46.黒の翼
作戦本部に残る騎士らは、作戦の中枢の担うメインサーバー通信魔法具の防衛戦を強いられた。ただ本作戦において魔法戦闘を想定されていない彼らに、武装を済ませたマフィアを相手取るだけの準備は無い。防戦一方の彼らを救えるのは、もはや屋敷の外に控えた二人の魔導師のみであった。
ムゾウは玲奈に視線を送る。幸い玲奈には、その目配せが戦闘の合図だと察知出来た。愛銃を取り出して構えることで、彼女は彼の意図を理解したことを示す。
その最中でも、敵は掃射を続けながら少しずつ屋敷の入口へ前進を続ける。作戦本部への突入は、まさに時間の問題であった。
そして襲撃者の軍勢は、二人の潜む植え込みの傍にまで接近する。もう一歩踏み込まれてしまえば、二人は多勢の視線へ晒されることとなるだろう。耳障りな銃声が、玲奈には警鐘のように思えた。
しかしながら、これこそがムゾウが待ち望んだ好機。彼は腰に差した魔法剣に手を掛けると、そのまま躊躇無く颯爽と駆け出す。玲奈は寸分それに遅れを取りつつも、果敢に茂みから身を乗り出して地面に伏せ、最も狙いやすい手前の敵へ銃口を向けた。
「――強化魔法・俊敏」
詠唱から束の間、瞬時に敵を懐へ忍び込んだムゾウは、一振りの太刀で三人の敵を切り捨てる。素人の玲奈では刃が視認出来ぬほどの早業、それは正真正銘の居合術であった。
ただ玲奈も負けじと、ムゾウに続き攻撃を仕掛ける。補助魔導師としての誇りが、あれほどに弱かった彼女を突き動かした。
それでもいまだ人を殺すという選択に、吐きそうなほどの罪悪感を感じる。自身が命を落とすことへの恐怖より、他人を殺めるという事実に恐怖する。鬱陶しい震えは、彼女の照準を掻き乱した。
しかしこれこそが、彼女の選んだ魔導師という道。救いたい命は、選別しなければならない。それはもう、ダストリンで学んだ。
玲奈はムゾウへの被弾を避けるべく、彼から最も距離のある敵を撃ち抜いた。腹に銃弾を受けた男は、そのまま無力に倒れ込む。休日を返上してヴァレンから銃術を学んだ成果は、確かに現れた。
対してムゾウはその刀身を敵に見せることなく、抜刀術のみで次々に敵を葬り去る。屋敷への攻撃に気を取られて対応に遅れた構成員たちは、その誰一人として彼に対応出来なかった。
そして幸いにも、そこに魔法戦闘に覚えのある実力者の影は無く、二人の魔導師は瞬く間に制圧を完了した。凄まじい圧迫感をもたらした弾幕は、ぴたりと消え去る。
「……さすがは恒帝殿の付き人ですね」
ムゾウは植え込みの方へ引き返しながら語った。玲奈は恐れ多いとばかりに返答する。
「い、いえいえ。そんなたいしたことは何も……」
「素晴らしい腕前でした」
たとえ社交辞令だとしても、玲奈にはこれが素直に嬉しい。そこで彼とは、だいぶん心の距離が近付いた気がした。
そしてその思い込みからか、玲奈はどうしても気になったことを尋ねる。その内容は、彼の見せた剣術について。
「あ、あの、急に変なこと聞いちゃうんですけど、もしかして異世界から来た人だったり……?」
「……?」
「さっきの剣術って、完全に日本伝統のソレでしたし……」
彼女の読み重ねてきたラノベにおいて、異世界転生モノの主人公が別の転生者と出会うのは、もはや物語のセオリー。そんな概念がこの彼女の降り立った世界にも存在するのでは、という淡い期待が。彼女をこんな突拍子も無い質問へと導いた。
ただそんな期待は虚しく、ムゾウは首を傾げる。
「……いえ、自分はミヤビの出身ですね。それに私の剣術は、ミヤビに伝わる伝統武芸です。それが何か……?」
回答はまさに、お門違い。玲奈は裏返りそうな声で誤魔化した。
「な、何でもなかったです! す、すいません!! 忘れて!!」
ムゾウは勝手にテンパる玲奈を見て呆然とする。それでも彼はどうにかまた緊張感を取り戻し、彼女へと声を掛けた。
「……よく分かりませんが、忘れますよ。さ、引き続き見張りを続けましょうか」
二人の補助魔導師の活躍により、作戦本部は忽ち機能を回復する。騎士らは再び席に着くと、メインサーバー通信魔法具の再起動へ踏み出した。
そのときマディは、オルドットへと歩み寄る。
「……オルドットさん、申し訳ありませんでした。私が判断を誤ったばかりに」
オルドットは手慣れた様子で通信魔法具を弄りながら応える。目を合わせずとも、彼は温かみを感じる声色で応じた。
