37.愛してる。ただまっすぐに。
フェイバルとエンティスは、ギルド・グリモンの魔導師たちとの戦闘を強いられた。自体を理解出来ずとも、二人はそれに抗うほかない。警察組織であるグリモン駐在騎士団が現場へと駆けつけたのは、既に一〇数分が経過したときだった。
駐在騎士団長を務める男はフェイバルに状況を尋ねる。
「魔導師の者……いやあなたは恒帝殿か! これは一体何事でしょうか!?」
フェイバルは敵から目を逸らさずに、切迫した様子で応じた。
「見ての通りだ! 理由なんて分からねーよ!」
エンティスが口を挟む。彼は口調に熱を帯びつつあるフェイバルと騎士の男を仲裁した。
「あんたが駐在騎士の頭だな。俺らは別の仲間の応援に向かいたい。ここはあんたら任せていいか?」
「ええ、勿論です。グリモンの治安は我らの責務ゆえ」
そして騎士の男は懐から魔法銃を抜く。周囲の騎士たちへ指示を飛ばしたのは、そこから直ぐの出来事だった。
「総員に告ぐ! 直ちにギルド魔導師を制圧せよ!!」
騎士たちは誰一人足をすくませず、真っ向からギルド魔導師へ立ち向かう。現場は忽ちにして、刃の打ち合う硬い音で包まれた。
グリモンの魔導師たちは一斉に騎士を敵と認識し、すかさず攻撃の対象を変更する。敵からの注意が逸れたフェイバルとエンティスは、魔導師らの合間を縫うようにしてその戦場を突破した。
「……さあ、仕切り直しですね」
パルケードは手作りの義足をぶらぶらと動かしながら呟いた。足の処置を終え、またサーベルを拾い上げる。伸長した刃の先端は、元の形状へと回帰した。
「早く終わらせねば。騎士が来てしまいます」
そしてパルケードは再びクアナへ接近を試みる。力強い踏み込みは、もはや老人のものとは考え難い。
クアナは治癒魔法を中断した。右の掌を前方の地面へ向けたところで、彼女は速やかに魔法陣を展開する。それはすなわち、氷魔導師たる彼女の常套手段。
「氷魔法・独壇場……!」
地面は一瞬にして覆ったのは、揺らぎひとつ無い凪のごとき氷床。近接戦を回避するためのその手法は、氷という特性を生かした技であった。
しかしながら、パルケードは止まらない。男は多少の速度を落としながらも、その氷の床をもろもとせずクアナへの接近を継続する。老齢でありながら末恐ろしい身体能力に、彼女は一層に身構えた。
クアナの判断は早く、彼女は空いている左手で魔法陣を展開する。
「氷魔法・槍!」
パルケードへ相対するように差し向けられたのは、氷床から飛び出す三本の氷の槍。それは目にも留まらぬ速さで伸長し、男を貫かんとした。
摩擦の小さな氷の足場では、例えどんな身体能力を持とうとも、急停止することは叶わない。それは氷魔法を理解した彼女だからこそ成せる、巧妙な連携術であった。
ただパルケードは、咄嗟に再造形で義足の接地面にスパイクを造り出す。男はそこに全体重を掛けることで、最大限に摩擦を殺そうと足掻いた。
それでもやはり男の体は滑り続ける。迫り来る氷の槍を目前にしたとき、もう既に防御魔法陣は間に合わない。男の回避経路は空の一択へ絞られた。それこそが、クアナの想定に足る安直な道であるとは知らずに。
クアナは左の手首を小さく振り上げる。氷の槍はそれに呼応して、まるで蛇の如くその身を大きく捻じ曲げた。槍の先端が向いたのは、空中を漂うパルケード。三本の槍は、為す術無い老人の肉体を貫いた。
腹を串刺しにされたパルケードは、ただ静かに槍を赤く染めてゆく。ぐったりとした様子にクアナは少し安堵すると、自身の肩の傷を癒やすために再び治癒魔法を行使した。
――その時だった。
雨が無機質に音を奏でる中、その律動を掻き乱すかのように鳴り響いたのは、たった一発の銃声。
「……あれ」
背中から胸の一筋にかけて感じる、確かな灼熱感。治癒していた肩から、その下へゆっくりと視線を移す。赤く染まった胸元がそこにあった。そしてその赤色は、またじわりじわりと広がっていく。
クアナは立っていられず地面へと倒れ込んだ。視界が遠のき、意識が薄れてゆく。
「……使徒を一人持ってきたのは……正解でした」
