54.帰郷
オペレーション・クロニスから数日。王都マフィアの掃討は新聞を通じ、大陸全体へ知れ渡ることとなった。
フェイバル宅にて。特に大きな負傷も無く作戦を終えた玲奈とフェイバルは、またかつての日常を取り戻すように居間でくつろぐ。ただそこで交わされる話題は、世間よりも一足早く持ち込まれた作戦報告書について。
作戦終盤に突如として鳴り響いた轟音は、石の塀が倒壊した音であったということ。更にはその出来事が、たった一人の魔法剣士の手によって成されたということ。まだ魔法の神髄を知らぬ玲奈は、想像し難い事実へ唖然なった。
ただその次に玲奈が思慮したのは、その当事者たる女の安否。彼女はフェイバルへと尋ねた。
「……それでツィーニアさんは、無事だったんですかね?」
フェイバルは髪を弄りながら返答する。
「ああ、生きてるっぽい。まあ相当な重症らしいけど」
「にしても、まさか弟さんと対峙していたなんて……」
「あいつが姓を隠してたのも、マフィアに血縁者が居るのを知られない為だったってわけだな。ブロニア=エクスグニルってのは、随分と名の知れた幹部格だったらしいし」
フェイバルは鬱陶しさに耐えかね、おもむろに頭の包帯を外し始める。ただそのとき彼は、さりげなく言葉を添えた。
「にしても玲奈、お前も逞しくなったもんだな」
突然の褒め言葉。玲奈は呆然とするのも束の間、間の抜けた微笑みでそれに応じる。
「そ、そうですかねぇ!?」
「三回目の戦闘現場にしては、肝据わってる方だぜ」
「え、えへへ」
調子に乗ったのを見透かされたのか、フェイバルは余計な一言を付け足した。
「でもまぁ、刃天のとこの弟子が居たおかげか」
「ちょ、私だって活躍したんですからね!?」
「はいはい。よう頑張りましたよ」
激戦の末に重傷を負ったツィーニアは、作戦直後にギノバス王立病院へと搬送された。出血が激しく危険な状態だったが、瀕死の中で自らへ施し続けた治癒魔法が命を繋いだらしい。
作戦完遂後から当分の間意識を失っていたツィーニアが目を覚ましたのは、つい先日のことだった。彼女はただ呆然となって、病室の天井を見つめる。窓の外で激しく輝く太陽は真夏そのものを体現するが、空調魔法具によって快適に保たれている病室内に、その影響は無い。
窓の傍には、立て掛けられた二本の愛剣。窓の縁に置かれた短剣は、投擲用として持ち合わせる一品。握り続けた愛剣たちを俯瞰してみると、ふと左手に力が入る。束の間そこから漂うのは、刃を介しても色褪せぬ、人の肉を断つときの感覚であった。
今まで幾度となく人間の頸を断ち切ってきた。悍ましくも、慣れたものだと思っていた。しかし今回だけは、その感覚が異様なほど鮮明に残っている。
体を起こそうとしてみたが、左肩の傷が痛んだ。大剣によって突かれた傷は、相当に深いらしい。その一方、毒針を受けた右腕のほうは徐々に回復しつつあるようで、触覚は無事に回復した。病院に勤める治癒魔導師の解毒は、確かに有効であった。
そのとき病室の扉は、ゆっくりと開かれる。
「――やあツィーニア君、体はどうかね?」
現れた男は、トファイル=プラズマン。ギルド・ギノバスのマスターであった。
ツィーニアは平静にそこへ応じる。
「順調です。数日もすれば復帰出来ます」
「いーや。そんなに急ぎなさんな。だって君には、他にやるべきことがあるだろうよ」
「……やるべきこと? そんなもの、別に何も――」
「ツィーニア君。君は一度、故郷に戻りたまえ。魔導師の仕事は、それからだ」
食い気味に言葉を紡いだトファイルは、開いたままの扉のほうへ合図を送った。するとまた男が一人、病室へと足を踏み入れる。彼の名はムゾウ=ライジュ。ツィーニアの弟子である彼は、一本の大剣を抱えてそこへ現れた。
見間違えるはずもない。彼女が見たものは、ブロニアの振るった大業物。トファイルは彼女が理解したことを察しつつも、事の経緯を語った。
「都外で見つかった遺留品だ。本当なら一度は騎士が預かるんだけど、頼み込んで取り返してきたよ。君が欲しがると思ってね」
「……ありがとう、ございます」
ツィーニアの声は震える。頬には滴が伝った。
トファイルはその見慣れない女の涙から視線を逸らし、窓の外の快晴を眺める。
「とにかく、まずは完治することだ。暫くは騎士も今回の事後処理に追われるだろうし、当分は大きなが国選依頼が舞い込むことも無いはずだよ」
