45.仁義と正義
王都マフィアに訪れた災難は、いうなれば一方的な殺戮であった。魔法剣・ヘブンボルグを抜いたツィーニアは、それを片手に次々と構成員を屠る。軽快に執り行われる処刑を前に、彼らは握った魔法銃の照準を合わせることすら叶わなかった。
刃天・ツィーニアは、ヴァレンと同じ強化魔法へ適性を持つ。そしてフェイバルと肩を並べる国選魔導師である彼女は、秘技魔法の使い手であった。
強化魔法秘技・超俊敏。俊敏の完全上位種にあたるその魔法は、並の魔導師でも見切ることが困難な剣戟を可能にする。
さらに彼女を強者たらしめる魔法こそ、強化魔法秘技・超剛力。大剣・ヘルボルグと魔法剣・ヘブンボルグの二刀流を成立させたのは、この魔法の恩恵ゆえであった。
「……やっぱりただの兵隊ばかりね」
ツィーニアの一方的な攻略は、忽ちにして一階の人間を肉片へと変貌させてゆく。そして大広間から伸びる廊下を突き当たりまで進んだとき、ようやく彼女の進撃を終焉を迎える。すなわちは、一階層の掃討が完遂したのだった。
「……くだらないわね」
ツィーニアは剣の血振りをすると、そのまま大広間へと引き返す。亡骸が転がる廊下を通り抜け、また階段を目指した。
間も無くして大広間へ帰還すると、その先の階段には大人しく座り込んだフェイバルの姿があった。彼は退屈した様子で頭を掻き、欠伸を零す。
ツィーニアは気の抜けた相方を見上げる。フェイバルは寸暇遅れて彼女に目を合わせた。
「……あんた、何してんの?」
「何って、待ってたんだよ。二階は終わったから」
屋敷は三階層の構造。フェイバルは三階への突入を前に、そこでツィーニアの帰りを待ち詫びていた。
ツィーニアはどこかお膳立てされているような気がしたので、それとなく皮肉な呟きを零してみる。
「……仕事の早いこと。中距離魔法で敵を殲滅できるあんたの能力は、便利で良いわね。私の大剣は屋内じゃ全力を出せないってのに」
「そりゃー仕方ねぇだろ。お前が建物ぶっ壊して俺が潰れて死んだら、目も当てらんねー」
「あら、それならそもそも突入なんかせずに、外から屋敷ごと吹き飛ばしたほうが、依頼も早く済んだかしら」
「お前がそれをする気にならねー事情があるから、今から三階行くんだろうが」
そしてフェイバルは立ち上がる。肩を回し、一つ深呼吸を行った。
「それに王都のど真ん中でデカい魔法ぶちかますのも、気が引けるってもんだろ」
やはり、お膳立ての存在は確からしい。ツィーニアは大階段に一歩を踏み出しながら吐き捨てる。
「……変なところで気が利くのね。癪だわ」
「……酷くね?」
「――ウォルト、もう一度仕掛けるぞ!」
セニオルは剣を強く握り直した。ウォルトは熱傷を負いつつも、目の前の男に続くべくして体勢を立て直す。対してレイダーは、その必死な様子を嘲るように呟いた。
「その重傷で、今更何をする気かなぁ」
男の煽りに聞く耳を持つことなく、騎士らは攻勢への転換を試みる。セニオルは強力な踏み込みで、再び男へと突撃した。
「……またそれか」
瞬く間に間合いへと飛び込み、単調な斬撃を繰り出す。レイダーは騎士という生真面目な生き物の性質から、そのように予測した。
しかし騎士にも、己の戦い方というものがある。たとえそれが王道ではなくとも、彼らは信じた正義の為に、敵を討たねばならないのだから。
セニオルは魔法剣を振り上げる。しかしその間合いはまだ遠く、レイダーを直接刃で捉えることは出来ない距離であった。
そしてレイダーの目には、それが上段へ剣を掲げて急所を丸出しにした無防備な男へ映る。無論、それを見逃すような魔導師ではない。レイダーは迎撃を試みるべく、魔法の行使へと踏み切った。
しかしその直後、レイダーの脳裏には別の可能性がよぎる。セニオルが握った得物は、魔法の力を宿す魔法剣。ただの鉄の剣とは、まるで違うのだ。
次の瞬間、セニオルの剣は眩い光を纏い始める。そしてそれが振り下ろされると同時、放たれたのは三日月型を成した光の刃。魔法の刃、すなわち魔法刃は、地面を抉りながら真っ直ぐに男の元へと直進した。
