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Just-Ice ~明星注ぐ理想郷にて~  作者: 福ノ音のすたる
第5章 ~小さき盗賊の冒険譚~
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58.人生の道程にて

 突然にして訪れた、亭主との別れ。以降、オリハの衰退は明らかだった。いつもと変わらぬ風邪だと言いながらも、彼女は連日にして自室へ引き籠もる。心労というものは恐ろしく、ダイトが母に会うことの出来る日は随分と減った。

 そんな実状でも、貴族としての重荷は途絶えずに残り続ける。家長のコールが亡くなった今、オリハにはアダマンスティア家の大きな権力がのしかかった。ただ事実、病弱な彼女にそれは叶わない。

 「――実務の方は、筆頭使用人であるゴートが代理人となって臨みます。ご安心下さいませ」

毎度の看病を請け負う女性の使用人は、オリハへと告げる。

 「……ええ。ゴートには感謝しきれないわね」




 リベリア宮殿にて。ある一室で執り行われる定期議会は、酷く不穏な空気から始まった。

 「――アダマンスティア家の全権は、コール氏の妻・オリハ氏に相続されたと聞いていたのだが。どうしてこの高貴な場に、貴族でもないただの老いぼれが居るのだろうか?」

 下劣な笑みでゴートを見下ろすのは、保守派貴族・プロセクト=ズグセル。男は議員の中でも頭一つ抜けた富を持つ大貴族であり、どっぷりと太った体と均整な髭がそれを如実に表した。

 ゴートは立ち上がると、一礼してその悪意に応じる。後ろで結ぶ色褪せた髪を揺らし、凜として名乗った。

 「わたくし、アダマンスティア家の代理人として参りました、ゴート=ゾルディアと申します。家長・オリハは病弱ゆえ、どうかご容赦くださいませ」

 「……まったく、気分が悪い。ここは本来であれば、平民など決して立ち入れぬ場であるというのに。アダマンスティア家の品位を疑うよ」

 「……申し訳ございません。ご理解ください」




 醜悪な幕開けから幾ばくか時が流れ、ついに日が沈み出す頃、ようやく定期議会は終わりを迎える。慣れない議事堂を出て、リベリア宮殿の正面口に至ったゴートは、すぐにそこで数名の使用人と合流した。

 彼はあえてどこか気丈に振る舞う。

 「いやあ皆さん、苦労をかけますね」

対して使用人の一人は、律儀に応じた。

 「いえ、問題ありません。これも必然の備えです」

 そこへ集った使用人は、皆が魔法に幾分か覚えのある者たち。かつて魔導師を生業とした者に、騎士としての経歴を持つ者。臨時とはいえゴートがコールの後釜である以上、使用人たちは万端の措置が敷いた。

 ゴートは小さな声で呟く。

 「……少し入念すぎたやもしれん。すまない。君たちの仕事を増やしてしまったな」

傍を歩く若い使用人はゴートの手荷物を預かりながらその囁きに応じた。

 「保守派貴族の連中には、黒い噂が絶えません。何を仕掛けてくるか分かりませんから、備え過ぎるに越したことはないですよ」

 そうして使用人たちは、壮麗な石造りの広い階段を下り始める。たった数段のそれを下り終えれば、視界の前に広がるのは貴族の帰りを待つ魔力駆動車の数々。ロータリーの構造を成した一帯には高級な車が点在し、その傍には各貴族が雇った使用人が控える。武装した者が多いのは、きっと先の事件もあってのことだろう。

 その仰々しい光景を横目に、ゴートらは足早で自らの車両へと向かう。ただ階段の麓から車両までのは少々の距離があるので、彼らはもう暫くの徒歩を余儀なくされた。

 ゴートはふと主を気に掛ける。

 「……奥様と坊ちゃんの様子はいかがだろうか?」

使用人は警戒を怠ることなく返答する。

 「奥様は無事、快方に向かわれています。坊ちゃんもお変わりなく、真面目に勉学へ励んでいるようですよ」

 「そうか。強い親子だ。敵わん」

 そして魔力駆動車の扉に手が届くまで、もう僅かな距離。再前方を歩く使用人の女性は、異変へと勘付いた。彼女はすぐさま懐から魔法銃を取り出し、迷わず正面の車両へ向ける。ゴートの側方を固める使用人らも、寸分遅れて警戒を開始した。