ツィーニアからの応答は無い。それでもトファイルはただ、窓の奥の景観を見つめた。彼は微かに見えるギルド・ギノバスの屋根を捉え、ただ往年に耽る。
「……まったく、人間らしくなったもんだねぇ」
そしてまた、時は流れる。ただしここのところの快晴は変わらず、その日の空には雲の一つすら浮かばない。それは言うなれば、夏を凝縮した数日であった。
治療も快方に向きつつあるツィーニアは、一六年前に別れを告げた故郷・シラブレ村へと降り立つ。村の人々は今でも、二人の姉弟がここへ帰ることを待っているのだろうか。一六年も経ってしまえば、忘れられてしまっただろうか。
ふと考え込んでみれば、それは愚かな空想だった。ツィーニア=エクスグニルは実の弟を殺めた。それは決して揺るがぬ事実であり、背負うには重すぎる罪だったから。
村の者に顔を向けるには、あまりに後ろめたい。だから彼女は、村の裏側からひっそりと足を踏み入れることにした。幸い彼女の過ごした家は、村かの離れに位置している。
その日のツィーニアはいつもの愛剣を手放し、古びた弟の剣を担いだ。その上からローブを羽織れば、ただ隠密に茂みを掻き分ける。
「……酷いものね。時が流れるというのは」
茂みを抜けたとき瞳に映ったのは、見覚えの薄い母屋の外壁。一六年の年月は残酷にも、その家屋を激しく傷め付けた。割れて散らばる窓。腐食の進んだ木の柱。当然ではあるものの、あの日以降誰も手を付けてはいないようだ。
ツィーニアは家の正面に回り込んだ。言うまでも無く、道場からの人気は感じない。途絶えた流派に虚無を覚えながらも、ツィーニアの足は自然と母屋の中へ向かった。
古びた扉を開こうとしたが、扉はすでに腐り落ちていた。それでも中の様子は褪せず、あの日の爪痕が色濃く残る。床板に染みついた血液は黒ずみ、銃痕で抉られた穴からは緑が生える。倒れた家具には、蔦その長い腕を伸ばしていた。
ツィーニアは抱えた大剣を、家族で囲んだ懐かしきテーブルへ横たえる。家の周りに自生した花を摘むと、彼女はそれらを傷んだ大剣にそっと重ねた。
二つの家族に囲まれた彼が、ここに眠るべきかは分からない。それでもブロニアと人生を共にした大剣くらいなら、きっとここに戻って来てもよいだろう。
「おかえりなさい、ブロニア」
ツィーニアは呟く。あまり人へ見せない笑顔は、愛する弟の為。
暫しの時を過ごすと、ツィーニアは金具が壊れて開いたままの扉から外へ出る。するとそのとき、彼女の瞳には一つの人影が映った。
油断していたツィーニアは急いでローブを被り直す。ただそれでも、一瞬だけ目が合ってしまった。かなり老けたが、そこに佇んでいたのは紛れもない、あの日ツィーニアの肩を揺らした中年の女性の姿。
その女性は温和な表情でじっとこちらを窺う。彼女もまた分かっていた。ローブからはみでた美しい金髪は、今を生きるツィーニアのものだと。
ツィーニアはじっと俯く。彼女はそのまま顔を合わせずに立ち去ろうとしたが、そこには優しい声が飛び込んだ。
「――おかえりなさい。大きくなったわね」
思わず足を止めると、ツィーニアは女性の方へ振り向く。深くかぶったフードを脱ぐと、あえて何も語らず、笑顔だけを返す。
(ただいま。でも、まだ帰れません。私にはやるべきことがあるから)
束の間、ツィーニアは家の裏へ駆けた。そして彼女はその女性の視界から、あっと言う間にして消え去る。
「……また、いつでも戻ってきてね」
目的を終えたツィーニアはまた魔力駆動車へ戻る。向かう先は、王都・ギノバス。運転手を務めるムゾウは、ふとしてツィーニアへ話し掛けた。
「……師匠、なんだか、嬉しそうですね」
「……別に」
「本当ですか? まあ、詮索はいたしませんが」
ツィーニアは妙に核心を突いてくるムゾウを突っぱねる。
「どうでもいいの。それよりムゾウ、明後日から早速仕事に出るわよ」
「え!? 師匠まだ退院して二日ですよ? 大丈夫なんです……?」
「大丈夫。ただの肩慣らしだから」
その得意気な返答は、少しばかりの笑みを含んだ。ムゾウには、その声がどこか明るく新鮮に聞こえる。
そしてツィーニアは柄にも無く、まるで決意表明のように呟く。
「なんたって私は、国選魔道師・刃天なんだから」
No.54 ツィーニア=エクスグニル2
幼き日に弟と生き別れた過去を持つ。弟が残した願いを叶えるべく魔導師となった。願いが弟を自らの手で殺めることと同義でも、彼女に後悔は無い。それが弟の望んだことなのだから。