76.たとえ光がなかろうと ***
音の都・ウィザーデン。そこはかつて、音楽で栄えた壮麗な国家であった。大陸戦争においては中立を唱え、あらゆる軍事活動に不干渉を貫いたが、他国からの一方的な軍事進行を受け為す術無く滅んだ、暗い過去を持つ。それでも国の宝である音楽が廃れることはなかった。戦後は目まぐるしい復興を遂げ、現在は都内にいくつものコンサートホールやオペラハウスが立ち並ぶ。また繁華街には多彩なストリートミュージシャンが音楽を披露し、街行く人の足を止める光景が広がる。
第三騎士団とフェイバルらがウィザーデンへ到着したのは夕暮れ時だった。本来であれば、この時間でも街の至る所から音楽が鳴り響くのだが、連日の騎士殺害事件で多くの演奏家がそれを控えた。コンサートの公演も、治安の乱れによる集客の不調で中止が続く。ウィザーデンの誇った音楽は今にも終曲を迎えてしまいそうだった。
ウィザーデン駐在騎士団の詰所前で隊列を成した車両の群れが停車すると、玲奈たちはようやく車の中から解放される。ウィザーデンの醍醐味たる音楽は聞こえない。
「ふあー。意外と近くてよかったぁ」
玲奈は腕を高く引き延ばし体をほぐす。詰所はどの街でも大通りに面しているらしく、ウィザーデンも例に漏れずそうであった。
玲奈は往来する魔力駆動車を呆然と眺める。ふと視界を側方へ映したとき、そこには色鮮やかな何かが映り込んだ。そこに横たわっていたのは、折り重なるように献げられた花の数々。殺された騎士たちへの献花だと、すぐに理解できた。あまりに膨大な色彩の数から、失われたものの多さが見て取れる。
「――同士よ、どうか安らかに」
マディはそこへ新たな花を添えた。彼の背後では数名の騎士が手を合わせる。
詰所へ入れば、そこには張り詰めた空気が漂った。現地のウィザーデン駐在騎士団と第三師団の面々は、広間で作戦の最終確認を行う。
玲奈の横に立つフェイバルは、独り言のように呟いた。
「……ウィザーデン駐在の騎士、随分と少ないな」
その呟きを受け、彼女は辺りに居る騎士にざっと目を通す。するとその場の騎士のほとんどが、第三師団の紋章を掲げる作戦騎士であることに気が付いた。
玲奈は言葉を絞り出す。
「……なんというか、すごく胸が苦しいです。ドニーさんのお父様は、何を思ってこんなことを」
フェイバルはこちらへ顔を向けずとも、確信を持って語る。
「正義だ。そいつなりのな」
「――ドニー君、これを。夜間巡回を行うウィザーデン駐在騎士団に扮する為の装備だ」
マディは騎士の隊服を持ち寄る。そこに編み込まれた紋章は、ウィザーデン駐在騎士団のものだった。
ドニーはそれをすぐに受け取る。
「あんがとよ。まさか国選魔導師だけでなく、一日騎士体験までできるとは」
マディはドニーの冗談を聞かず、一つ彼へ問い掛けた。
「……それとそのゴーグルだが、騎士を装うには目立ちすぎる。外してもらうことはできるか?」
ドニーがすぐ首を縦に振るわない。マディは事情を伺った。
「何か問題でも?」
「いや、大丈夫だ。だがこいつは俺の個性である以前に、マジの命綱なのよ。だからさ、持ち歩くことは許してもらうぜ」
「……そうだったか。ならば――」
ドニーはマディの意向を先読みして制止した。
「いーや、大丈夫。戦闘が始まる前までは外しとく」
少し考え込むように静止すると、突然ドニーはそのゴーグルを外し始める。それは玲奈とフェイバルが、丁度ドニーとマディの元へ合流したタイミングだった。
マディは閉じた目をゆっくりと開く。ゴーグルの奥にあったもの、それは白く濁った二つの瞳。医者でなくとも、正常でないことは見て取れる。
ドニーはいつもの声色で吐き捨てた。
「俺は生まれつき目が見えないんだわ。師匠にも言ったことなかったか。てか、素顔見せたのも初めてだな」
外したゴーグルを持ち上げると男は続ける。
「これは魔法具だ。ちょいと魔力を消費することで、視力の強化と悪環境での視界の確保を可能にする心眼魔法具。俺の生まれつきのハンデを克服できる」
フェイバルは溜め息を吐いた。
「テメェは馬鹿野郎だよ、ドニー。てかなんで俺にも隠すんだよ」
珍しく他人に呆れた様子のフェイバルを見て、ドニーの口角は自然と上がる。
「サプラ~イズ」
「やかましいわ」
