見ている。


煙草嫌いだったかなー…いや、でもここ喫煙所だから吸っていいだろうが。


などと思いながら煙草を吸い続け、ぼーっと黙りながらみんなが来るのを待っていた。


あたしと伊地知くんが初めて喋ったときのエピソードが、これ。


*


「シンディーもうイージーになんか言われた?」


シンディーとイージーの名付け親である男友達、小田と池袋のHUBで二人飲みしていたときに急に言われた。


「…なんか言われた、とは?」


「えっ?!なんも言われてないの?!」


「…えっ、死ねとかそういう?」


「違う違う!好きとか」


「すきとかぁ?」


何を言ってるのかわからなくてオウム返しした。


「えー…うそうそ」


小田は動揺しながら眼鏡を少し上げた。


「…え、イージーめちゃくちゃシンディーのこと好きだよ?」


「んなわけないよぉ、あたし最初話しかけたときめちゃくちゃ機嫌悪そうだったし今も頑張って話しかけてもすぐ話切られるもん」


「うそうそうそ、そんな童貞ムーブかましてるの…?俺は悲しい、悲しいよ俺は」


ぴえーん、と言って小田はスマホを取り出した。


「…こんなに毎日、シンディーの話ばっかしてるのにぃ」


「え嘘」


と言ってスマホを覗き込もうとすると小田はスマホを隠した。


「人のLINEの履歴覗かないのっ」


「あっそらそうだごめん」


小田は溜息をつくと言った。


「あいつそんな小学生みたいなムーブかますとか嘘でしょ、男子校育ちだとそんな女に対して距離感バグるかね。

あいつめちゃくちゃシンディーのこと見てるのに。今日の服が可愛かったとか、メイクが似合ってたとか、シンディーに話しかけられたこともさ…嬉しそうに話すからいい感じなんだと思ってたわ」


