36.極冠の巫女
パルケードの展開した魔法陣からは、雨の如き鉄の弾丸が放たれる。クアナはすかさず防御魔法陣を展開すると、それらを真っ向から受け止めた。
クアナ=ロビッツの強みとはすなわち、卓越した器用さ。彼女は左手で防御魔法陣を展開したまま右手の指先に別の魔法陣を展開すると、それを薙ぎ払うような動作をした。
「氷魔法・斬撃……!」
クアナの右手から遙か先の地面には、鋭い刃を成した氷が飛び出す。忽ちそれはパルケードを目指し、目にも留まらぬ速さで伸長した。
パルケードは老人と思えぬ軽い身のこなしで大きく飛び上がる。地面を這うようにして進撃する氷の刃は男を仕留め損ねると、そのまま後方の建物に衝突して停止した。
そしてパルケードは空中に漂うまま、自らの足元へ魔法陣を展開する。男はそれを踏み台に応用すると、一挙にクアナへ距離を詰める。更にその刹那、男はまたも新たな魔法陣を展開した。
「鉄魔法・造形……サーベル」
パルケードは造り出したサーベルを右手に握る。間もなくクアナを間合いに捉えると、男は決死の刺突を繰り出した。
クアナは左手の防御魔法陣で受けようと試みるが、男の体重が乗った一撃はあまりに重い。その一撃は彼女の防御魔法陣へ亀裂を生じさせた。
パルケードは一度着地するも、その攻撃の手を緩めない。鈍重な一撃に続いて、疾風の如く連撃が繰り出された。
「受けきれますかな……」
パルケード=コミュレイト。ギルド魔導師を引退したその男が次の生業としたのは、魔導書の執筆であった。若き日から魔道を歩む男の魔法は洗練を極め、そこに老いは一切感じられない。加えて年齢からは異常とも思える身体能力もまた、クアナを苦しめた。
クアナは防御魔法陣を展開したまま、猛攻に押され少しずつ後方へ退いていく。すぐ背後にはレンガ造りの建物。退路は断たれた。
そして虚しくも、衝撃に耐えかねたクアナの魔法陣は鏡のように割れて散らばる。パルケードはここに勝機を見た。男のサーベルはとどめの突きを繰り出し、生身となったクアナを襲う。
フェイバルは時計台を目指して走り続けた。その麓まではまだ幾分か距離がある。それでもクアナの示した場所へ一刻も早く到達すべく、必死に息を切らした。
しかしそのとき、思わぬ者たちがフェイバルの邪魔をする。
どこか虚ろな目をした人々は、一斉にこちらへ視線を向けた。その人々は雨の中傘も差さずに、ただ俯いて濡れ続ける。血に飢えた獣に囲まれたとき、きっと人間は皆同じ感情に陥るのだろう。
「……なんだ……こいつら」
フェイバルはその異様な光景に、一時足を止める。それでも直ぐに我を取り戻すと、彼は強引な突破を試みた。
しかし次の瞬間、虚ろな目をした人々は一斉にフェイバルへと襲い掛かる。そこに集団戦術は存在せず、戦場は各々があらゆる方法をもってして攻撃を仕掛けるだけの混沌へと陥った。
手前に立った数人は腰に帯びた魔法剣を抜くと、それをフェイバルへと振りかざす。フェイバルは瞬時に全方位を防御魔法陣で固めた。束の間、剣と魔法陣が衝突し激しい音が響き渡る。
理解不能な事態に、フェイバルは思わず声を荒げた。
「テメェら何者だ――!?」
ただふと視線を落としたとき、フェイバルは質問の解がそこにあったことを知る。そのとき彼の目についたのは、魔法剣を握ったとある男の指先。男の指に装着されていたものは、ギルド紋章が刻まれた指輪であった。
「……魔導師? ギルド・グリモンの魔導師か……?」
その間にも、敵の猛攻は躊躇いなく続けられる。遠方から飛来したのは魔法銃の弾丸。遅れて岩の塊と火の玉。ありとあらゆる魔法が秩序無く、フェイバル目がけて飛び交った。
「おいおい……今それをしちまったら」
追撃は確かにフェイバルの方向を捉えていた。しかしそれは男を負傷させることなく、フェイバルに近接攻撃を仕掛けた剣士たちへと命中する。同じギルドであるはずの彼らが、同士討ちをした瞬間であった。
本来ならば協力して依頼をこなすのが魔導師という生き物。それでも彼らはそれを放棄した。各々がフェイバルを殺す為に、連携を度外視していることになる。
「ったく、正気じゃねーな」
