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3.丘の上のお屋敷

3日後、メイは馬車に揺られながら身を縮こめていた。

アグラヴェイン卿の住まう屋敷は街から外れた小高い丘の上にある。

窓から丘の方を見上げると、紫のモヤのようなものが地面にかかっている。

父はその様子を「死神の発する瘴気だ」と不気味がっていた。

その上、屋敷の周辺にだけ大きく暗い雲が空を覆っている。

言葉を選ばなければ、とても不気味だった。


メイの心を不安が支配する。

(私はどうなってしまうのでしょうか……)

彼女は王の勅命を受けた後の食卓を思い返す。

食事の席は、メイの婚約が決まったにも関わらず、葬式とも見紛うような暗い雰囲気に包まれていた。

もちろん、テーブルに載っているのもいつもと同じ。メイの作った質素な食事だ。


「アグラヴェイン卿は決して噂のような人物のようには見えませんでした……」

「いいえ、お姉様。それは卿の仮初の姿。きっと本性は噂と違わぬ死神に違いありません」

鈴の音のように可愛らしい声が響き渡る。

妹のアイラが胸の前で手を組んで言う。その姿はまるで吟遊詩人の歌によって語り継がれている聖女のように気高く美しい。

「そうだ。メイ。お前はすぐ人に騙されるからな。あれは恐ろしい者だ。お前も見ただろう。あの冷たい視線を!!」

「えっと」

メイは言い淀む。アグラヴェイン卿は父の言うような冷たい視線をメイに向けたりはしていなかったように思う。むしろ、助けを求めるような……困惑をしていたような……。

しかし、父が言うならばそれは気のせいだったのかもしれない。

「あやつはお前を悪魔の生贄に捧げる気だ!」

ピシャリと言う。

「メイ……」

「お姉様、おいたわしや……」

母とアイラは涙を浮かべていた。

同情されるのは愛されているようで少し救われる。


父は酒杯を煽ると、乱暴にテーブルに叩きつける。

上品とは言えぬ貴族らしくない振る舞いだが、父は時折そういう風に酒を飲む。

「だいたい、なんなんだ。あいつは。異国の者でありながら王に気に入られよって。絶対に魔術を使ったに決まっている。ああ、不気味で仕方がない」

父はアグラヴェイン卿をあまり好ましく思っていない。

彼は、王宮で文官をしている。アシュクロフト家は3代続く文官の一族なのだ。

前王の時代、彼は王に気に入られていたようで、いつも機嫌よく自慢話をしていた。

あの頃、彼は幾度となく「俺は出世するんだ。王と約束したからな」と語っていた。

メイにとっても、彼は自慢の父であり、彼が言うならそうに違いないと思っていた。


しかし、アーサー王に代替わりし、アグラヴェイン卿が宰相として抜擢された際、父は出世どころか別の仕事を言い渡された。

事実上の更迭である。

以来、父は酒の量が増え、その皺寄せで屋敷の使用人が1人、また1人と去っていく始末。


父は、酒に溺れるたびにアグラヴェイン卿への恨みをこぼしていた。

すると、母とアイラが優しい慰めの言葉をかける。

これがお決まりのパターンだった。

現に今も、「お父様……きっとすぐにアグラヴェイン卿の罪が白日のもとに晒されるはずです」「あなた。心配は要りません。王は正直を取り戻すことでしょう」と二人は父に優しく寄り添っている。

(私も何か言わないと……)

メイは思考を巡らせ、父にかける言葉を考える。

誰かを恨むのは辛いことだ。どうか、前向きになって欲しい。

「お父様」

「なんだ」

「お仕事、頑張りましょうよ! そしたらアグラヴェイン卿もわかってくれると思います」

父は顔を真っ赤にして怒号を飛ばし、メイは部屋から追い出されたのであった。



馬車に揺られ、メイはため息をつく。

(またやってしまいました……)

彼女の失言はいつものことだ。その度に父を怒らせてしまう。

その後、アイラがメイの部屋を訪ね「お姉様はアグラヴェイン卿の前ではあまり口を開かない方がいいかもしれません」とアドバイスしてくれた。

(アグラヴェイン卿の前では気をつけないと)

メイは唇をキュッと結ぶ。すると、ついでに目までギュッと瞑ってしまい、目の前が真っ暗になった。

視界が暗くなると、不思議と気持ちも落ち着いていきた。

(アグラヴェイン卿……本当に悪い方なのでしょうか……)

暗闇の中に浮かぶのは、葡萄酒を溢した時のアグラヴェイン卿の顔だった。

思い出してみれば、彼は眉を下げ、優しい表情をメイに向けていた。

そうだ。そうだった。

自己嫌悪と緊張によって記憶の山の中に埋もれてしまっていた。

そうして、彼はだれにも聞こえない声でこう言ったのだ。

「どうか、気に病まないでください」、と。

思い出すと、メイの胸の中にじんわりと暖かいものが広がる。

しかし、頭を左右に振ってそれを振り払う。

(お父様が嘘を言うなんてあり得ません!)

