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21 黙示録

「なんだこいつら」

「《チョーチョー人》です」

「名前なんかどうだっていい」

「質問したじゃあないですか」

「問題はどう見ても俺たちを生かして帰さないって雰囲気だってことだろうが」

 低く囁きかわしながら、ラヴクラフトと譲史は慎重に距離を測る。

 猿人たち――ラヴクラフトによれば《チョーチョー人》――は、手に手に武器を取った。それは先史人類が木の枝に石をくくりつけて手斧を作ったがごとくに、電源タップに二穴パンチをテープでぐるぐる巻きにした斧状のものであったり、つっぱり棒の先に果物ナイフをとりつけた槍であったりした。

「どうする。上へ逃げるか」

「上階に別の一団がいたら挟まれて詰みです」

「外にはさっきのがいるんだろ。どっちにしろ詰んでるんじゃねぇのか」

「絶体絶命というわけですね」

 しびれを切らしたように、猿人が声を発した。それは不明瞭な唸り声のように聞こえたが、かれらの言語による号令だったのか、一団はいっせいにふたりに襲い掛かってきたのだ。

「強行突破しかありません、出口へ走って!」

 ラヴクラフトは譲史の背中を押し出した。彼を前へ行かせながら、自身は手袋の指を噛んで剥ぎ取り、右掌に刻んだ印を猿人へ向けた。それだけでも、かれらを一瞬、怯ませる効果はあったようだ。しかし、怯ませただけに過ぎなかった。それ以上の効能は発揮されない。

 譲史は、ビルのエントランスのガラスが、巨大な影に覆われるのを見る。

 それはのたうつ蛇とも芋虫ともつかぬ、ぶよぶよとした円筒形の胴体であり、胸の悪くなるような色彩のまだら模様をしていた。その頭部は蛇に似ていたが、このサイズであればほとんど恐竜と言ったほうが正しかっただろう。

 怪獣は、エントランスのガラスを突き破って、その恐竜じみた頭部を建物内へと差し入れる。

「右へ!」

 ラヴクラフトが叫んだ。

 譲史は右に。ラヴクラフトが左に。くわっと開かれた顎の寸前で、ふたりは二手に分かれてその噛みつきを避け、大口の餌食となったのは、かれらを追ってきていた猿人の、先頭にいた一人であった。

 ぎゃーっと大きな声をあげ、もがく猿人を咥えたまま、怪獣はずるりとその首を抜くと、長大な身体をくねらせて、獲物を得た歓喜に震えているようだった。

 残る猿人たちは、畏怖すべき神の威光にうたれたように、一様にその場に身を伏せ、口々に祈りのような声を発していた。

 その声をかき消すように、銃撃と爆発の音が外から聞こえ、びりびりと建物全体が振動するのが感じられた。怪獣のものとおぼしき咆哮も聞こえる。

 砕け散ったガラスの山を飛び越えて、エンジン音を轟かせながら一台のバイクが飛び込んできた。バイクに跨った人物が手にした機関銃が火を噴き、驟雨のような弾丸がフロアを穿ってゆくなか、猿人たちは悲鳴をあげて散り散りに逃げ出してゆくのだった。

「アヴドゥル、助かりました」

 ラヴクラフトが救い主である執事に駆け寄って行った。

 受付のデスクの陰に身を隠していた譲史は、軍用ヘリが空を行き交うなか、その向こうの空へと怪獣が飛び去ってゆくのを確かめると、大型バイクに跨ったアラブ人執事とラヴクラフトのほうへと向き直る。

「譲史、ソニアと繋がっています」

 執事が差し出したタブレットの画面のなかで、厳しい面持ちの女性軍人が話し始めた。

「ラヴクラフト、やはりすぐにノーデンス号に帰艦してちょうだい」

「なぜです」

「なぜ、ですって。《忌まわしき狩人》が跋扈するなかで散歩する人なんていないのよ? それに……よく聞いて。在日米軍および米国政府関係者すべてに帰還命令が出たわ。大統領は……東京に大陸間弾道ミサイルを発射する準備に入っている」

「なんですって!?」

 ラヴクラフトの顔色が変わった。

「おい、待てよ。そいつは聞き捨てならんぞ」

「ミスター、お気の毒だけど、国連加盟国が秘密裡に結んでいる《アーカム条約》によって、これは認められた行為とされています」

 女性軍人はぴしゃりと言い切ると、続けた。

「東京を中心に、目下、急速な情報汚染が拡散しているの。デジタル化された《禁書》のテキストが、昨晩からインターネット上に次々とアップロードされている。情報はコピーされ……いえ、自己増殖しながら、ネットワークの中を広がっているわ。一部はすでに国外にも流出していて、各国の情報機関は遮断を試みているけれど、時間の問題。このままでは……世界が滅びる」

