53.願いと誓い
少女・ツィーニア=エクスグニルは、全てを奪われた。冷たくなって転がる両親を傍に、己の身代わりとして連れ去られた弟の後ろ姿だけが、脳内を延々と巡り続ける。
「――ツィーニアちゃん! な……何があったの……!?」
どこからか耳に飛び込んだ、微かに聞き覚えのある声。少女は肩を揺すられて我を取り戻そうとも、その瞳にはもう一片の輝きすら残らない。
「……もう、探さないで」
少女は血濡れた大剣を抱えて駆け出した。滂沱よりも、復讐を。純白だった少女に、黒い怨嗟が差し込む。
暗闇の中、ツィーニアは村を飛び出した。どこへ向かうのか、たった一人でどう生きるのか。そんな現実は、少女の瞳に映らない。少女はただ身の丈に合わぬ大剣だけを両手で抱え、まだ淡い目的の元へ。
されども現実は悲痛だった。村の外に蔓延る魔獣は、夜を好む。夜中に一人彷徨う少女は、まさに格好の獲物であった。
間もなくして、ツィーニアは獰猛な魔獣に取り囲まれる。己より何倍も大きな巨躯の数々。暗黒の中で淡く輝く、不気味な眼光。それは人間が死を畏れるのに、十分な光景だろう。
少女はただ呆然とその魔獣を目にする。昨日までの彼女であったなら、ここで尻餅をついて、無様に泣き喚いただろう。
「……もう、何も怖くないの」
魔獣の大群は、華奢な少女へ一斉に飛び掛かった。理性無き生き物に、容赦など微塵も無い。
刹那、ツィーニアの鼓動は加速度的に高まる。彼女は凜然と大剣を構えると、思いのままに宣誓した。
「私は……私は死なない!! 約束を果たすまで――!!」
高ぶる精神は、幼き彼女の魔法を大きく昇華させた。同時、上段に構えた魔法大剣・ヘルボルグには強い光が宿る。練習用の木刀とはまるで違う、ずっしりと重たい真剣であろうとも、無意識のうちに行使した強化魔法が、彼女へ筋力を補填した。そして少女は、咆哮と共にを力一杯に振り放つ。
それは彼女の中で眠る魔力が覚醒した刹那であった。可憐な少女とて、秘めたその才は魔獣を遙か凌駕する。繰り出された一撃は、魔獣の軍勢を容易く両断した。
初めて剣で生き物を殺めた記憶。血に濡れて肉片を浴びる感覚。そしてその生温かい感触が思い出させたのは、愛する弟への誓い。ツィーニア=エクスグニルの歩む軌跡は、その誓いが原動力だった。
忘れたことはない。あの時、ブロニアは確かに告げたのだ。
「いつか……俺を……止めてくれ……」
窮地に立たされたツィーニアは、もう一度剣を握り直す。
「私は……死ねない……あんたを止めるまで……!!」
幼きブロニアが最後に残した願い。ツィーニアをここまで突き動かした原動力が、死に瀕した彼女を再び立ち上がらせた。
その迫真を前にしようとも、ブロニアは気を乱さずに呟く。
「……終わりにしよう」
そして男は再び駆け出し、ツィーニアとの距離を詰め始めた。真っ直ぐと、魔獣防護壁のそびえる方角へ。手負いの姉へ、終止符を打つべく。
死の予感が迫る中でも、ツィーニアは折れない。
「魔剣技・土裁き……!」
それは僅かな力を絞り出した、決死の一撃。ブロニアへ向かって放たれた魔法刃は地面を抉り、土埃を巻き上げて進行した。
土煙はブロニアの視界を奪う。それでも彼の選択は、突撃であった。ツィーニアが瀕死の状況にある今、男の優位は揺るぎないのだから。
ブロニアは吹き荒れる砂埃を気にも留めず、彼女の佇む魔獣防護壁へと突き進む。歯を食いしばると、またその大剣を振り上げた。
ツィーニアの気配を感じ取れば、ブロニアはそこへ向かって一気に大剣を突き刺す。束の間、感じ取ったのは肉を貫いた確かな感覚。確かに人間の生身を捉えた。
留めを刺した。男は察する。ただそれでもなおツィーニアは、掠れた声を発し続けた。
「……負けない。私はあんたの……姉貴、だから」
