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Just-Ice ~明星注ぐ理想郷にて~  作者: 福ノ音のすたる
第6章 ~泥中の狩人編~
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86.落ちこぼれ ***

 時は再び遡る。ギノバス審判院・魔法裁判大法廷では、判事の真っ最中であった。

 検察官の男が口を開く。男は書類に目を配りながらも、はきはきと言葉を並べた。

 「被告人・アンヤ=シズクル。ギルド魔導師である当該被告は、任務外にも関わらず、都外において大規模な魔法を行使した。これにより付近に位置する三つの集落、及び一つの保護指定建造物が損壊。集落においては激流に飲まれた四名が死亡。十八人が負傷。その他、農作物や家屋にも甚大な被害が出ています――」

 アンヤはただ俯いた。ただ守りたかっただけ。その思いとは裏腹に、彼女は多くの人々を傷付けてしまっていた。

 一人の裁判官はやたらと大きな独り言をわざとらしく零す。

 「死人が四名も! そうかそうか。ならば死刑は免れんな」

 その様子にはもはや、厳粛な正義の執行者としての面影など微塵もない。ましてや、人間としての器の矮小さまで見て取れる。生まれ持った家名だけでこの職に就いたことを、自ら供述するような有様だった。

 それでもアンヤがその男へ刃向かうことはできない。自身の魔法が知らぬ所で人を殺めた。その紛れもない事実が、彼女を固く縛り付けた。




 ギノバス審判院で執り行われる魔法裁判は、極端なほど円滑に進行される。起訴状の読み上げが行われると、僅か数分後にはその場の裁判官がそれぞれに求刑内容を発議し、それらを参考にして裁判長が確定的な判決を下す。あまりに簡素極まりないが為に、被告人の弁論の余地は無いに等しいのが実状であった。

 「――よって、被告人に死刑を求刑します」

 法廷腰掛ける五人の裁判官のうち、最後の者が求刑の発議を終えた。満場一致。事件の重大さから、五人全員がアンヤへ死刑を求刑した。

 彼女はただそれを静かに聞く。それでも、彼女の心は決して穏やかでない。己の犯した罪を命で償わなければならない使命感。それでも命がけで守った我が子と共に歩む人生は、決して諦められるものでは無い。二つの相対する望みが、彼女の中で渦巻いた。

 「――求刑の発議が出揃いました。ただいまから、裁判長による最終判決に入ります」

 裁判は淡々と事を運んでゆく。五人の裁判官の発議内容が大方揃ってしまえば、最終判決も当然それに準ずる。

 裁判長のたった一言の判決で、瞬く間に閉廷するはずだった。しかしそこに居た裁判長・セントニア=ラウマンは、奇想天外な発言をしてみせる。

 「一つ問いたいことがあります。魔導師・アンヤ=シズクル。いや、今はアンヤ=マファドニアスさんでしたか」

男の口から飛び出した言葉は、裁判官に準じた死刑の判決ではなかった。予想外の問い掛けにアンヤは戸惑う。

 裁判官の男は焦った様子で文句を垂れた。

 「裁判長! 裁判長から被告人への会話及び尋問は、ギノバス審判院の裁判制度上許されぬ行為です!」

セントニアはその警告に無視して続ける。

 「アンヤ=マファドニアス、あなたが魔法の手練れであることは十分に存じております。極限まで鍛え抜き磨き上げた技術は、あなたにとっても大陸にとっても、この上なく貴重で尊いものでしょう。さあ、そこであなたへ問います、アンヤ=マファドニアス」

男は粛々と尋ねた。

 「あなたは自分の愛する子の為に、魔法を捨てる覚悟はありますか?」

 本来の法廷では到底流れ得ない空気が、そこに存在した。裁判官のうち誰もが、セントニアの意図を理解できない。穢れきった法廷では、当然のことだろう。

 誰もが困惑する中、アンヤはセントニアを見上げる。彼女は応答するのにそうも掛からなかった。

 「……ったりめぇだろ。あたしは馬鹿で人殺しだ。でもあたしは母親だ。母親は子どもの為なら。自分のどんなもんでも惜しくねぇんだよ」

 アンヤの突き刺すような視線をセントニアへ向ける。男はそれから目を逸らすことなく、ただ真っ直ぐにそれを受け止めた。

 騒然となった法廷には、しばしの沈黙が流れる。そのときセントニアは一度目を閉じた。一呼吸置くと、男はようやくその沈黙を打ち破る。

 「判決。いずれの求刑発議も撤回。アンヤ=シズクルに無期限の魔法禁止処分を下す。以上」

それはすなわち、ギノバスの歪んだ司法へ挑戦する判決だった。セントニアはかねてより従順にその歪んだ司法へ加担しながらも、この日突如として反旗を翻す。ゆえに裁判官らは大きく動揺した。




