49.ふたつの家族
時は作戦前夜に遡る。日々の修行を終えたツィーニアは、ギルド・ギノバスへと立ち寄った。カウンター席に腰かけると、たった一人で紅茶に口づけを始める。
直ぐ傍に立て掛けられた愛剣は、鞘に収められた中庸な大きさの魔法剣・ヘブンボルグ。そして刀身に包帯が巻き付けられた巨大な大太刀は、魔法大剣・ヘルボルグ。背の違う二本の剣は、どちらも同じ名工の手で造られた一級品であった。
そのときそこへふらりと現れたのは、トファイル=プラズマン。元国選魔道師にして、現在はギルド・ギノバスのマスターを務める老年の男である。
「おや? こんな時間にツィーニア君がいるとは。珍しいこともあるもんだね」
「ええ。修行後の剣の手入れに時間を使い過ぎてしまいまして、気付いたときにはこんな時間でした」
ツィーニアは湯気の立つ紅茶をまた一口含む。
「……そうか。明日だもんな。君が渇望してきた作戦の決行日。手入れがいつも以上に丁寧になるはずだ」
「……はい。私が辺鄙な村から王都へとやって来たのも、国選魔道師になったのも、そして流派に背いてまで強さを求めたのも、全ては明日の為ですから」
「王都マフィア……随分と長い間野放しにされていたが、ここ数年は魔導師の活躍もあって、奴らの傘下組織は崩され、徐々に力が弱まりつつある。総督もこの事実があって作戦を決意なさったのだろうね。もちろん、ツィーニア君の提言もあってのことだろうが」
「ええ。まあ作戦の内容に不満はありますが。なぜ私だけじゃなく、恒帝にまで作戦要請がなされたのか、甚だ理解に困ります。癪です」
「……まあ、敵の戦力が未知数である以上仕方あるまいよ。フェイバルは馬鹿だが、腕は立つ。個人的には、魔天楼にも遅れをとらんだろうと思うんだが――」
「魔天楼……ああ、もう一人の国選魔道師の通り名でしたね。なにゆえ、いまだ会ったことのないもので」
「ああ、そうかそうか。彼が長期任務でここを出たのは、もう随分と前だからねぇ」
トファイルは流れるようにツィーニアの横の席に腰を下ろす。そして彼はカウンターの向こう側の女性へ、気さくに声を掛けた。
「お嬢ちゃん、適当に酒出してくれ。今日は飲みたい気分だ。ああ、在庫が余ってるのでいいよ。ギルドの若造共にはまだ早いような、人気無くて渋いやつだ」
給仕の女性は明るく応じた。ツィーニアはそんなトファイルを見ると、あえて突き放すそうに呟く。
「……あの、私は飲みませんからね? 明日仕事ですし。そろそろ失礼します」
「分かってるよ。私はただ一人で勝手に、気掛かりなことを忘れようとしてるだけだ」
トファイルは栓の外れた瓶を受け取ると、それを豪快にそのまま口へ運ぶ。ツィーニアはおもむろに立ち上がった。
「マスター。それではまた、作戦後に」
「ああ。無事を祈る」
彼女は隣に立て掛けた二本の愛剣を肩に纏めて担ぎ上げ、颯爽とギルドを後にした。
そして時は再び、緊迫した作戦の日へと戻る。貴族街から幾分か離れたある幹線道路は、一時騒然となった。
ツィーニアの飛ばした斬撃は、前方の車両を狙う。その攻撃は敵の車両の後方から忍び寄り、それをいとも容易く大破させる。騎士の誰もがそう信じたとき、敵車両から飛び出したのは大きな人影であった。
側方の窓から車両の天井へ軽快な身のこなしで飛び乗った男は、右手で車に掴まりながらも左手で大剣を抜く。金髪を後ろで結んだその大男の一振りは、ツィーニアの魔法刃を容易く相殺した。人影の正体、それはブロニア=エクス二グル。フォッジの側近を務める男の名であった。
ツィーニアは続けざまに斬撃を繰り出す。魔法刃は幾重にも折り重なり、真っ直ぐに車両へと突き進んだ。
「……安心した。まだ勝てる」
ひっそり呟いた男はそれを確実に見切ると、車両に傷一つ与えることなく全ての刃を弾ぎきる。国選魔導師の魔法は、それに追随する者の手によって完封された。
