48.道の外にも花は咲く
サイネントは先制攻撃を試みた。周囲に浮遊する瓦礫は、纏った藤色の光をより一層強める。そして男の右腕が前方へと伸ばされたとき、宙を漂うそれらは一斉にフェイバルへと飛翔した。
しかしながらフェイバルは、軽快な身のこなしでその凶刃を回避する。ただ事実、縦横無尽に飛来する凶器は、徐々にフェイバルから退路を奪い、着実に彼を追い詰めた。
そして次第にフェイバルは、防御を余儀なくされる。両手を交差して構えると、彼は自身を包み込むように防御魔法陣を展開した。
鋭利な瓦礫と、防御魔法陣。その衝突は、凄まじい轟音をもたらす。ただそんな圧迫感を覚える戦況でも、フェイバルは自らの防御魔法陣が僅かに軋む感覚を覚えた。すなわちは、物量で押し負ける前兆。
このまま防御魔法陣の中に閉じ籠もろうとも、やがて魔法陣は打ち砕かれ、自身は凶弾へと晒される。死を予見したフェイバルは、すかさず次の手段に出た。
「手荒だが……やむを得んな」
そして彼は、新たに自身の足元へ魔法陣を展開する。
「熱魔法秘技・燬風……!」
フェイバルが両腕を側方へ広げたとき、突如として吹き荒れるのは爆発的な熱波。それは男を包囲した瓦礫を軽々と吹き飛ばし、同時に高熱が瓦礫を塵へと葬り去る。秘技魔法は、容易く盤面を返した。
サイネントは強烈な熱波を前に、即座に後方へ退避する。そしてその最中でも器用に、僅か生き残った瓦礫の再操作を試みる。両腕を前方へ押し込む動作をすれば、一度は吹き飛ばされたはずの瓦礫は再び運動エネルギーを携え、またしてもフェイバルの元へと突撃する。
細かな瓦礫が再びフェイバルへと飛び込む中、更にサイネントは温存していた大きな二つの瓦礫の制御を開始した。そしてその二つの凶弾がフェイバルを側方へと控えたとき、サイネントが拳を握りしめる動作をすれば、二つの瓦礫はフェイバルを挟む潰すようにして互いに衝突した。
しかしながらそこに、人間を潰した感触は無い。瓦礫が互いを砕き合う、鈍い音だけが鳴り響いたとき、サイネントは攻撃の不発を直ぐに察した。
「……小賢しい」
男は忽ちにして次の一手を思案する。ただその僅かな時間こそが、魔法戦闘における攻守交代の転換点。
再び吹き荒れる熱風は、第二波の瓦礫をも吹き飛ばした。そして次の瞬間、フェイバルは素早く熱魔法・装甲を行使する。その選択はすなわち、戦況を肉弾戦へと導く為の布石であった。
フェイバルは灼熱の拳を届けるべく、退避したサイネントへの接近を目論む。念魔法で宙を漂うサイネントは直ぐにその目論みを察し、対抗策を繰り出した。
フェイバルがサイネントの浮遊する空中へと飛び立つべく、大きく地面を踏み込んだその刹那、彼が接地したその地点だけが、突如として下方へと沈み込む。強力な踏み込みは叶わずに、地面からの反作用はあえなく消失した。
地味ながらもその戦略は効果的で、フェイバルは体勢を崩しかける。接近戦の展開は、堅実に防止された。
そしてサイネントはそのまま勢い付くように、浮遊するガラス片の群れを操作する。体勢を崩したフェイバルから更なる優位を勝ち取るべく、その突撃は多角的に行われた。
いまだ無数に残る瓦礫は、第三波となってフェイバルへ押し寄せる。そのあまりの物量から回避を続けざるを得ない彼は、また徐々にサイネントとの距離を離された。
中距離戦こそ、サイネントの得手。その好環境を押し付け続ける卓越した技術は、着実にフェイバルを追い詰める。飛び交う瓦礫を一つずつ焼却してゆるフェイバルの足下は、またしても絶妙な隙を狙って沈下した。そして体勢が揺らいだ瞬間、間髪入れずに飛び交う煉瓦片が、ついにフェイバルの頭を捉える。
そのときサイネントは無数の瓦礫を振り回しながらも、フェイバルを捉えた煉瓦片を手元へと引き寄せる。それは与えた傷の深さを確かめる為の、男の無意識な癖であった。
煉瓦の鋭利な先端は、どろどろに溶解されていた。すなわち、傷は浅い。サイネントは一撃が致命には足らぬことを知る。
そしてサイネントの注意が瓦礫に移ったこの瞬間を、フェイバルは決して見逃さない。彼が戦況を覆すための一手は、ときに大胆に行われる。
「……光魔法秘技・神速」
選んだのは、またしても秘技魔法。眩い閃光と化したフェイバルの体は、物理攻撃を受け流す無敵の装甲へと化す。そこへどれほどの瓦礫が飛び交おうとも、それらは障害となり得ない。一筋の眩い光は瓦礫の狭い合間を縫うように突破し、サイネントへと急接近した。
