88.最後の一手 ***
相対する父と息子。睨み合いが続く中、その均衡を打ち破ったのはドニーだった。
「時間が無い。父親だろうと関係ないね」
ドニーは足元に魔法陣を展開すると、そのまま溶けるようにして地面へと沈み込む。変質系魔法の一種である泥魔法・潜伏だった。
「……潜伏。そりゃ俺の土俵に立つってことでいいんだな?」
泥中の狩人が最も得意とする魔法こそ、変質系魔法。ユーニは続いて泥魔法・潜伏を行使した。
地中を掘り進むように蛇行する二人はまるで彗星の如く、縦横無尽に駆けて激しい衝突を繰り返す。地中での激戦ではありながら、地上には轟音が響いた。
しばし経とうとも局面は進展しない。二人の威力は拮抗していた。それでもドニーは、着々と危機感を覚え始める。
(……オッサンのくせして、俺と肉弾戦で対等かよ。闇雲に魔力を使い続けるのは得策じゃねぇ)
事実、全身の肉体を変化させる潜伏は魔力消費が激しい。ドニーは自身の魔力消耗の速さから、地上戦への移行を試みた。
そしてドニーは地中から勢いよく飛び出す。そのまま高く飛び上がれば、すぐに地面を広く警戒した。潜伏からの奇襲とはすなわち常套手段。同じ魔法の使い手だからこその備えだった。
しかし泥中の狩人は、一枚上手だった。ドニーへ襲い掛かったのはユーニ本人ではなく、男の泥魔法・触手。八本の触手は地中から這い上がるや否や、すぐに空中のドニーを包み込み、そのまま彼を地上へ叩き落とすべく脈動した。
触手の配置はもはや達人の領域であり、ドニーに逃れる術は無かった。八本の触手はドニーを地面へ押し潰し、身動きも叶わないほど強力に固定する。間一髪のところで防御魔法陣を展開することで、生身での触手の直撃は回避できたものの、危機的な状況には変わりなかった。
触手はいまだ強力な力をもってドニーを押し潰し続ける。身動きを封じられた中、彼に迫られた選択肢は一つ。泥魔法・潜伏の再起動だった。
そして為す術無く、ドニーは再び泥へと沈み込む。しかしそこは既に、狩人の狩り場。ユーニは再び地中へ再来したドニーに急接近し、泥の肉体のまま一撃の蹴りを繰り出した。ユーニの一撃は、ドニーの脇腹を捉える。真正面から受けてしまったドニーは、その勢いのまま再び地上へと放り出された。
ユーニはドニーを追うように地上へと再臨し、更なる追撃を試みる。空中で体勢の崩れたドニーは、すかさず左腕からの強烈な一撃を顔面に受けた。
ドニーの体は軌道を変えて吹き飛ばされる。その勢いが死んだのは、付近の茂みがドニーの体を受け止めてくれたときだった。
ドニーは額から流れる血を拭いながらも、受けた打撃の威力からあることを察する。
「この威力……強化魔法まで使えんのか」
ユーニの戦闘は泥魔法での防御及び拘束と、強化魔法での攻撃を併用した万能の型。男は発現魔法と付加魔法の双方を使いこなす、双魔導師と呼ばれる存在だった。
「マズいねこりゃ。俺は強化魔法の適正無かったのに。遺伝しとけっての!」
ユーニは暇を奪うべく、強化魔法・俊敏を行使し、凄まじい速度でドニーへ接近した。ドニーは苦肉の策ながら魔法を行使する。
「泥魔法・弾丸!!」
放たれた複数の弾丸は、泥で形成されたユーニの右腕へ飲み込まれる。もはや防御魔法陣にすら頼らない防御に、ドニーは顔が引きつる。
それでも男の心を折るには至らなかった。ユーニが防御に費やした時間は刹那的ながら、ドニーが体勢を立て直すには充分。依然としてユーニの接近は続くが、ドニーは冷静だった。彼はすかさずユーニへ背を向けると、咄嗟に街の反対側へと逃げ始める。それは敗走に違いないが、ドニーは正しいができていた。
