43.世代交代
玄関前での騒動を屋敷の中から窺う、若い男が一人。金色の短髪が特徴的な男は、名をサイネント=ワーティクルといった。若くしてファミリーで傑出した実力を誇るその男は、国選魔導師による攻撃を前にして、遂に冷静を欠く。切羽詰まった様子で声を絞り出す様は、周囲の者へ切迫感をもたらした。
「徹底応戦だ。頭領を逃がす為の時間を稼ぐ。お前ら、どんな手でも使えや――!」
まだ若くとも、組織内におけるその男の影響力は大きい。周囲の構成員は各々が得物を握り始めると、慌ただしく広間から流れ出た。
暫し経てば、広間にはサイネントが一人取り残される。男はそこで一つ呼吸を整えると、構成員に倣ってその一室に背を向けた。男の往く先は、大階段。男の敬愛する頭領が控えた、上層階であった。
大階段を昇ると、サイネントは静まり返った廊下を歩む。暫し進んだところで現れる扉を無遠慮に叩き開けば、その景色は豪勢な一室に様変わりした。
サイネントは部屋の中の二つの人影へ訴える。
「……頭領、敵襲です。敵は国選魔道師。つきましては、迅速に避難を――」
そのとき頭領と慕われる男は、サイネントの声を遮った。そして男は慌ただしい若造と対照的に、異様な落ち着きで応答する。
「……王都に拠点を据えながら、今まで何一〇年と野放しにされてきたんだ。時が満ちた、ただそれだけのことだろうよ」
それでもサイネントは、また同じ文句を繰り返す。それはきっと、微かな反抗心の表れだった。
「頭領、今すぐ避難をお願いします……!」
そのとき頭領・フォッジ=ガルドシリアンは、懲りもしないサイネントへと歩み寄る。そして次の瞬間、男は豹変してサイネントへ鋭い眼光を突き刺した。地を這うような重たい声色は、頭領に足る貫禄を帯びる。
「……お前はいつから、俺に命令出来る立場になったんだ?」
そこでようやくサイネントは、自らがすべきことを理解した。頭領とはすなわち、組織における絶対的存在。刃向かうことは、決して許されない。
サイネントはその場で膝を突くと、床に自らの頭を押し付ける。そしてこの後言葉にすべきは謝意であったのだろうが、男が選んだ言葉は、また先と同じ文言であった。
「失礼は承知ですとも。それでもどうか、どうか逃げてください。俺はあなたに死んで欲しくない。あなたは、俺の親なんです……!」
紛れもない、純粋なる感情の吐露。そしてそれは、フォッジの心情を確かに揺する。たとえ悪しき道に踏み入った彼らでも、人間には変わりないのだから。
フォッジは更なる怒号を浴びせる意欲を失い、小さな声で呟く。
「……生きる為に盗み続けた。組織の為に殺し続けた。その瞬間を生きるために、踏み入っちゃいけなぇ地獄を選んだ。そんなろくでなし共に綺麗な死に方は出来ねぇし、許されるはずもねぇ」
それは聞き方によったなら、反省ともとれる言葉だった。罪に染まった組織を率いる者の言葉には、不適切だっただろう。ただ男は、降伏を示唆する為にその言葉を吐き捨てたのでない。男はその言葉を語ってうえで、改めて確固たる意志を示すように、机から愛銃を拾い上げ懐へと収めた。
「……一度選んだ地獄の道だ。そこらマフィアとして生きたのなら、マフィアとして死んでゆこう」
フォッジの決意表明に、サイネントは唇を噛みしめる。頭領の名を背負ったその男に、意を違えることは出来ない。親である男を逃がすという未来は、無情にも途絶えた。
ただそのとき、フォッジは言葉を続ける。
「――サイネント、お前を頭領に任命する」
名を呼ばれたその男は、思わず顔を上げた。唖然とした表情は隠せない。
「その器を持つのは、この場にお前だけだ。好きに足掻け。この錆び付いた老兵にも、好きな指示をくれてやればいい」
マフィアとして生きる者の誇りを汚さない為。そして目の前で柄にも無く取り乱した、一人の優秀な子分の為。フォッジの決断は、そのどちらをも尊重した。
サイネントはゆっくりと立ち上がる。男はあえて目の前の老兵に礼を言うことはせず、老兵の傍に控えるもう一つの人影へ指示を出した。
「……ブロニア。フォッジを連れてここを脱出しろ」
ブロニアは目の前で起こった突然の出来事の連続に、驚きを隠せず返答する。
「サイネントさん、本当に良いのか?」