一時は反応を鈍らせながらも、その攻撃に勘付いたレイダーは、間一髪で飛来する刃を飛び越え難を逃れる。しかしながら男の体が空中に漂うその瞬間こそ、二人の騎士が欲した刹那。時機を見計らって飛び出したウォルトは、空中に漂うレイダーへ魔法刃を放った。
息のあった連携を前に回避する術の無いレイダーは、必然と魔法陣による防御を迫られる。そして男は器用にも、自らの背へ防御魔法陣を展開した。魔法陣と魔法刃の衝突は、前者へと軍配が上がる。レイダー=クレイミアは、窮地を脱した。
ただその刹那、騎士の執念の一手が実を結ぶ。それは新人騎士の魔法が押し負けることなど、セニオルの想定内。彼は隠し通してきた強化魔法・俊敏を遂に行使した。
レイダーの足が地についたそのとき、セニオルは男の直ぐ目前まで急接近する。低い体勢から鋭い眼光を光らせる彼の瞳は、さながら騎士の勇壮さを体現したようであった。いまだ体勢が安定しないレイダーにとって、それは戦慄に値するもの。男は遂に、自らの死を予感した。
そしてセニオルの剣は躊躇いなく振り下ろされる。ただしレイダーもまた、執念を燃やす。男は咄嗟に防御魔法陣を展開し、苦しくも防御へと挑んだ。
両者の全身全霊を込めた攻防は、完全なる拮抗を呈した。二人の戦士は向かい合うが、その最中にセニオルは、レイダーに曇り無き眼で決意を零す。
「……良いことを教えてやる。魔力ってのは……火事場の馬鹿力。時に精神が、限界を超えさせてくれる……! 俺はそいつに全てを賭けるハラが……決まってるんだわ!」
セニオルの押し込みは、一層にして強まった。対してレイダーはたった一瞬ながらも、その威圧感に怯む。そしてその一瞬こそが、戦闘の結末を大きく左右した。
「……おいおいおっさん! 冗談だろ!?」
レイダーの防御魔法陣には亀裂が生じ始め、それは遂に砕け散る。勢いの残った剣先は太刀筋が乱れながらも、男を横腹から胸にかけて引き裂いた。それは紛れなく、会心の一撃。男の体は、半身から血が噴き上がる。
それでもなお、レイダーはまだ地面に伏さない。男は顔を歪めながらも、瞬時に後方へと引き下がった。そこで耐えかねて膝を突くものの、意識だけは手放さない。
依然として胸元からは、止めどなく血液が流れ出た。致命傷なのは明らかだが、その極限こそが男の底力を呼び起こす。
事実、セニオルの剣戟は、あと少しのところでレイダーの命を狩り損ねた。致命の一撃を逃してしまったのは、あまりに痛恨だった。なぜなら死を間近にした人間もまた、精神の高ぶりで魔法を強めるのだから。
取り乱したレイダーは、絶え絶えな息のまま魔法を詠唱する。それは何にも勝る、異常なほどの執念が生む一撃。
「――炎魔法・流星!!」
男は声を震わせ、振える腕を天へとかざす。その魔法は、空に無数の赤き魔法陣を生んだ。そして浮かぶ無数の魔法陣は、巨大な火球を育み始める。その火球の行く末が地上であることは、誰であろうと察しが付くだろう。
終末を思わせる赤の空は、セニオルを狼狽させる。
「街中でこんな魔法を……!!」
レイダーにその弱音を嘲る気力は無い。ただ男は、ふと心に秘めた確固たる覚悟を打ち明かした。
「騎士がくだらねぇ正義を掲げるように……俺たちにも……仁義がある。仲間の為に……死力を尽くす。あんたらと……同じだァ!!」
その雄叫びと共に、レイダーは魔力を急放出した。そこに魔力放出に伴う体への負荷を慮る様子は、微塵も存在しない。鼻腔や眼窩から血が噴き出そうとも、もう男には関係なかった。
同刻。フェイバルとツィーニアは、屋敷の三階へと至る。
「……なんか妙だな」
そこはどういうわけか、全くもって人気が感じられない。下の階とはまるで、別の世界のようであった。
それでもそんな違和感が、足を止める理屈にはならない。二人はどこか異様な空気を感じつつも、廊下の奥にある両開きの扉まで足を進めた。まず常識的に考えれば、そこが玉座であることは間違いない。
フェイバルはツィーニアに思い当たる節が無いか探るべく、ふと呟く。
「一階と二階で全員だったってのか? 王都マフィアがこれほど勢力を失ってたとは、到底思えないんだが」