メイは父の仕事ことはよくわからない。

父の言う通り、アグラヴェイン卿は彼から未来を奪った極悪人かもしれない。

(ちゃんと身構えていきましょう)

彼女は覚悟を決めると、馬車を降りて屋敷を目指し歩き出した。



メイはドレスをたくしあげ、紫の霞を思わせる花畑を歩いていた。


アグラヴェインの屋敷に向かう事を御者が怖がってしまい、屋敷の少し手前で降ろされたのだ。

そのため、屋敷までの坂道を徒歩で向かう以外の選択肢はない。

とはいえ、幼い頃から好奇心の赴くままに野山を駆けまわっていたメイである。

これしきの事で悲鳴を上げるようなヤワな脚は持っていない。

(小さくてかわいいお花です)

地面を覆うもやの正体は、この花畑だったらしい。

花を間近で見れば魚の口を思わせるちいさな花が、一本の茎に鈴なりに咲いている。

空さえ晴れていれば、ちょっとしたピクニック気分にもなれただろう。


そうして丘の頂に建つ屋敷に到着すると

「ごめんくださーい」

メイは控えめな声をあげる。

どうしてだろうか。この屋敷を前にすると、ついつい声をひそめてしまう。


屋敷は古びており、人が住んでいるとは到底思えない様子だった。「幽霊が住んでいる」と言われても疑う者の方が珍しいだろう。


「ごめんくださーい」

何回か同じように声をかけても使用人一人現れる様子がなかった。

メイの声は次第に大きくなっていった。

大声で数回頑張ってみたが、やはりどうにもならなかった。

メイは諦めて「本当にごめんなさい」と口の中で唱えると、扉を開ける。

不用心にも鍵が掛かっておらず、屋敷にはあっさりと入る事ができた。


メイはおそるおそる脚を前に出したり引っ込めたりしながら屋敷の廊下を進んでいく。

屋敷の中は暗く、とてもひんやりとしている。

随分と廊下を進んだが、使用人とは誰一人ともすれ違わない。

何より、うっすらと鉄の匂い――おそらく血だ――がする。

『アグラヴェイン卿は逆らった使用人の魂を奪っている』

メイの頭の中で父の言葉が呼び起こされる。

(噂は本当だったんですね……!)

そんな噂を思い出し、メイは恐怖で身を縮こまらせた。


屋敷を進んで行くうちにメイはあることに気づく。

(血の匂いが濃くなっています)

咽せてしまいそうなほどの悪臭である。

恐怖感も限界近くまで来ており、脚がすくんで仕方ない。

だが、メイは逃げ出したりはしなかった。

逃げ出す事ができないと言った方が正しい。

(きっと、私が逃げたら家族のみんなに迷惑を掛けてしまいます……)

それだけはしたくなかった。

野蛮である自分をここまで育ててくれた父や母。

こんな自分の悪い所を教えてくれた妹。

彼らへの恩義は計り知れない。ここで逃げ出せば、アグラヴェイン卿が何をするかわからない上に、アーサー王の不興も買ってしまうのは想像に易い。


メイは、意を決して血のにおいの発生源とも呼べる部屋――厨房に足を踏み入れた。


すると――そこには居た。

黒い何かがのっそりと体を持ち上げ、立ち上がらんとしている。

否、それは人間の若い男であった。


シニヨンでまとめた黒い髪の、黒衣の美丈夫――アグラヴェイン卿その人である。

カラスを思わせる黒衣が開け放たれた窓から差し込む光に反射し、ぬらぬらと不気味に光っている。これはきっと血液だ。そうに違いない。

メイの心臓が早鐘を打つ。


アグラヴェイン卿はゆっくりと振り返り、青白い肌にはらりとかかった濡れ羽色の前髪を控えめにかきあげる。

メイは猛スピードで後退し、壁にぺとりと背中が付くと、ぶんぶんと手のひらを振っていかに自分が無害であるかをアピールして見せた。

「ご、ごめんなさい! わわ、私、見てしまうつもりは無かったんです!」

(これはまずいです! この血って屋敷の使用人さんのものでしょうか? どどど、どうしましょう! ヒミツを知ったら殺されてしまうのでしょうか?)


アグラヴェイン卿はというと、じっとメイを見つめている。

切れ長の目の中に飼った鳶色の瞳からは、人間らしさというものを感じない。


しかし、次の瞬間。

「ごご、ごごごご!!!!!」

彼は先ほどのメイ同様に猛スピードで後退してしまったではないか。

「ご、ご、ごめんなさい!! もうこんな時間だったんですね!!!!」

「へ」

 メイは目を点にしてあちこち歩き回るアグラヴェイン卿を眺めていた。

「どど、どうしよう。『アレ』はうまく作れなかったし……うーんうーん、そうだ!」

 卿はふっと立ち止まり、何かひらめいたかのようにぽんと手を叩く。

「まま、まずはお茶です。お茶を入れてきます!!!」

そう言うが早く、卿はぴゅんとどこかへ足早に去って行ってしまった。それこそ、カラスのように。

(なな、ななな……なんですか、この人ーーーー!)

メイは頭の中が沸騰した具罪たっぷりのスープになってしまったかのようだった。

いろんなものがぐつぐつと吹きこぼれているのだ。

キャパオーバーというやつである。


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