「……頭領の命令は絶対だ。逆らうことは許さん。さっさと行け」
フォッジはブロニアへ粛々と命令を下すサイネントを見て、ただ笑みを浮かべた。
「…先代に随分と恥かかせてくれるじゃねぇか。だが当代の命令じゃ、仕方ねぇな」
フォッジは惜しむこともせず、サイネントを横切る。そして男は開かれたままの扉へ向かい、背を向けたままブロニアを手招いた。
ブロニアは強引に事情を飲み込む。その末に男はサイネントへ頭を下げ、苦しそうに呟いた。
「……ご武運を」
そうして二人は部屋を後にする。またしても一室は、サイネントが一人取り残される顛末へと至った。
「……あなたのくれた名を、無駄にはしません。無様でも足掻いてみせますよ」
フォッジ=ガルドシリアンという男は、決して己の命が惜しくてその名を譲ったのではない。男の親心と、子の野心、そして親を思う清き心。その全てを尊重すべく、フォッジは選択した。聡明なサイネントには、それが十分に理解出来た。
紛れない悪であろうとも、その愛とも呼べる関係は美しい。ただサイネントはそんなものに浸る間も無くして、最善の手を打つべく通信魔法具を起動した。
「――サイネントだ。レイダー、聞こえるか」
「……ああ、聞こえてるとも。そっちの様子は、こったからも見えてるよ。サイネントくんや、いよいよだねぇ」
「……ああ。今しがた本部に奇襲攻撃が仕掛けれた。突入してきたのは国選魔道師の恒帝と刃天。うちが壊滅するのは、時間の問題だ」
「……だな。同感だ」
「レイダー、お前たちは本部に戻り、敵を挟み込め。お前らの副拠点は、まだ幸い奴らに割れてない」
そのとき通話越しの声は、暫し黙り込んだ。それから僅か経って、レイダーはゆっくりと声を絞り出す。先程までの浮ついた口ぶりは重く沈んだ。
「……サイネント、そりゃ無理そうだぜ」
「……どういうことだ」
「どうやらこの作戦、相当な規模の騎士が出動してるみてーだ。気付かねーうちに、お前らの居る屋敷はもう完全包囲されてる。遊撃隊の俺らが近付こうとすれば、きっと大勢引き連れて戻ることになるぜ」
「……それほどまで水面下で動いていたのか。それも王都の中心で、こちらに勘付かれぬように」
「だなぁ。騎士ってのは、思ったより姑息らしい」
厳しい境遇の中、ふとしてレイダーはある提案を持ちかけた。
「……親思いなお前のことだ。どうせお前の目的は奴らの返り討ちじゃなく、頭領を逃がすこと。屋敷から人間を逃がすだけなら、まだ一つだけ有意義な手がある」
サイネントはレイダーの提案を尋ねた。
「……聞かせてくれ」
「この規模の作戦ともなれば、実動してる騎士の持つ通信魔法具の通信量は膨大になる。つまるところ、奴らにはその情報系統を管理する前哨基地が必要になるだろう。そいつはきっと、作戦専用のメインサーバー通信魔法具を置く為の場所だ」
「俺の推察なら、騎士の一人や二人に口を割らせれば、基地の場所自体は直ぐに特定できる。そして遊撃隊が出来ることは、その前哨基地を叩くこと。通信が麻痺しちまえば、包囲網はただのザルになる。もし遊撃隊がしくじろうと、少なくとも数分はあいつらの注意を引き寄せることが出来る算段だ」
切れ者のレイダーが口にした意見は、セントニアを励ます。男はその策士へ頭を下げた。
「……それで異論ない。頼まれてくれるか」
「……なんだよ、お前いつもはもっと人使い荒いだろ。気持ちわり」
サイネントは自然と口角を上げて返答した。それは同期であるレイダーと共に命を張ることへ、ささやかながら充足感を感じていたのかもしれない。
「……感謝する。レイダー」
国選魔道師が突入を開始した敵拠点からはやや離れた、とある家屋にて。ひっそりと佇む廃れた屋敷の扉は、勢い良く吹き飛ばされた。淡い金髪を掻き上げたその男は、数名の男を従えて先頭に立つ。
「さあ、レイダー様率いる魔法遊撃隊、出動だ……! はは、なんか騎士みてーで気分悪ぃぜ」
No.43 王都マフィアの掟・頭領の絶対的権力と継承
王都マフィアでは、頭領と呼ばれるトップが組織の全権を掌握する。また、頭領は指名によって新たな頭領へ全権が継承される。継承に際し、組織初代の名であるガルドシリアンが襲名されるという慣例がある。