80.零 ***
王国騎士団本部。この日の会議でも、重鎮たちは連日に続き同じ案件へ頭を悩ませていた。当時の王国騎士団総督・デティシュ=ストロニアはその口を開く。
「第三師団長・オルドット=パラレイン君よ。君も知ってのとおり、現在第三師団長が作戦を共にする国選魔道師はいまだ欠員状態。君は新たな国選魔道師を推薦し補充する必要があるわけだが」
オルドットは総督に気押されることなく、堂々と告げた。
「次の国選魔道師は音の都・ウィザーデンが生んだ天才、『泡沫へ導く者』という異名を持つ魔導師・アンヤ=シズクルを推薦する所存です。確かに王都外出身の国選魔道師というものは、いまだ過去に例を見ませんが、我々は新たな一歩を踏み出すときなのです」
そのときデティシュの顔色は露骨に変化する。男は相当の曲者であった。
「……君は、非ギノバス人という劣等種に国選魔道師の称号を預けるというのか」
会議の出席者たちのほとんどが、またかと俯く。彼らは呆れた表情を隠さず露わにしたいところだが、それを必死に押し殺した。総督の秘めた猛烈な差別思想はこの場の誰もが飽きるほど目にしてきているが、それに逆らうことは叶わないのだ。
しかしオルドットだけは、断固としてその男の差別的な態度に抗う。
「お言葉ですが、わが大陸は数百年前に一つの共同体となったのです。そこに住まう人々に、もはや優劣はありません」
「ならば君は、非ギノバス人が反旗を翻す日など永遠に訪れないと確信できるかね? ギノバス王国は大陸で最も早く魔法を手中に収め、一方的に他国を蹂躙した。奴らは我々の先祖に略奪されたのだ。そのとき奴らは、胸に何を抱くだろうか? 決まっている。怒りと憎しみ。そして復讐への決意だろう」
それは過去三回行われた会議と同じ文言だった。デティシュは主張を折らない。
この決まり文句で、オルドットが言葉を濁すまでがいつもの流れであった。そうして会議場は沈黙に包まれる。一向に議題は進展しない。誰もが再三の先延ばしを予見していたとき、流れを変えたのは意外にもデティシュ=ストロニアであった。
オルドットがどうにか反論を述べようとしたとき、デティシュは異様にも突然にして、今までの強硬な態度を一変させる。男の発言は、一つの溜め息から始まった。
「……私の根負けだ。国選魔導師の補充は緊急を要する。これ以上議論を先延ばしにするのも問題があろう。その女を国選魔導師に任命する方針で固めることとする」
あまりに急な宣告に、その場の誰もが唖然とした。オルドットはデティシュへ違和感を覚える。されどもまだこの段階において、彼の企みを見通すことはできなかった。
婚約の式典から数日が経過した頃。ギルド・ウィザーデンにて。
「……ああもう!! 心配かけんなよおお!!!」
カウンター席に腰掛けたユーニは突如として声を荒げ、壊れたように独り言を呟き続ける。
あるギルド魔導師の男は、その様子に耐えかねユーニへ声をかけた。
「おいおい、どうしたんだよ? 朝からずっとギルドで座り込んで何事だ」
「アンヤが、どっか行っちまった……もう愛想尽かされたのかな……」
これほど弱った様子のユーニは珍しく、その男魔導師はもはや困惑する。そんな中ユーニへ歩み寄ったのは、ギルドマスター・フェルマだった。
「あれ? 旦那のくせして知らないのか?」
「あ? 何が?」
「アンヤは国に召喚されたんだ。今頃はギノバスに向かってるはずだ。まあ恐らくは、国選魔導師への推薦だろうな」
「ま、マジかよ!? おいおい、あいつ身籠もってんのにそんなとこまで一人で!? てかなんで夫の俺が知らないで、マスターが知ってんだよ!?!?」
「多分お前を驚かしたかったんだろーな。俺としたことがバラしちまった。アンヤには悪いことしちまったかねぇ……」