「え、めちゃくちゃ好きじゃんあたしのこと」


「めちゃくちゃ好きなのっ!」


小田はそう叫ぶと紙ナプキンでがしがしとテーブルの結露を拭いた。


「…んー」


あたしは煙草をポケットからとりあえず出した。


「ヤニ行くの?」


「うん」


「行ってらっしゃい」


「ちょっと伊地知くんへの接し方変えるわ」


「…あら」


小田はあたしの顔を見ながら紙ナプキンを丸めた。


「ねえ、それって」


背中越しに聞こえる小田の声が跳ねている。


「そゆことー」


あたしは振り返らずに言った。


「ぶちかませー、シンディー!」


小田がそうエールを送ってくれた後小さくガッチャ!と言ったのがあたしには聞こえた。


*


英語のクラスのイツメンで飲む日が来た。


伊地知くんは、やっぱり誰よりも早く喫煙所にいた。


「よっ、伊地知くん」


伊地知くんは少し目を合わせると、すぐスマホに視線を戻して


「…どうも」


と言った。


あたしは伊地知くんの横に座って、伊地知くんの顔を見た。


なんつーか、いつも若干まぶしそうなんだよな伊地知くん。


キレーな顔してんのにな。


髪真っ黒で、肌白くて、なんかぶかっとしたニットカーディガンいつも着てる。

スマホいじる手もよく見たら華奢だわ。



…あ。


「…あ、堺雅人!」


伊地知くんはビクッとしてからちらっとあたしの方を見ると


「…え?」


と言った。


「誰かに似てると思ったら堺雅人だわ、知らない?菅野美穂の旦那」


「…ちょっと。わかんない」


「え、全然テレビ観ない人?」


「観ない人の方が多いんじゃないの今…知らないけど」


「ほれっ」


あたしはスマホで画像検索をかけて堺雅人の写真を見せた。


「目元とか特に!そっくりじゃん」


「…ぼく、こんなきれいな顔じゃない」


ちらっと見てからイライラしたように言って自分のスマホに視線を戻す。


「待って、伊地知くん一人称ぼくなんだ?!可愛いじゃん」


「……は?」


伊地知くんが怪訝そうに見てくる。


「初めて一人称聴いたよ」


「…そんなに話さないもんね」


「色々話そーよ、これから」


「…ぼく、話つまらな」


「ねえ!寺山読んでんじゃん!?」


好意を向けている、であろう男のスマホは、別に見てもよいのだ。

スマホを覗いたら寺山の歌が飛び込んできたのであたしは叫んだ。


「…え?進藤さん寺山好きなの?」


「おお!進藤さんって初めて呼んでくれたやんけぇ」


あたしの苗字を初めて呼んでくれたなあと思ってそう言って笑うと、伊地知くんはハッとした顔をしてから視線を逸らした。


「…ずっと気になってて、図書館に『田園に死す』のDVDがあったから観てみて、好きになった」


「あたしと全く同じパターン!音楽やばいよね、さ〜いの〜か〜わら〜に〜」


伊地知くんが噴き出した。


「笑ったあ、伊地知くんも笑うんだ」


「そりゃ笑うよ。…おもしろすぎるでしょ、いきなり田園に死すのオープニング歌い出すの。ヘンだよ」


「うそうそー、あたし面白い?ありがと!」


伊地知くんは呆れたようにあたしの顔を見る。


少し口角が上がってて、そのアルカイックスマイルっぽい感じが、余計堺雅人に似て見えた。


あたしは微笑んで伊地知くんの目を見つめ返す。


「…」


すぐ伊地知くんは目を逸らしてスマホをしまった。


「あたしは…さ〜いの〜か〜わら〜に〜、って、歌い出したら即田園に死すのオープニングだってわかる伊地知くんのがおもろい男だと思うけどなー」


煙草を取り出しながら素直な感想を言った。


「…おもろい男?」


「あ、ごめん。バカにしてないよ」


あたしがそう言うと、伊地知くんは自分の左手の爪を見つめながら


「…初めて言われた。そんなこと」


と呟いた。


「昔の映画とか結構好きな人?」


と訊くと伊地知くんは左手から目を離さず頷いた。


「おじいちゃんとおばあちゃんちで…育って、昔の映画、よく観てたから」


「特に好きなのなんかある?」


伊地知くんはちらっとあたしの顔を見ると、


「…蒲田、行進曲」


と呟いた。


「えー!!にーじのーみっやっこっ、じゃん!!」


とあたしが思わず叫ぶと、伊地知くんは笑いながらふるふると首を振って


「なんでそれもオープニング急に歌い出すの、ヘンだよ」


と言った。


「おおー、伊地知くん笑うとかわええ」


とあたしが言うと伊地知くんはさっと無表情になって咳払いをした。


「照れてんの?」


あたしが顔を覗き込むと、伊地知くんは逸らす。


「…かわいくないよ」


「まー、自覚とかあんまできないよねえ、ふふ」


とりあえずずっと咥えてた煙草に火をつけた。


「…昔の映画好きならさ、あたしもキョーミあるから一緒に行こっか。

早稲田座とか。二人で」


二人で、と言ったときに伊地知くんがずっと見つめていた左手の指の動きが止まった。


「やだ?二人。小田も呼ぶ?」


「…その方が楽しいよ」


「そっか。あたしは伊地知くんと二人がいーけどな」


伊地知くんは左手をおろすと、こちらを見ずに


「…なんで」


と言った。


「小田はいつでも話せるしもう高校からの付き合いだからレア感ないけど、伊地知くんは友達になったばっかだからさ、いっぱい二人で話していっぱい知りたいじゃん」


「…友達?」


「うあ、ごめん勝手に。じゃあ、これから友達になりたいっす」


伊地知くんはちらっとあたしの顔を見ると、スマホを取り出して


「…うん」


と言った。


「…はい」


と言ったと思ったら、伊地知くんがスマホの画面を見せてくれたので、なに?と思って覗き込むと、LINEのQRコードが表示されていた。


「…お前、おい、お前〜。

かわいいなあ」


嬉しさとかわいさのあまり伊地知くんの背中を叩くとびくっと震えた。


「…いや、なんでかわいいのか意味わかんない」


「ふふ、わかんないならわかんないでいいよ」


伊地知くんは背中を叩いたら明らかに動揺したようだ。

この感じ、満更ではないな。かわええ。


「とりあえず登録させて頂きやす」


「うん」


伊地知くんは、アイコン未設定だった。

ただし、LINEの名前が。


「…伊地知くん、LINEの名前『easyち』にしてるんだ」


「うん」


「すげえいいあだ名だよね。イージー」


「うん」


力強く伊地知くんが頷く。


「あたしのシンディーってあだ名も小田命名なんだわ」


「知ってる」


「あ、知ってた?」


「…英クラみんな知ってるよ。小田が自己紹介のとき言ってたじゃん。

進藤さんのこと指さして

『隣のこいつは進藤だからシンディーです、俺命名っす、シンディーだけにシンディーローパー好きっす、俺のことは嫌いになってもシンディーのことは嫌いにならないでください』って」


「あー…あれまた小田ムーブだと思ったわ、はは。あったねそんなこと」


あたしは吸殻を灰皿に捨てて言った。


そして、ちょっと二人とも、ぼーっと沈黙。


「なんかみんなおせーなー」


「ぼくらがやたら来るの早いのはちょっとあると思う」


「それはある。あたし遅刻嫌い過ぎてちょっと強迫観念に駆られてるとこある。なんかビョーキなのかな」


「性格じゃない」


「性格ねえ」


煙草もう1本吸おうかと思ったが、箱を鞄にしまって、ふと、思ったことを口に出してみる。


「…今日も別にコースとか頼んでるじゃなくテキトーに飲みたいもん飲んで食いたいもん食って割り勘してバイバイだよね、行く奴は次の店かカラオケかビリヤのいつもの流れでしょ」


「……そうだと思うよ」


「じゃ別に予約二人減ったとこであの店キャンセル料とかみんなに迷惑かからないよね」


「………かからないと思うけど」


伊地知くんがなぜか震え声で答える。


「二人で飲まん?