光魔法の高い機動力と、熱魔法の圧倒的な火力。それを併せ持つ希有な才能の持ち主にとって、近接戦とは独壇場。恒帝にとって、前衛と後衛の概念は存在しない。
光の筋は地面へ反射すると、浮遊するサイネントの背後を目指して屈曲する。そして拳が届く間合いへと踏み入ったその時、フェイバルは光魔法を解除し熱魔法・装甲へと転換する。恐るべき速さの連続魔法は、もはや対応の隙を与えない。灼熱の連撃は、一切の容赦なく開始された。
サイネントは周囲の瓦礫と自身を浮遊を司る念魔法を解除する。そしてそれを引き換えに、灼熱の拳を遮る為の防御魔法陣を展開した。魔法の解除によって浮力を失った瓦礫とサイネントの体はそのまま自然落下を始めるが、それはやむを得ない選択であった。
「……駄目だな。それだけ動揺してちゃ、守れねぇ」
ただフェイバルの拳は、いとも容易く防御魔法陣を破壊する。そして生身となったまま落下するサイネントに続けて襲い掛かるのは、心臓を穿つ右拳の一撃。
不思議なことに、走馬灯というものは人間へ平等に訪れる。サイネントが最期に見たのは、熱を帯びて青白く輝くフェイバルの拳でなく、いつの日かの同胞の姿であった。
弟分のブロニアは、随分と可愛がってやった。同期であるレイダーとは、くだらないことで何度揉めただろうか。手荒だが仲間思いだったのは、パドという名の大男。そして血は繋がらずとも唯一の親であったフォッジは、心から尊敬する男だった。
マフィアという生き方。生存の為に、略奪を尽くした。組織の為に、殺戮を尽くした。それは人道には程遠いものだろう。幼い頃からこの汚れた世界に墜ちたサイネントでも、それくらいは理解に足りる。
そして鮮明に思い出されるのは、若かりしフォッジの声。貧困街の路地裏で見た、黒服の大きな背中。横顔から飛び出した葉巻の煙の匂いは、ずっと苦手だった。
「そこのガキ。おい、オメーのことだよ」
「……誰だ……テメェ」
サイネントは反抗的な言葉をぶつける。傷だらけになって路地裏の泥濘んだ道で伏していなければ、少しは立派に見えていただろうか。
フォッジはそんな小僧の生意気に腹を立てること無く、ただ粛々と語り出す。
「見てたぜ。荷車から麻袋を盗んだ挙句、見つかって持ち主に返り討ち。袋叩きにされちまって、無様だな」
「……うるせぇ」
「だが無様ってのも悪かねぇ。むしろ様を気にして生きていられんのは、ほんの一握りの人間だけだ」
「うるせぇ、消えろ」
「……何となく分かったぜ。お前は物心ついた頃から孤独の身。そういう奴の目をしてる。この世の全てに噛み付いちまう、獣のような目だ」
「何が言いてーんだよ……さっさと消えろ……!」
「だからお前は、人間の温度を知らねえ。ほら、握れよ」
フォッジは少年の元へ赴くと、膝をついて手を差し出す。
「お前のような狂犬でも、身を寄せることの出来る場所はある。俺に付いて来い」
孤児として路頭を彷徨う少年に差し伸べられたのは、血で汚れた手だった。しかしそれは人生で初めて差し伸べられた手。少年には、それが輝いて映る。
そして少年は魔法を習得し、ついに黒服を纏った。初めてそれを纏ったその日、ふと告げられた言葉が、脳裏へ鮮明に焼き付く。まだ頭領を襲名して間もない、フォッジの言葉だった。
「……サイネント、世界っての思いのほか惨いぜ。貴族か孤児か。生まれがそいつの人生の大半を決めちまう」
「……存じています」
「ここの野郎共も、まあお前も、もれなく哀れな奴らだ。だが、そいつらはこの黒服を纏って変わる。王都マフィアという看板を背負い、穢れた誇りを胸に生きてゆく。道を逸れようと、人間らしくあるために生きる。社会がこれを非道と呼ぼうとも、俺たちは生きる」
「サイネント、今日から俺らがお前の家族だ。道は非ずとも、家族が在る。頼り、頼られろ」
血の繋がらない家族にも、確かに愛情はあった。孤児の少年が受けた初めての愛情は、外道に身を落とす対価として十分過ぎたのだ。
そして親父とも呼べるその男は、最後に呟く。
「……ただ強く生きろ。そこが道に非ずとも、汚ぇ花が咲き誇る。それがお前の生きた価値だ」
(俺の……生きる価値……)
(ただ最期まで……家族の為に……歩んだ。ただそれだけで、良い)
フェイバルの拳は、サイネントの心臓を撃ち抜いた。
No.48 サイネント=ワーティクル
艶のある金髪のマッシュヘアーがよく目立つ、王都マフィア幹部の男。年齢は二八歳だが、好青年のようなあどけない顔つきを持つ。
念魔法を行使する。周囲のあらゆる物体を武器として操る戦法から、中距離戦を得手とした。