(強化魔法の使い手に肉弾戦で勝ち目は無ぇ……それにあの泥の右腕。アレに捕まったら、その瞬間ゲームオーバーだ……)
ユーニは足を止める。そして男は、異形をなす泥の右腕を地面へと叩きつけた。そこから芽生えるのは、またも泥の触手たち。
八本の触手は人間一人を丸呑みできるくらいにまで肥大化すると、背を向けて走り続けるドニーへ直行した。凄まじい速度で距離を詰める触手は、人間の速度などはるか凌駕する。それは瞬く間にドニーを追い越すと、彼の進行方向を塞ぐように展開して逃げ道を奪う。さらには持て余した一本の触手が、男の頭上から凄まじい勢いをもって襲い掛かった。
「一か八かに、命賭けたくねーなぁ」
不安を隠すように笑みを浮かべるドニーの次の一手は、泥魔法・偶像。自身の肉体をたちまち泥へ変質させると、触手の檻から難なく脱出する。
ここから再び逃走を続けるのは、ドニーの趣味では無い。むしろ先の逃走は、言うなれば一時の攪乱作戦。男の腹は決まっていた。
(複数の触手を自在に操る魔法は確かにやべー。でもそいつのせいで視界は狭まるし、何より近接戦において触手は障害。強化魔法の使い手に近寄りたくねーけど、これ以外に手は無ぇ!)
「――泥魔法か。こりゃまた癖の強い」
天性の才能を見込まれたドニーは、新米のギルド魔導師としてギルド依頼をこなす傍ら、フェイバルから手習いを受ける日々を送っていた。
「癖の強いだ?」
「ああ。火属性のような殺傷力も無い。水属性や風属性特有のしなやかな攻撃も苦手。氷や鉄の属性において強力な武器になる、魔法・造形も難しい。まあつまるところ、それ単体だとちょい扱いにくい魔法属性ってことだ」
フェイバルがつらつらと現実を述べる。楽天家のドニーといえど、さすがに視線を下に落としてしまった。
「ま、まじか。俺、ハズレくじひいたのか……?」
「仕方ねぇだろ。お前に最も適正のある属性が泥なんだ。受け入れろ」
フェイバルは付け足す。
「それにだな、マイナーな属性ってのはつまるところ、相手に手の内を探られにくい。想定外ってのは戦闘で最も大きな隙だからな」
「……他に強みねぇの? 俺もう心折れそうよ??」
フェイバルは少し考え込むと、自分に当てはめて答えを明かした。
「……もし俺が泥魔導師なら、まず第一に打撃をものにする。水よりも重く、岩や鉄よりしなやかな、バランスに優れた攻撃手段だ。そんで次は敵を拘束する手段を覚えるだろうな」
「拘束、ねぇ」
「水属性よりも制御が難しいぶん、粘性が高く重たい泥なら拘束性能は高い。狙うなら標的の四肢を同時に封じる。それが最善の一手だろうな」
「両手と両脚を同時に……それ結構ハードル高くね?」
「まあそこそこ高ぇかな。だがこれが決まって空中に固定できれば、偶像や潜伏みてぇな変質魔法をある程度封印できる」
「……でもさ。結局俺が仮にも風属性とかの適性あればよ、順番に敵の四肢を切り落として俺の勝ちなわけじゃん? それをわざわざ同時にする必要があるあたりさ、泥魔法って超絶弱くねか?」
「……いやまあそれは否定しない」
「否定しろよ!!!」
(あいつに打撃で後れを取るのは明白だし、どう考えても俺が格下。でもやるしかねぇ。次の一手、いや最後の一手か)
ゴーグルの奥の瞳は真っ直ぐにユーニを映す。
(俺は泥中の狩人を捕縛する……!!)
No.88 双魔導師
変質魔法と強化魔法を併せ持つ魔導師の呼称。