そして気付けば車両は、検問の直ぐ前方にまで至る。検問を強引に突破されてしまったなら、その先に広がるのは、人の手入れが行き届かぬ大自然。都外には魔獣すらいるのだから、追跡は更に困難になる。
騎士たちに焦りの表情が目立つ中、ツィーニアは至って冷静だった。彼女は再び攻撃を加えつつも、執念の追跡を続ける。
そのとき突如、敵車両の遙か前方からは大声が飛んだ。
「総員! 防御魔法陣を展開!! 車両を止めろ!!」
この日の検問当番を務めていた第二師団の騎士たちは、目前の有事を前にして、次々に魔法陣を展開する。そして重なり合った防御魔法陣は、検問を封鎖する壁と化した。何人もの騎士が魔力を結集させ展開した魔法陣は、紛れない重複魔法陣。その強度は相当なもの。
「……強化魔法秘技・超剛力」
ただしブロニアはそれを目撃したうえで、強行突破を選択した。男はツィーニアに背を向け、車両の進行方向へと構え直す。再び大剣を振り上げると、大剣には眩い光が宿った。
「頭領のお通りだ」
激しい光を纏うその大剣は、筋骨隆々の腕から勢い良く振り下ろされる。飛び出した魔法刃は、地を裂きながら騎士たちの魔法陣へと激突した。
ブロニア=エクスグニルの持つ圧倒的な魔力により、騎士たちが魔力を集約させて創り出した防御魔法陣は、容易く打ち砕かれる。そして生身のまま車両の直線上に立つこととなった騎士たちは、そのまま突入した車両へと吹き飛ばされる。鈍い衝突音は、検問を騒然とさせた。
しかしながらツィーニアは、この好機を見逃さない。ブロニアが車両の進行方向に顔を向けたこの刹那、必然的にツィーニアの居る車両後方への注意が散漫になる。懐からツィーニアが取り出したもの、それは彼女の三本目の装備である短剣。刀身は小さくとも、立派な魔法剣であった。
ツィーニアは空いている手で直ぐに短剣を鞘から抜き、それを敵車両の車輪目がけて投擲する。強化魔法・超剛力によって強化された筋力をもって繰り出されるその一撃は、目標を容易く破り裂いた。
検問を突破した直後、車輪を失った車両は急激に速度を落とす。ツィーニアの作戦通り、車は止む無く逃走を中断し、その動きを止めた。
ブロニアは車の屋根から飛び降りる。男はそのまま運転席の方へと歩み寄った。
「……頭領、お手を煩わせてしまい申し訳ありません」
「馬鹿野郎。俺はもう頭領じゃあねぇ」
運転席からゆっくりと降り立ったのは、フォッジ=ガルドシリアン。作戦の最終目標たるその男は、遂にその姿を露わにした。ただ男は大胆不敵にも、そこでおもむろに葉巻を咥える。ふとツィーニアへ視線を向けたとき、男は何かを思い出すように口角を上げた。
フォッジはふと目前のブロニアへ呟く。ただブロニアも既に、この場に生じた偶然へ気付いているようだったが、男は構わずそれを言葉にした。
「……ブロニア、お前は不幸なのか幸運なのか。運命ってのは面白いもんだな」
「……」
フォッジは不敵に笑う。そんな男を睨み続けるツィーニアの背後には、誘導部門の騎士たちが検問当番の騎士の救助へとあたった。しかしながらただ一人、班長の騎士だけは作戦における重要目標の存在に勘付き、ツィーニアたちの元へと近付こうとする。ツィーニアは背後からの気配だけで、その方向へ手を伸ばし、騎士の男を制止した。
「ここにあんたはいらない。下がって」
その様子を見て、フォッジは煙を吐く。自分もまたそこに相容れるのは無粋だと考え、男はあえて向かい合うブロニアとツィーニアから背を向けた。
「俺の命でも賭けて、語り合うといい。お前の元家族とな」
ブロニアは何も応答しなかった。それでもツィーニアは、ブロニアという男へ真っ直ぐに問い掛ける。
「……この日が来るのは、私の本望だった」
「――私の弟、ブロニア=エクスグニル」
No.49 念魔法
対象に運動エネルギーを付与する付加魔法。移動・破壊・浮遊など、自由度の高い操作が可能である。生物には作用しないが、自身の体には作用できる。魔法陣の色は藤色。