81.幸せを穿つ急襲 ***
心地よい気候の中、アンヤを乗せた第三騎士団の装甲車両は自然豊かな都外を駆け抜ける。
彼女の座る後部座席の前方には、運転手ともう一人の騎士。彼女の乗る車両の更に一つ後ろには、もう一台の装甲車両が追従している。
アンヤは横になりながら欠伸をした。
「おい騎士さんよ、あとどれくらいでギノバスに着くんだ?」
「……そうですね。あと三時間くらいでしょうか」
「ほうほう。じゃああたし少し寝るんで。魔獣とか気を付けなよー」
時は数日前に遡る。王都・ギノバス某所。そこは密かに、第零師団の作戦本部として機能する。
デティシュからの通信に応じていた男は、第零師団長・ブルーノ。男は廃れた屋敷に遅れて現れると、一室に集う十数名の騎士へと声を掛けた。
「お前ら。久しぶりの仕事だぜ」
そこに集う騎士らが民衆の如く非凡な格好でそこへと佇むのは、平時において私人の生活を送っているから。彼らは一般大衆と違わぬ生活を送りながら、第零師団所属の騎士として暗躍する。しかしながら、騎士とはもはや体裁のみ。彼らは騎士道など持ち合せぬ、血に飢えた野蛮な暗殺者だった。
そんな暗殺者集団を率いるブルーノは、どこか嬉しそうに熱弁を始める。
「この大陸で唯一、王国騎士団総督だけが握る暗器。国が隠匿する暗殺部隊。それこそが俺ら第零師団のあるべき姿だ。さあ、殺しを愛して止まない異常者どもよ喜べ、狩りの時間だ……!」
男の一声で、そこに集う者どもの表情は本性を露わにした。彼らに張り付いた虚構の姿は剥がれ落ち、殺しに取憑かれた狂人へ変貌する。
アンヤはふと眠りから覚めた。開かれたその瞳は、先程までの気の抜けたものとはまるで違う。彼女は迷うことなく言葉にした。
「……てめぇら、何者だ?」
突拍子も無い問い掛けに、騎士は動じることなく返答する。
「……我々は騎士ですよ。突然どうしたのですか?」
アンヤは体を起こし、そのまま追及を続ける。
「なら、この諜報魔法はなんだ?」
アンヤが直感的に感じ取った魔法は、諜報魔法・疎外。ドーム状の領域を展開するその魔法は、領域内で起こった事象の認知を隔絶する。例え領域内で戦争が起ころうと、領域外からそれを視認することは叶わないことになる。
「疎外にあたしを閉じ込めるってことは、それ相応の企みがあるんだろ? 後ろの車に居る奴があたしに気付かれないよう魔法を行使したつもりかもしれねぇけど、バレバレだ」
その直後、背後から激しい衝撃音が耳を打った。それは紛れもない、背後に追従していた装甲車両からの掃射。ついに化けの皮は剥がれ落ちた。
魔法弾の掃射によって車両の装甲が貫かれる直前、アンヤは咄嗟に車両から飛び降りる。その車両が激しく爆発したのは、僅か数秒後の出来事。まさに間一髪であった。
アンヤは体勢を立て直しながら呟く。
「騎士に化けるとは、タチ悪いな」
その直後、煙を上げる車両の方向から彼女を襲ったのは岩の礫。無数の岩を躱せば、急接近する男の剣戟が続けざまに彼女へと襲い掛かった。何とか魔法陣で防ぎながらも、彼女は咄嗟に攻撃者の顔を視認する。
「……だろうな。騎士はそんな濁った目をしねーよ」
彼女に牙を剥いている者は紛れもない、アンヤの乗った前方の車両で騎士を名乗っていた男であった。先程までの物腰柔らかい様子は、もう微塵も存在しない。
あまりにも突然の強襲、それでもアンヤは冷静だった。戦闘者としての豊富な経験から、戦況を的確に分析してゆく。
(運転してた奴が岩魔法。その横に居たのが強化魔法か。後ろの車両には確か三人、いや四人居た。敵は六人……)