緊張感漂う現場でも相変わらず気の抜ける弟子と師匠の応酬に、思わず玲奈からは笑みが零れる。
マディは脱線することなく、ドニーへ実状を尋ねる。
「その魔法具を外してしまうと盲目である、という認識で間違いないだろうか?」
「正解ー」
フェイバルは苦言を呈した。
「それ外した状態で騎士のフリして夜間巡回なんて無理だ。作戦変更。丸腰どころか視界も無い隙だらけの奴に、この作戦は無謀だ」
「歩くくらいなら感覚でいけるぜ。まあもちろん、俺が敵の奇襲に気付くことはできねぇだろうけど。連れの騎士が俺の代わりに奇襲を察知してくれないと、またみんなで仲良く殺されてしまいだなー」
先行きの不穏ななか、ドニーの言葉は続けられる。
「でもまあ、それくらいのリスク仕事には付きもんだ。作戦変更は認めませーん。俺は一日国選魔導師だから、裁量権は俺にある」
無茶な発言に周囲は凍り付いた。フェイバルは思わず頭を抱える。
「はぁ、マジで大丈夫なのかよ」
相変わらずお気楽な様相を見せるドニーと、それに振り回され気味なフェイバル。彼のこんな姿は、玲奈にも初めて目にした光景だった。
先の見えないなか、マディはその不穏を払拭する。
「奇襲への察知については問題ない。その手の適任が、第三師団には居る」
フェイバルは詳細を求めた。
「と、いうと?」
「魔眼だ」
日が落ちた頃。騎士たちは深夜の作戦に備え、急ピッチで準備を行った。通信魔法具の整備を行う者。武装を始める者。配置を確認する者。失われた仲間の為。これ以上失わない為。その場の全員が、最善の状態を築き上げる。
そしてそれは魔導師たちも同じこと。玲奈はフェイバルと共に、最前線のほんの手前まで足を踏み入れる手はずだ。最近は危険な現場から遠のいていた彼女だが、今回は久々に気の抜けない仕事である。
「ええっと、ここをこうして……」
ヴァレンに習った魔法銃の整備方法は、最近になってようやく覚えた。一度分解して最終確認を行い、それをまた元へと戻す。
「……ふぅ。なんとかなった」
魔法銃が元通りになり、玲奈は一安心した。ふとフェイバルの方を見れば、やはりまだ男はどこか浮かない顔をしている。
どうも放っておけず、玲奈は声を掛ける。
「フェイバルさん、そんな顔してどうしたんですか?」
「……別に」
本心を語らないのはいつものこと。玲奈には分かる。
「心配してるんでしょ、ドニーさんのこと」
フェイバルは黙り込む。どこまで不器用なその男が、玲奈には可愛げがあって映った。彼が水くさいのを好まないのは知っている。だからさりげなく話を変えておこう。玲奈は立ち上がると、両頬を叩いて気合いを入れる。
「さ、私もそろそろ魔導師らしくなってきた頃でしょう! 今日も華麗に仕事をこなして見せますよ!!」
もう恐れを知らぬ玲奈を見て、フェイバルは少し口元を緩めた。
「あんま調子乗ると痛い目見るぞ。魔導師ってのは、一瞬の気の緩みでポックリ逝っちまう仕事だ」
「もちろんです! ただ、マジで死にそうなったら超逃げますから。ヤバそうなときは、もう全部頼りますんで」
フェイバルは少し微笑んで頷くと、纏わり付いた不安を振り払って立ち上がる。
「……まあお前に無茶して死なれるよりはマシだな。任せときな」
男は手首を鳴らし気合いを入れた。
「さ、ぼちぼち出るぞ」
詰所で待機する三人の騎士。掲げる紋章はウィザーデン駐在騎士団。ただ、それは外見だけの話である。
「うっーし、そろそろ時間だな」
ドニーは使えもしない剣を腰に差した。これもあくまで騎士としての飾りだ。
「二人とも、よろしく頼むぞ」
ドニーと共に最前線に立つ男性騎士の名は、セニオル=ウェイサー。普段は新人教育を担当するベテラン騎士であり、第三師団第三部隊の隊長を務める。
「――必ず成功させます」
内向きにカールした栗毛が特徴的な、凜々しい女性騎士の名は、第三部隊所属のミオン=ディオニム。若手にして、第三師団の抱える金の卵。ミオンの右目に浮かぶ魔法陣は、選ばれし者へ与えられた希有な魔法の証。魔眼である。
No.76 王国騎士団における各師団第一部隊・第二部隊・第三部隊の編成規則
各師団の第一部隊・第二部隊・第三部隊は、国選依頼において優先的に実動部隊として機能する。本作戦においても、マディ率いる第二部隊とセニオル率いる第三部隊を含む、数個部隊がウィザーデンへと派遣されている。