【転生の日】
「ローアル! ローアル大丈夫!」
マリーは切羽詰まった表情で俺を見る。正直びびった。あのままマリーが倒れこんでいたら、俺はマリーと石畳に挟まれてぺちゃんこになっていただろう。しかし何が起きた? 例の光が収束したのは感じたが、それを吐き出すなんてことは経験がない。この力にそんな使い方があったとは、俺はただの仙人ではなく〇-MENだったようだ。
「そこの女ぁー!」
俺がくだらないことを考えていると先ほどの馬車から小太りの男が降りてきた。悪びれることもなく横柄な態度でマリーに近づく。指には趣味の悪い指輪をしており、いかにも成金という感じだ。
「な、なんですか?」
マリーが怯えたように俺を男から遠ざける。
「その赤子。今、魔法を使ったな?」
魔法? 何言ってんだこのおっさんファンタジーでもあるまいに。いい加減にしろ。あとマリーが怯えてるだろ離れやがれ。
「な、何を言っているんですか? 魔法など貴族様にしか使えないもの。この子は平民の子です!」
ちょっと待てマリー。貴族様は魔法使えるのかよ。というか魔法? 貴族様? 頭が混乱してきた。
「いいや! さきほどのものは確実に魔法だ! ワシは貴族様が魔法を使うところを見たことがあるからな。間違うはずがない! 魔法を使う平民の子か…ぐふふ、金の匂いがプンプンしよるわ…」
下品に笑うおっさん。え、何この流れ? 俺売られちゃうの? 汚いおっさんとマリーを比べるなんて比べるだけ時間の無駄だ。汚いおっさんの元へなど行きとうない。
「勘違いです! この子はそんな…」
「なにぃ! この大商人のトンガ様が勘違いしただとぉ! 調子に乗りよって! ほぅ…先ほどの事故でうちの馬が怪我をしてしまったようだなぁ…」
もちろん馬はピンピンしている。言いがかりもいいところだ。野次馬がざわつき始める。中には「横暴だ!」「いい加減にしろ!」など野次を飛ばす者もいるが、おっさんは「ええい! うるさい!」と一蹴する。
「馬の怪我を治すためには金貨10枚…いや、20枚は必要か? すぐに払ってもらおうか?」
「そんな大金…」
「払えないというのならその赤子で手を打とう。さっさと寄こせ!」
おっさんは俺に手を伸ばす。
「そこで何をしている!」
声が響く。野次馬をかき分け衛兵が到着した。何とかなりそうだ。横暴な商人もこれで黙るだろう。マリーもほっとしている表情をしている。
「ふん、衛兵か。何、この女がワシの馬に怪我を負わせたので治療費を請求していたのだ。何か問題があるのか?」
「こ、これはこれはトンガ様でしたか…」
強気に割って入ってきた割にトンガの顔を見るや否や弱気になる衛兵。これはまた雲行きが悪くなってきた。
「何かの間違いです! 馬は怪我などしていません!」
「んー、どうなのだ衛兵よ? このワシが嘘を言っているとでも言うのか? どうなんだね? 確認するのであれば確認するがいい。」
「…」
衛兵は沈黙しながら顔を伏せ、弱気な足取りで馬を確認する。甲冑に隠れて表情は窺えないが葛藤が読み取れる。
「で? どうなのだ衛兵よ? この馬は怪我を負っているのかいないのか。まぁ、君の返答によってはこの街の行く末が大きく変わるかもしれんのぉ…ええい! どうなのだ! 答えてみよ!」
凄むトンガに衛兵は顔を伏せ肩を落とす。最初の威勢はすっかり鳴りを潜めてしまっていた。
「この馬は…怪我を、負っています…」
「そ、そんな衛兵さん!」
マリーはそんな馬鹿なと顔をゆがめる。不愉快な感情が俺の中を渦巻いていく。
「そうだろう、そうだろう! ふん、時間を取らせよって!」
「衛兵さん。何とか、なんとかしてください! 私のたった一人の家族なんです!」
そう言いながらマリーは衛兵にすがりつく。
俺はこの表情を見たことがある。生まれ変わる前の記憶だ。父さんが死んだとき、母さんが父さんの棺桶にすがりついていたときの顔だ。
「すまない…すまない…」
衛兵は弱々しくそう繰り返すだけだった。
衛兵のこの感情も知っている。どうしようもない現実を突きつけられたときの焦燥だ。
「だ、だれか! 誰か助けてください!」
「…」
周りの野次馬も顔を伏せ黙りこくる。
これも知っている。理不尽に抗えないことに対する落胆だ。
「ええい! 被害者ぶりよってこの貧民が! 被害者はワシのほうだ! いいからその赤子を渡すぬか!」
トンガがマリーから俺を奪い取り、そして突き飛ばす。
「あぁ! 私の坊や…」
突き飛ばされたマリーの姿を見て父さんが死んだときの打ちひしがれた母さんの姿が声が脳裏をよぎる。
また、俺は失うのか? 俺を大切に思ってくれる人を悲しませ、何も恩返しができないまま理不尽を突きつけられるのか? 冗談だろ。
俺が空虚になっていく感覚。何も聞こえない。世界を包む無数の光が俺の中に流れ込む。同時に周りの空気が冷気を纏い吹きつける。
「急に背筋が…ああ! な、何だ!」
俺の身体が光り輝く。
驚いたトンガは俺を宙に放り出すが、俺はそのままゆっくりと宙に浮かび上がる。
いい加減にしてくれ。いい加減にしてくれよ。マリーを、“母さん”を悲しませてはいけない。今度こそ絶対に。
トンガに殺意を向ける。光がさらに収束し輝いていく。
「な、何だこれは…こんなもの知らん! たた、助けてくれぇ!」
トンガは尻もちをつき、ガクガクと震えている。
理不尽に抗わなければならない、潰さなくてはならない、そのために努力しなければならない。
「ローアル、ローアル! 私の可愛い坊や!」
マリーの声が聞こえた。心地のいい声だ。光の中からマリーの姿が見えた。ブロンド髪はぼさぼさで、身なりもボロボロだ。しかし、それでも深く深く澄んだ青い瞳は、それはそれは心配そうに俺の姿を見据えていた。
緊張の糸が切れてしまった。それと同時に制御を失った様々な光が急激に霧散、収束を始める。
ダメだ。もう制御できない。意識が飛びそうだ。
「ああッ! ローアル!!!」
その瞬間、俺は吹き飛んだのだった。