微かに聞こえるのはパルケードの声。男はにはまだ息があった。
「……確かあなたはフィーナさん……とか言いましたっけ」
聞き慣れぬ名。クアナはようやくここで、目に包帯をした少女・レイシュと異なる、また別の敵の存在を知った。
人間の脳とは不思議なもので、どれほど悲惨な状況に晒されていようとも、自然と楽しき日々の思い出が呼び起こされる。そしてその情景に絶えず映り込むのは、フェイバル=リートハイトの姿。ギルドで初めて出会ったあの日も、魔導師パーティを立ち上げたあの日のことも。
「――煌めきの理想郷なんてどう? フェイバルの魔法ってさ、熱くて眩しいじゃん。だから、恒星を意味するステラ! それでみんなが仲良く楽しくいられるように、理想郷を意味するユートピアを入れる!」
共に苦楽を分かち合う中、彼女はフェイバルに惹かれていった。鈍感な男には、どれだけ苦労させられただろうか。ベンチに腰掛けて夜月を眺めながら、ふとロベリアに相談したことすらあった。
「――私ってさ、フェイバルから子供みたいに見られてるのかなぁ?」
クアナは横に並ぶロベリアのほうに倒れ込み、彼女の膝へ頬を預ける。ロベリアは微笑みながらも、それを優しくなだめてやった。
「なーに、フェイバルだってきっと気付いてるわよ。ただ恥ずかしがってるだけ」
「……ホントに?」
「なにせ彼はずっーと苦労してきたもんだから、イマイチ分かってないのよ。その……恋? ってのが?」
妙につっかえた物言いを聞いて、クアナはロベリアを見上げる。そして彼女はロベリアへ尋ねた。
「……ロベリアは知ってるの? その……恋ってものを」
「そ、それは今関係ないでしょ?」
「えぇ? だってさっきの答え方さ、完全に恋に慣れた大人の女性のそれだったじゃん」
「そ、それは、その、えっと……」
クアナはたった一度だけ、一歩を踏み出した。珍しくも二人きりで任務を終えた帰路。車に揺られながら眠るフェイバルの頬に、そっと唇で触れてみる。
「……悪かった。いくら俺でも、気付いて」
乙女の顔は思わず赤らむ。心のどこかで待ち望んでいたはずなのに、そんな反応をされては、何だか調子が狂ってしまう。彼女はもどかしくも、そこで黙り込んだ。
結局、男からそれ以上の言葉は無かった。それが本意なのか、ただの寝言なのか。彼女には分からない。
クアナは己の死を確信した。薄れゆく意識のなか、振り絞るように声に出す。氷の魔導師である彼女が、寒気というものを体感したのは初めてだった。そして徐々に、呼吸の仕方すらも分からなくなってゆく。ただそんな中、これだけは口にしておかないと後悔する、そんな気がした。
「……フェイバル……大好き……だよ……」
そして彼女は、雨と涙に濡れた瞳を閉じる。魔導書の入った紙袋は、降り止まぬ雫に浸されて滲んだ。
フェイバルとエンティスが凍り付く激戦の跡地へ到着したのは、それから僅かのことだった。二人の視線には、どんなに拒もうとも、血に濡れて横たわる仲間の姿へ吸い込まれる。瞬時に状況を理解出来なかった。したくなかったのかもしれない。それでも二人は、直ぐにそこへ駆け寄らなければならなかった。
エンティスはクアナを仰向けにして、膝で彼女の頭を支える。無事を確認しようとしたが、胸に空けられた風穴を見れば、それが必要無いことは明らかだった。
「どうして……!!」
エンティスは声を押し殺す。魔導師として生きる以上、その突然の悲劇が誰に起ころうとも、先に覚悟はしているつもりだった。それでも実際に直面した仲間の喪失は、この世界にある無数の感情の何より苦しい。束の間にして思考は混沌へと堕ち、自分が流す涙の理由すら説明を失った。
ただそのときエンティスは、横にあったはずの人影が消えたことだけに気付く。それを探すべく顔を上げれば、その人影は直ぐに見つかった。
フェイバルはふらふらと歩みだし、エンティスとクアナの元を離れてゆく。エンティスは耐えかね、彼へ声を掛けた。
「おい……フェイバル……?」
フェイバルに返答は無い。エンティスは掛け直す言葉を見失い、黙ってその背中を眺めた。
