幕間 背脂増しチャーシューメン大盛
「お待ち」
どん、と目の前に丼がふたつ置かれる。
スープに浮いた脂の量が尋常でないのを見て、倉田真斗は内心でうわぁと思ったが、それを顔に出すほど子どもではなかった。
ちらりと隣を見れば、先輩刑事は、分厚いチャーシューとニンニクを追加したものに、猛然と挑みかかっている。
「腹減ってねぇのか」
「いやぁ、そりゃぺこぺこですけど、だからこそ、すきっ腹にけっこうヘヴィだな、って。よく来るんですか、ここ」
ひとまず、れんげでスープをひとすくい。熱いスープはきわめて塩分濃度も高かったが、それはそれで疲れた身体に沁みていくようだ。確かに味は悪くない。
「だいたいな。いつでもなんでも食えるようになっとけよ」
「ご教示ありがとうございます」
言い方によっては皮肉のようだが、倉田の朴訥な面差しは、本心からだと感じさせる。この顔のおかげで、上下関係に厳しい体育会系社会で得をしてきた。
しばし、新人刑事とその先輩はラーメン屋のカウンターで食事に没頭した。
時刻はすでに真夜中を過ぎていたが、繁華街のはずれにあるこの店は、夜の街の住人で繁盛していた。
おせじにもきれいな店はなかったが、足を棒にしての地取りの後に、先輩に連れられてきたことが、タフな刑事の仲間入りを認められたような気がして、嬉しくもある倉田であった。
「聞いてもいいですか、江戸川さん」
「ん?」
江戸川譲史は、虎のようにチャーシューを噛みちぎりながら、後輩刑事に一瞥もくれず、声だけで返事をした。
「なんで刑事になったんですか?」
ずぞぞぞ……とわざとのように大きな音を立てて麺をすすり、もごもごと頬張りながら、無精ひげまみれの先輩刑事は、
「もぅぐぅうごぉあ」
と言った。
「食べてからでいいです」
「そういうことは」
曇ったグラスに注がれた水を、ごっごっと飲みくだし、譲史は言い直す。
「刑事にいちばん聞いちゃいかんことだ」
「なんでです?」
「みんな照れ屋だからさ」
「はぁ?」
意味がわからず、説明待ちと言った顔の倉田をよそに、譲史はラーメンにコショウを振り、酢を回し入れ、フライドニンニクチップを追加する。
「だからな。つまりその……『正義の味方』だろ、刑事って」
「ああ……つまり、社会正義のために志したっていうのが小恥ずかしいから聞くなってことですか? 江戸川さんもそうなんですか?」
「柄じゃねぇだろ」
「いいことですよ。なにかきっかけが?」
「んー……」
話そうかどうか、迷っているようだ。
見つめていると、話してくれそうにないので、倉田は自分のラーメンをやっつけはじめた。
しばし、麺をすする音だけが続いたが、ふとその音が途切れたときに、ぼそり、と低い声が聞こえてきた。
「……ヒーローに憧れたんだよな」
「子どものときに?」
「いや」
盗み見た横顔は、とても遠くを見ているような目をしていた。
「俺さ、高校生くらいんときに、事故にあって、死にかけたことあんだわ」
「そうなんですか?」
「そのときの記憶あいまいで、よく覚えてねぇんだけどさ。夏休みのあいだずっと入院してて」
「へぇ」
「そのとき……誰かに助けてもらったような……夢だったのかもしれねぇんだけど、そういう記憶があって」
「救急隊員とか?」
「いや、なんかそういんじゃなくて……ほんと、マンガか映画のヒーローみたいな……そういうやつに」
「……」
「ときどき、夢に見るんだよな。……顔とかわかんねぇんだけど、なんか、すげぇかっこいいような気がして」
「それで……刑事になったんですか? レスキュー隊とか、そういうんじゃなくて?」
「なんか……俺も戦わなきゃ、みたいな気がしたんだよなぁ」
「江戸川さん……。意外とスピリチュアルなんすね……」
「おまえ! バカにしたな」
「ち、ちがいますって!」
そこから先は、他愛もない雑談に流れた。
代金はふたりぶんとも、譲史が払った。
「ごちそうさまです」
律儀に礼を言う倉田を、面倒くさそうに片手であしらいながら、譲史はそっぽを向いて言う。
「今日の話、誰にも言うなよ」
加熱式タバコをふかしながら、歩き出す譲史の背中を追う。
ラーメン屋のある路地から出ていく譲史の姿が、繁華街のネオンのなかに溶けていくようだったのを、倉田は、その後、折に触れ何度も思い出した。
ヒーローに憧れたんだよな――。そう言った譲史の、意外なほどやわらかな声音とともに。