適当に行けん理由お互い作って。内緒で」


伊地知くんがなんとも言えない表情であたしを見た。


堺雅人、なんかのドラマのなんかのシーンでこんな顔してなかったかな。

なんだっけな。


「やだ?」


とりあえず笑って、首を傾げてみる。


伊地知くんはスマホを取り出すと、英クラのグループLINEを開いて、画面を見つめて黙ってる。


あたしは、何も言わずに伊地知くんの顔を見つめて答えを待つ。


「…やじゃない」


「いい?」


「……うん」


伊地知くんはスマホを見つめたままそう言って頷いた。


「あたしもさあ」


スマホを取り出して、あたしも英クラのグループLINEを開いて適当な理由を考えつつ言う。


「伊地知くんのこと、イージーって呼んでいい?」


「うん」


伊地知くん、イージー…は、まだ欠席の言い訳を考えているようだった。


イージーより先に、あたしが「ごめん、急にバイトの代打頼まれた!ドタキャンまじごめん!」と英クラのグループLINEに投稿した。


「イージー、どこで飲もっか」


イージーは少し黙ってスマホを見つめてたけど、ちょっとしてから欠席連絡を入れることにしたのか、スマホをカーディガンのポケットにしまうと、少しうつむいて


「…どこでもいいよ」


と言った。


「あたしの最寄りまあまあ近いんだけどさ、ヤダ?和光市なんだけど。」


「いいよ、隣だし」


「は?隣?朝霞?」


「朝霞」


「え、じゃ朝霞にしよーよ、あたし定期圏内だし」


「…店、そんないいとこ知らない。地元だけど」


「あ、実家住みだっけ?」


「うん、実家」


「まーいいとこである必要ないしなんもないことないだろ。あ、でもヤニ吸えるとこね!」


イージーはくすっと笑うと目を合わせないまま頷いた。


「イージーがLINE終わったら行こ」


「あ…うん」


「じゃこれ吸い終わるまでに頑張って」


あたしは煙草を取り出して火をつけた。


「うん、がんばる」


「いい子だねえ」


煙草がやたらおいしい。


「…嘘ついて飲みブッチして進藤さんと二人で飲むやつは、いい子じゃないと思う」


「あは、共犯にしてごめん」


「いいよ」


イージーはそう言ってスマホを取り出した。


春風が気持ちいい。


*


伊地知くん。

イージーと、そういうことがあって、7年くらい経った。


なんか今くらいの、あったかい日だったなあ。


などと思いながら、仕事終わりのあたしはいつものように、彼氏と上野にある全席喫煙可能の夢のような喫茶店で待ち合わせをしていた。


小田も含めて、あたしのことをシンディーと呼んでいた大学の仲間たちはそれぞれの仕事とか生活とかがあって、マメに連絡はとっているけどなかなかたくさんで集まることはない。


シンディーって、久々に声掛けられたいな。


いいあだ名じゃん、シンディーも。


「シンデレラ」


やさしい声が後ろから聞こえた。


彼氏登場である。


「達夫さあ、そのイジりやめろっつってるでしょ」


「イジりじゃないもん、ガチシンデレラだもん」


彼氏がにこにこしながらあたしの向かいに座る。


「12時過ぎても、てか一生、魔法が解けないシンデレラの進藤明日香さんだもん」


彼氏は店員さんを呼んで、ブレンドを、とスマートに注文する。


「夕飯どうしよっか」


「作るのだるい」


「ぼくも今日はだるーい」


へへへへー、とあたしたちは顔を見合わせて笑った。


あ、紹介が遅れました。


彼氏の名前は、


伊地知達夫という。


イジチタツオ。


大学二年の夏くらいから、付き合いだした。


これは本当に〆の余談だけど、大学二年の冬休み、池袋のHUBに小田を呼んで、わざと遅れて行った。


手を繋いで。


小田はあたしたちを見て、人目も気にせず泣き崩れた。


あんな不細工な泣き顔をあたしは見たことがなかったし、これからも見ることはないと思う。


小田は鼻水を垂らして、眼鏡の縁に涙をいっぱい溜めながら、それだけでなく、目から涙をぼろぼろ流して、しゃくりあげながら言った。


「結婚式の余興、まかせてね」


って。


うちらいつ結婚するんだろうな。


などと思いながら、ブレンドに砂糖とミルクを入れる彼氏の顔を見てた。


あたしらもう数えで27になるね。


また5月が来るね。

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[良い点] 小田の最後の号泣と「結婚式の余興、まかせてね」の一言が"It tells all"で、キュンとなりました。bitter-sweetで良い話だな、って思いました! [一言] これからも頑張っ…
[良い点] 大学生の青春?って感じに凄く引き込まれました。 シンディ・ローパーとか有名人の話に、作者の知識豊富さが伝わってくるなあ~と思いました。 最後も綺麗にオチがついて凄い!‥と思いました。 […
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