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Just-Ice ~明星注ぐ理想郷にて~  作者: 福ノ音のすたる
第6章 ~泥中の狩人編~
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87.泥と水は交わらない ***

 数日後。ギノバス審判院にて審判を受けたアンヤは、再び病室のベッドに戻った。両腕に掛けられた手錠は無事に外されたが、代わりに彼女の右手首には、感知魔法具が巻き付く。これからもし一度でも魔法を使ったならば、その魔法具はすぐに魔力を感知し、瞬く間に騎士を呼び寄せる。そうなってしまえば、待ち構えるのは更なる懲罰。泡沫(うたかた)に導く者は、もはや国によってその命を奪われた。

 国選魔導師という幼き日からの夢を断たれ、魔法をも断たれた。そして我が子は、己の魔法により傷を負った。彼女はその折り重なった絶望に抗えず、みるみると衰弱してゆく。

 夜になれば、訳も分からず涙が滴る。以前の強気な彼女であれば、これは涙じゃなく水魔法だ、とでも言い訳できていただろう。




 その日の夜も、彼女の瞳は濡れていた。どうにか乾かしてくれぬものかと、アンヤは窓から吹き込む夜風を受ける。王都の夜景は故郷よりも明るいが、心までは照らしてくれなかった。

 「――どうも、夜分失礼しますよ」

そんなとき、優しい夜風だけが差し込むはずの窓から、物騒にも一人の男が挨拶と共に飛び込む。

 「あ、あんたは……」

 彼女は心のどこかでユーニの帰りを期待したが、それは人違いだった。そこを訪ねたのはどういう訳か、裁判長・セントニア=ラウマン。つい数日前までは法廷の最も高い席で気丈に振る舞っていたその男は、顔に幾つもの包帯や湿布を張り付け、酷く弱々しい。印象的だった眼鏡も、新調されているようだった。

 男はそのことを尋ねられる前にアンヤへ質問した。

 「体調は問題無さそうでしょうか?」

先日とはまるで食い違う異様な気遣いに、アンヤは暗く俯いたまま応じる。

 「……よくあたしに顔向けできたもんだね」

セントニアは少し考え込んだ挙句、弁明のような供述を始めた。

 「私にはあれが限界でしたのです。私とあなたで痛み分けした結果こうなったのです。むしろ感謝して欲しいものですよ」

アンヤは言葉を返すことを辞める。目的は分からなくとも、心の傷を更に抉るような発言に応じる気力は残されていなかった。

 思い返せば裁判の日から、ずっと目の男の意図が分からない。命を救われたのか、魔法を奪われたのか。贈るべきは感謝なのか、それとも怨嗟か。男に向ける感情は、あまりにも対極のところで錯綜する。

 セントニアは沈黙を断つべく話題を変えた。

 「そうそう、一つニュースを持ってきたんです。あまり嬉しいものではないでしょうが」

アンヤは、やはり男にぶつけるべきは怨嗟であると結論付ける。しかしあまりに疲弊した心は、そもそもの感情の起伏すら起こしてはくれなかった。

 セントニアは、そのニュースなるものの内容に触れる。

 「……ユーニ=マファドニアスの消息についてです」

アンヤの感情は突如として揺らぐ。男にも、その動揺が見て取れた。

 「あなたがギノバス審判院へ召喚される数日前のことです。ユーニ=マファドニアスには無期限の禁固刑が確定しました。即日に大監獄・プルトへ連行されたはずです」

巻き起こったのは感謝でも怨嗟でも無く、純然たる困惑。アンヤは声を荒げる。

 「は……? な、なんで!? どうしてあいつが!?」

 「……罪状は、王都への侵入行為といったところでしょうか」

 「……ふざけるなよ。そんなの微罪じゃねえか。あんたら審判院の連中は恥ずかしくねーのかよ!? こんな無茶苦茶な裁判あってたまるかってんだ!!」

セントニアは一つ溜め息を突き、そこからようやく返答を始める。

 「王都・ギノバスは、あなたの思うほど平和な街ではありません。繁華街に出れば盗みをするゴロツキが居るし、路地に入れば人身売買に勤しむ王都マフィアも居ます。保身と我欲に走る貴族が搾取し、貧困街ではその貧しさから道を誤った子供が犯罪を覚えます。これほど異常な街に、司法だけが正常に機能しているというのは、お門違いでしょう。ここからは私の私見です。王都としての急速な発展とそれに伴う犯罪の多発。そこで要求されたのは裁判の簡素化。現行司法は裁判の簡素化が生んだ、ただの地獄です」