 その夜。ギノバス審判院の敷地内中央部にそびえ立つ審判院本部にて。ここには大陸の司法制度の総責任者たる、司法長官の執務室が据え置かれる。

 セントニアの暴挙とも言える行動は、当時の司法長官・トロイの知るところとなった。無論、男は早急にセントニアを本部へ召喚する。




 トロイは失望したような声で呟いた。

 「話は聞いた、セントニア君。アンヤ=シズクルの裁判については、通信魔法具から通達が届いていたはずだろう」

 「ええ、確かに承りました」

 「通信にはこうあったはずだ。被告人アンヤ=シズクルに極刑を下す旨の判決を命ずる」

 「ええ、そうでしたね」

セントニアのぶっきらぼうな態度に、トロイは苛立ちを覚え始めた。そして男は、次第にまくし立てるような声で怒鳴る。

 「ギノバス公安局は危険思想を持つ人間を排除する治安維持組織だ。彼らには、危険人物に関する裁判の判決を操作する権限がある。アンヤ=シズクルは危険人物と判断された。それゆえ君の元へ通達が届いたのだ。分かるな!?」

 「ええ、分かっております」

トロイは立ち上がるとセントニアの胸ぐらを掴み上げる。男は顔を真っ赤に染め上げて激昂した。

 「ではなぜそれに従わなかった!! 貴様ら裁判長には、これに従う義務があるのだ!!」

セントニアはしばし黙り込んだが、間もなくすれば意を決して語りだす。

 「お言葉ですが――」

そのときトロイは、セントニアの頬を思い切り殴りつけた。丸眼鏡が宙を舞う。鼻と口からは血液が垂れた。

 「貴様……名家・ラウマン家の出身だからといって、調子に乗るんじゃないぞ? 私はお前のような、家柄だけ恵まれた無能者など、すぐに罷免できる」

 ラウマン家。それは代々優秀な法曹を生み出してきた名家。現在大陸で広く用いられる法律の根幹は、彼らの緻密な知恵が実を結んだ。そしていくら司法長官たるトロイといえども、ラウマン家の人間を罷免することは、他の貴族から大きな反感を買う恐れさえある。醜い男の発言は虚構だった。

 あなたも私と似たような、名家出身の無能でしょう。セントニアはそれを口に出すのを辞めておく。  

 彼はただ理知的に、名目上の最高権力者へ、あえての反抗を見せた。

 「アンヤ=シズクルは確かに人を殺めました。しかし彼女にそうさせたのは、何者かの襲撃が確実に起こったからです。送迎を請け負ったはずの第三師団が、誰も送迎に王都を出ていないと言うのだから、何者かが第三騎士団のになりすまして送迎し、その際に襲撃した。最も考え得るシナリオです」

男の反抗は続いた。

 「また彼女ほどの実績ある魔導師が、何の危機も無しにこれほどの無茶な魔法を行使するはずもありません。襲撃に対する防衛手段としての魔法行使であれば、情状酌量の余地は十分にあります」

 「にも関わらず、彼女を難癖を付けて殺人者に仕立て上げ、更には危険思想家として裁くとは、明らかに異常事態でしょう」

 「ああそうそう、今回の裁判官。彼らは皆極刑を発議しましたが、どうせあれもあなた方の息がかかった裁判官なのでしょう?」

トロイの拳は、セントニアの顔面を正面から貫く。セントニアは数歩下がり、思わず倒れ込む。

 「貴様ら裁判長は、上の命令に従うことが仕事だ!!! 勝手な真似をすれば、我々の地位すら危ぶまれる!」

醜悪な戯れ事も束の間、トロイはセントニアに歩み寄り、彼の前でしゃがんで髪を乱雑に掴み上げた。

 「そもそも正義ヅラするんなら、もっと前からやれってんだ。忘れたわけじゃないよな。お前はもう、裁判長として何人も殺してきたんだ」

 「……そうです。だから私は、救う価値のある人間を選んで救うのです。全てを取り零さずに救おうとしていては、きっと何も救えずに己の身を滅ぼすのですから」

 「……次勝手な真似してみろ。ラウマン家だろうと関係ねぇ。全員まとめて消してやる」

セントニアは血まみれの顔面のまま、怯えることなくそれを聞き入れた。トロイは髪から離すと立ち上がる。そのまま聞こえるような声量で、血まみれの男を罵った。

 「だいだいなぜ、貴様のようなラウマン家の出来損ないを裁判長に仕立てなければならんのだ」

 「……ええ。確かに私は出来損ないですね」

 「よく分かっているじゃないか。さあ、さっさと出て行け」

トロイは嘲笑する。それでもセントニアは感情を押し殺したまま執務室を後にした。

No.86 司法長官


あらゆる都市に設置される審判院を総統するギノバス司法局の最高権力者。

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