38.空虚
例えどれほどの惨劇が起きようとも、時は止めどなく流れ、その全てを風化させてゆく。大陸最強を謳われる魔導師パーティ・煌めきの理想郷に籍を置く魔導師の死亡は、王都中に知れ渡ることとなった。
二人は事件後間も無くして、王都・ギノバスへ帰還した。負った外傷の治療と騎士からの事情聴取を終えた彼らが足を運んだのは、都内某所の集団墓地。
守れなかった。いや、恵まれた才能を持ち合せる彼女を守るなど、もはやおこがましいまである。守れなかったことへの後悔というよりは、有望な彼女があまりに呆気ない最期に沈んだことへの虚しさだろうか。
二人がクアナへ尽くせるとしたら、それは彼女の名が刻まれた墓石をただ見つめることのみ。それはただの研磨された石柱に違いないが、そこには苦しいほど鮮明に彼女の笑顔が映る。
フェイバルはエンティスに呟いた。
「エンティス、ありがとよ」
「……なんだ?」
「怪我してまで俺を止めたことだ」
事件以来から酷くやつれているフェイバルは、掠れた声で呟く。そして傍に居るからこそ、エンティスにはそれが辛い。
「……ったく。水くせぇのは無しだ。昔から言ってんだろ」
会話は潰えた。
心は決して晴れずとも、この日は快晴だった。その残酷で健康的な空がフェイバルを後押ししたのか、暫しの沈黙を経て彼は決断を下す。
「……煌めきの理想郷を解散しようと思う」
少し間を開けてエンティスが応える。彼は驚かなかった。
「……ああ。だと思ったよ。そうならなくとも俺は、魔導師稼業から足洗うつもりだった」
「……そうか」
「フェイバル、お前は国選魔道師だ。そっちはまだ続けるんだろ?」
フェイバルは返答しなかった。エンティスは勝手に都合の良い返答を想像して、そのまま寂しそうに零した。
「お前とも疎遠になるだろーな。でも、応援してる」
「……ああ」
高名な魔導師の死。そしてギルド魔導師と騎士による、白昼の魔法戦闘。魔導書の故郷・グリモンで起こった一連の出来事は、王国騎士団も無視出来ぬほどの事件となった。それでもいまだ実体の見えない事件を探るべく、彼らは参考人としてある少女を王都へ召還する。名は、フィーナ。クアナを殺した張本人の少女であった。
彼女は事件後に瞳に浮かんでいた魔法陣を消失し、本来持つべき精神を取り戻した。それを魔法の解除による心神喪失の回復と仮定すれば、現場に居合わせた彼女は最も太い頼みの綱ということになる。
病室を来訪した騎士はフィーナへと尋ねる。まずは最も基本的なところから、のつもりだった。
「――君と一緒に居た男に面識は?」
「……分からない」
「そうか……なら、君の故郷は?」
「……分からない」
「ご両親のことは、覚えているかな?」
「分からない……の」
フィーナは涙ながらに頭を抱え塞ぎ込む。頼みであったはずの綱は、毛糸のように脆かった。
後日の騎士団本部にて。動員された第一師団の騎士たちは、一連の事件の概要を報告書として纏める作業へと従事した。
「――というわけでして、フィーナという少女から情報を得ることは出来ませんでした。記憶喪失に加えて不安障害も見受けられ、また彼女の保護者も現れない為、このまま王立病院で長期療養する予定です」
第一師団長のライズは部下からの報告を受けながらも、真剣な眼差しで手元の資料を読み進めてゆく。
「……パルケード=コミュレイトは、居合わせた恒帝殿の手によって死亡。パルケードの連れていた少女・レイシュは、路地の奥で自死。そしてフィーナという少女は記憶喪失か」
男は纏められた資料をパラパラとめくり、ふと尋ねた。
「ギルド・グリモンの魔導師たちからも、めぼしい情報は無しか?」
「……そうですね。彼らも事の詳細は覚えていないようでして」
手詰まりだった。それでもライズは少し考え込んで指示を出す。
「……パルケード=コミュレイトを洗い直そう。魔導書作家以外に、きっと何か別の顔があるはずだ」
同日。王国騎士団第三師団のうち数部隊は、遠征任務からの帰還を果たした。そしてそこには、元・煌めきの理想郷のメンバーである第三師団長ロベリアも居合わせる。僻地に居た彼女へ残酷な事実が知らされたのは、遅れてこの日のことだった。
検問を抜けて直ぐ、道先の小さな交通事故渋滞で小隊の車は停止する。狡猾な新聞売りの男はここぞとばかり、車列に片っ端から商いを仕掛けた。
「――やあ、前に進まなくてお暇でしょう。新聞はいかがです?」
そしてその男はロベリアらの乗る騎士団の車列にも、恐れることなく声を掛ける。
「騎士の皆様方や、ご苦労様です。新聞はいかがでしょうか? しばらく王都離れていたのなら、是非とも新鮮な情報を」
