表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Just-Ice ~明星注ぐ理想郷にて~  作者: 福ノ音のすたる
第3章 ~革命の塔編①~
41/203

39.もう零さぬように

 日が落ち始め、空は橙色に染まり出す頃。息を切らしたロベリアは、遂にフェイバル宅へと到着した。

 ノックもせずその男の家の扉を叩き開けると、彼女は迷わず居間へと駆け込む。鍵も閉めない彼の不用心さは、当然に彼女の知るところだった。

 そこでロベリアの視界に映るのは、まるで生気の無い暗闇の一室。無気力に横たわった本棚と、脚のへし折れた椅子。炊事場の床は、割れた食器によって覆い尽くされていた。まるで空き巣にでも荒らされたかのような、はたまた大地震に見舞われたかのような。もはや人の住んでいる状態には考え難い有様であった。ただそれでも、床に転がった酒瓶が残り少ない中身を床へ吐き出しているあたりから、きっと彼はここに居るのだろう。

 ロベリアはふとテラスの方へ目を向ける。そこには小さな中庭を前に設けられた屋根と、その下に置かれた素朴なテラス席。椅子は中庭の方を向いているが、その背からは少しばかりの赤毛が見えた。ロベリアは自分が如何なる声を掛けるべきなのか考える余裕も無いままに、ただ真っ直ぐにそこへと駆け寄る。

 「フェイバル……!」

 呼びかけようとも、男はこちらを振り向かない。彼女はそこから再度呼び掛けることはせず、ただじっと彼の返答を待った。

 暫しの重たい空気が流れる。痺れを切らしたロベリアは、また更に歩を進めた。彼女はそのままフェイバルの正面へ回り込むつもりだったが、それは男は呟きによって制止される。

 「……俺は……守れなかった。だからもう……何も抱えたくない。何かを抱える権利が無い」

そしてテーブルに置かれた酒瓶が持ち上げられる。瓶から液体が流れ出ると、心地の良い音が鳴った。

 フェイバルは瓶をテーブルに置くと、続けてブローチを持ち上げる。陽の光で輝くそれは、彼が国選魔導師であることを示す証。ロベリアはそれに釣られるように歩み寄り、男の直ぐ傍まで至った。

 しかしフェイバルの紡いだ言葉は、ロベリアの思いを打ち砕く。

 「……俺はもう……全部手放すことにした」

 男はその証を、そのまま足元へ放り捨てた。ブローチは重力のままに墜落し、小さな金属音が響く。埋め込まれた宝石は、夕陽に照らされてきらきらと輝いた。

 そしてフェイバルは、弱々しくも意思を述べる。もうそこには、国選魔導師たる威厳も矜持も存在しない。

 「――俺は国選魔導師を引退する」

 彼がブローチを投げ出したあたりから、その答えはロベリアにも容易に予想出来た。男の抱いた国選魔導師という夢を支えるべく、自ら騎士を志した彼女からすれば、それは許しがたい行為だっただろう。ただそれでも、彼女は取り乱さない。

 しかしロベリアは目にしてしまった。フェイバルの片手に硬く握られていたのは、果物を切る程度の小さな刃物。魔装加工の施された魔法剣ですらない、ただの一本の打刃物。そんな小物であろうとも、彼女にはそれが、今の弱った彼の命を穿つのに十分過ぎる凶器に映った。何より生気の無い男の瞳は、もはやその用途を雄弁に語っていた。

 ロベリアは激昂した。彼女は両手で男の胸ぐらを掴むとそのまま椅子から引っ張り上げ、そこで力任せに何度も揺さぶる。目を覚まさせるべく、声を震わせて男へと訴え掛けた。男とは対照的な、涙ぐむ生気に満ちた瞳を、真っ直ぐとその男へと突き立てて。

 「あんたが……あんたが全部手放すことが懺悔なの!? それを心臓に突き刺すことが贖罪なの!? あんたが勝手に野垂れ死んで、それで何が変わるのよ――!!」

そして溜まりきった涙は、ついに零れ落ちる。

 「……手から零れ落ちたものに囚われ続けて……下ばっかり向いて。それでまた何か零すことが怖いから、いっそ全部投げ出して手を閉ざすっていうの!? そこに開いてさえいれば、零れずに済むものがあっても、あんたは手を閉じるの――!?」

 国選魔導師として戦い続けることへの使命。例えその全員を救えずとも、最大多数の人間を救うという覚悟。男のその姿を最も近くで見てきたロベリアだからこそ、今の男の姿が弱く惨めでならない。

 「……あんたの気持ちなんて痛いくらい分かる……なんて軽率には言わない。きっと私なんかじゃ、分かり得ない。だけど、これだけは分かる。あの子は、あんたのそんな姿を望んでなんていない」