セントニアはつらつらと言葉を並べる。しかしながらその内容は随分と概括的で、男が司法とギノバス公安局の腐敗に言及することは無かった。

 セントニアは詮索されぬうちに話の軌道を戻す。

 「ユーニ=マファドニアスの送還された大監獄・プルトは、大陸戦争によって荒廃した都市をまるごと監獄に改造した絶界です。あなたが私でも殺してここへ収監されるか、もしくはユーニ=マファドニアスが脱獄を謀るかでもしなければ、もう会うことは叶いません」

男は嫌に教唆的に続けた。

 「でもあなたには、分かっているでしょう。あなたが魔法を捨てて選んだ子を思えば、彼にもう一度会うという選択は、酷く愚かなものであるということを」

 「……ああ、分かってる」

アンヤはあっさりとその忠告を受け入れた。セントニアはその様子を見届けると、彼女が道を誤らないことを確信し、颯爽と立ち去るべく窓へと向かう。

 「……伝えたかったことはこれだけです。それでは私はこれで失礼しますよ」

 「ちょっと待て。裁判長」

 「はい?」

 「あんたはどうして、あたしに助ける? どうしてここまでしてくれる?」

アンヤの感情は、いつしか感謝へと変貌していた。しかし直接的にそれを述べるには、まだ早い。だから彼女は、純然たる疑問を呈した。

 セントニアは背中を向けたまま、簡潔に応じた。

 「……そうですね。私も魔導師だから、でしょうか」

男はそこから多くを語らずに、意外にも軽い身のこなしで窓から飛び降りる。病室は、また夜風だけが吹き込む静かな夜に回帰した。




 そして時は流れる。無事にその手で我が子を抱きしめたアンヤがウィザーデンに帰ることはなく、彼女はギノバスでの新生活を決意した。幸いにも魔導師時代の蓄えがあった彼女は、空き店舗を改装し細々とパブの運営を始める。店の名は蓮華庭(ロータスガーデン)。泥水の中でも美しく咲く、ある花の名前である。

 年老いた治癒魔導師の宣告通り、彼女の愛する子は盲目で生まれた。光を知らぬその赤ん坊を育てながら、夜には厨房へ立つ。当初は少なかった客も、気が付いたときには毎晩に渡って数人の常連客が訪れるまでに成長した。




 「――へい、おっさんお待ち!」

 「――おう、あんがとよボウズ。」

 幼き日のドニーは、心眼魔法具で光を手に入れた。母の作った料理を常連客の元へ運ぶのが彼なりの手伝い。変わった外見のゴーグルをした少年給仕は、客の間でたちまち話題になった。




 時は止めどなく、そしてアンヤの傷を癒やすように流れてゆく。

 「――なあ。俺、ギルド魔導師になるわ」

 ドニーは二〇歳になった。のらりくらりと適当に生きていた彼は、ある日突然アンヤに打ち明ける。そのときアンヤが咄嗟にした返答は、彼女が生涯悔い続けるものになった。

 「ふざけるな! 心眼魔法具(そいつ)が無きゃ目の見えないあんたに、そんな危険な仕事やらせられるかってんだ!!」

 夢を否定することの罪深さは、痛いほど知っていた。それでもギルド魔導師の過酷さをよく知るアンヤだからこそ、つい口走った。もし魔法戦闘で心眼魔法具が破損すれば、待ち受けるのは逃れようのない死。盲目という弱点が、ギルド魔導師にとってどれだけ障壁になるかは、あまりにも想像に易い。

 アンヤの言葉は続く。

 「何度も言っただろ!! あたしが魔法を使えなくなったのも、あんたが父さんと会えないのも、あんたの目が見えないのも。全部あたしがギルド魔導師だったせいだ!! なのに、あんたはどうしてそんなもんになりたがる――!?」