「は……!」

 ソニアが真顔で言った言葉に、譲史は失笑を返したが、笑ったのは彼だけだった。

「……ソニア。《アーカム条約》の内容はぼくも理解しています――起案者の一人なんですからね……。しかし、この場合、すでにネット上に《禁書》があるのだとすれば、東京を核攻撃で消滅させたとしても意味がありませんよ」

「CIAは、東京のどこかに、《禁書》のオリジナルデータを収めたサーバがあることを突き止めているの。それを物理的に破壊できれば、被害の拡大スピードは確実に抑えることができる。事態を収束できなくても、対策のための時間が稼げるのよ。もはやこれが私たちに残された最善の策なの」

「いいえ、それは違います。ぼくがサーバの場所を探し出せばいい。ソニア、大統領の帰還命令には、当然、ぼくも含まれているのですよね。そのぼくが東京にとどまっている以上、ぼくを見殺しにして核ミサイルのボタンは押せないはずだ」

「それは思い上がりね。いくらあなたでも、あなたひとりの生命と全人類の運命は天秤にかけられないわ」

「ならそれでもいい。とにかくぼくは今からサーバの場所を探します」

「ハワード……!」

 ソニアは悲鳴のような声で、ラヴクラフトのファーストネームを呼んだ。

「どうしてなの?」

 その声は震えてさえいたかもしれない。

「それはあなたたちがいちばんよく知っているはずですよ。ぼくがなぜ、プロヴィデンスの墓の下で眠っていないのか。それが答です。このくらいの頑迷さは、許されてもいいとは思いませんか?」

 ラヴクラフトが、画面へ向けたまっすぐな視線を、ソニアは目を伏せて受け止めることを回避した。

「……なんとか一時間だけ、大統領から時間をもらうわ」

「ありがとう、ソニア」

「見せたいものがあるの」

 画面が切り替わる。

 それは監視カメラの映像だった。パーカーを着た一人の青年が歩いている姿だ。

「彼は、ぼくを襲った《猟犬》ですね」

「都内在住の大学生だということがわかったわ。この映像は昨日、都内で録画されたもの。現在の所在は不明」

「それは見つからないでしょう。()()()()()()()()()()()()()()、遺体は海に沈んだのですから」

「ええ。でも、過去の記録は見つかった。彼は港区のあるクラブが出した求人に応募して、六本木まで出向いている」

「そこで《禁書》の情報汚染を受け、《猟犬》に変えられた。……そのクラブの住所はわかっているんでしょうね」

「アヴドゥルに送ってあるわ」

 画面はソニアに戻った。

「ソニア、感謝します。もうひとつ、お願いをしてもいいでしょうか。米軍で譲史を保護してもらいたい」

「おい!」

 譲史が鋭く声を発した。

「勘弁してくれ。またお姫さま扱いか?」

「ここから先は、さすがに無理です」

「言ってくれるよな。だが俺も仕事なんでな」

「仕事?」

「まさか忘れたのか? 俺は警視庁捜査一課の江戸川譲史警部補だ。東京都民の安全を護ることで、俺は給料をもらってるんでね。おまえたちだって任務のために動いてるんだろう? ならそれは俺だって同じだ。俺たちは同じ目的のために行動している。俺も世界を救うチームに入れてもらうぞ」

「しかし」

 ラヴクラフトは逆説の接続詞を口にしたが、その先に続く言葉をにわかには見つけられなかったようだ。譲史は、教師を言い負かした生徒のよう強気な笑みを浮かべた。

「……この先は、《禁書》による高濃度な情報汚染の危険性が非常にあります。譲史、あなたは過去に『ルルイエ異本』に接触した経緯もありますし」

「俺が例の半魚人になっちまうことを心配してるのか?」

「むろんそうならないことを――」

「だったらな、ラヴクラフト」

 どん、と、譲史はおのれの拳をラヴクラフトの厚い胸に押し付けた。

 真剣な眼差しが交錯する。

「そのときは、おまえが俺を殺してくれ」

「!」

 ラヴクラフトは息を呑んだ。

 隻眼が、こぼれんばかりに見開かれて、譲史を見つめる。

「変異した人間は容赦なく殺す。それがおまえたちの任務のやり方なんだろ? 別に責めてやしないさ。俺はただ、俺にも覚悟があって言ってるってことをだな」

「ラヴクラフト」

 再び、タブレットの画面からソニアが呼びかけてきた。

「あなたたちのメロドラマの間に大統領に話をつけた。悪いけれど、ミスターを回収している時間もないわ。すでにカウントダウンは始まっている。すぐに行って、ふたりで世界を救って」

 ラヴクラフトはなにか言いかけたが、その言葉を苦々しげに呑み込んだ。

「……了解しました」

 画面の向こうで、ソニアはどこか哀しげに微笑む。そして言うのだった。

「どうか生きて戻ってちょうだい、ハワード。世界はまだ、あなたを……いえ、今こそあなたを必要としているのだから、H.P.ラヴクラフト」

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