 フェイバルはただ唖然となった。それはきっと、これほどにも感情的なロベリアの姿を見たのが初めてだったからだろう。そしてそんな彼女の慟哭だからこそ、彼は最も大切なことを思い出せた。




 駆け巡るのは、いつの日かの記憶。夜のギルド・ギノバス。酒の席だっただろうか。すぐ傍に腰を下ろすクアナは、その見慣れた笑顔で彼へ語った。

 「私はね、強いフェイバルが好きだよ。魔法で誰かを守って、敵を倒して……いつもは気の抜けた顔してるけど、何かを救う為なら全力になる、そんなフェイバルが好き」

そのときはただ素っ気も無く、何の気にも留めること無く返答した気がする。

 「……ったく、急に気恥ずかしいこと真っ正面から言うんじゃねーよ。気味悪ぃな」

その回答が正解だったのかは分からない。いや、正解など無かったのかもしれない。




 ロベリアは弱き男に思いをぶつけると、ゆっくりと腕を下ろした。そして今更ながら涙を隠すように俯く中、フェイバルはゆっくりと口を開く。

 「……悪かった、ロベリア。俺が……俺が間違ってた」

 フェイバルは刃物を放り捨てると、またブローチを拾う。すっと持ち上げられたブローチは、またきらきらと輝いた。

 男は立ち尽くし、そのままふと夕日を見上げる。そして男は声の震えを隠し切れぬまま、そっと素直な呟きを零した。

 「……俺は、クアナが好きな俺でありたい。そうでなきゃならない」

燃え尽きて輝きを失った恒星には、再び眩い明かりが灯る。そして煌めく理想郷には、また明星が降り注ぐのだった。



 時は現在に戻る。フェイバルはグリモンでの悲劇を語ったうえで、改めて説明を始めた。

 「洗脳魔法の使い手に、あえて子供に起用する手口。それに洗脳魔法の標的をギルド魔導師へ限定する方針。一つの組織が危険な魔法を手中に収めている証拠としては、十分だろ」

 「ええ。先天的な要素である魔法を組織的に保有しているっていう点はまだ謎が多いけど、少なくとも調査にはありつけるはずよ」

 「……ありがとう。頼んだ」

ロベリアはその懇願に少し俯くと、それとなく過去の話を続けた。

 「私もいまだに考えちゃうの。もしあのとき、まだ私がパーティに残っていればって……」

 「でもお前が騎士だったから、俺は魔導師に戻って来れた」

 「……そうね。ごめんなさい、変なこと言って」

そして場は静まる。無論、玲奈が口出し出来る状況ではなかった。

 暫し経てば、ロベリアは決まりが悪そうにその場へ立ち上がる。

 「それじゃ、私はこれで失礼するわね。もっと色々と話したいところだけど、早く本部に戻って立件の準備をしたいし」

 「……おう。こんなとこまで呼び出して悪かったな」

 玲奈は二人の会話を聞いて、どこか他人行儀に思えた。でもそれはきっと、ただ二人とも水臭い会話が苦手なだけなのであろう。彼らを結ぶ絆は目に見えずとも、確かに二人を強固に繋いでいるのだ。




 数日後。王国騎士団は、革命の塔に関する調査開始を秘密裏に決議した。新聞にこの決議が報じられることはなかったが、事件の詳細は大々的に綴られることとなる。

 ギルド・ギノバスとギルド・カポリエテの魔導師たち二三名。王国騎士団の一個部隊にあたる一五名。そして首謀者のジェーマ=チューヘルと、男に連れられた少女・カシア。計四〇人もの死亡者を出した一大事件は、王都の話題を暫し席巻する。

 またこちらも新聞に明かされることは無かったが、事件で謎を深めた人間を操る未知の魔法は、暫定的に洗脳魔法と名付けられた。

 ギルド・ギノバスでは、恋人の行方を憂いていた女魔導師のケティが、無事に想い人との再会を果たす。魔力駆動貨物車の運転手もまた、ギルド・ギノバスへ籍を置く魔導師であった。パーティメンバーを探していた男魔導師のワイルも、運良くその人との再会を果たす。要塞で発見された唯一の生き残りの女魔導師が、まさにその人だったという。

 フェイバル宅には、反政府組織・革命の塔に関する調査開始の旨が、文通魔法具によって送信された。調査によって組織の詳細が明らかになった際には、きっとこの事件に関する国選依頼が舞い込むのだろう。

 フェイバルは小さな写真を持ち上げて呟く。そこに誰が焼き付いているかは、言うまでも無い。

 「……俺は逃げない。俺は、お前の好きな俺であり続ける」

No.39 ロベリア=モンドハンガン


明るい茶色をした長髪の女性。フェイバルの一つ年下である二七歳。長身で容姿端麗のみならず、王国騎士団にて第三師団長を務める才女。かつてはギルド魔導師であり、煌めきの理想郷の一員だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