「ええ。そんなことはあり得ない」
「……やっぱ何か知ってる口ぶりだな」
「……まだ、いる。マフィアの誇る大きな戦力が、少なくとも一人」
「なるほど。お前はそいつに用があるってことだな。まあ、そいつがここで籠城してるとも限らねーけど」
「ここから出たのなら、じきに包囲部門の騎士から連絡が入る。そしたらそこへ直行すればいい」
「まったく自由なお方ですな」
そんな何気ない会話の最中だった。まるで二人が会話へ興じるのを見計らっていたかのように、奇襲は行われる。前方にそびえた二枚の扉は金具ごと外れると、それは突如として二人の元へと飛来した。まるでそこだけ、重力が捻じ曲がったかのように。
その速度は、フェイバルに防御魔法陣を展開させる暇を与えなかった。しかしながら、軋む音に僅か早く反応したツィーニアは、もはや本能的な速度で腰の愛剣を抜く。フェイバルの一歩先に出れば、彼女は迫り来る扉を流れるように切断した。
扉は木片となって床へと散らばる。正体不明の攻撃は防がれたが、二人はそれが単なる第一波であることを察知していた。
「――恒帝!」
「おう……!」
次の瞬間、再びこちらへと飛来するのは、見るからに値の張りそうな花瓶や絵画。厚みのある本や、金属製の食器類。先程の初撃がただの前座に過ぎないという推察は、まさしく正解であった。
二人は廊下を一気に駆け抜る。強化魔法秘技・超俊敏を再起動したツィーニアは、フェイバルの遙か前方へと進んだ。
「お……おい!」
フェイバルは自分以上に周到で冷静なはずのツィーニアが単騎突入を強硬する、その様へ違和感を覚える。
「らしくねーなぁ」
やむなく彼は、光魔法秘技・神速で彼女へと追い縋った。
時を同じくして、作戦本部もまた危機に瀕する。マディの推測通り、屋敷にはマフィアの構成員たちが続々と集った。外から見れば何の変哲もないただの屋敷に変わりないというのに、男らはこの場所が基地であることを突き止めたのだ。
「国の犬共に、王都マフィアの覚悟教えたれや――!」
一人の咆哮を皮切りに、正門に集った構成員たちは、魔法機関銃による一斉掃射を仕掛ける。凄まじい物量の魔法弾が、弾幕となって屋敷へと襲い掛かった。壁面は大きく抉り、窓は次々と粉砕してゆく。容赦無い掃射が、作戦の中枢機能へ迫った。
「――総員伏せろ!! 回避! 回避だ!」
マディは通信部門の騎士らに檄を飛ばす。事実、戦闘を想定していない軽武装の彼らに、容赦無く襲い来る弾丸の嵐に対抗する術は無かった。
言葉の通りの、防戦一方。皆が頭を抱えて身を守る。そんな状況で、たった一人の騎士だけがメインサーバー通信魔法具を背に立ちはだかる。
そしてその騎士は、大型の通信魔法具を包み込むように防御魔法陣を展開した。防御魔法陣は物量に押され直ぐに亀裂が走り始めるが、彼はそれでも立ち続ける。
マディは思わず声を荒げる。
「――オ、オルドットさん!! 危険です!!」
しかしながらその騎士は、冷静に呟いた。
「マディ君、こいつを守らなくては本末転倒だ。作戦の中枢機能を喪失するぞ」
色の落ちた髪でも紳士のような気品を併せ持つ、オルドット=パラレインという男は、第三師団随一の古株騎士。かつては第三師団長を務めた実力者だが、高齢ゆえにその座を降りた。それでも現役であり続けるこの男の人生は、まさに騎士道と共にある。
マディはそのオルドットの姿に息を飲んだ。己の過ちを痛感しながらも、すかさず指示を改める。
「……総員、防御魔法陣を展開! 通信魔法具を死守せよ!!」
騎士たちは恐れること無く、即座にその指示へ答えてみせる。オルドットの防御魔法陣を補強するように重ね合う無数の魔法陣は、次第に強度を取り戻した。
No.45 レイダー=クレイミア
掻き上げた淡い色の金髪が特徴的な王都マフィア幹部の男。サイネントと同じ二八歳。パドの率いたダストリン工場の陥落以降はマフィア本部の屋敷から離れた廃屋で有事に備え、遊撃隊を組織した。
炎魔法を扱い罠での戦闘を得意とする。感情的な一面を持ちつつも、戦闘では非常に頭が切れる。