84.宣告 ***
ギノバス王立病院にて。静寂な空間は、駆け込んだ男の鬼気迫る一声で一蹴された。
「――早く彼女を診てくれ! 腹に子どもがいる!!」
気を失ったアンヤを抱えるユーニは、自らも満身創痍になりながら受付の女性に対応を迫る。あまりの剣幕に女性は硬直した。
そして続けざまに、そこへは数名の騎士が駆け込む。彼らはユーニを囲い込むと、各々が武器を構えて実力行使を示唆した。
騎士の班長らしき一人の騎士が声を荒げる。
「許可証も無しに王都へ踏み入るとは、一体どういうつもりだ!?」
彼らはその日の検問警備に当たっていた王国騎士団。検問を強引に突破し、王都へ侵入したユーニを追跡してここに至る。
班長の男が強硬な姿勢を取る中、別の騎士は他の騎士たちの合間を割って一歩前へと出た。
「その女性は病院に預けて構わない。だかあなたには話を伺わせて貰います。これで、よろしいですね?」
「……分かった。それでいい」
班長の男は指示を下す。
「男を捕えろ! 詰所へと連行する!」
――目を覚ませば、そこは見知らぬ天井だった。担ぎ込まれて数日後。目を覚ましたアンヤは、ゆっくりと体を起こす。
扉をノックする音がすると、間髪入れずにそれは開けられた。丁度良く入ってきたのは、彼女の治療を担当した老年の治癒魔導師。
「おや? 目覚めたのか。これはこれは偶然だね」
アンヤは状況を飲み込めずに取り乱す。
「あ、あたしは一体どうなったんだ!? 確かあたしは……都外で襲われて……!」
治癒魔導師の老人は冷静に対応した。
「男が君を運んできた。妙なゴーグルを頭に乗っけた、背の高い男だ」
「そ、そいつは今どこに!?」
「まあ待ちたまえ。その男の話より先に、君たちの様態についてだ」
老人は粛々と話を続ける。
「まずは母体の君から。数カ所の裂挫創。右足を大きく貫く刺創。魔法負荷による、内臓への損傷。まあ大怪我だが、意識が戻ったのなら問題無い。いずれは回復する」
まるでこれからの話と対比するように、母体たるアンヤの説明は終わる。そこから一息置いてまた語り出す老人は、無意識にも表情が曇った。
「……次に、君のお腹にいる子について」
アンヤは固唾を呑む。
「命に別状は無いだろう。しかし――」
「……魔法負荷によるダメージを受けている。残念だが、無事に産まれることは難しい」
老人は何とかその残酷な現実を伝えた。アンヤは自然と視線を下に落とす。目の前に映るのは己の半身などでは無い。耐えがたい罪悪感と、生気さえ抜かれたような虚脱感。
「……君は我が子に傷を付けたのではない。君は命を守る為に、全てを投げ出した。立派な母親だ」
老人は逃げるようにしてアンヤへ背を向けると、扉の前に立つ。
「少し楽になったら、君をここへ連れてきた男の話をしよう。だから今は休むんだ」
そしてアンヤは病室に一人取り残された。そのとき吹き込んだ涼しい風は、一室を満たしてカーテンを揺らす。強気で剛胆な母は、しゃくりあげるようにして涙した。
「――第零師団よ……アンヤ=シズクルを逃したとは何事だ!? 暗殺を生業する貴様らにあるまじき失態であるぞ!?」
デティシュは凄まじい剣幕で指輪型通信魔法具へ唾を飛ばす。第零師団長・ブルーノは飄々とした態度で応じた。
「いやはや、まさかあんな馬鹿げた魔法使うのは、さすがに想定外でしてねぇ。俺が現場に出るべきでした。ははは」
「もうよい! 貴様には失望した!」
デティシュは怒りのままに通信を切断する。
「……あ、切れちった」
ブルーノは反省の色無しに呟いた。指輪を口元から下ろすと、近くの瓦礫に勢いよく腰を下ろす。
「いやあ、総督ったらお怒りだねえ。まあそうだわな。今回ばかりは普通に俺らの負けだ」
男はふと考え込む。すぐに結論は出た。
「んまぁ尻拭いは、大丈夫だろ。あの女はもう国選魔導師になれないはず。それに尻拭いしなくても、第零師団は切り捨てられないし。総督サマには、絶対に第零師団が必要だから」
騎士団本部へ連行されたユーニの証言により、次期国選魔導師候補者・アンヤ=シズクルの襲撃事件は世へ明るみになった。王国騎士団第三師団の者たちは、当然それに動揺を隠せない。
「おいおい冗談だろ? 一体誰がこんなこと――」
「……んなもん決まってる。非ギノバス人が国選魔道師になることをよく思わない誰かだ」
「……総督……とか?」
「馬鹿野郎。総督が誰にそんな依頼できるってんだ。騎士か? 暗殺稼業の奴か?」
ある騎士はオルドットへと尋ねた。
「……師団長。アンヤ=シズクル殿は当分の間療養の身。国選魔導師への推薦は難しいです。国を背負うに足る、別の魔導師を探しましょうか?」
「……それが賢明だ。だがしかし、この事件は紛れもなく、非ギノバス人に対する憎悪そのもの。隅々まで洗うぞ」
夜。閑静な貴族街に佇む、とある邸宅にて。一人には広すぎる居間でくつろぐのは、主人・セントニア=ラウマン。
部屋の隅で丁寧に片付けられた正装は、裁判長たる彼の仕事着。その正装の上には、裁判長の身分を表すブローチが据え置かれた。そしてこのブローチが通信魔法具としての機能を持ち合せることは、あまり知られていない。
セントニアが退屈を潰そうと本のページをめくるとき、静まりかえった一室に突如として通信音が鳴り響いた。それを聞き慣れた男は、すぐに正装の上のブローチが音源であると察した。
「……まったく、またですか」
男は本を無造作に閉ざすと、呆れた様子で通信魔法具の元へ向かう。
「……こんな時間に一報が飛び込むとは。また大物の危険思想家でも起訴されましたかね」
セントニアは指輪に小さな魔法陣を展開し、一方的に流される音声へ耳を傾けた。本来は黙ってそれを聞き受ける。それだけで良いというのに、男は返答を求めてしまう。
「……そうですか。ところでこれは、一体どなたのご指示で? きっと公安局さんの意向では無いのでしょう」
「……まあ答えられるわけないですよね。ええ、失礼しました。要件、確かに承りましたよ」
No.84 第零師団
王国騎士団の一個師団として存在するが、その存在は歴代の総督のみが知る極秘の暗殺部隊群。他師団の作戦行動には合議体での決議が前提となるのに対し、第零師団の作戦行動は総督が全権を握る。第零師団は騎士団本部に部署を置くことはなく、それゆえ精密な作戦行動は困難であるため、奇襲を常套手段とする。
構成員は普段民間人として世間に紛れ生活しているが、極秘の連絡網によって招集される。秘匿義務については厳格な統制がなされており、その存在が明るみに出たことはいまだ無い。