アンヤの推測通り、背後の車両から四人の男が現れる。そして彼らの殺意を帯びた眼光は、鋭くこちらへと向けられた。もはや誰にでも容易に分かる、快楽殺人者の眼差しだった。
アンヤは期待せずに質問する。
「誰にあたしを殺せと言われた?」
当然答えは返って来なかった。男たちは無言のまま、じわりじわりと距離を詰め始める。
それを顔に出さずとも、アンヤは焦燥を覚えた。敵の鋭い視線に対する畏怖からでも、多勢による絶望的状況からでもない。彼女には守るものがあるからだ。
アンヤは無意識にも腹部へ手を添えていた。そこに宿るのは、愛する者と育む大切な命。自分の体はもはや、自分だけのものではない。
アンヤは発現魔法の中でも、変質系の魔法を得意とした。変質系魔法は自身の肉体に発現魔法を施す魔法類型であり、例えば肉体を水に変換することで即時の攻撃回避を可能とする。しかし変質系魔法が他人の肉体へ作用することはできず、それはアンヤに宿る新たな命も例外ではないのだ。
アンヤに大きな重荷がのしかかる中、彼らの暗殺は瞬く間に開始された。
「……第零師団、作戦を開始する」
前衛を務める三人の暗殺者は、アンヤへ向かって急発進する。彼女はその接近する人影を極限まで見極めた。どれほど狭き道でも、その生き残る道を見い出すために。
(――速い。強化魔法・俊敏か。剣が二人と、双剣が一人。間合いに入ると厳しい)
「水魔法・弾丸――!」
そしてアンヤは抗戦に出る。背後に開かれた無数の魔法陣からは、鋭い水滴が掃射された。しかし鍛え抜かれた暗殺者たちは、それを器用に躱して着実に距離を詰め続ける。
次の瞬間、背後からの気配を頼りにアンヤは側方へと飛び出した。間一髪、アンヤの居た場所は天から降り注ぐ岩の塊に押し潰される。集団戦を仕掛ける第零師団のうち後衛からの一手だった。
アンヤはその勢いのままに駆け出す。彼女に迫る三人の前衛は追従を続けた。しかし前衛との距離が開いたのも束の間、アンヤの元には魔法銃からの弾幕が襲い掛かる。
平野には射線を遮る物陰も無く、アンヤは逃走を迫られた。それでも強化魔法・俊敏を宿した前衛に距離を詰められるのは時間の問題であり、彼女は窮地に追い込まれる。
そしてアンヤが次の一歩を踏み出したとき、彼女は更なる追撃の魔の手に落ちた。地面から突如として伸びる氷の針は、無慈悲にもアンヤの右足を貫く。
襲いかかる灼熱感。右足を貫かれたアンヤは、そこで体勢を崩した。
続けて動きが止まったアンヤを襲うのは、魔法銃の掃射と岩の弾丸。何とか防御魔法陣で必死に跳ね返そうとも、それは次第に圧倒的な物量に押されて亀裂が生じる。
「……クソが」
弾丸はついにアンヤを捉え始めた。前衛を務める三人の暗殺者は、その隙を窺い目前へと迫る。
「水魔法・荒波……!」
それでも彼女は咄嗟ながら魔法を行使した。前衛の暗殺者は、突如として出現する高い波に自由を奪われる。
遠距離からの攻撃は一向に止まない。何とか行使した魔法は時間稼ぎにすらならなかった。そして追い詰められたアンヤは、決断を迫られる。
(……使うしかない。身重のあたしに、負荷の大きな魔法はヤバいことくらい分かってる……でも……!)
重複魔法陣、それすなわち秘技魔法。それが彼女の答え。
「あたしらは、生きるんだ……!!」
展開された魔法陣には、激しい光が宿った。
No.81 総督
総督は、王国騎士団における最高指導者。国選依頼の承認や、師団長及び国選魔導師の任命などの権限を持つ。ギノバス駐在騎士団を初めとする各都市の騎士団をも束ねる。