47.念魔法
「二人とも無事……なわけないか。ほら、治癒魔法したげる」
ロベリアは二人の元へ歩み寄る。彼女は火傷が深刻なセニオルから治癒魔法を施した。
ふとウォルトは、思いがけず問いを投げ掛ける。
「師団長……先程のあの魔法は一体……?」
「初めて見た? 自分で言うのもなんだけど、結構珍しいからね。召喚魔法」
「召喚魔法……ですか」
「ま、込み入った話はまた今度。あなたの傷もどうにかしなきゃだし」
そしてウォルトもまた、緑色の回復魔法陣から放たれる温かな光へ照らされる。二人の体からは、みるみると火傷が消え始めた。
同刻。ツィーニアとフェイバルは快速のまま、扉の向こう側へと突入する。そこに一片の畏れも存在しないのは、彼らが国選魔導師たる所以だろう。
一室へ足を踏み入れたところで、二人は急停止する。そのとき彼らが目にしたのは、足元に伸びる豪勢な絨毯。その真っ直ぐ先、中央で鎮座する大きな机。そしてその奥の椅子へ腰掛けた金髪の好青年は、二人に背を向けたまま窓の先を眺めた。
ふとして男は、敵を前にしながらも異様なほど落ち着き払った様子で呟き始める。
「……フォッジさん、これが貴方の見ていた景色でしたか」
「……ここに座れば何か違った景色が広がるものと思っていましたが、案外普通なんですね」
フェイバルは期待せずに、その不可解な男へと尋ねる。
「ここに居るのはお前だけか。というかそこ、偉い奴の席だろ。マフィアなんぞ古い組織で、お前みたいな若造が頭を張れるとは思えねーんだか」
するとその不可解な男から笑み抜け落ち、次第に冷徹な声色で言葉を綴った。
「……サイネント=ガルドシリアン。ファミリーの頭目なら、ここに居るぞ」
そのときツィーニアは、苛立ちを隠さずに吐き捨てる。
「戯言ね。私たちの標的は、フォッジ=ガルドシリアン。あんたみたいなクソガキじゃない」
「俺も二六歳だってのに、まだクソガキ呼ばわりか。浮かばれねーもんだ」
そしてサイネントは、ようやくその腰を上げる。ゆっくりと振り返り、そこで二人もの国選魔導師を前にしても、男はそれへ抗うように鋭い視線を差し向けた。
サイネントは一片の動揺も見せずに言い放つ。そこにはまさに、マフィアの頭目としての貫禄が宿る。
「元頭領・フォッジ=ガルドシリアンは、隠居なさった。お前ら王都の番犬風情に、あの人のは取らせない」
そして見計らったかの如く、ツィーニアの通信魔法具は信号を傍受する。すかさず指輪を顔に近付けて通信へ応じたとき、届けられたものは切羽詰まった騎士の声であった。
「――敵拠点から装甲魔力駆動車が出発した模様。車は既に包囲部門を突破。誘導部門第二班が追跡へあたっています――!」
刹那、二人は確信した。きっとそこに、最大の標的がいる。
ツィーニアは直ぐに騎士へ返答した。
「私も追う。直ぐに位置情報を共有して」
彼女の要望へ応じるように、指輪の魔法陣は液晶魔法陣へと切り替わる。そこには現在も追跡を続ける誘導部門第二班の位置情報が表示された。
間も無くしてツィーニアはフェイバルへ指示した。
「恒帝、私が向かう。あんたはあいつを始末して」
それはやや強引な要望だったが、フェイバルは特に文句も言わず承諾する。
「おう。いいぜ」
希望通りの返事を得たとき、ツィーニアは側方の窓を目指して駆け出した。しかしながらサイネントはそれを妨害すべく、咄嗟に魔法陣を展開する。藤色の魔法陣、それはあらゆる物体のベクトルを操作する、念魔法。
フェイバルは忽ちにして、サイネントの目的がツィーニアの足止めであることを察知した。そしてその策略を無に帰すべく、彼は近くに転がった小さな額縁を拾い上げてそれをサイネントへと投擲する。結果男はやむなく魔法の行使を中断し、魔法陣で額縁を防御した。そこに要した時間は、ツィーニアが脱出するに十分。彼女はそのまま突進して窓を割り、屋外へと飛び降りる。
宙を舞う最中、ツィーニアは強化魔法秘技・超俊敏を行使した。すると彼女は再び閃光の如き速さを纏い、その速度をもって液晶魔法陣の示す地へと赴く。
一室に残ったのは、二人の男たち。フェイバルはいつもの気だるげな声色で、サイネントへと語り掛けた。
「さあ、お前の介錯は俺だぞ。金髪」
「……そうかよ、赤髪」
サイネントはそれ以上語ろうとせずに、ただおももろに右腕を正面へ突き出す。そして男は、流れるように先手を打った。