 ギルド魔導師として長い経歴を持つ女使用人の勘は鋭かった。彼女は厳かな場に尻込みせず引き金に指を掛け、姿の見えぬ誰かに問い掛ける。

 「――貴様、何者だ」

 応答は無い。しかしその何かは、車両の裏からぬるりと姿を現した。

 黒のコート。顔を覆った黒い布。車両のすぐ傍を警戒にあたっていた使用人すら気付けない気配の無さと、それでもって脈々と漂う異様な魔力。

 女使用人は嫌な汗を感じたが、それでも語気を弱めずに言葉を紡いだ。

 「貴様、その車に何用だ」

ただし女使用人の詰問は、またも無視される。招かれざる客に対話をするつもりが無いのは、これで確かだろう。

 それでも男は、またしても行動で意図する。ふとコートのポケットから取り出されたのは、一枚の手紙。男はその紙を足元へと放り出し、そのまま手をローブへと収めた。

 放り捨てた紙の真意は分からずとも、使用人らは警戒を怠らない。しかしながらその奇怪な行動へ視線を誘導されるのは、無理もないことであった。

 幾分かの使用人は魔法銃を構えながらも、僅かに視線が一枚の紙に吸い込まれる。その些細な事象こそ、男の企み。男はその緩みを存分に活用し、悠々と魔法を行使した。

 ただ行使されたのは、目前の使用人に危害を加える類いのものではない。男が選んだのは、風魔法・飛行(フライ)。人間に羽は無くとも、魔法は人に空の旅を拓いた。

 女使用人は銃口で男を追ったが、空を往くそれはみるみるうちに視界から小さくなってゆく。それは紛れなく、退避行動。彼女が引き金を引く事態は回避されたのだった。

 遂に男の姿が消えた頃、ようやく使用人らに張り詰めた緊張は解消される。突然の窮地を経て、その感想を気楽に述べる者はいなかった。

 ただゴートは、残された手紙について言及する。残されたそれこそが、突如現れた不審な男の目的の全て。放り捨てられた一枚の紙が、ただのちり紙であるはずはない。

 「諸君、あの紙は拾っても大丈夫だろうか。何かの魔法を用いた罠の可能性はどうだ」

女使用人は冷静に応じる。

 「……恐らくは、ないかと。ただ念の為に私が回収します。奴の魔法は底知れない」

 夕焼けの一騒動。しかしながら、宮殿前のその一事へ気付いた部外者は皆無。議会を終えた貴族とその一派は、各々が普段と同じくして帰路に就くのだった。




 訪れた夜もまた、普段と何ら変わらぬ静謐の月下。ダイトは自室にて、眠りへ落ちる道程の最中(さなか)であった。それでもここのところは、易々と眠りへ落ちることも叶わない。少年の負った傷は、一夜を越すだけの眠りよりもずっと深いのだから。

 この世界に、この街に。この家に、父はもういない。父がいるのは、我が心だけ。心の傷が塞がったとき、まだ己は鮮明な父の記憶を覚えていられるのだろうか。

 思い返せば、昼間のうちから父と言葉を交わす機会は少なかった。つまるところ夜とは、そんな父と言葉を交わすことの出来る貴重な刹那。だからこそ夜になれば、一層にして追憶は強まる。




 「――ダイト、外に出よう。たまにはいいだろう?」

 まだ今なら、鮮明に覚えている。満月の夜、ダイトはコールに連れられて中庭を散歩した。

 そして近況の話題が尽き始めた頃、コールは突然語った。今になって思い返せば、父はそのときに何かの選択を迫られていたのかもしれない。

 「――ダイト、父さんはな、戦おうと思うんだ」

 「戦うって、誰とですか……?」

 「大勢の人間だ。その不利な戦況でも、誰かが立ち向かわなくちゃならない」

ダイトは父の抽象的な表現に返答が見つからず黙り込む。すると父は、先の早合点を恥じるようにして呟いた。

 「すまんすまん、少し気が早かったな」

 そして訪れたのは、ひとときの沈黙。風が植え込みを優しく撫でる微かな音だけが暫し続くと、ダイトの少しだけ先を歩く父は、またその沈黙を閉ざした。

 「……ダイト、今ここで大切なことを教えておきたい」

 「……大切なこと?」

 「人間には、必ず選択が訪れる。どうでもいいような小さなことでも、今生に関わる大きいことでも」

以降父の言葉は、どこか具体的になって続けられた。

 「……そうだな、例えばダイトが体調の悪い母さんへ飲み物を運ぶとき。頼まれたのは温かい紅茶だけだが、おまけにお菓子を持って行ったら喜ぶだろうか。それとも、頼まれていないお菓子なんて余計だろうか。そんなのは、やってみなくちゃ分からないだろう」

 ダイトは小さく頷く。コールは一呼吸置くと、さらに続けた。

 「何かに迷ったとき、信じるのは自分だ。本当に正しいと思った方を、正直に選べ。他人に流されたり、どちらも選ばずに立ち止まることがあってはならない。それが正しくても誤りでも、失敗でも成功でも、必ずそれは糧になる。まあさっきの例えじゃあ、母さんは十中八九どっちでも喜ぶんだろうがな」

 少しの微笑みを経て、父の顔はまた真面目なものに戻る。

 「ともかく、誤ることを恐れちゃいけない。誤ることなんてのは、人間の必然だ。選択の先の正解は、未来にあるのだから」

 「その未来に立ったとき、もしも過去の自分の選択が誤っていたと分かれば、そこから取り返せばいい。大きな誤りをしても、後になってそれを償うことができたなら、それでいい」

そしてコールは、ありきたりなことを柄にも無く語ってしまったと思い、それとなく笑って誤魔化した。

 「いやはや、すまんなダイト。少し難しい話をしてしまったよ。もう遅い、屋敷へ戻ろう」




 当時のダイトは、ただ呆然とそれを耳にした。しかし何故かその言葉は、妙に印象深い。現に彼は、こうして眠りの道半ばでその言葉を追憶したのだから。 

No.58 革新派貴族


貴族のみが合議体にて議席を手にすることが出来る現状を憂い、平民の合議体参加を認めるべく行動を起こす貴族らの呼称。自らの議席の保持へ躍起になる保守派貴族と対立している。

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