そこに映るのは言うまでも無く、心を許した仲間の頼れる背中に違いない。後衛魔導師であるエンティスは、それを見慣ているはずだった。しかしながら、今この瞬間そこにある見の背中は、どこか弱々しくて頼りなない。そして同時、思わず畏怖してしまうほどの黒い何かを感じてしまう。
エンティスの感じた何かは、何一つと間違っていなかった。束の間、少しだけこちらへ顔を見せた男から窺えたのは、これ以上染め上げようもない程の無彩色な怨嗟。
フェイバルは、もはや事切れる寸前のパルケードへと近付いた。死に瀕する老人はそこで何か悟り、少しの微笑みをもって声を絞る。
「革命の塔よ……天を穿ち……世を導け……」
フェイバルはパルケードの直前で立ち止まる。そのときエンティスには、相対する二人の空間だけ時が止まったように見えた。
「……ろしてやる……殺す!」
そしてフェイバルは、魔法陣を展開する。そのときの男は人間の形を成していながらも、もはや理性なき魔獣であった。
「――殺す!! 殺してやる!!! 塵も残さず殺してやる!!!!!」
フェイバルは腕に熱魔法・装甲を行使する。そこからはただ、取憑かれたように拳を振るい続けた。灼熱の拳に触れた雨が蒸発する音は、肉の弾ける音が掻き消してゆく。男は魔法を制御するだけの平静すら失い、その殺戮の現場からやや距離のあるエンティスでさえも、ただならぬ熱気へと晒された。
激しい攻撃は、周囲の氷を容易く溶かしてゆく。忽ち氷に支配された極冠の世界は、慈悲無き恒星の衝突で雨模様へと回帰した。
ものの数分が経ったとき、氷の槍から体が外れたパルケードは肉塊と成り果てる。そのまま男の体は反対側の建物へ吹き飛ばされるが、フェイバルはすかさずその方向へ飛び出すと、いまだ執拗に高熱の殴打を繰り出した。強化魔法を纏っていなくとも、その怨嗟を孕む殴打は、堅牢な建物に亀裂を生じさせる。
狂気を体現したような攻撃の嵐が止んだのは、彼の感情が静まったときではなく、もはや感情をぶつける為の対象が完全に焼け失せたときだった。そのときになってフェイバルは、ようやくクアナの元へと歩み寄る。
熱の装甲を纏いながらも酷く損傷したフェイバルの拳は、彼の抱く感情全てを物語った。顔面に返り血を浴びた男の有様は悍ましいものであったが、エンティスはその男の顔に、もっと暗い何かが憑いているように見えた。
そして慈悲無き恒星は、再び熱を宿す。エンティスとクアナへ見下ろされていたフェイバルの視線は、ふと誘われるように別の場所へと差し向いた。
理性を失った男が目にしたのは、クアナのさらに後方。暗い路地の奥。虚ろな目をした白髪の少女。
その少女は手放した銃の直ぐ傍で、尻餅をついて座り込んだ。白髪に血が滲んでいるのは、クアナを狙撃した際の反動で銃身が頭へ激突したからだろう。
フェイバルはそれが敵であることを理解した。男は迷うことなく走り込み、その少女へ距離を詰める。しかしエンティスは、その少女が先程の魔導師たちと同じ虚ろな瞳を浮かべていることへ気が付き、遂に行動した。
フェイバルは赫々と猛る拳を振りかざす。その拳が僅か一瞬で少女の頭を吹き飛ばす寸前、エンティスはフェイバルを羽交い締めにして制止した。熱を帯びた男の体に触れるのはもはや自殺行為であることを理解しながらも、それを気にしている暇など無い。
「――フェイバル! あの子も操られてる! あの子も被害者だ!!」
そのときフェイバルは仲間の一声を聞き、ようやく暴走を終えた。男の魔法は解除され、恒星はついに静まる。
ただそのとき少女は、垣間見た死へ畏怖した。制御の効かないはずの虚ろな瞳から、一滴の涙が滴る。幼き少女にとっては、あまりに悍ましき記憶だった。
No.37 パルケード=コミュレイト
執事のような黒服を纏う灰色の髪の老人。当時七三歳。かつてはギルド魔導師であったが、年を重ねた末に引退した。その後は魔導書作家として名を知られることとなる。一方では反政府組織・革命の塔に籍を置き活動。洗脳魔法の使い手であるレイシュと、洗脳魔法を行使された手駒である少女を連れ、グリモンを訪れた。