 ドニーはそれに反論することなく、ただ耳を傾けた。熱くなってしまったアンヤは、そこではっとなる。ゴーグルで目元の隠れたドニーが、そのときどのような表情をしているか分からなかった。それでも、彼女はすぐに自分の過ちに気が付く。

 しばし重たい空気が流れた後、アンヤは再び口を開いた。

 「あんたはもう……止まってくれないのか?」

 「……ああ。もう決めた。俺は魔導師になって、あんたも親父も越える」

ドニーはゴーグルを外した。

 「俺がその親父ってのをよく知らねぇことも、この飾りだけの眼球も、どうだっていい。それにあんたがギルド魔導師だったことを今頃悔いる必要なんて無いだろ。だってあんたがギルド魔導師やってなけりゃ、あんたは親父とも出会ってなかった。あんたらのガキである俺も、ここに居なかった。違うか?」

 「俺は俺の道を往く。別にあんたや親父の二の舞になるってんじゃねえ。俺の志した道が、たまたまあんたらと同じ魔道だった。それだけだ」

そして男はあまりにも急に、これからのことを口にした。

 「明日ここを出る。実はもう弟子入りした。師匠は凄い人だ。明日から、ギルドに住み込みで修行する」

アンヤは思わず浮き出る悲しげな表情をなんとか隠し、震える声を抑えて返答した。

 「……ったく。そういう頑固なとこ、あたしにもユーニにも似すぎだ。うっとうしくて仕方ねぇ」

そして彼女は店の締め作業を再開しながらも、付け足すように小さな声で呟く。

 「たまには、顔出せよ」




 「――だ、脱獄囚だ!!!」

 ある夜。大監獄・プルトはけたたましいサイレンに包まれた。大雨の中、突き刺すようなライトがあたりを縦横無尽に照らす。

 一つもぬけの殻と化した牢の前に立つ、二人の刑務官。

 「ユーニ=マファドニアスか。こりゃまずい。魔法で逃げたな」

 「でもどうやって!? 奴は四肢が拘束されていたし、その状態であれば魔法の行使は困難なはずです! それに感知魔法具だって反応していませんよ!?」

 「困難、なだけだ。不可能ではない。まあそれを可能にするのは、相当の実力者だけだが」

その刑務官は指差す。

 「あの膨らんだブランケット。あそこに感知魔法具の付いた右腕を捨て、変質魔法の類いで脱出した。刃物すら無いこの空間で、奴が右腕を千切ったのだ」

そしてその刑務官は、平静を保ちつつも声を荒げた。

 「ここにいる者は持ち場を離れるな!! 便乗する輩がおるやもしれん!」




 大監獄・プルトとはいえども、高い塀を越えればそこはただの荒野が広がる。どこの都外とも変わらぬ荒野は当然に明かりが少なく、夜に人を目視するのは難しかった。

 そんな闇夜の荒野に至るユーニは左手と口を器用に使い、右腕をブランケットの切れ端できつく縛り上げた。手錠と足枷は体を泥にした時点で既に抜け落ち、完全な自由が効く。

 「……止血は問題ない。あとはどこに潜伏する、か」

 ふと後方から魔獣が男に襲い掛かった。しかしユーニは振り返ることなく、背後に魔法陣を展開し対応する。魔法陣から飛び出した大きな泥の玉は、魔獣の巨躯をまるごと飲み込んだ。

 「……折角だ、故郷に帰ろう」

長い時を監獄で過ごした男の顔はひどくやつれていた。されど瞳の奥には、家族との時間を奪われた深い闇と、その闇を祓うための復讐の炎が燃えたぎる。

 「……全てを奪った悪魔どもに、償ってもらおう。まずはウィザーデンに蔓延る虫ケラからだ」

No87.魔法陣展開の予備動作


魔法陣は体内の魔力を空間の一点に集約させることで発現する。よって基本的には、腕・指・脚・頭などでその集約点を指し示す動作が必要となる。しかし訓練を積めばその予備動作は短縮されていき、さらに上達すると動作そのものが無くとも魔法陣を展開できるようになる(=無動作魔法陣)。

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