「……気にしなさんな。確かな指揮には、幾分か経験が必要なものよ」
新人騎士が編成された包囲部門第六班は、突如現れた炎の魔導師・レイダー=クレイミアによる襲撃を受けた。そして瀕死へと追い込まれた男の手により、上空には赤い魔法陣が無数に展開される。膨らみだす火球は間も無く零れ落ち、街を焼き払う。そんな惨状の寸前にあった。
空を見上げたウォルトは、その光景に動揺を隠せず取り乱す。
「な……何とかしないと……全員死ぬ……!」
そして彼の誇るべき正義感は、自己犠牲を正当化してしまう。勇気と無謀が混同しながらも、彼はそれに気が付けない。
ウォルトは雄叫びと共に、空に向かって魔法陣を展開した。彼が試みたのは、魔法の相殺であった。
敵は格上。それを理解したウォルトはどうにか対抗すべく、自らの限界をもって魔法陣を描き出す。ただし事実、急激な魔力消費は肉体へ作用し、魔力負荷なるダメージを彼へと背負わせた。鼻血が滴り、口からは赤黒い塊が零れ出る。
セルニアはウォルトへ駆け寄りながらも、鬼気迫る表情で訴え掛けた。
「――止めろ! 危険だ!!」
しかしウォルトは応じない。それは己の志す、騎士道のため。
そしてそんな喧騒を断ち切るように、レイダーは掲げた右手を大きく振り下ろす。
「……流星よ……数多の命を焼き払え――!!」
血にまみれたレイダーは、狂ったように笑った。大空を覆う数々の魔法陣からは、遂に巨大な火球が降り注ぐ。
セニオルは目を見開いた。空に描かれたのは、まさに終末。それでも彼は街を守る手段に、あるいはまず目の前の無謀な騎士を守る方法に、思考を巡らせた。しかし無情なことに、どれだけその思惑へ時間を費やそうとも、結論には至らない。あまりに明瞭な魔力の差が、いかなる道筋をも破綻させた。
ただ絶望の最中、その絶望を穿つ光はあった。セニオルが上空から感じ取った一つの気配は、彼のよく知るもの。ゆえに彼はすかさず、強引にウォルトを押さえ付けた。ウォルトは集中を乱され、彼の展開した魔法陣は消滅を始める。
「……セニオルさん! 放してください――」
「今は黙って伏せろ!!」
降り注ぐ火球は、みるみると辺りの家屋へ近付く。そして次の瞬間、火球は建物に衝突し、その全てを焼き払う。王都の中心部はこの先数年に渡り、焼け野原からの復興を余儀なくされる。そんな未来が、ウォルトの脳裏によぎった。
しかしその悪夢は、ある者の登場によって覆る。
突如として上空に現れたのは、漆黒の翼をなびかせる大きな鳥獣。そしてそのどこからともなく現れた無数の鳥獣は群れを成し、それぞれが火球へと突入してゆく。空を覆っていた火球は鳥獣に貫かれ、風船のように弾けた。地上には小さな火の粉がぽつぽつと降り注ぐものの、その小さな火種はすぐに途絶える。
事情を把握できないウォルトは、その光景に圧巻されて独り言を零した。
「な……なんだ!? 何の魔法だ……?」
セニオルは少し微笑んだまま応じる。
「……ウォルト、俺らは運が良い。目に焼き付けておけ。これが第三師団の、最高戦力だ」
巨大な火球は瞬く間にして消失し、空はいつもの平穏を取り戻す。レイダーはそれに、ただただ絶望した。ついに全ての打つ手を失った男は、瀕死の状態で地面へと這いつくばる。
「……なんだってんだよ」
最期の大魔法は、忽然と封じられた。それでも男は体内に残る僅かな魔力を絞りだそうと、魔法陣の展開を試みる。男を動かしたのは、純然たる執念であった。
しかしながらその意地もまた、直ぐに摘み取られる。どこからともなく現れた黒い獅子は近くの屋根から勢い良く飛び降りると、男を下敷きにして押し潰す。その鈍重な一撃によって、レイダーは遂に息絶える。
黒き獅子の背からは、一人の女性は飛び降りる。顎の下を撫でてそれを愛でる彼女は、第三師団長・ロベリア=モンドハンガン。
「……ありがとーね、レオちゃん」
彼女は続けて空を仰ぎ、手を振る。
「フーちゃんたちも、ご苦労さまでしたー!」
火球を撃墜した黒い鳥獣たちは、屋根の上で利口に佇む。そしてその鳥獣たちの足下へ灰色の魔法陣が現れると、彼らはそこへ吸い込まれるようにして颯爽と姿を消した。
No.46 召喚魔法
魔法陣をゲートとして魔獣を召喚する希少な発現魔法。召喚魔獣は都外に生息する理性なき魔獣と異なり、術者へ服従する。魔法陣の色は灰色。