フェイバルは自身を囲むように展開していた防御魔法陣を押し出す。すると押し合いに負けた剣士たちは、そのまま後方へと弾き飛ばされた。それでも人数差は凄まじく、また別動の近接部隊がフェイバルへと接近する。一瞬ばかり開けた視界は、また魔導師によって覆われた。
「クソっ、どんだけ居やがる……! この急いでるときに!!」
そのとき苛立ちを隠せずにいるフェイバルの背後から、突如として爆音が鳴り響いた。相当数の魔導師が吹き飛ばされ地面へと転がったのも束の間、聞き慣れた声が鳴る。せめてもの救いだった。
「――フェイバル! こりゃ何事だ?」
声の主はエンティス。状況はともかく、二人はなんとか合流に成功する。
「分かんねーよ。でもこいつらを止めなきゃならねぇってのは確からしい」
「なるほど。なら、さっさと終わらすぞ」
パルケードのサーベルは、クアナの心臓を貫いた。しかしパルケードの顔から敵の死を確信した余裕は現れない。それは男が、敵の生存を理解していたから。
クアナの体は、サーベルで貫かれた胸を起点に亀裂が走り始める。その亀裂が広がれば、遂にそれは氷の破片となって崩れ落ちた。
そして次の瞬間、地面に散らばった氷の一つは徐々に膨張を始める。それは束の間にして、再びクアナそのものへと変貌する。
「……そっちはただの氷像でした」
彼女が行使した魔法の名は、氷魔法・偶像。自身の肉体と氷像を瞬時に入れ替えることで、敵の猛攻を逃れる術である。
クアナは続けざまに男へ距離を詰める。自身の右足を纏うように展開されたのは、魔道の極地。すなわちは、多重魔法陣。攻守の切り替えの速さはパルケードの追随を許さず、低い体勢からの蹴りは男の両脚を薙ぎ払った。
パルケードは体勢を崩す。しかし男の執念だろうか、サーベルの先端は瞬時にクアナへと向けた。
「鉄魔法・再造形……!」
サーベルはクアナに届かないはずだった。しかし地面へと倒れるその僅かな刹那で、サーベルの先端は突如として伸長した。思わぬ方法で間合いを広げた剣先は、クアナの肩を貫く。
クアナは不意を突かれ、後方へ退き再び距離を取った。敵が体勢を崩した好機は、こうして消え失せる。
「……面倒ね」
肩から激しい痛みが走った。血の吹き出す肩を圧迫すれば、クアナは自身が保有するもう一つの魔法である治癒魔法をもって、肩の傷を癒やし始める。
「いてて……参りましたなぁ」
パルケードもまた戦況を立て直すべく、ゆっくりと立ち上がる。そして男は、先端が血に染まったサーベルを胸の前で掲げた。
赤く染まったサーベルの先端の形状は、複雑怪奇。まるで植物の根が広がるかの如く、入り組んだ造形を見せる。
「……刺突が成功した直後、先端を更に変形させて傷を抉りました。治癒には時間を要しますとも」
男の余計な解説を前にして、クアナは顔を歪めながらも敵に笑った。男はそれを不審に思ったようだが、クアナはその笑みを貼り付けたまま教えてやる。
「あら、あなたの脚はもう治癒なんて間に合わないわよ……?」
パルケードはクアナの言葉を聞くと、すぐさま自分の脚へ視線を向ける。
冷たさを感じる以前に麻痺したのだろう。パルケードの脚はクアナの蹴りを受けた箇所から徐々に範囲を広げながら、着々と凍り付いてゆく。
「厄介な……」
「それはあなたの足にただ氷が貼り付いているんじゃなくて、肉体そのものが凍り付いているの」
パルケードは苦い表情を浮かべる。男はおもむろに胸ポケットからハンカチを取り出すと、それで太腿を縛り上げた。
「まさかこんな小娘が秘技魔法の使い手だとは。思いもしませんでしたよ」
氷魔法秘技・凍蝕。それは触れたものを徐々に凍り付かせ、最後には完全な氷へと変化させる強烈な魔法。本来であれば発現魔法は敵の肉体に直接作用することが出来ないが、それを可能にしてしまうものこそ、秘技魔法なのである。
パルケードは鉄魔法・造形によって短剣を手にする。魔法の特性に察しがついたのか、男はすぐに己の脚を切断した。
凍り付いた脚はゆっくりと地面へ倒れ込む。続けて男は簡易的な鉄の義足を造形した。
「関節は残しました。まだ十分動けますぞ」
「……降参しては、くれないのね」
No.36 氷魔法
氷を発現させる魔法。魔法陣の色は水色。