【落月の日】
11のときに父さんが死んだ。
母さんはとても悲しい思いをしたと思うが、涙を流す俺を励ましてくれたのは母さんだった。母さんは気丈だった。時間が経ってから気づいたことだが、母さんは幼いころに自身の父も失っていたから、本当に運命って残酷なものなんだなと思った。
俺が20代後半に差し掛かったころ、俺にも結婚を考える人ができた。こんな気持ちになったのは初めてだった。欠点だって好きだった。その人のためならなんでもできると思えたし、なんだって差し出せると思えた。
でもそうはならなかった。
俺の好きな人は もう疲れた。 と俺のもとから去ってしまった。きっと俺の欠点は受け入れられなかった。こんなにも愛しているのにと、一人になった部屋でドアノブと台所に掛けてあるタオルを交互に見て嗚咽を漏らした。
こんなことは考えてはいけない。絶対にあってはならない。最愛の3人目を失うなんて残酷すぎる。何もなくなってしまったなんて嘘だ。母さんを悲しませないように生き続けるだけでいいじゃないか。俺が健やかであればそれだけで幸せにできる人がいるじゃないか。そう思うと俺は踏みとどまれた。
俺はまた母さんに救われた。
立ち直れたとは言えないかもしれないが、少なくとも俺は生きていた。最期に見た光景はなんだったか。走らせる車のフロントガラスから見えたものは、飛び出す子供とダンプだった。迫る電柱。あとは真っ暗だ。
母さん、ごめんね。
きっと俺は死んでしまった。