「……念魔法・分解」
次の瞬間、巨大な藤色の魔法陣は屋敷全体を覆い尽くす。そこから僅かしたとき、一帯からは地鳴りの如き轟音が響き始める。室内のフェイバルはその魔法陣本体を視認出来なくとも、それが敵の一手目であることを直ぐに悟った。
「……屋敷をぶっ壊そうってか」
サイネントの魔法を予測したその瞬間、突如としてフェイバルの足下だけが崩落する。
「こりゃいかん――」
三階の床が抜け落ち、フェイバルは空中へと投げ出された。それでもただ彼は重力に身を任せることはせず、体勢を立て直すことで隙の無い着地に備える。ただしそんな彼を阻んだのは、同時に落下するガラス片や床材。そして家具の木片や、壁材の煉瓦。つい先程まで屋敷を構成していた多種多様な物体は、自然落下で生じる重力よりも更なる加速をもってフェイバルの元を目指した。
「面倒くせーなこりゃ」
フェイバルは空中に漂いながらも、無数に飛び込む破片を防御魔法陣で弾き返す。そのまま器用に体勢を立て直すと、無事に着地に成功した。
しかしそのとき、フェイバルを覆い尽くしたのは舞い上がった埃と砂の数々。激変する戦場は、彼から視界を奪った。
そして視界が戻ったときフェイバルは、そこに先程まで仰々しくそびえ立った屋敷が跡形も無く消え去ったことを知る。それでもそこが何の変哲も無い瓦礫の山へと化すことはなく、魔法無くしては起こり得ない不可思議な景観が形作られた。
屋敷の中に備えられていた武器や家具。そして屋敷を構成したあらゆる建材。あらゆる物が瓦礫と化しながらも、それらの一部は藤色の淡い光を纏い、ふわりと空を浮遊したのだ。
「――俺の武器は、全てだ」
そしてサイネント本人もまた、瓦礫と共に空中を浮遊する。フェイバルはそこで念魔法を確信した。
「やっぱ念魔法だったか。なかなか見ねぇから情報は少ねーんだけど、まぁお前が空を飛べるってのは想定通りだな」
フェイバルは余裕を露わにするが、サイネントは動じない。むしろ彼は貪欲に、フェイバルを揺さぶり返してみせた。
「国選魔道師は大陸の最強戦力なんて持ち上げられているらしいが、それは平和ボケした馬鹿共が見えている世界での話だ。馬鹿共の見えない裏の世界には、その程度の魔道師なぞどこにだって居る。伸びきった鼻、へし折ってやるよ」
分かりやすい挑発に、フェイバルは笑みを浮かべる。
「おもしれぇ。高ーい鼻に届くといいな」
そしてサイネントは腕を空に掲げ、それを勢いよく振り下ろした。その合図に呼応して、空中に浮遊した無数の破片がフェイバルへと襲来する。彼はただ冷静に、その襲い来る物体の数々を見据えた。
本作戦で騎士が編み出した敵包囲網を抜けたとき、そこへ広がるのは閑静な住宅街。黒塗りの装甲車両とそれを追う騎士の車両がなければ、もっと閑静であっただろう。
「――もっと速度を上げろ!!」
「――これが限界ですっ……!」
追跡を続ける車両では、班長を務める男が運転手の騎士へ檄を飛ばすが、しかしながらその指示はあえなく一蹴される。それは決して運転役の騎士が無力だったのではない。追われた車両を運転する者の魔力放出が、あまりに効率的であったから。
距離は一向に詰まらない。そしてそんな状況下で、逃亡を図る車両からは魔法弾が放たれた。騎士の車体には幾重もの魔法弾が命中し、遂に激しい音を立て始める。
「――そ、装甲車がこれほどの悲鳴を……なんという威力だ……!」
班長が思わずうろたえるなか、同乗する若い騎士は魔法機関銃を手に取った。そして男は勇敢にも身を乗り出し、反撃を試みる。ただ狙いを定めて引き金を指を掛け、その刹那であった。
車両から身を乗り出す騎士を颯爽と横切ったのは、刃天・ツィーニア。彼女の強化魔法秘技・超俊敏は、騎士の車を軽々と抜き去った。
「……こ、ここは刃天殿におまかせするぞ!」
班長の騎士は、身を乗り出した若い騎士を制止する。賢明な判断だった。
ツィーニアは腰に差した魔法剣・ヘブンボルグを抜くと、敵の車両へ向かって強力な一太刀を繰り出す。振りかざした刀身から生み出された魔法刃は、三日月の形を成して目標物へと伸びた。
No.47 魔法刃
魔法剣に宿した魔力を斬撃に乗せて解放することにより、魔力の刃を放出する技術。魔法陣と同様に、その硬度や切れ味は術者の魔力に依存する。