ロベリアは快くそれに応じた。
「あら、じゃあいただくわ」
彼女と同期の騎士であり、第三師団の副長を努める騎士・マディはそれを横目に見る。
「まーたそんなの買って。経費じゃ落ちませんよ、それ」
「いいのいいの、退屈なんだし」
出来心で購入した新聞から、彼女は遂に事実を目にする。刻まれた文字は、まさに信じがたいものだった。
"大陸最強・煌めきの理想郷がパーティ解消を発表。魔導師クアナ=ロビッツの死亡による"
「……は?」
ロベリアはそれを疑うように、続けて細かな本文を読み漁る。タチの悪い夢かと思った。ただ意識せずとも、表情は深刻なものへと変貌してゆく。
「し、師団長?」
マディは異変にいち早く気が付き、彼女を案じた。
「ええ、だ……大丈夫よ。大丈夫だから」
ロベリアは慌ただしく新聞を閉じると、強引に話を逸らす。それでもマディは話を引き戻した。
「師団長……」
「大丈夫だから! なんでもなくて――」
「あなたは大丈夫じゃないです」
「……え?」
「だってあなた、泣いていますよ」
ロベリアは指摘されて気が付いた。頬に指の腹を添えれば、そこには確かに一滴の雫が垂れる。
「こ、これはその、違くて……!」
新聞の見出しは大々的にその悲劇を報じていた。ゆえにマディは、その記事の大きな見出しを視界に捉えてしまった。そしてまた彼は、ロベリアと同期で騎士へと入団した身。同期であるロベリアの前職は当然に知っている。
同じ車両に乗り合わせる数名の騎士たちもまた、師団長の異変に気がついているようだった。そんな中マディは、妙な文句を並べ始める。それは歪ながらも、彼女の抱えた師団長としての誇りを傷つけない為だった。
「し、師団長、顔色が悪いです。きっと長い移動で疲れたんでしょう。もう今日はお帰りになってください」
「え……?」
ロベリアは突然の頓狂な発言に戸惑う。しかしマディは続けた。
「無理は駄目です。ほらみんな、師団長の顔色悪いよな?」
同じ車に乗る他の騎士は、新聞の事情を知らずともマディの意図を汲んだ。徐々に賛同が集まってゆく。
「――そ、そうかも」
「――確かに……師団長は休んだほうがいいです……!」
マディは少し勢い付く。
「ほ、ほら師団長! 帰るべきです!」
ロベリアもようやくそこでマディの意図を理解した。マディの優しさを察すると、少しばかりの冷静さを取り戻す。まだそれが内容が事実であると決まったわけではないのだ。この目で確かめるまでは、鵜呑みになどしない。
あまりに不器用な優しさに微笑みつつ、ロベリアは口を開いた。
「ご、ごめんねみんな。ちょっと体調が悪くなっちゃって」
部下の騎士たちはそれを聞くと威勢良く口々に話し始める。
「師団長、無理なさらないでください!」
「たまには俺たちを頼ってください」
マディは安堵すると彼らに続く。
「そういうことです。確か師団長の家、ちょうどこの辺でしょ? さ、もうここで降りちゃってください」
「みんな、ごめんね。ありがとう」
ロベリアはマディにひっそりと瞬きして目配せすると、そのまま車から降りた。
ロベリアはただひたすらに駆けた。クアナの死。そしてパーティのリーダーを務めながらも、彼女の死に直面することとなったフェイバルの苦悩。慮るのは、あまりにも容易だった。
彼がそこに居る根拠は無かったが、ロベリアはフェイバル宅を目指した。彼女の居る検問からそこまでは、まだ相当の距離がある。しかしそれは男の負った傷の深さに比べれば、酷く短いものだろう。
(……どうして? どうしてあの子が?)
目にした事実に対する拒絶だけが頭を巡る。かつての同胞の突然な死など、決して受け入れたくなかった。
しかし例えどんなに否定しようとも、ギノバスで発刊される新聞が虚偽を語ったことは、これまで一度たりとも無い。それが事実であることへの覚悟は、いやおう無しに芽生えて始める。そして同時に、耐えがたい後悔が彼女を襲った。
(もし私がまだ煌めきの理想郷にいたなら…… あのとき、その場に居られたなら……)
王都は随分と栄えているので、走るよりも早い移動手段などいくらでもあっただろう。それでもロベリアは錯覚していた。自分の息を切らし、肺を潰して足を棒にすることが、彼らへの贖罪であるのだと。
No.38 王国騎士団の師団・部隊・班制度
王国騎士団は三師団で構成される。各師団は原則二〇部隊を保有し、一部隊あたり十二人が所属する。組織図上では部隊が最小単位となるが、便宜上部隊内では頻繁に班が編成される。班は作戦の性質に応じて柔軟に変動するが、一班あたり三名から四名とされることが多い。