その会話に、また別の魔導師が割って入る。
「まじかよ!? アンヤが非ギノバス人初の国選魔導師か!? これは歴史的快挙だぜ!!」
事情を知らぬユーニは疎い反応を見せた。
「そ、そうなのか?」
「ああ。歴代の国選魔導師はみんな王都で生を受けたギノバス人だ。襲名制で国選魔導師を輩出するディプラヴィート家はもちろん、現役の『雷神』も――」
そのときユーニは、男の話を断ち切るようにギルドを飛び出した。
「っておい!?」
彼が向かう先。それは言うまでもなく、ギノバス行きの旅客車。男は言葉で形容しがたい胸騒ぎを感じていた。
同刻。アンヤは出迎えとしてやってきた数人の騎士と共に、王都・ギノバスを目指す。
「いやー、騎士ってのは気が利くんだな。わざわざ迎えに来なくても良かったのによ」
「いえ、そうはいきません。何せあなたは、これから国を担う国選魔導師になるお方なのですから」
「……まあ、それもそうか。んじゃ、存分にくつろがせてもらうとするかねぃ」
時は再び、数日前に遡る。王国騎士団本部にて。会議を終えたデティシュは、ひとり執務室の席に腰を下ろす。静まりかえった室内で、男は呪文を唱えるように呟き始めた。
「……私は断じて認めない。ギノバス民族の血が流れぬ者に、偉大な国選魔導師の席を明け渡すなど、我が国への侮辱だ……!」
男は指に挟んだ葉巻を下ろすと、首から垂らした指輪型の通信魔法具を取り出した。それを手に取れば、迷わずそれを指に装着する。すかさず魔法陣を展開すれば、そこに通信が確立された。デティシュは慣れた様子で通信コードを述べる。
「見えぬ剣よ、目覚めたまえ」
「……国の為、主の為。その声に応じようぞ」
指輪の向こうの声は、それに応答するようにコードを述べた。そしてその声色は、妙に明るさを帯び始める。
「……やあやあテディシュ総督。ご用件は?」
「一つ、君たちには簡単すぎる任務だが」
「ほう……」
「ギルド魔導師・アンヤ=シズクルの暗殺、以上だ」
「……なーんだ。いつものやつですか」
「対象は後日、次期国選魔導師として王都・ギノバスへと召喚される。君たちの任務は音の都・ウィザーデンにて、出迎え役の第三騎士団に扮して対象と接触。都外の人目に付かぬ地点まで移動し、そこで葬れ」
「……なるほど分かった分かった。あんたが異様なほど嫌う非ギノバス人が、今まさに国選魔導師になりそうな状況ってことね。それを何としてでも止めようと」
そして狂気的な笑い声がそこへ差し込まれる。心の底から事態を楽しむ笑い声がようやく収まれば、会話は再び軌道に乗った。
「いいねいいね! さすが総督。俺らの使い方、分かってんじゃん」
「私はギノバス王国の誇る騎士団の頂点に立つ者として、我らの歴史ある尊厳を守り抜く」
また少しの笑い声が響いたのち、通話の相手方は応答した。
「ギノバス王国なんて死語使ってる老害、もう総督だけですよ。この世界から国家の概念が消え去って、もう何年経ったと思ってんですか」
デティシュは男の嘲笑を聞くと、ついに近くの物へ当たりそうになった。
指輪の先の男はデティシュを好きなだけ茶化し、本題へ話を戻す。
「いやぁ笑った笑った。まあそれぁいいや。たかが魔導師一人殺すくらいお安いご用ですよ」
「……時間が無い。更なる詳細はすぐに伝える」
デティシュは通信を切断した。そして次第に男の表情は、醜悪な笑みに包まれる。
「……期待しているぞ。王国騎士団の誇る極秘部隊、第零師団の諸君らよ」
No.80 通信コード
通信魔法具において、極めて機密性の高い通信を要する場合につき、通信の相手方が指定の人物であるかを確認する為に事前に設定された合言葉のこと。