土埃がようやく鎮まったとき、ブロニアの眼前に広がったのは、肩に大剣が突き刺さった実姉の姿。急所を外したことへの後悔も束の間、男を思わぬ事態が襲った。
ブロニアが空を見上げたとき、そこに映ったのは空に浮かぶ裂けた雲。そして次の刹那、上部から倒壊を始めた石の塀。ツィーニアの背後にそびえる魔獣防護壁は斜めに切断され、そこから滑り落ちるように二人の元へと降り注ぐ。
ブロニアにはそれが、自滅の一撃に見えた。しかしその想像は直ぐに払拭される。倒壊し始めた壁は空中で更にキューブ状へ切断され、それらが崩落する地点は僅か外側へと逸らされた。
国選魔道師・刃天。それは天にも届く圧倒的な力を持つ、凄まじき魔法剣士の冠した異名。驚異的な射程は、その異名たる所以。それは一見人間の成せる技に見えないが、確かにツィーニアの剣の成した技だった。
そしてツィーニアは優しく呟く。
「……さようなら」
ツィーニアは魔法陣を展開すると、それで眼前の男を強く押し飛ばした。男が不意の一撃で後方へ吹き飛んだ束の間、そこには石塊の雨が降り注ぐ。
同刻。大きな衝撃音が王都中に響き渡った。貴族街で行われた作戦どころか、都外で巻き起こった戦闘すら知らぬ人々は、その出来事に騒ぎだす。
「な、何事だ!?」
「お、おい見てみろ! あそこの塀が無くなってるぞ!? 崩れたのか??」
フェイバルはマフィア屋敷があったはずの瓦礫地帯で、仰向けのまま空を見上げた。彼の目にも、切り裂かれた雲と断ち切られた塀が映る。
「天を穿つ刃……刃天ねぇ」
倒壊した石塊は、落下の衝撃でさらに細かく砕け散り瓦礫と化す。石塊の直撃を受けたブロニアは、為す術無く瓦礫に埋め尽くされた。咄嗟に防御魔法陣で石の威力を幾分か殺したものの、無数の石塊を全てを防ぐことは叶わない。男は瓦礫に体を押し潰され、力なく横たわった。
ツィーニアは肩に刺さった大剣を抜き取ると、吹き出す血を抑え込みながらブロニアへと近付く。男は首から上だけを瓦礫の外に出し、ただ視線を下に落としたまま黙り込んだ。男を多量の血が濡らしていることは、それが致命傷であることを物語る。
そのとき冷たく閉ざされていたはずのツィーニアの瞳から、一六年ぶりの涙が頬を伝った。残された任務は、実の弟を殺めること。あの日は自身を守ってくれた弟を、今日は自分の手で殺めなければならない。それでもこれが彼女の決意であり、一六年前のブロニアとの願いであった。最期くらい、笑顔で。ツィーニアは涙を流しながら、一六年ぶりに微笑む。
「ブロニア……守ってくれて……ありがとう……」
ブロニアは微笑み、掠れた声で応答した。
「……止めてくれて……ありがとう」
「……俺の……姉貴」
ツィーニアはその大剣で、ブロニアの首を安らかに刈り取った。
フォッジは裂けた空を見て呟く。まだ昼下がりだが、そこに安らぎは見出せない。男には、ブロニアの敗北が見えていたのだから。
「……ったく、お前はマシな死に方したもんじゃねーか。他のガキどもに恨まれちまうぜ」
最後の一本になった葉巻を取り出せば、そこへ躊躇わず火を付ける。
「ガキ共、また地獄で酒でも一杯やろうじゃねえか。そんときは今日の戦争の話、聞かせろや」
ツィーニアとブロニアの戦闘が終結した頃、騎士らは既にフォッジの残る車を包囲していた。班長の男は腕を天高く掲げる。
「撃て――!!」
その指示を皮切りに、車両には無数の魔法弾が撃ち込まれた。車両は忽ち炎を上げて爆発する。作戦の重要目標・フォッジ=ガルドシリアンは、ついに討たれた。
茜色の空の下、爆煙が立ち込める。オペレーション・クロニス、完遂。
No.53 ブロニア=エクスグニル
金髪を後ろに流した髪型は、フォッジを倣ったもの。二六歳。長身を武器に、軽々と大剣を扱う。強化魔法を主体に戦いつつ、暗器も活用する。ツィーニアの実の弟であり、彼女の身代わりとして王都マフィアへ加入した。